- Amazon.co.jp ・本 (474ページ)
- / ISBN・EAN: 9784766418118
感想・レビュー・書評
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「大抵の言語は数ヶ月で読めるようになり、英独仏語にいたっては抵抗がなく外国語ですらない」
「ある日、イブラヒムはすごい学者が来たと、井筒をモスクへと連れて行った。東京、代々木上原にある東京ジャーミイとして知られる礼拝所とイスラーム学院を兼ね
た施設である。寺院に近づくにしたがって、東洋的哀感をおびた特有の節越しでコーランを朗読する声が聞えて来た。イブラヒムは言った。「ムーサーの朗調だよ」。
「ムーサー先生」と井筒俊彦が呼ぶこの人物こそ、文字通りの天才だった。聖典を丸ごと覚えるイブラヒムの記憶力も十分驚異的だが、ムーサーの記憶力は次元が遼っていた。聖典とその周辺の書物はいうに及ばない。「神学、哲学、法学、詩学、韻律学、文法学はもちろん、ほとんど主なテクストは、全部頭に暗記してある」。原典を記憶していただけではない。注解書も複数覚えていて、かつ自分の意見がある人物だった。
初めて井筒が訪ねたとき、言伝通り、玄関ではなく庭に回って声をかけると、「よく来た、よく来た」と言いながらムーサーは押入れから出てきた。一軒はもちろん、一部屋さえ借りる資金がなく、大家もやむなく押入れの上段を貸したのだった。
ある日、井筒が体調を崩すとムーサーがアラビア菓子を持って見舞いに来た。ムーサーは書斎にあった多くの蔵書を見て、出かけるとき、この本はどうするのかと聞く。行李に入れて移動すると井筒が答えると、それではまるでカタッムリではないかと笑った。
徒手空拳、どこでも学問ができなくては真の学者ではないとムーサーは言った。
晩年の井筒はあるインタヴューで当時を振り返って、イスラームのウラマーの教授法に接した最初の経験だったと発言している。ウラマーとは大学者のこと。
ある日、井筒はアラビア語の原典をムーサーのところ
へ持参する。数日するとムーサーはそれらをすっかり記憶していた。」詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
同じ若松英輔著の「吉満義彦 詩と天使の形而上学」を先に読了。
忘れられそうになっている過去の偉人が、
すぐれた伝記作家の手により蘇る。
素晴らしいものがどんどん過去の遺物化している中、
若松英輔氏の功績は計り知れない。
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こんなに素晴らしい評伝は久しぶりに読んだ。
人が学問をするのは実存的経験なんだ!
読後に興奮して眠れなくなりました。 -
p175-最後まで読んだ。