- Amazon.co.jp ・本 (239ページ)
- / ISBN・EAN: 9784761524715
作品紹介・あらすじ
つい数十年前まで、道と空地は出会いの場であった。そこは自然と出会い、人と出会い、仕事や情報と出会う場であり、都市らしさを支えていた。それが今、単なる車の交通の場になっている。古代から現代まで、工学から歴史学、人類学を縦横無尽に駆使し、都市再生の原点となる道と道的な空地=自由空間の意味と歴史を描き出す。
感想・レビュー・書評
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副題が街路から広がるまちづくりとなっていたので、土木からの指摘からなと思っていたら、読み出したら、著者が鳴海先生なので、そんなことありえないなと思った次第。
これからは、大きな公共投資もできないので、今ある道路空間をうまくつかってにぎわいとかだしていく、新しくつくる被災地の道路なども、できるだけスケールを小さく、みんなで集えるような空間設計を考えて、それと人口が減っていって空き地がでてきたら、そのまま森に返せるような区画道路設計とかできないか、という問題意識をもっている。
なるほど勉強になった情報。
(1)江戸時代は、街路の全体の管理は道奉行が行ったが、木戸のうち、すなわち町内の具体的管理は自治会にまかされていた。(p70)
今は、道路は道路法と道路交通法でがんじがらめだが、木戸とか、自治会で管理する広場的な空間の可能性が必要だと思う。
(2)基町の高層の自由空間はうまくつかわれていない。(p161)
確か、芦屋にもあったけど、同じく閑散としていた。これは人が風が強いし集まりにくい感じ。ちょっと無理な空間。
(3)鳴海先生は商店街のアーケードを積極的に評価されているが、現在は維持管理費を商店街が十分にだせなくて、かなりひどい状況のものが多いので、それぐらいなら撤去した方がいいかなとも思う。
なお、高松丸亀の事例も、もう少し、継続的に事業が拡大できるか注意が必要。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
都市の中の「自由空間」に焦点を当てた本。
タイトルでは「街路」という言葉が用いられているが、それよりももっと広い概念として取り扱われているように思う。
住居でも店舗でもない空間、というくらいに。
前半では、「自由空間」の成り立ちについて、歴史的に解説している。
狩猟をはじめた人類が「何故自由空間を必要としたのか」まで辿って、何故の推定、そして「自由空間」の分類が行われている。
これが、「自由空間」を見る良いフレームワークになっていると思う。
事実、その概念化共に、発見が多い。
しょうがないのかもしれないが、現代の「自由空間」の事例紹介で、歴史的な分析から導き出したフレームワークが完全におざなりになっている嫌いがある。
ここも、事例は非常に豊富なんだけれど。
一方で、第5章以降では、最初のフレームワークを良い感じで現在に当てはめられているように思う。
例えば、集合住宅のデザインに、「アイデンティティの為の空間」と言うような、狩猟集住時代に通じるコンセプトを見出す、など。
この点に、この本1冊通してのまとまりや納得感、言ってしまえば「カタルシス」のようなものも感じられる。