放送禁止歌

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著者 : 森達也
制作 : デーブ スペクター 
  • 解放出版社 (2000年7月1日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (189ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784759254105

放送禁止歌の感想・レビュー・書評

  • 「放送禁止の歌」など無かった!それは。思考放棄したメディア関係者の共同幻想でしかたなった。
    前半は「放送禁止歌」というドキュメンタリーを企画し、撮影し、放送に至るまでの話。
    後半は放送禁止に纏わる「差別」の本質に迫る内容。
    デーブ・スペクターが珍しくもふざけないで彼の国での「放送されない曲」について語る。
    「放送されない曲」はあるけれど、「それは言論の自由を守るために自ら放送しない」ということと、「思考停止して面倒だから放送しない」日本とは全く状況が違うという。
    「竹田の子守歌」に迫る話も面白かった。

  • 森達也の本領発揮
    素晴らしい本です
    4.7点

  • 森達也の本は、確か「死刑」という本を皮切りにしてほとんど読み尽くしていると思う(「死刑」以後は読んでないかも知れないが)。その彼の本の中でもこの「放送禁止歌」は、彼の存在を知らしめることになった本として結構有名だと思うのだが、実はわたしはこの本は今まで「読みたい」と思ったことはなかった。今回ついにこの本を読もうと思ったのは、こないだ「パッチギ!」を観たからだった。

    この本は2000年に出版されたものだが(「放送禁止歌」のドキュメンタリー自体は'99年5月)、読み進めていてどうも今、わたしが読んだり聞いたりしてることとあまり変わらないじゃん?と思い始めた。例えば「大切なことは知ることだよ。見て、触れて、感じることなんだよ」(130p、デーブ・スペクターが言った言葉)という言葉は、この間「ある精肉店のはなし」を鑑賞後のトークイベントで北出さんが言ってた「まずは知ること」という言葉と全く同じだ。

    あ、ここからいろいろ考えてたら何も書けなくなってしまった(笑)解同に関してはわたしは全然知らないわけじゃなく、ただこの本に書かれてる「確かに糾弾はあった。だけどさ森さん、勝手な言い分かもしれんけど、メディアは誰一人として糾弾には反駁せえへんのよ。信念をもっているのなら、同盟に反論すればええやないか。誰も反論せえへんのよ。みんなあっさりと謝ってしまうんですよ。(後略)」というのを読むと(わたしはメディア関係じゃないですけどね)「果たして、反論できるのかなあ?」って思ってしまうことがあって。。でもやっぱりあれは「臭いものに蓋」みたいな対応じゃないかって思ったりも一方でするし。。(何言ってんだか分からなくて済みません)


    ただ、だからといって解同怖いとか、そういうつもりは一切なく、人権を回復する手段として激しい言動に出ることも時には必要ではないかと思います。今、何かにつけて「権利を声高に主張する」と非難めいて言われたり目にすることが多いんだけど、権利を持っていないからこそ権利を声高に主張するわけで、持ってる人がそういう風にして非難するときは「持ってる人間が何言ってんだ」って思うし、持ってない人間がそういう風にして非難するときは「多数側に何媚びてんだよ」と思ってます。

  • メディアの姿勢というものが放送禁止歌というものを通じて伝わってきました。加えて、差別に対する私たちの姿勢も考えさせられます。

  • 図書館にて借りました。

    gooのサイトで放送禁止歌再び!と云うニュースを見つけ興味を持ちました。
    内容や歌手の事情でお蔵入りになった作品がある事を知りこの本を借りました。
    それまで、放送禁止歌って都市伝説だと思ってました(^^;

    紹介されている歌で岡林信康さんの「手紙」と云う歌が心に残りました。
    一度聞いてみたかったです。

  • 再読。

    ドキュメンタリー的に書いている。


    結局は、各メディアの「臭い物に蓋」だったり、言葉刈りを受けての事勿れ主義だったりちゅうことで、年々気骨のあるメディアがなくなってつまらんちゅうこと。

    番組の方を見てみたかったな。

  • この手の内容の話は、非常に興味をそそられます。面白いです。

    いわゆる「放送禁止」とされている歌のほとんどは、実際に禁止されているわけでもない、クレームが入ったわけでもない。
    単なる放送する側の自主規制。
    そしてメディア全体が右倣え。
    それがそのまま何年も申し送られ、「本当にいけないのか、何故いけないのか」誰も何も疑問にすら思わず、そのまま受け入れる。

    放送禁止歌のいくつかの歌詞も載っていましたが「がいこつの唄」、とてもいい詩だと思います。

    部落差別についても触れられていますが、世代なのか、私が東北、東日本の人間だからか、何故「部落」という言葉にこんなに差別がこもってるのかがいまいちピンとこないのです。
    私の親の世代くらいまでは、普通の会話に出てくる言葉なのです。
    差別の意味はなく、単なる「地域」を示す言葉として。
    最近のテレビで、仮設住宅に住む人のインタビューで「(家は津波で流されてしまったので)この仮設住宅が新しい部落になっていくんだろう」と言っていたおじいさんがいました。
    やはりそれも、「仮設住宅が差別されていくだろう」という意では決してなく、新しい「コミュニティ」が出来ていくのだという希望の言葉でした。

    でもやはり関西では根の深い、悲惨な状況が今でもあるようです。
    この事については、学生の頃にサラっと教科書でみただけ、言葉は知ってても内容まで習わない。
    その程度の私は、知りたいと思いつつも、怖いという気持ちもあります。

  • 放送するリスクばかりでなく、禁止するリスクもとらなくなっているんだそうです。文句言われるからやめとこう、と。自粛と萎縮。

  • 規制は本当に実在しないのか、疑問が残る。

  • 思考停止、ということについて改めて考えた。

    学校という場が、前例主義に陥るように、メディアも又、「放送してはならない」というきまりがあるかのごとくそれらの歌を、放送をしないことを決めた。

    しかし、そこには、してはならないという規則はなく、ただ、発信する人々の中に、「してはならない」という意識が働いていた、というより、「してはならない」という思考で停止していたのだと。

    部落問題や、戦争に関係する問題、国際的な問題等、色々なことを考えたときに、「自粛」したり、触れないようにしたり、傷つけないようにしたり、みんな気を使う。

    事なかれ主義ともいうのだろうか。

    人の心を打つ音楽というのは、傷つけてしまうこともあるだろうし、でも、それを気にしていたら、表現なんて、できるんだろうか?

    誰でも歌える歌は、誰にも届かないようにも思える。

    以前、ある部落にあるカフェで、「手紙」や「チューリップのアップリケ」を、そこにいたおじさんがギターで歌ってくれた。

    それはそれは、感動したなあ。

    「神聖かまってちゃん」の持つメッセージ性にも通じるものがある。

    傷つくのは、悪いことではない。
    傷つけることも、悪いことではない場合も、いっぱいあるんだろう。

  • 放送禁止の歌ってあってないようなものなんですね。こんなとこにも問題追及を避けて自ら自粛する日本人の国民性が表れてて面白い話でした。

  • 自分も最初この本を読もうとおもったんは、興味本位というか、いわばタブーとされてるもんについての好奇心で、そういうのって誰しもが持ってるもんじゃないかなと思う。

    だから本の入り口としては入りやすいけど、いざ読み進めると、とても興味本位だけの人では読了でけへんような、ずっしりした内容。著者の意図した結果じゃないにせいよ、そういう作り方がうまいなぁと。

    軽い気持ちで読むんがええかなと、あえて書いときます^v^

  • 放送禁止歌とされた、手紙、竹田の子守唄やイムジン河など、それを禁止しているのは実は、メディア自身であって、調べると禁止じゃなくて自主規制。それをドキュメンタリーで放送した内容や、その後の取材を綴った本。
    ちゃんと自分の頭で考えると言うことはどういう事か、まず自分に突きつけ続けるべきだと改めて思った。
    自分が受けた同和教育、後で知った現代の逆差別的な側面、私の中にもある定まらない意識。イメージで知ってるつもりになっちゃいけないし、人間だから色々な人がいるし、だから間違ってもなんでも、察したつもりより、知りたいと思う。

  • 古本屋でゲット!

    この時代の音楽が大好きな自分にとってはよだれものの内容です。

  • 放送自粛のあんな歌こんな歌。放送禁止歌のドキュメンタリーを作った人のドキュメンタリー本。
     昔に放送自粛された歌について、当事者が語りたがらないというのは意外ですね。

     やはり、私としては、竹田の子守唄や一連の岡林作品なのだが・・・

     ピンクレディーのSOSがイントロにモールス信号でSOSって入れてたからダメになったって、能天気で間抜けでこれもよし。

  • このところやたら叫ばれる言葉で、違和感のあるものがあります。
    それは、「自らの正義を疑え」というものです。
    「あいつらは自分たちだけが正しいと思い込んでやがる」

    カルトや独裁国家、テロ集団や国家権力や反体制組織、
    なんでもいいのですが、自分と違う考えを持っている人たちに対して、
    「なぜあなたたちは、自分たちのやっていることを疑おうとしないのだ」
    「あいつらは洗脳されている」
    「もう少し自分で考えろ」
    「誰かの言葉を鵜呑みにするな」
    とおっしゃられる方が、非常に多いのです。

    私はこの手の議論を見るたびに、いつも思うのです。
    「前提が少しおかしいんじゃないのか?」

    「俺が正しい」という論理のプロセスを立てている人は、どれだけいるんだろう?と思うのです。
    大概の言葉は、「あれがこわい」「やつらが恐ろしい」
    という形で叫ばれるんじゃないか、と思うのです。
    右だろうが左だろうが保守だろうがリベラルだろうが、
    それどころか政治なんかになんの興味も関心もない人も、
    ふりまわされているのは
    「正義」にではなくて「恐怖」になんじゃないかと思うのです。
    そしてそのことを、私は指摘することはできても、
    否定することはできません。
    私だって、「部屋には鍵をかけて寝る」からです。

    「やっていることが正しい」と「思い込んで」いて、
    「疑っていない」場合というのは例外的な事情に属します。
    たとえば放送禁止歌を自粛している人たちがその判断の根拠としているものは、なんでしょうか。
    「正義」でしょうか。

    この本を読めばわかりますが、根拠や動機は「正義」ではありません。
    「恐怖」なのです。

    大概の宗教の信者というのは、「正しいと思うから」ではなく、
    「地獄におちるのが怖いから」信者になっているのです。
    国家権力が権力を発動するのは「正しいから」ではなく、
    「やらないとまずいことになるから仕方なく」なのです。

    ショーペンハウアーがこんなような話をしています。
    「人間の行動の動機を議論しているいかなる学術会議にも、簡単に彼らの行動原理を理解させる方法がある。
     「あぶない!天井が崩れるぞ!」と大声で叫べばいい」

    周りを見回してわかるのは、
    「俺は絶対に正しい」というかたちのことばで議論を行っている人というのは、
    非常に少ないということです。
    大概の議論は、
    「こんなに恐ろしいことが、世の中にはたくさんあるんだ」
    というかたちですすめられます。
    そして、「あいつらの正義感が一番恐ろしい」と言うのです。
    「本当かどうかは知らない。でも、備えあれば憂いなしだろ?」


    「何が正義かわからない」とどれだけ眉間にしわをよせても、
    「部屋にかぎをかけている」時点で、その人の行動原理は、
    「恐怖」に由来していることは明白なのです。

    他人の正義を糾弾したり、偽善を嘲笑したり、「思慮が足りない」と笑うこと、
    そういうことは簡単です。
    ですが、本当に難しいのは、
    「恐ろしいことなんか実際にはない」
    ということを、「理解できるように示す」ことなのです。

    正義や善意を疑うことは誰にでもできますが、
    恐怖を取り除くことは容易ではありません。
    なぜなら、正義や善意、偽善や悪意は「論理のプロセス」に依存していて、
    「なくてもかまわないもの」「なくても生きていけるもの」ですが、
    「恐怖」は「具体的な事実」によって示される上に、
    生命維持にかかわる根本的な動機で、
    「生きるか死ぬかに関わっているもの」だからなのです。

    おそらく、「正義を疑え」という言葉が世の中に蔓延しているにもかかわrず、
    「正義にもとづいているかに見える行動」が減らないのは、
    「実態... 続きを読む

  • 森氏の作品である事と題名が気になって読んだ。

    瑠璃は知らない事が多すぎる。
    いわゆる『部落問題』と絡んでいるという事がメインだ。
    誰が規制しているのか、誰が差別をしているのか。
    日本という国は、もっと自国を掘り下げて勉強するべきと思うのはいけないだろうか?

    瑠璃はいわゆる『東の人』だから、差別も部落も当然のように知らない。
    親も関東平野南部出身だから。
    学校でも、課外授業でも、差別等の授業はなかった。当然学生として知らないのだ。
    これでいいの?

    メディアから消えていった(消された状態)の唄たち。
    今ではネットで調べれば聞く事も可能だ。
    自主規制という名の下、なにが問題か、誰が問題にしているのか。
    知りたい。知ってはいけないのだろうか?

    森氏の本を読むたびに目からウロコ状態。

  • テレビって何てくだらないんだろう!

  • 知恵の森で(単行本が)出てますけど、こっちの表紙の方が好きやなぁー。ほんま衝撃的な本でした。デーブと日米報道比較(もちろん差別問題に関して)してるのがおもしろかったな。デーブ意外に賢いんやん!ってw

  •  森達也の相変わらずの「思考停止」を危ぶむ本。今回はメディアへの警告!否、今回もか?<br>相変わらず鋭く、ただ、おかしいと思ったこと、興味を持ったことに進む。<br> 今までの慣習なんて関係ない。常識なんて。だからこそ、見える真実。<br>みんな、もっと考えなければ…<Br><Br>ドキュメンタリー作品は見たいものがいっぱいあります。 でも、A,A以外は発売されてないよねぇ?されてる?見たい!

  • 放送作家・森達也氏が
    「放送禁止歌を放送する」というTV番組を企画・制作したエピソードや
    それぞれの歌がなぜ禁止されているのかを取材・検証した本。

    実際に規制された歌の歌詞を読んだだけでは
    一体どこが引っかかったのか判らないものもある。
    説明を読んで「ああ、言われてみればなるほど」と思うものも多い。

    個人的には、『悲惨な戦い』(/なぎらけんいち)も
    『自衛隊に入ろう』(/高田渡)も
    抱腹絶倒の面白い歌だと思うし
    『月経』(/山平和彦)なんて、物凄く美しい歌詞だと思うが。

    かつて、放送禁止歌(=要注意歌謡曲)として
    「要注意歌謡曲指定制度」に基づいてリストアップされていたが
    現在では、この制度は無くなり
    放送禁止の定義自体、曖昧になっているらしい。

    第二章では、森氏とデーブ・スペクター氏の対談で
    アメリカにおける規制の実情が紹介されている。

    アメリカでは、個々の放送局や番組の責任者、
    またDJなど、一人一人の裁量に任されているそうな。

    それにしても、99年にフジで深夜放送されたというこの番組、
    観たかったなあ。

  • 以前にフジテレビでやった同名の番組の単行本化。
    自主規制するマスコミの意見のなさと理由のなさを見てると哀しくなるね。
    本当にくだらない。

    カンヌ国際広告祭の研究発表会に行ったときに聞いたことで、
    アメリカのビールのCMと言うのはビールを飲んでいるシーンを出してはいけないと言う規制がある。
    しかし、その規制があるゆえにアイデアを凝らして面白いCMができあがるのだ。
    日本に比べればアメリカには放送禁止用語はないに等しいけれど、
    それでも規制はあるわけで、クリエイターたちはその規制を創意工夫のためのハードルと考えているとのことだ。

    日本の場合は、そのハードルを越える努力をしようともせずにすぐに自主規制してしまう。
    その積み重ねが、放送禁止歌という異様なものを作りあげているようだ。

    ちなみに2001年現在は放送禁止歌というものは文書的には存在していないらしい。

    『座頭市』は今では放映できないけれど、めくらという言葉はあの作品では必要不可欠なわけで、
    その意義も全く無視して一切合財消してしまうという姿勢は、表現という観点からすればどうにかしないといけないはずだけど、
    もうどうしようもないのかもしれない。

    『ノートルダムの鐘』というディズニーアニメがあったけれども、
    あの題名に首を傾げた人は少なくないだろう。
    原題を見ても『The Belle of Norte Dane』。
    やはり、向こうでもせむしは駄目なのか、と当時思ったけれども、
    実はやはり原題は『The Hunchback of Norte Dane』。
    つまり、日本は原題さえも変えたのだ。ディズニー相手にそこまでするなら、

    表現に対してもっと突き詰めて考えられるはずだ、という作者の言葉が皮肉な笑いを誘った。
    差別問題なんかの入門書としては、読みやすいし意外にいいかもしれない。オススメ。

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