感染症は実在しない: 構造構成的感染症学

著者 :
  • 北大路書房
3.95
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感想 : 23
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  • Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784762826962

作品紹介・あらすじ

インフルエンザは実在しない。生活習慣病も,がんも実在しない……。そもそも「病気」とは何か? それが「実在しない」と考えることで,どのような新たな地平が開けるのか? 構造構成主義の立場から,感染症臨床の第一人者があらゆる「病気」の診断・治療の実態を明らかにしながら,「病気」という現象を読み解く。

感想・レビュー・書評

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  •  池田清彦や内田樹のファンである医師による,病気の実在を否定する本。…といっても別に冷笑的でも無意味な不可知論でもなく,結構有益だった。
     病気が実在しない,というのは,病気は「もの」でなく現象,すなわち「こと」にすぎない,ということ。病気と健康の切り分けは,医師や社会によってかなり恣意的に行なわれており,病気と元気の境界は科学的に確固としたものではまったくない。
     著者はまず結核の例を挙げている。昔は結核とは症状がバッチリ出て,苦しくていかにも病人という状態だった(労咳)。でも結核菌が発見されて,検査によってそれが検出されるようになると,風邪くらいの軽い症状の患者も「結核患者」ということになってしまった。さらに自覚症状がまったくなくて,結核菌も検出されない,そういう場合でも,免疫反応を調べることにより,結核菌がいるらしいと推測されるケースも出てきた。これは潜伏結核と名づけられ,アメリカではこれを治療の対象にして結核撲滅を図ってきた。結核菌が検出できなくても結核とは。
     それにどんな検査も,決して確実ではない。本来陽性のものを陽性と判別できる感度をとっても,陰性のものを陰性と判別できる特異度をとっても,絶対に100%にはならない。「本来陽性である」,「本来陰性である」ということも絶対に分からないから,感度も特異度も正しい値は分からない。
     畢竟,世の中に「本当の病気」なんて存在せず,皆が「病気と呼びましょう」と合意すればそれが病気になる。結核に限らずインフルエンザも,感染症に限らずメタボも癌も,糖尿病も鬱病も,脳死だって,どれも社会的合意に基づいて,「病気」であるとか「人の死」であるとされるのである。
     それで問題は,「病気」かどうかの判断基準が国によってまちまちだったり,「病気」とされたときに即「治療」という選択がされがちなこと(特に日本)。世の中にゼロリスクがない,というのは今回の原発事故でも散々言われているが,震災前のこの本も口を酸っぱくして述べている。
     治療をするにもリスクがある。副作用や通院の負担など。だから病気の程度によっては,治療をしないという選択肢もあるのだが,「みつかったのなら治したい」とばかりに治療に突き進むケースが多い。詳細な検査によって,ごく初期の段階で癌細胞が見つかったとして,それを放置しても,癌は一向に大きくならず何も起こらない,ということもある。でも癌細胞が見つかったら怖いので,治療が選択されることが多い。病気が実在するという勘違いのため,それを除去しなくてはならないと誤解する。
     検査もリスクゼロではない。レントゲンを取れば被曝するし,もっと詳細にCTを撮れば被曝量も多い。採血も痛い。それを押して検査をするという選択をするのは,問診触診聴診等で医師が検査のメリットがデメリットを超えると判断した場合。軽いインフルエンザなどのように,検査する前に治療が不要と判断すれば,あえて検査を行なわないということもできる。検査してしまって,陽性反応が出て「インフルエンザ」と診断がついてしまうと,治療をしなくてはならなくなるから。その治療をしても,5日で治るのが4日で治るという程度。
     新薬の臨床試験の話も面白い。臨床試験は人体実験。大規模な臨床試験は,それだけサンプルを集めないと有意な差が検出できない,効能の薄い医薬であることの証拠。そんな臨床試験,被験者には過度の期待を持たせずに倫理的に行なわなくてはならない。試験の内容,条件を患者はすべて知らされなければならないし,参加は完全に自由意思に基づき,途中撤退も自由。副作用が出たら,それに対する治療を受ける権利がある。そういう条件を満たしたうえでないと,人体実験たる臨床試験は到底許されない。
     実在しない病気。では医療行為とは何だろう。それは,個人個人の価値観と交換する為に行なわれるという。患者の価値観は人それぞれ。長寿に価値を見出す人もいれば,短くても,痛みに苦しまない穏やかな日々に価値を見出す人もいる。飲酒や喫煙に重きを置く人もいる。
     そういう人々の価値観を,医師は尊重して,治療行為を提案し,施していく。それがあるべき姿だという。自分のことでも患者はうまく考えられないかもしれない。リスクとベネフィットを比較して,その人の価値観にあった治療を医師と患者で見つけていく。医師はアドバイザー。
     ただ,現状はそうでもない。医師の方で「この病気にはこの治療」ということでお仕着せの医療をしてしまうことがよくある。多くの医師は病気が本質的に恣意的であることを認識していない。曖昧な医療の中で医師は日々決断していかなければならず,問題の先送りはできない。

  • 結核は昔、労咳と呼ばれ現象をさしていたが、結核菌が見つかったことで病気の定義が変わった。さほどに病気とはあやふやで恣意的。
    インフルエンザもそうだった。検査が確立しても、治療薬がないのですることが変わらないから検査の必要もなかった。しかしタミフルが登場したので迅速検査が急増。するとなんでもない人から陽性者が続出することに。それってインフルエンザ?しかもそのタミフルは5日で治るのが4日になる程度の効き目しかない。ところが日本ではどんどん使われて世界の7割を消費しているという。副作用や(異常行動はぬれぎぬ)耐性ウイルスの心配が。
    そしてこれは新型コロナについてもそのまま当てはまるので予言書のよう。そして2009年神戸のH1N1流行。感染症法の縛りで全例入院させさため医療崩壊したことまで、今年再現されるとは。
    他の病気も同様。ある検査をすれば健康なのが病気に。精神疾患、高血圧など各種成人病など。検査も完璧ではない。がんについてもがん細胞が見つかったからといってがんにはならないと、近藤「がんもどき理論」を肯定。しかし検診やいろんな治療については総死亡をへらさなくても、あるがんになりたくない、なんとしても延命したいという患者の目的に合致すれば肯定する。

    さほどに病気も治療もあやふやなのに医師は常に選択を迫られる。そこにはグレーはない。そこで、患者の価値にあわせて治療を提供するという価値交換を提唱する。

    薬害やドラッグラグなどで厚労省を「結核感染症課は素人がやっている」と痛烈に批判するも、情報公開して責任を投げてはと助言する。

    ダイヤモンドプリンセス号の報告で注目された岩田は徹底的に科学的態度にこだわる。そのため言説はときに政府を肯定も否定もする。新事実がわかれば考えを変える。でもほんとは何もぶれてはいない。あくまでも科学的であることこだわった結果なのだが誤解もされている。それでも発言するのは「可能性は否定できない」みたいな100%当たる発言は無意味とわりきっているから。

    記述はすこし冗長か。理解できたらた例はとばしてよいだろう。

  • 構造構成的感染症学という副題や導入に構える必要はない、とても読みやすいエッセイに近い本。自分の健康観(病気観・治療観)に合っていて、そうだそうだ!と膝を打つこと多々。
    病気は現象にすぎない、というと、ともすると、居直り/思考停止が論の終点になりがちだが、さらにその先を真摯に考え、医師の役割を再定義をし、脳死や医療行政等の社会的議論にも態度表明していて、若き医師の哲学的態度にとても好感が持てる。

    [more]<blockquote>P015 やらない検査は陽性にはならないのです(陰性にもなりませんが)

    P018 検査のありようはとても複雑です。病気があるのに検査で見逃したり、病気がないのに病気があると検査で勘違いしたりすることがあります。検査そのものが、患者さんに害をもたらすこともあります。

    P033 長崎大学の池田正行氏は、誤謬やリスクがゼロであるはずだ、そうであるに違いない、という確信がもたらす弊害を「ゼロリスク症候群」と名付けて警鐘を鳴らしました。残念ながら、リスクのない事物はこの世に存在しません。

    P038 ベストの方法論が適用できないとき、私たち現場の医療者は次に良い方法を選択します。【中略】(いや、医療現場のほとんどすべてはそのようなsecond bestやthird bestの集合体と言えるかもしれません)最善の策が取れないとき、次に選択するプランをコンティンジェンシー・プランと呼びます。【中略】ベストなプランを取ることができないとき、その時こそプロとしての医療者の力量が問われるのです。

    P072 「否定できない」なんてフレーズはほとんど何も言っていないのと同じです。【中略】100%誤謬のない言説はそれゆえに価値がありません。【中略】「差別やいじめはよくない」とか。こうしたセリフは絶対的に正しいのですが、その実、世の中に何も新しいものをもたらさないのです。

    P102 家にいて既に元気になっている患者を定期的に診察したり、血圧を測ったり、点滴を取り替えたりする作業が、大量の患者が出る中で現場を疲弊させました。これが実際に2009年の神戸市で起きたことでした。【中略】ウイルスという「もの」と病気という「こと」を混同させたのが、厚労省の最大の間違いだったと私は思っています。

    P112 客観性を基準にする限り科学と迷信は区別できない(池田清彦)

    P135 「総死亡率が下がらなければ検診は無意味」という言説そのものを考えてみましょう。これは本当なのでしょうか。これは科学的な事実というよりある種の価値観、態度を表しているように見えます。従って、この言説に賛成したり反対したりすることは可能だと思いますが、正しいか正しくないかという観点から議論することは不可能なのではないでしょうか。

    P151 くじ引き試験は「倫理的でないからよくない」と反対する人たちがいます。これは本当でしょうか。実はこれも「目的」に照らし合わせ、関心相関的に考えないとわかりません。パラシュートの例でわかるように、効果が既に誰の目にも明らかな場合、くじ引き試験は非倫理的と言えるでしょう。

    P189 医療行為は意味のない行為なのでしょうか。医者や医療は意味のない、虚しい存在なのでしょうか。そうではない、と私は思います。医者にも医療にも、ちゃんと存在価値がある。でもそれは、病気を認識して病気を治すというオートマティズム、思い込みではないと思います。そこに私たちの価値があるのではありません。では医療行為は何かというと、何のためにするかというと、それは個人個人の価値観との交換行為のためだと私は思います。

    P201 ほとんどすべての事物の獲得は、病気の可能性との交換です。【中略】少なくとも餅は日本人に取ってこんにゃくゼリーよりも普遍的で大切で排除が困難であり、より価値が高いものであると考えているからでしょう。そういう価値観の交換が行なわれている限り、こんにゃくゼリーはダメだけど餅は大丈夫という一見理不尽なダブルスタンダードも、実はすんなり理解できるかもしれません。

    P210 奴隷制も何千年も続いていましたし、戦争はいまも続いています。継続は正当性と同義ではないのです。

    P211 わからないにも関わらず漢方薬を処方する、という態度がおそらくは最も妥当な態度なのでしょう。

    P229 本当は「医学は多数決」なのかもしれません。そもそも、正しい医学が存在しない以上、多数決が正しい(ということにしておきましょう)というのが妥当な(正しいというよりも妥当な)態度なのかもしれません。

    P234 もともと人間の生活とは関係のない異常な物質を飲み込んだり注射したりするのが内科的治療で、人の身体に刃物を突き刺す行為が外科的治療です。医療は根本的に非日常的、異常な行動で、それは通常は人体に取って害である可能性が高いのです。それをあえてやるのは、その非日常・異常な行為が病気を治すという巨大なメリットをもたらす(かもしれない)、不利益を甘受するに値する、と考えられるためなのです。

    P235 私の提案は「役所よ、もっとがんばれ」「怠慢だ」「ちゃんと仕事しろ」などと言わないことです。彼らには、そのような責務を背負うだけの能力もガッツもないのだから、ますます隠蔽体質、古い学会依存体質、癒着体質が強まるに決まっています。【中略】役所の責任を増やしてはいけないのです。むしろ減らすべきでしょう。

    P237 背負いもできない責任を負わせようとするから、逆説的にお役人は無責任になります。
    </blockquote>

  • 配置場所:摂枚普通図書
    請求記号:493.8||I
    資料ID:51000747

  • 病気は実在しないということを認識すること、
    価値交換としての医療の模索すること、自分も医療人のはしくれとして、自分なりに考えていきたい。

    あと、学術論文は英語で読む。やっぱり、これが今の自分の課題。

  • この題名は、誰が言い出したのだろう?
    かなり大胆で、驚く
    でも、内容を読むと、その通り

    お腹の中では思っていても
    患者に対しては言えないこと

    薬を飲まなくても、9割の人は大丈夫って
    医療費を削減しなくてはいけないのに
    無駄な薬を飲んでいる人がほとんどってことだよね

  • 題名が面白そうなので読んでみました。著者が岩田先生なのもあります。
    岩田先生の感染症の本はすごい好きで勉強になります。これだけは始めに言っておきたい。

    この本はタイトルの通り、病気一つ一つが、そういうものが実在するわけではなく、「恣意的に」医療者が、グレーゾーンを有する現象に名前をつけただけで、そういうものが存在するわけではないという論理を展開している本で感染症の勉強になるものではないです。哲学的な本です。(タイトルから察せよ!って?)

    ①説明がくどい
    ②「構造構成的」に考えるメリットの展開がなさすぎる。
    ③人間の思考には時間軸があることをあまり考慮されていない。
    など、多々思うことあり。あまり読解力のない自分なので、読みきれてないところもあるとは思いますが。
    興味のある人は読んでもいいかなという感じの本です。

  • 病気・医療について根源的に考察された本。
    「病気は実在せず、医者に意図的に、恣意的に認識された現象である。」
    (p.185)
    という言葉に集約されると思います。
    これについて感染症のみならず、高血圧、糖尿病、メタボリック症候群、癌、精神疾患などを例に挙げて説明しています。

    また、そう捉えることによって医療の目指すべき方向性について「個人個人の価値観との交換行為」(p.189)というキーワードで論じています。

    医療とは本当はどういうものなのか、についてとても勉強になります。
    医療者だけでなく、もっと一般の方に読まれてほしい本です。

  • 価値観の交換としての医療、そしてそのための情報開示なのだが、
    ここで想定されている患者はあまりにも決定力がある。実際には医療を受ける弱った状態での逡巡や責任を他人に預けたいという依存、引き受けるべき状況への否認・・・とのせめぎあいともたれあいをなくせという著者の主張はきついなあ
    医者ってそこも込みでの医は仁術だといままでの経験から思っていたのは甘えでしたか

  • キーワードは「価値交換行為としての医療」。

    「病気は実存しない、現象である」という仮説に基づかれて書かれています。

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著者プロフィール

1971年、島根県生まれ。島根医科大学(現・島根大学医学部)卒業。神戸大学都市安全研究センター感染症リスクコミュニケーション分野および医学研究科微生物感染症学講座感染治療学分野教授。著書に『コロナと生きる』(朝日新書、内田樹との共著)、『新型コロナウイルスの真実』(ベスト新書)、『僕が「PCR」原理主義に反対する理由』(集英社インターナショナル新書)ほか多数。

「2022年 『撤退論 歴史のパラダイム転換にむけて』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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