大阪市立大学人文選書3 私もできる西洋史研究: 仮想大学に学ぶ (人文学のフロンティア大阪市立大学人文選書 3)
- 和泉書院 (2012年5月30日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (220ページ)
- / ISBN・EAN: 9784757606227
感想・レビュー・書評
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ブログ「読書猿Classic」で好意的に紹介されていたので手にとってみた。
「今卒論を書いている人には残酷すぎて推奨できない素晴らしい本と自分のために書かれた訳ではないテキストを攻略する読解の3ステップ
http://readingmonkey.blog45.fc2.com/blog-entry-633.html
うん、面白い。
個人的にはもう私自身が歴史学の研究をする可能性も卒論を書く可能性も、ゼロではないがほぼないと思う。
それでも、「自分のために書かれたわけではないテキストを攻略する方法」という箇所に心をひかれた。
読みたいテキストが読める許容量の何倍何十倍何百倍とある中、少しでも「あ、これは私向けのコンテンツではないな」と感じると読むことをやめたりあきらめることが増えている。
それが現実解だとしても、自分という畑がやせ細っていくような焦りを感じていた。内田樹さんの表現を借りると、一問一答のようなすぐに答えがでるような雑学・豆知識ばかり増えて、知的好奇心や教養の源がすり減っている状態だ。
そんな私にはオアシスのように輝いて見えた(読めた)。
事前には手に取るきっかけとなった、事後には本書の意義を再確認するきっかけとなった、同ブログの紹介文を引用しておく。
〔引用ここから〕
さて、いわゆる古典が読みづらいのは、あなたのために書かれたものではないからだ。
プラトンはあなたのことなど何も知らない。
デカルトはあなたを読者として想定していない。
古典を読むことは、あなた宛でない手紙を盗み見るようなものだ。
彼らの書いたものは、あなたの知らないことを前提とし、あなたが共有しない文脈(コンテクスト)に基づいている。
だから読みにくい。
しかし古典を読むことで得られるご利益もまた、同じところに存する。
あなたのために(ボキャブラリーを調整し、あなたが知らなそうなことはできるかぎり説明し、込み入った話を噛み砕いて)書かれたものは、うまくいけば、あなたを面白がらせ、時には知らなかったことを教えてくれもする。
だが、それだけだ。
あなたのために書かれたものは、滋養になる場合であっても、あなたを太らせてはくれるが鍛えてはくれない。
自分のために書かれた訳ではないものを読むとはどういうことか?
取り付くところが見えない絶壁を、欠落や破綻を補完しつつ、むしろ手がかりにしてよじ登ること。
相手を引き寄せるためにかけたロープをたぐりながら、自身をより高く引き上げること。
そして最後には、書き手すら気付かなかった宝を掘り出すこと。
〔引用ここまで〕詳細をみるコメント0件をすべて表示