史記 武帝紀 6 (時代小説文庫)

著者 :
  • 角川春樹事務所
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  • Amazon.co.jp ・本 (408ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784758438025

作品紹介・あらすじ

前漢の中国。武帝・劉徹の下、匈奴との激しい戦いが繰り返され、無謀とも思える戦の末に力尽き降伏した李陵は、軍人として匈奴で生きることを誓う。一方、匈奴で囚われの身となり北の地に流された蘇武は、狼とともに極寒を生き抜き、自らの生きる理由を問うのだった。彼らの故国では、忍び寄る老いへの不安を募らせる劉徹の姿を、司馬遷が冷徹に記す。そして、匈奴の最精鋭兵を指揮する頭屠が漢軍を追い込むなか、李陵と蘇武は、宿星が導きし再会を果たす。北方版『史記』、佳境の第六巻。

感想・レビュー・書評

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  • 「読み終えたぞ、桑弘羊」
    「今上本紀まで、でございますか?」
    「そうだ。太初年間の俺のことまで、これでもかというほど書いてある」
    「お怒りになっては、おられないようにお見受けします、陛下」
    「ほかの帝の記述は、見事であった。俺が気になったのは、俺だけが、ある感情にもとづいて書かれたのではないか、ということだった。司馬遷を、見くびったものよ。ほかとまったく変わりなく、俺の強さも、名君たるところも、いや凡庸さや愚かさや弱さも、はっきりと書かれている。俺がいて、俺を読んでいる。俺はそういう思いにとらわれ、昨夜はほとんど眠れなかった。そして今日になっても、どこにも不快なものはないのだ」(312p)

    その後、武帝は父親の孝景本紀と今上本紀のみに不快を示して破棄を命じた。司馬遷は、それは「自分でも気づかぬまま、抱いた」武帝の死を願う気持ちを見抜かれたと思い、却って喜ぶのである。

    司馬遷の今上本紀は武帝の無味乾燥な儀式のみを描いて全く面白味がない。おそらく、書き直したモノだと思う。

    ここで、北方謙三は「司馬遷は武帝に復讐をするために史記を書いたのではないか」という説や、武帝は司馬遷の史記を読んでいないか、内容を理解していなかった、という説を尽く否定した。

    司馬遷は自ら気づかないほどの武帝への「私情」をなくして、司馬遷としての「歴史」を書いたのであり、武帝はそれを理解した。となっている。それもまた、漢(おとこ)と漢の関係ではあるだろう。しかし、武帝はまだ列伝までは読んでいない。武帝は果たして「大苑列伝」を読んでも同じ感想を抱くだろうか。北方は果たしてそれを描くだろうか。それは最終巻を待たねばならない。

    それと同じ漢と漢との関係は、この巻では李陵と蘇武の間でも描かれる。ただそれは中島敦「李陵」との比較で論じたいので、ここでは置く。

    しかし、司馬遷の武帝への感情の変化、蘇武の武帝への感情の変化について、この巻では繰り返し繰り返し述べられる箇所があった。それこそが、わざわざ一巻をかけて武帝紀を書いた理由なのだろうが、冗長なのを感じざるを得なかった。蓋し、謙如不及遷。
    2014年2月25日読了

  • いよいよクライマックスへ。最後の7巻を読むのが惜しい気分。なかなかここまでの気持ちになる小説には出会えませんね。

  • 第六巻。

    北の地で、李陵と蘇武が再会します。長安にいたときは李陵に若干コンプレックスを抱いていた感じの蘇武でしたが、今は人間を上下に見たり、ジャッジしたりするような事がすっかり無くなり、突き抜けた感があります。
    逆に李陵の方は匈奴での自分の立場など、悩む事も多そうで、“人間界”に生きている大変さを感じます。
    終盤で彼らが、自作の舟で北海に漕ぎ出す場面が好きです。

  • ますます精彩を描く劉徹、かろうじて孫広と司馬遷が漢の魅力を維持している状態。
    一方で頭屠、李陵をはじめ、匈奴の魅力は増すばかり。とりわけお気に入りは蘇武。
    ついに次は最終第7巻、久々に北方ワールドにどっぷりハマっているので、終わると思うと寂しい限り。

  • 蘇武と李陵の心情が、とても哲学。

  • 図書館で借りて読んだ。

    やっぱり蘇武だなあ。

  • 二人で作った刳舟に乗って湖の沖を訪れるシーン、今まで流したことのない涙があふれ出て止まらなかった。いよいよ7巻。

  • だんだん盛り上がらなくなっている。蘇武と李陵の再会の場面は良かったが、それ以外は、漢がというか、劉徹がどんどんダメになっていく話。
    最終巻はどうなるんでしょうか?

  • 蘇武と李陵の再会のシーンはぐっとくるものがあるけども、他はそんなに。。。
    水滸伝と違うのは登場人物に志や熱い想いが感じられないところ。ある意味でリアリティはあるので、そこが面白いところではあるけども(劉徹時代の漢は、ワンマン社長の会社と一緒だなー、とか)

  • 次ラスト。

  • 同じ人物が50年も統治する国。その中で入れ替わる人たち。漢から離れた人がみる国。50年同じ時を過ごしたもの、そして本人。想いがイロイロ、だけど、ダメな感じ満載の第6巻の漢の国。

  • 七巻にまとめます。

  • 北方版を見てなんとなく違うバージョンも見てみたいと思うこの頃。

  • 李陵と蘇武の再会。中島敦の「李陵」でも印象的なシーンだが、また違った味わい。司馬遷も含めて、後半の主人公たちが淡々と描かれる。

  • 武帝も最晩年になり、老害というものがでてくる。そういう武帝の描き方が何とも言えず素晴らしい。北方謙三もなかなかの作家だなと、近頃思うようになった。

  • ★2014年2月28日読了『史記 武帝紀6』北方謙三著 評価B
    武帝(劉徹)の治世も50年を超え、誰の諫言もない武帝は、次第に罪もない人々に濡れ衣を着せて葬り去ってしまうことにも痛痒を感じなくなってしまう。それを日々冷徹な目で観察し記録する司馬遷。彼は日々家に帰ると父から引き継いだ史記の執筆に心血を注ぐ。
    一方、バイカル湖北に逼塞させられている前漢の匈奴への使者だった蘇武は、ますますその北の極限状況で生き抜くことによろこびを見出す。
    また、無茶な命令を武帝から受けて善戦した後捕虜となった李陵は、匈奴の将軍、いくさびととして、匈奴の兵士を鍛えることに注力する。そして、漢軍との戦では、過去の部下とも対戦し、討ち果たしたり、逆に奇襲されて怪我を負ったりする。武帝はまずこの李陵を討つことを孫広に命じたのだった。
    怪我を癒すため、李陵は極北に住む蘇武の元へ行き、時を過ごす。その間に自分を見つめなおす事となる。

    全体としては、ストーリーは大きく流れているのですが、何となく緊張感がない感じの印象を強く受ける。北方氏の作品では、時々見られる終盤での作品の弛れである。次の第7巻が最後。武帝がどのような終焉を迎え、それをどのように表現できるのかが見どころで楽しみである。

  • 武帝記6巻。 李陵が、匈奴の将軍として、漢と戦う。
    ただ、武帝が年を取り、ふこの罪で帝の周りが粛正されていく。その中で、司馬遷、桑弘羊が生きている。 司馬遷が史記をほぼ完成させ、それを読んだ武帝が評価する。さて後1巻だが、李陵と孫広との戦いが迫る。 蘇武極寒後での生活で命の洗濯をした李陵はどうか。ちょっと盛り上がりがあってラストに続く。まあまあでしたかな。

  • 李陵と蘇武の再会以外は大きな動きはなく、決戦に向けての準備をお互いに、といったところ。
    次巻で最後ですね。

  • 惰性で読んでる

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著者プロフィール

北方謙三

一九四七年、佐賀県唐津市に生まれる。七三年、中央大学法学部を卒業。八一年、ハードボイルド小説『弔鐘はるかなり』で注目を集め、八三年『眠りなき夜』で吉川英治文学新人賞、八五年『渇きの街』で日本推理作家協会賞を受賞。八九年『武王の門』で歴史小説にも進出、九一年に『破軍の星』で柴田錬三郎賞、二〇〇四年に『楊家将』で吉川英治文学賞など数々の受賞を誇る。一三年に紫綬褒章受章、一六年に「大水滸伝」シリーズ(全五十一巻)で菊池寛賞を受賞した。二〇年、旭日小綬章受章。『悪党の裔』『道誉なり』『絶海にあらず』『魂の沃野』など著書多数。

「2022年 『楠木正成(下) 新装版』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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