- Amazon.co.jp ・本 (207ページ)
- / ISBN・EAN: 9784761706630
感想・レビュー・書評
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なんとまあ、お見事、さすがと感心しました。思いもよらなかったことですが、今年の5月1日のメーデーの日には、陰謀が込められていることに気がつきました。
5月1日のメーデー。その意味を知って、私も高校生の頃、ドキドキしながら興味津々と赤い旗を先頭にしたメーデーのデモに参加したことがありました。
かつて19世紀の半ばまで、労働時間はとんでもなくいいかげんなものでした。1880年代になっても、多くの労働者は、ほとんど1日10時間そして週6日間働いていました。ニューヨークの製パン業などの人たちは、毎週120時間労働という厳しいというよりあり得ないようなものだったそうです。
そういう過酷な状況だったので、労働時間の短縮をという要求が出てくるのも当然なことでした。1884年、アメリカとカナダの労働組合連合が1886年5月1日を目標に1日の労働時間を8時間と定めることを決めました。
でも当時の労働組合は力も弱く、決議したものの強く推し進める力がないなか、シカゴの労働者たちだけは別で、目標の5月1日に向かって、戦闘的な情報宣伝活動を繰り広げたのでした。
そしてその前日4月30日には、製鉄・ガス・鉄道などの労働者たちがストライキに入り、5月1日にはおよそ三万人ものデモ行進が行われました。翌5月2日は日曜日で別に大きな動きはありませんでしたが、5月3日には、ストライキがシカゴ全域に広がったのでした。
8時間労働のはじまり・・・それは命を賭けた闘いだったのです。
労働運動の指導者A・スパイズという人ほか何人もの活動家たちが、シカゴのヘイ・マーケット広場に集まった労働者に向かって演説を始め、警官隊がそれを取り巻きました。そのとき突然、誰かが警官隊にダイナマイトを投げ込んだのでした。
警官7名死亡、70人が重軽傷を負ったのでした。警官側も発泡して応戦しました。
労働者側の責任者としてA・パースンズと3人の無政府主義者たちが逮捕され、死刑判決を受けて絞首台の露と消えた。8時間労働制度はこのへい・マーケット事件を契機に採用されることになったのでした。
今ではごく当たり前の8時間労働というのは、こうした労働者の血と汗と、活動家たちの命と引き換えに勝ち取ったものだったのです。
そういう大切な大事な日本だけでなく世界中の労働者が血を流して勝ち取ってきた国際的な労働者の団結の日であるメーデーを、わがアベっちは天皇退位・新天皇即位の行事を利用して、ないがしろにしようとしているようです。さすがというか、悪辣というか、アッと驚く為五郎です。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
昔の労働者はゴミカスのように扱われ、決して人間として認められるような生活も送れず、寝る時以外のほぼすべての時間を拘束されながら、生活を満足に遅れるだけの賃金ももらえずに労働を強いられてきた。
そんな時代から、労働闘争を行い、自由を勝ち取ってきた。
そんなお話。
今の労働環境は、安全に配慮され、そして法律により厳格に労働者保護が行われ、福利厚生もしっかりし、労働の流動化により非常に容易に労働環境を変えることができる。日本に限っての話だが、昔の労働闘争を行った人たちが望んでいた世界に近づいているだろう。
お金になる仕事をせず、他の人の仕事を増やす人も、賃金が保証され、生活ができるのだから。