- Amazon.co.jp ・本 (266ページ)
- / ISBN・EAN: 9784762020810
作品紹介・あらすじ
人間とはなにか、教育とはなにか。教育の理論と営みの歴史や、学校教育制度の分析など、教育原理と内容を軸に、人間のさまざまな行為を問題化し、広く教育の基本的な原理を探求する。
【執筆者】沼野 一男,松本 憲,田中 克佳,白石 克己,米山 光儀
感想・レビュー・書評
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「教育基礎論」のテキスト。
以下、本書より抜粋します。
【現代教師の課題】
教師は近代社会の分業化という構成原理が貫かれている学校という組織の中で、官僚主義に陥る危険性を常に意識しながら教育実践をしてゆかねばならない。
これが教師の中心課題。
この課題は官僚主義に陥った教師には実践できない。
しかし、学校は常に官僚主義化する危険がある。
従ってこの課題の実践は極めて困難。
しかし、学校でこの課題が実践されていないなら学校には教育がない。
教師は学校という職場で教育を行う為、この課題を実践せねばならない。
教師は学校で教育のパラドックスを貫くような教育実践をし、それによって教育のパラドックスを貫くとはどういう事か、教育とは何かを示す必要がある。
それこそが極めて困難な教育のパラドックスを敢えて引き受け、それを職業とした教師がせねばならない事。
これはいかなる教育改革がされようが、生涯教育体制が整備されようが、いつの時代になろうが、教育を仕事とする教師に課される課題。
【教育のパラドックス】
教育が「善くする働きかけ」であるにも関わらず、我々は善くする働きかけとは何かを確定的に言う事ができない。
にも関わらず、人を善くしようとしない訳にはいかない。
教師は教授目標を掲げるが、この目標は絶対ではない。
時代や状況で違うし、一人の教師でも経験を経ると変化する。
教育は実験に似ているし、授業の狙いは仮説に過ぎない。
また、我々自身、自分を善くする意欲を持ってはいても、目指すべき方向を確定できていない。
生徒は将来への希望や期待を抱いているが、未来の「善い自分」は決定されていない。
にも関わらず、いつも「そうなって欲しかった自分」を探し続けているというのが事実に近い。
なので、教育には基本的にパラドックスが含まれる。詳細をみるコメント0件をすべて表示