1970年、二十歳の憧憬: ハービー・山口写真集

  • 求龍堂
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  • Amazon.co.jp ・本 (159ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784763010308

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  • 連休の最後にハービー山口の写真展を見にゆく。調布で降りるのは初めて。展示会用に引き伸ばされた大判の写真の数々が作品集毎に並ぶ。やはり写真は大きくしたものを観るのが一番だと思う。特にハービー山口の写真は。わざわざ東京の反対側まで、二日続けて通う。写真集も手に入れる。ハービー山口は最も好きな写真家。

    アンリ・カルティエ=ブレッソンの撮るポートレートに惹かれるのは、そこに偶然性のようなものが写し撮られているからだろう。それが巧まずして撮られているとは思わないものの、あざとさが喚起されることはない。一瞬だけ存在した世界が鋭く切り撮られている。中心に写る主人公とその背景の関係性が心地よく語られている。しかしそのポートレートはその世界に入り込む写真というよりは一歩引いて鑑賞する写真であるとも、もう一方で思う。数年前に行った京都の写真展が象徴するように、その写真は鑑賞する対象であるように思えるのだ。

    ハービー山口の写真もまたポートレートにその魅力が現れる。カルティエ=ブレッソンと呼応するところもあるし、決定的に異なっているようでもある。多くの場合、その構図は引いたもの。余白の多さが特徴的。しかしその余白は余白ではなく余韻であると、しばらく写真を眺めていると気付づく。ハービー山口の切り撮るものは瞬間的に存在した世界ではない。過去から連続した時間が凝縮された世界だ。例えば、はにかむ少女。そのはにかみが生まれるまでの逡巡、発露する純真さ、未来へ開花する微笑み。そんな物語に一瞬にして触れてしまう。写真集に収まる大きさの写真からでも印象が大きく変わる訳ではないけれど、引き伸ばされた写真からは、その余白の延長がこちらの世界に滲み出し、自分が写真の世界にするすると摂り込まれてしまう感覚が強く味わえる。

    1970年代。それは自分にとっての原風景でもあり、郷愁という感情を抜きにはここに写るものを観ることは出来ないけれども、まだ写真家として確立する前のハービー山口が、この世界を切り撮っておいてくれたことは幸せなことと思う。この世界は既に失われてしまい、ノスタルジックに擬似的懐古映像で都合良く表出する世界となってしまった。今とは異なる価値観で、様々なものがうねり流れていたあの時代を傍観者のようにハービー山口は写し撮る。時に熱に浮かされ、時に甘酸っぱいものに惹かれながら。その迷いもまたあの時代の特徴として写真に切り撮られている。展示会の最後に大きく引き伸ばされて並べられたこの作品集の一葉が、中島みゆきの世情を頭の中に自動的に呼び出し、濡れた服の違和感を蘇らせる。実験的な方法で写し撮られたその熱に、暫し佇む。

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