花森さん、しずこさん、そして暮しの手帖編集部 (NHK連続テレビ小説『とと姉ちゃん』モチーフ 花森安治・大橋鎭子との日々)

著者 :
  • 暮しの手帖社
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本棚登録 : 98
感想 : 7
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  • Amazon.co.jp ・本 (399ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784766002010

感想・レビュー・書評

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  • あるオシャレ系暮らし系の会社でみんなで読んだというからわたしも。覚悟がないとこんな会社で働けないな。

  • 筆者の小榑さんは、創刊間もないころに、大卒の新人として採用され、花森さんの死後まで、編集部で働いていたそうだ。
    大橋鎭子さんとはまた違った視点で面白かった。
    ところどころに挿入される、当時一緒に働いていた、同僚の文章も、小榑さんの文章を補完していて、いい。
    花森さんの死後、小榑さんは、鎭子さんと対立して、暮らしの手帖を退社したとあるが、この本は、暮らしの手帖社から出ている。
    懐が深い会社なんだな。

  • 暮しの手帖は、何気なく手に取ったことがあったけれども
    編集長の花森さんがすごい!とは、その時感じなかった

    アートディレクションから、原稿執筆、写真、その編集のすべてをされていたとは!
    さぞかし、統一感のある紙面だったことでしょう

    人間性も素晴らしかったんでしょうね
    執筆の原稿がとても丁寧な文章で感心してしまいました

    この本を読むと当時の編集部の雰囲気が伝わってきます
    自分も参加しているような感じになりました

    追記:みぃちゃんの家に「おそうざい十二ヶ月」あったよね(^.^)

  • 『とと姉ちゃん』副読本として、やはり暮しの手帖社から出ているものがよいだろうかと。
    紹介されている「もっと知っていただくための本」もあわせて読みたい。

  • さすがドラマになるだけある。ドタバタ感が面白かった。

  • 著者が暮しの手帖社に入社した1960年から花森編集長が亡くなる1978年までに送った編集者人生と編集部の日常を綴った年代記です。
    この本では暮しの手帖編集部の外にも内にも妥協しない厳しい姿勢が元編集者の目からこれでもかと活写されているのと同時に、社員を家族的に温かく包みこもうと心がける経営方針についても筆が割かれています。
    ただ、労組結成未遂騒動が起きたことに象徴されるように、それらの業務や経営の方針には前時代的な要素があるのは否めません。花森さん亡き後、著者が社長のしずこさんと袂を分かったのにはそういう事情も影響しているのかも?と推察します。
    著者が花森さんの揺るぎない編集者魂への敬服と、花森さんとは異なる魂を持つ編集者としての自己主張との間で葛藤していく描写を目にしつつも、読者としては「なかのひとりはわれにして」のポリシーでひとつの雑誌の発行を守り、筋を貫いていく花森さんの、しずこさんの、そして編集部の生き方(としか言いようのない生命体的な道行き)の前に襟を正さずにはいられません。
    今日の暮しの手帖社の状況については知る由もありませんが、この編集部への愛憎入り混じった本(もちろん愛に満ち溢れてはいますが)を出版したところに、同社に受け継がれている魂の存在を感じ取っています。

  • 小榑さんは、『暮らしの手帖』ができて13年目の年に、他の3名とともに採用された人である。小榑さんは当時、すでに3社の内定をとっていたのに、ここに入社した。入社試験では、お弁当が出たり、帰りの車代まで出たそうで、小榑さんは暮らしの手帖社にとても期待をもって入ってきたようだ。しかし、創業者たちとは違って、花森さんに反発したり、ある程度距離をおいて接しているのを感じる。10年目にして「やめてやる」と言って辞表を叩きつけたのは、自分の生き方と花森さんたちとの間にずれがあったからだろう。しかし、辞表は受け取られるどころか、逆に花森さんに篭絡され、その後は逆に花森さんのいうことをすなおに聞けるようになる。とはいっても、花森さんの死後鎮子さんとは袂を分かつことになるのは、やはりどこかに相容れないものがあったのではないだろうか。それは、この本のタイトルが示しているように、『暮らしの手帖』といえば花森、鎮子さんが突出して示されるが、その裏にはかれらをささえた多くの社員、スタッフがいたことを明らかにしておきたかったのだろう。つまり、本書は花森さんや鎮子さんをささえた編集部を主とする他の社員たちの汗と涙の奮闘の記録なのである。もちろん、『暮らしの手帖』は花森さんと鎮子さんがいなければできなかった。花森さんの指導力は言うまでもない。しかし、静子さんの猪突猛進な実行力がなければ、最初1万部の雑誌が100万部にまで発展することはなかったろう。小榑さんはこの雑誌の基本精神は「なかのひとりはわれにして」ということばに代表されるという。それは、自分も大勢のなかのひとりということである。けっして教えてやろうとか、上目線にたっていてはこの雑誌はできなかった。『暮らしの手帖』はそういう戦術をとってはいるが、一方で信用を得るために銀座に事務所を持ったり、昭和天皇の第一皇女の東久邇成子さんや川端康成さんに書いたりしてもらっている。これは巧みな戦術だ。実際、『暮らしの手帖』が急激に伸び出すのは、この成子さんの記事が出てからである。暮らしの手帖社に入ったら親の死に目にも会えないと思えと言われて入るそうで、実際その仕事ぶりはふつうではない。花森さんの怒りにつきあうのもたいへんだったろう。だから、組合をつくろうという声が出るのも無理はない。親の死に目にも会えないと言っておきながら、社員の親が病気になると名医を紹介したり、花森さんがそっと見舞いに行ったりしている。それは、ある意味この会社が家族共同体のような経営をしていたということである。実際、みんなでご飯をつくったり、誕生会やダンスパーティをしたりしている。今日、暮らしの手帖社はどんな経営をしているのだろう。ちょっと気になった。

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