あなたの前の彼女だって、むかしはヒョードルだのミルコだの言っていた筈だ

著者 :
  • アスペクト
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感想 : 7
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  • Amazon.co.jp ・本 (528ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784757221260

作品紹介・あらすじ

今となっては「思い出すのもウンザリ」するほど豊かだった、05年から10年までに渡り、菊地成孔が『kamipro』に実質上の連載としてほぼ毎号、休刊まで行っていた伝説のインタビューを落としなしの完全パッケージ。PRIDE、ハッスル、DSE帝国、谷川黒魔術、桜庭救済論、秋山バッシングへの反対論陣、果てやツイッター論まで、連載中は格闘技ファンから無視し続けられた予言に次ぐ予言。しかしそれは後年、一切何の役にも立たなかった事が一読で解る異形のインタビュー集。<br>

感想・レビュー・書評

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  •  第N次格闘技ブームといっていいほど、今格闘技が流行っている。自分自身も例に漏れずその類の1人なんだけど個人的に全く見なかった期間があり、ちょうどその期間に該当する言説に触れることで禊ぎたくて読んだ。外野の意見は聞くにほとんど値しないかもしれないが、これだけアクロバティックに格闘技を語るのは一つの芸だと思うし約500ページの雑談を食い入るように読んだ。
     本著がオモシロいのはプロレスで言うアングル、すなわち見立ての新鮮さにあると思う。リング上で起こった表向きの情報をベースにして、そこから妄想含めて雑談を展開していくのは一級品。著者がここまで格闘技フリークなのは知らなかった。以前に友人と話していた時に出てきた「メタ的偏見」という言葉がぴったり。最近の格闘技は特にリング外での立ち振る舞いに物語を付与しているので「メタ的偏見」が跋扈してより夢中になる仕掛けが用意されている。また自分を含め多くの戦ったことのない人が「戦い」について言及していること自体が格闘技と「メタ的偏見」の相性の良さを物語っている。したがって本著のような形式の格闘技本は今こそ評価されるべきだし、出版されるべきだと感じた。最近、書籍ではなく格闘家のYoutubeやTwitterのハッシュタグでその需要は現在満たされていると思うが、書籍としてまとまった形になることで立ち上がってくる意味があると思っている。
     ただ時代を感じたのは秋山成勲をめぐる話。秋山は在日韓国人4世なのだけど、この辺の話は著者が町山氏に対して見せて炎上した在日差別しぐさにニアミス。当時の秋山はぬるぬる事件で厳しい立場にあったとはいえ際どい話の連発で正直しんどいな…と感じた。この認識だとああいう発言するかという答え合わせにもなった。とはいえ、この案件だけでキャンセルするには惜しいほどにこの本で繰り広げられる格闘技、その先の見立ての話はオモシロい。今の時代を予言しているかのような発言も多い。

    テクノロジーによって、「実際に調査している」のか「資料だけ検索して妄想しているのか」の分離が曖昧になってるんですよ。

    社会性を重視し、コスパ最高値で全員が生きることこそクールでクレバーなんだっていうことを毎日バラエティ番組で啓蒙してると思うんですよ。

    「膠着」という言葉が取り沙汰されるようになりますよね。「膠着がないものがいい」と。つまりポップですが、ポップも無くてはならないものですが、僕は「膠着は退屈だ動け!」というのが嫌で。「とにかくおもしろければいい。早くおもしろくしろ。いますぐ」だけ、という風潮というのは、まあ危険ですよね。

    リアルというのは、退屈な時間があって、鈍く痛い時間があって、それでだんだんといい時間が来てというのが、ある種の健全な状態だと思うんですよ。

     次にこの手のタイトルの本が出るときはまた格闘技が冬の時代になっているかもしれないが、それでも自分が格闘技を好きでいたい。

  • ディケイト、ハーフディケイト説から95年インターネット以前を佐山、前田。以後を武蔵に例え彼はパソコンを持っていないタイプと称したのは見事。永遠の命と引き換えに全てを捨てた男と言うのも物凄く分かる。勿論全面的に支持できるかと言われたらNOだけど有吉曰く「面倒臭い文章書いてる人」と称され格闘技界の論客としては異質で異彩を放つ

  • 2014/1/31購入
    2014/6/25読了

  • プロ格闘技とはいったいどのように定義されるべきものであろうか
    たとえばそれは
    「高度な技術体系によって構造化されたケンカ」かもしれないし
    あるいは
    「脚本を放棄し、アドリブのみで進行するプロレス」かもしれない
    どちらにもとれるような気がする

    どちらにもとれるという立場において
    格闘家は構造主義者であると同時に実存主義者でもある
    ということが言えるだろう
    UFCの試合をときおり見るにつけ
    僕は構造以外の何も見出せずにいるのだけど
    しかしスポーツとしてはそういう在り方こそ絶対的に正しいとも思う
    いま現在、それがいまいち日本に定着してないのは
    やはり日本人の国民性に合わないからで
    結局のところ、みんな格闘技には大相撲的なものを求めているわけだ
    つまり、半ガチ半ヤオ的なものを
    それはたとえば、大相撲に八百長があるとかそういう決めつけではなくて
    いうなれば、観客を含めての「和の精神」の実践みたいなものだ
    構造と実存の折衷とはつまりそういうことである、と思う

    いわゆるゼロ年代というやつは
    そういう伝統的なものが目に見える形でグダグダになっていった時代
    だったかもしれない
    要はみんながより強い刺激を求めたために
    旧来的なものがどんどん飽きられていったということなんだけど
    その結果生じたのが「秋山ヌルヌル事件」「青木腕折り事件」といった
    一種の反逆行為であり
    「亀田三兄弟」というジャンクの誕生であり
    「三沢光晴の死」であった

    それを防ぐ手段がどうとか
    別にそういうことを今さら言いたいわけじゃない
    昔の状態に戻ることもおそらくはないだろう
    ただ今は、なにもかも皆なつかしい・・・この本を読んでそう思ったわけです

  • 格闘技にはまったく疎いのだけども、それでもそこで語られている話がピンポイントでもわからなくても伝わってくるものや、ある種のメタファー的に機能していること。

    リアルタイムの出来事ではなく数年前のインタビューだということも知らなくても読めるということかもしれないし、格闘技やマットの世界で起きていた事はもちろん動き続けているこの世界の様々な事と嫌でも地続きある。
    人間と言うのは厄介な生き物でしかも団体とかなったりしてくると愛憎劇っつうか人間と言うのは愛しているよと笑顔で相手の頬を引っぱたくことのできるものだからさらに事態は困惑するし、当事者なら笑えない事は他者にとってはそれなりに面白い話題だったりする。

    なんだか菊地成孔という人物の不可思議な魅力はそのものの見方とクレバーさによる補填と見通し、まるで私小説なのに自らの存在をクリアに出来事を語るかの如くで、それは面白いのは仕方ない。

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著者プロフィール

ジャズ・ミュージシャン/文筆業。

「2016年 『ロバート・グラスパーをきっかけに考える、“今ジャズ”の構造分析と批評(への批評)とディスクガイド(仮』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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