- Amazon.co.jp ・本 (395ページ)
- / ISBN・EAN: 9784760141760
作品紹介・あらすじ
長い間失われていた写本。千年の時を経た十五世紀、再びその姿をあらわした書物は、世界の針路を変えてゆく…。今から二千年前、真実はすでに記されていた。ルネサンスの引き金となった書物とひとりの男との、奇跡の出会いの物語。全米図書賞、ピュリッツァー賞受賞。
感想・レビュー・書評
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「目覚めた春が草地を彩り、自然の新たな光景が立ちあらわれる。
たくさんの花のつぼみや明るい緑が姿をあらわし、西からの風が怠惰な年の錠を開ける。
喜びあふれる鳥たちがあなたに最初の歓迎の挨拶をし、素朴な歌で陽気な興奮を打ち明ける」
ありとあらゆる生き物たちが喜びにかられている姿が浮かぶような詩。
「物の本質について」というこの詩は、ヴィーナスへの祈りではじまる。
共和制ローマ期の哲学者ルクレティウス(紀元前99年頃~紀元前55年)の詩をイメージして、15世紀後半に絵画に仕立て上げたのがイタリア人の画家・ボッティチェルリ。
皆さんご存知の「ヴィーナスの誕生」の絵だ。
眼に見える形にした人ばかりではない。
トマス・モアのユートピア(1516)とモンテーニュのエセー(1580)には思想的裏付けを与え、ガリレオ・ガリレイ、マキャヴェッリ、ブルーノへと流れていく。
やがてシェイクスピアやダ・ヴィンチへと影響を与え、19世紀のダーウインの「種の起源」を生み、アインシュタインへと繋がっていく。
驚くことに、トマス・ジェファーソンの独立宣言(1776.7,4)もまた、ルクレティウスの詩に多大な影響を受けて書かれたものだという。
ジェファーソンはルクレティウスのラテン語の書を5冊も所持していたらしい。
ルネサンスを生み出す地下水脈となり、芸術・経済・科学・政治・文学と広範囲に影響を与え、宗教を根底から覆した書物。
世界を変えた一冊である「物の本質について」とはどんな本なのか。
古代の思想を蘇らせたのか誰か。どこでどんな遭遇をしたのか。
本書で明らかにするのはそこである。
著者はルネサンス・シェイクスピア研究者で、消えた思想の復活に関わった人物をめぐるそれはそれは面白いノンフィクションだ。
思想史・宗教史としても読みごたえたっぷりで、美しい邦訳がそれを促す。
読みながら何度も陶然となり、多くの登場人物と挿話に胸をおどらせた。
あまりに面白いので、いっそレビューなどあげずに内緒にしようかと思ったほどだ。
そんなわけで、11月初旬に読んだ本書を30日になって載せている。私にすれば大放出だ。
答えを明かすと、ポッジョ・ブラッチョリーニ(1380-1459)と言う人物がルクレティウスの詩を見出したひと。
ドイツ中部の(たぶん)ベネディクト会フルダ修道院でのことだ。
生涯で8人の教皇に秘書として仕え、発見当時は主であるヨハネス23世が不名誉で退位させられるという憂き目に遭っている。ブックハンターである彼は、主人を失って職探しをするより古書ハンティングの旅に出た。
優秀な書写人でもあったポッジョは、後にルクレティウスの詩を筆写してフィレンツェの友人たちに送っている。その見事な筆跡の書も掲載されている。
手書きとは信じられないほど統一された、繊細で美しい文字だ。
ポッジョは「ローマン体」と呼ばれる活字書体の開発者でもあった。
本書はポッジョの生涯とからめ「物の本質について」を発見する前と後の当時の情勢、とりわけ宗教改革以前の教会がどのようなものであったかをつぶさに書いている。
聖職者たちの悪弊、はびこる強欲、偽善、教会の分裂状態が何十年も続いていた時代である。
ルクレティウスの詩は教会によって奇書として封印され、その思想を説くものは容赦なく断罪された。火あぶりの後骨さえも砕いて川に投げ捨てたという。
なんというおぞましい時代だったのだろう。世に流布され、ルネサンスとして誕生するにはかなりの時間が必要だったのだ。
「物の本質について」は、今読むとそれがどうしたというほどのものだ。
原子論を中心とし、万物は原子で構成され、人も動物も山も海も星も同じもので出来ているという主張である。
人は死ねば原子に戻り、今度は他の動物や植物を構成することになる。
よって、死後に霊魂など残らない。
来世のことなど思い悩むのではなく、生きてある人生の充実、楽しみをこそ最大にするように生きるべきだとする、系譜的には古代ギリシャ・エピキュロス学派の説だ。
つまり、ルクレティウスの師はエピキュロスだったということ。
当時のキリスト教とはことごとく相容れないものであるのは明白だ。
日本では岩波から同タイトルで出ているので、興味のある方はぜひ。
世界史には登場することもないルクレティウスとポッジョ。その出会い。
2千年以上も前には語られていた思想から、一体どれほど私たちの歩みは進んだのだろう。
現世に喜びを求めるのを良しとしても、全ての人間が非生産的であっては社会は破綻してしまう。生産する者あってこそのエピキュリアンなのだ。
2012年ピューリッツァー賞受賞。
わずかなピースから複雑で美しいパズルを完成させた、めくるめく物語である。 -
ローマ教皇庁(ヴァチカン)の公文書書記官だったボッジョ・ブラッチョリーニ(1380~1459年)。彼が発見した古代ローマ詩人・哲学者ルクレティウス(紀元前94年~紀元前55年)の著書『物の本質』を巡って、壮大な冒険ロマンが描かれています。
この本は、その語り口・切り口がとても斬新で、時空を分断した短い断章ごとにひとつのストーリーになっています。それらをパズルのように組み合わせて楽しむことができるのが最大の魅力。続けて二度読みするほど好奇心をそそられた私でした。
さて、長く埋もれていた魅惑的なルクレティウスの本とは?
「死の不安にとらわれて一生を送るのはまったく愚かなことである。それは人生を楽しむことなく、未完のまま終える確実な方法である」(ルクレティウス)
さらに驚かないで、こんな感じ。
万物は目に見えない粒子(原子―アトム)でできていて、結合・分解・再分配を絶えず繰り返している。
宇宙には創造者も設計者もいない。
宇宙は人間のために、あるいは人間を中心に創造されたものではない。
死後の世界は存在せず、人生の最高の目標は喜びを高め、苦しみを減ずること。
物の本質を理解することは、深い驚きを生み出す。
……といったルクレティウスの本の概要もわかりやすく紹介しています。いやはや~今の科学や哲学と比べてみても、この先見の明、凄いですね~くどいようですが、ルクレティウスという人は紀元前の人です(笑)。
古代ギリシャ哲学者エピクロスの唱えた原子論的自然観を引き継いだルクレティウス。実際『物の本質』をながめてみると、確かに哲学です……が、その詩のあまりの美しさに唖然とします。ローマ最大の詩人ウェルギリウスにも匹敵するほど(それ以上かも)その内容の格調高さ、モンテーニュも『エセー』で絶賛しているのがわかる気がします。
モンテーニュのみならず、ボッティチェリ、ダーウィン、アインシュタイン、ガリレオ……そうそうたる科学者や芸術家たちに多大な影響を与え、人間復興に向けたルネサンスの大きな原動力にもなっていたことを知って、わたしは大感激です。
というこで、この本を発見したときのブックハンター/ボッジョの歓喜はいかばかりだっただろう~と想像すると、うきゃうきゃして笑いがとまりません。
人類の科学技術は飛躍的な進歩を遂げました。社会的動物だった人間は個人へと発展しながら、その一方で、急速に進化・細分化していく高度な技術や巨大情報ネットワークに呑み込まれてしまい、うつろで孤立してしまったように思えます。
世界でおこっている紛争や内戦を、どこか映画やCGゲームのようにながめ、温暖化しながら病んでいく地球のことを遠い火星のことのようにとらえ、日々この地上から姿を消していく種や生き物にまるで現実感はない……はたして人類はこの自然や地球と繋がることができるのだろうか? 人間性の回復を希求したルネサンスのように、新たなうねりは地球規模で起こりえるのか? な~んて想いにふけりながら楽しく読了しました。
この本は、ボッジョの生きた激動の時代背景を知ることができるととともに、ルクレティウス『物の本質』のガイダンスとしてもすぐれた、まさに二倍お得な良書♪
ぜひ! 美しいルクレティウス『物の本質』もながめてみてください。 -
千数百年すっかり忘却されていたエピクロス主義の紹介者ルクレティウスと、ブックハンターとしてのポッジョ(1380〜1459)との遭遇がテーマ(解説より)
トマス•ジェファーソンの独立宣言の中で、政府の使命として、「幸福の追求」を支援すること、を挙げているのは、ルクレティウスの影響らしい。
数多ある予言のなかには、たまたま当たるものもあるのと同様に、数多ある学説のなかには、後世のものからすると、『こんな現代的な学説が当時からあったなんて』と思えることもあるだろう。難解な詩を読み解く時点でどうしても現代的な解釈をしているのではないか?と思わないでもない。
という点を割り引いても、以下の内容はルネッサンス的を飛び超えて現代的だなあ、と思った。原子論、無神論、進化論、量子力学、これで紀元前一世紀か。。
P231 ルクレティウスが投げかけた難題を構成する簡単なリスト
万物は目に見えない粒子でできている。
物質の基本となる粒子は永遠である。
基本となる粒子の数は無限であるが、形や大きさには制限がある。
全ての粒子は無限の真空の中で動いている。
宇宙には創造者も設計者もいない。
万物は逸脱の結果として生まれる。
逸脱は自由意志の源である。
自然は絶えず実験をくりかえしている。
宇宙は人間のために、あるいは人間を中心に創造されたのではない。
人間は唯一無二の特別な存在ではない。
人間社会は平和で豊かな黄金時代に始まったのではなく、生き残りをかけた原始の戦いの中で始まった。
霊魂は滅びる。
死後の世界は存在しない。
われわれにとって死は何ものでもない。
組織化された宗教はすべて迷信的な妄想である。
宗教はつねに残酷である。
天使も、あくまも、幽霊も存在しない。
人生の最高の目標は、喜びを高め、苦しみを現ずることである。
喜びにとって最大の障害は苦しみではなく、妄想である。
物の本質を理解することは、深い驚きを生み出す。
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現代人は基本的にはエピクロス主義だろう。
気づいてないだけで。
人は原子の集まりからできてる。死後の世界なんて存在しない。死んだら無だろう。
去年、ブルーノを知って、その本を読んで驚いた。
そのあと、たまたま本屋で手に取ったのがルクレティウスで、ブルーノの元ネタがここにあると知った。その間には1600年くらいの時間の隔たりがあるのに、どうしてこんなに遠いんだろう、と思った。そこからエピクロスや、デモクリトスへと学んだ。
しかし、原子論を楽しむにはやはりルクレティウスが現在、手に入るもので最良だろう。
「中世の覚醒」では、アリストテレスの再発見が、信仰の中世に理性を持ち込み、その調和の失敗を経て信仰と理性の分離が進んだことが描かれている。
イスラムを経て再輸入、という形であったアリストテレス再発見に対して、更に数百年の後、今度は修道院に伝わっていたルクレティウスがどのように世界を変えていったか、という、もうひとつの古代再発見ストーリーを描いている。
中世の覚醒ほど綿密な本ではないけれども、原子論の需要、無限の宇宙の需要から歴史をみていくのにはとても興味がある。
ジェファーソンなんかにつなげなくてよくて、むしろハッブルとかにつないで欲しいんだけど、そこはシェイクスピア研究家が作者だからか。
ハッブルにてエピクロスが証明される瞬間、銀河が相対化される瞬間、までを、本にしてみたいなーと思う。
そして、個人的に惹かれてるブルーノがやっぱりめちゃくちゃかっこいい。
ブルーノ! -
スピノザ、アインシュタイン、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ホーキング博士、トマス・ジェファーソン、言い方は違えど知識人は皆この死生観にたどり着くようです。
全ての物は原子からできており、人間の魂などもそうだということです。つまり死んだらバラバラの原子に戻る(宇宙に還る)だけで、魂だけは残るとか死後の世界があるとか、そういうことはないですよ、ということです。
エピクロスの哲学を継承した、紀元前の哲学者ルクレティウスはこのことを綺麗な言葉で言いました。
「入ってきた時と同じように。それはあなたが死から生へと辿ったのと同じ道である。何も感じず、何も恐れず、再び生から死へと進んでいくのだ。あなたの死は宇宙の秩序の一部であり世界の生命の一部なのだ。我々の生命はお互いから借りたもの。そして人は走者のように生命のたいまつを引き継いでいく。」
この考え方からルネサンスが始まり、現代社会を創りました。
最後の章に書かれているトマスジェファーソンについて。
宗教国アメリカの創始者であるトマスジェファーソンが本当は無神論者であったことは驚いた。
※ただ、国家の結束のために公言はしていない。 -
15世紀イタリアの人文主義者ポッジョ・ブラッチョリーニによる古代ローマの詩人ルクレティウスによる「物の本質について」の発見とその影響。
一見興味を惹かれないテーマかと思いきや、初期ルネサンス人文主義の展開に大きな影響と、特に最後の一言に感動。
周辺史として面白い。
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ルクティウスの「物の本質について」を巡る歴史ノンフィクション。一冊の本に書かれた哲学的な詩が、その後のルネサンスへ影響を与えた。この本の入手に至る経緯とその後について紹介した本で、ピューリッツアー賞を受けた。ただ訳文が難しくやや理解しにくかった。本に辿り着くまでの時代背景や人物描写がくどい感じもした。正直、期待したほどではなかったけれど、この時代に現代にも通用する物事の本質を考えていた人がいたことを知って、人間というものは昔からあまり変わらないものだと感じた。
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その一冊とは、紀元前一世紀頃の詩人ルクレティウスによって書かれた「物の本質について」。原子論や無神論など、中世のキリスト教世界では異端とされる思想に満ち溢れた、カビとホコリにまみれた一冊の写本。古代ローマ・ギリシャの歴史や哲学、暗黒の中世、ブックハンターであるポッジョの半生など、盛り沢山な内容で面白かった。写本工房としての修道院は、エーコの「薔薇の名前」を彷彿とさせる。とりあえず、「物の本質について」を読んでみたい。
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ルネサンスの勃興をこの1冊で全て説明するのは無理があるにせよもっと知られてもよい物語だと思う。ローマ時代の終焉まで古典は羊皮紙に書き移された写本が作られていたがその後ローマ帝国の崩壊とともに各地の修道院に死蔵されていた。ルネサンス期には古典に光が当たり、ブックハンターが活躍しだしたのがその一人が本書の主人公ポッジョ・ブラッチョリーニ、ローマ教皇ヨハネス23世の秘書を務めていたが当時対立していた3人の教皇を一人にするコンスタンツの公会議でヨハネス23世が逮捕され職を失った。
ポッジョは1380年生まれで若い頃には筆写で生計を立てていたらしい。ポッジョが作るのに関わった新しい字体はその後印刷機が発明されると標準的なフォント「ローマン体」の元になっている。公証人の資格を取ったポッジョはフィレンツェの書記官長サルターティの元で古典に出会う。ポッジョはサルターティの働きかけもありローマ教皇庁に職を得る。優秀なラテン語能力と素晴らしい手書きの技能を持つ、そして法律文書を起草し清書する公証人の職はいつでも求められていた。ポッジョは順調に出世するとともに多忙な時期にも本への情熱を失わず古典の写本を続けていた。
1415年ヨハネス23世の失脚に伴いポッジョは古典を探すブックハンティングに飛び出す、そして1417年ルクレティウスの「物の本質について」を発掘する。ポッジョにとって死蔵されている本の発掘は永遠の囚人を助け出す様なものであった。
ルクレティウスという名はこれまで知らなかったが紀元前ローマの詩人・哲学者で原子論者のデモクリトス、エピクロス主義(快楽主義)のエピクロスの流れを酌んでいる。「物の本質について」に書かれている内容は現代ならば受け入れられやすそうなものである。
・万物は見えない粒子で出来ている。
・物質の基本となる粒子は永遠である。〜時間は限界を持たず無限である〜
・基本となる粒子の数は無限であるが、形や大きさには制限がある。
・すべての粒子は真空の中で動いている。
・宇宙は創造者も設計者もいない。(神の摂理は幻想である)
・万物は逸脱の結果として生まれる。(存在には終わりも目的も無く、全ては偶然に支配されている。逸脱がゆらぎを生み衝突の連鎖を引き起こす)
・逸脱は自由意志の源である。(運命の鎖を引きちぎる)
・自然は絶えず実験を繰り返している。
・宇宙は人間のために、あるいは人間を中心に創造されたのではない。
・人間は唯一無二の特別な存在ではない。
・人間社会は平和で豊かな時代に始まったのではなく、生き残りをかけた原子の戦いの中で始まった。
・霊魂は滅びる。
・死後の世界は存在しない。
・われわれにとって、死はなにものでもない。
・組織化された宗教はすべて迷信的な妄想である。
・宗教はつねに残酷である。
・天使も、悪魔も、幽霊も存在しない。
・人生の最高の目標は、喜びを高め、苦しみを減ずることである。
・喜びにとって最大の障害は苦しみではなく、妄想である。
・物の本質を理解することは、深い驚きをもたらす。
ルクレティウスはこの内容を空疎な散文ではなく華麗な詩として残している。
驚くべきことにこの詩が書かれたのは紀元前、ユダヤ教はあったにせよイエスは生まれる前で個々に上げた宗教や神はギリシャ・ローマの神なのだがこの詩が与える影響は一神教の方が大きいだろう。発見されるのがもう少し早ければ焚書にあっていたかもしれないがルネサンスを目の前にした時代に少しずつ受けられていった。ポッジョの写本がそれに一役買っている。
この詩に影響を受けた作品や人は数多くある。ボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」はヴィーナスへの祈りで始まる「物の本質について」をモチーフにしている。マキャヴェッリによる写本はヴァチカン図書館に保存されている。トマス・モアは「ユートピア」でエピクロス主義に考察を加え、1600年には宇宙の無限性を唱えたブルーノが異端として火刑に処せられルネサンスは終わりを迎える。モンテーニュは「エセー」で100近くを引用し間接的にシェイクスピアにも影響を与えている。後にアイザック・ニュートンは自分は原子論者であると宣言したが、ダーウィンの進化論、アインシュタインの現代の原子論に至っては直接の影響はすでに影を潜め近代思想の主流に吸収されている。
ルクレティウスの表現はある重要な政治文書に形を変えて載せられた。「政府の使命は、国民の生命と自由を守ることだけではなく、『幸福の追求』を支援することでもある」。ルクレティウスの原子は軌道を逸れて『独立宣言』に載せられていたのだ。トマス・ジェファーソンは少なくとも5冊のラテン語版、英語版、イタリア語版、フランス語版を持っており、世界は本質だけであり、本質は物質だけからなっている、という彼の信念を裏付けていた。そしてある手紙にこう書いている「私はエピクロス主義者である」
この本、とても楽しかったでしょう。密かに内緒にしておきたくなる気持ちはよ~くわかります(笑)。でも...
この本、とても楽しかったでしょう。密かに内緒にしておきたくなる気持ちはよ~くわかります(笑)。でもすてきなレビューをあげられましたから、きっとブックハンターのボッジョも大喜びでしょう♪
本の成り立ちや歴史や文化などにとりわけ興味をもたれているnejidonさんですから、きっとこの本は楽しめたのではないかな~と思いました。当時の書写は、それ単独で立派な芸術でもありますよね。手作業で描かれる文字も挿画も美しくて、気の遠くなるよう僧侶の手間とこだわりはいったいどこからくるのでしょうか……笑? 私はボッジョの弟子としてあちこちついて回りたくなるほど、この本でわくわくしました。
ちょうどそちらにコメントしようと思っていたところです♪
ああ、先を越された、でもすごく嬉しいです。
そうなんです、い...
ちょうどそちらにコメントしようと思っていたところです♪
ああ、先を越された、でもすごく嬉しいです。
そうなんです、いっそ秘密にしたいと思ったほど魅力にあふれた作品でした。
ポッジョの書体は、拡大鏡を持ってきてしげしげと眺めましたよ・(笑)
世に放流したのは自分なのに、詩の中身にはさほど興味がないところもいいなぁ。
若い奥さんをもらって死ぬまで仲良く暮らしたなんて、いいエピソードです。
親戚にひとりはいそうな好事家のおじさんで(*'▽')一緒にミステリーハンターの旅をしたかったですね!
言われる通り、写学生の書写の様子も詳しく書かれていました。
きっと苦行にも近い作業が、そのまま信仰の深さの証しだったでしょう。
間違ってますよね、それ・(笑)
薔薇の名前以来です、こんなに物語に夢中になったのは。
おかげでアテナイエさんともお話できて、とーっても幸せ。
また素敵なレビューをお待ちしていますね。
ありがとうございました!!
ルクレティウスの『物の本質』をながめてみると、半可通ながら思うのは、やはりこれはひどく危険ですね(笑)。が、教会権威からの人間回復(ルネサンス)のうねりの一つとなったことを思うと、ほんとにこれは偶然なのか必然なのか? と想い巡らせてわくわくしてしまいます。もしボッジョがこの本を発見しなかったとしたら、ルネサンスは果たして起こったのか? あったとしてどのくらい遅れたのか? そのときに活躍した多くの芸術家たちはどうなってしまったのかな? なんて堂々巡りをしながら。
nejidonさんが言われるように、当時の書写の忍耐強さは、修行でもあり信仰の深さの証でもあったのでしょうね(もちろんその手数料が教会にとっていい経済活動でもあったようですけど…笑)。でもそれだけだったのか? 本、それに記された知識や叡智というものへの畏敬や尽きない愛情があったのだろうか……そもそもルクレティウスの本は当時は異端の書となるもので、なぜさっさと焚書にせず教会が厳重保管(隠蔽)していたのか? こんな他愛のないことを思っていると、同じく『薔薇の名前』を想い出します。きっとどこかの教会の蔵、いやいや~ヴァチカンあたりにアリストテレス『詩学』の続編「喜劇」が眠っているかもしれませんよね(笑)、ああ読みたいなぁ~妄想は尽きない。ということで、お話しできて楽しかったのです。また楽しみにしています♪