言語マイノリティを支える教育

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制作 : Jim Cummins 
  • 慶應義塾大学出版会 (2011年6月1日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (198ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784766418569

言語マイノリティを支える教育の感想・レビュー・書評

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  • 仕事がらBICS, CALPは聞いて言葉として使ったこともあるが、カミンズのまとまった文献を読んだのは始めてであり、お会いして自分の学校のバイリンガルカリキュラムについてご意見を頂いたこともある中島和子さんに感謝の気持ちいっぱいである。様々な論点の中で下記の点が参考になった。引用と自分のレスポンスを載せる。

    「序章 カミンズ教育理論と日本の年少者言語教育」

    (p51) 多読多書必要性の根拠として
    「カミンズは「CLD(Culturally, Lingustically, Diverse student)児が学校教育で成功するためには、(バイリンガル)プログラムの中で両言語のリテラシーの指導が効果的にされなければならない」とし、そのために多読、多書が必要不可欠だと言っています。」

    ---ここは、自校に位置づけた「にほんご」教育をサポートする個所であり、引用するとともに関係者に読んでもらいたいところだ。

    (p52) 学習のツールとして言語のを使う必要性
    「週1、2時間中国語を教えるだけでは、中国語の読み書きの力を育てるところまでは行かず、その結果、バイリテラルな人材が育たないということです。」
    「スクットナブ-カンガス(1988)は、適切な「母語による教科学習」のない母語教育は「心理的にプラスになるお化粧のようなもの」と酷評していますが、どうしても母語を学習のツールとして使用する必要があるのです。」

    ---ここでの疑問は、同じように週1、2時間で教科を学べば、より効果的なのかどうかになる。
    ---言語を通して学ぶと言語について学ぶの両方が必要で、さらに時間もたくさん必要と言うのなら、ようは時間をかければいいとなってしまう?
    ---ポジティブに捉えるなら、言語についての学びだけでは不十分であり、学習のツールとしてう言語を通しての学びも不可欠だということになる。

    (p55)日本に教育行政や指導要領に関して
    「ー新指導要領で問題になるのは、教育課程行政が日本のCLD児の存在を全く無視していることです。また言語といえば、「我が国の言葉である国語」を意味し、CLD児が持ち込む多くの言語の存在が全く視野に入っていません。」

    ー全くこの通りであり、今だに「国語」などという名称を付けて、権威を持たせているからこそ、数少ない物語や文章に長い時間をかける、特定の文章から分離できない指導法を作り出すという無駄なことに児童・生徒も教員も多くの時間を費やすことになってしまっている。

    「第一章 バイリンガル児の母語」

    (p67) そんな簡単な話ではないと思う。
    「たとえば、母語で今何時か言える子どもは、時間の概念も理解しているわけですから、第二言語で時間の概念をもう一度学習し直す必要はないのです。すでに
    学習した知的スキルを表すのに必要な、新しいラベル、つまり「表層面の言語構造」(時間の場合は、数の数え方、時間の言い方など)を学べばよいのです。」

    ー八百屋で日本の野菜の上に英語のラベルをおけばそれで済むというほど、簡単ではない。時間の表し方はもちろんのこと、数を表すシステムでさえ、3桁区切りか4桁かで異なる。もちろん、時間の概念が全くない人のように、0から考えるのではなく、どう同じで、どう異なるのかという比較の思考になると考えられるが、それでも現在の理解の再構成が必要になるだろうし、ただラベルを張り替えるだけでは、済まないだろう。

    第二章 カナダのフレンチイマージョンプログラム

    (p72)ジェネシー(1987)によるイマージョンの条件への合致
    「一般的に言ってイマージョンと見なされる条件は、年間
    少なくとも授業の50%が第二言語で行われるということである。一つの教科とランゲージアーツだけ第二言語で行うプログラムは、第二言語補強(Enriched second language program)と呼ぶのが普通である。」

    ーとりあえず、自分の所属する組織は、これに当てはまる。一方で、自分が耳にするのは、スタンドアロンの英語の強調であり、また、コンテントベースの指導もいかに、そこに言語領域の目標を組み込むかである。 Hallidayの言う言語についての学びと言語を通しての学びのバランスはいかにあるべきか、示唆がほしいところである。

    (p73) ジェイソン&スウェイン(1997) イマージョンプログラムの核となるもの
    「ー第二言語を授業の媒介語とする
    ・イマージョンプログラムのカリキュラムは地域の第一言語(L1)のカリキュラムと同じ
    ・第一言語に対して明らかなサポートがある
    ・加算的バイリンガリズムを目標とする
    ・第二言語(L2)への接触は主に教室内に限られる
    ・プログラムに参加する時点で第二言語(L2)レベルがほぼ同じ(低レベル)
    ・教師がバイリンガルである
    ・教室文化は地域のL1コミュニティと同じ」

    --自分が所属する学校は、この8つの内、6つ満たしている。満たしていないのは、児童のL2のレベルが大きく異なることと、教師の全てがバイリンガルではないことだ。

    (p75) イマージョンプログラムでの言語使用の限定性:フランス語のプログラムでの受容面と産出面でのギャップについて
    「このようなギャップが生じることは、フランス語のインプットの量が限られていることと明らかに関係があります。普通学校外でフランス語に接触する機会も交流する機会もほとんどありません。また余暇にフランス語の読者を楽しむというような児童も非常に稀なのです。小学校1、2年を過ぎるとフランス語を読むこと即教科書を読むことになってしまい、それは子どもが自ら率先してやりたいことではないのです。このため児童、生徒がフランス語の接触範囲を拡げて語彙知識や文法能力をのばす機会が非常に少なくなるわけです。」
    この英語は学校言語化してしまう様子は自分もイマージョンの学校で働いていて思った。現在の学校では、英語を読むことは教科書を読むこととまで言ってしまっている児童は前職よりは少ないが、これは帰国生の影響であろう。イマージョンプログラムのギャップを生じさせているのは、なんであろう?

    (p81) 訳すことは悪くない?
    「次に示すイマージョンプログラムの3つの指導方針を見ると、このようなモノリンガル指導方針がいかに支配的であるか分かるでしょう。どれも実証的研究によって指示されている指針ではありません。

    ー授業は、対象児のL1に頼ることなく目標言語のみで行うこと。バイリンガル辞書も使わないように指導。(つまり「直接法」が前提)
    ー言語やリテラシーの指導で、L1からL1へ、L2からL1への翻訳は一切行わないこと。」

    ここには、論点がある。そもそも、これまでの外国語への接触時間が少なすぎ、その時間を増やす意味でイマージョンが行われてきたはずだ。L1使用を悪いこととして禁止するのは行き過ぎかもしれないが、全く自由にしていたら、ずっとL1しか話さない事態が続くことがある。L2の使用を促す意味でL2のみの使用をルール化する、裏返せば、L1の禁止が求められることは、イマージョンの学校では運用上あり得ることだと考えられる。
    また、もう一点挙げたいのが、この主張をもってこれまでの日本の英語教育、すなわち、逐語和訳主義を正当化しないでほしいことだ。英語を必ず単語レベルでも、文レベルでも日本語化して理解するということをしていたら、遅すぎて会話はできないし、読むのにも時間がとてつもなく時間がかかる。英語を日本語を通してではなく、英語で応答していくことなしに、レベルアップすることは難しいと考えている。当然、英英辞典を使うことは、その役に立つであろうし、英語の語彙を英語で定義づけすることは、文脈に応じていくらでも変わる訳語を一つ一つ覚える必要性を排除してくれる。ある種の概念的理解とも言える。
    バイリンガルスクールである自分の職場で、教室に英和辞典しか置いていない担任のクラスがある。児童はいちいち英単語の日本語を知ろうとして、その都度、ネイティブ教員とのやり取りは中断する。
    この教室を見たり、これまで受けてきた日本の英語教育や自分が英語から日本語に翻訳するプロセスの中で感ずるこは、英語を学ぶといいながら、実は、その時間の半分以上、日本語を学んでいるということだ。認知過程に言及するまでもなく、逐語訳の授業を録音してみれば、話しのトリガーとなる英語以外はすべて日本語だろうし、教員ー生徒間の会話ももちろん日本語だ。
    このような時間をイマージョンに倣って50%設定したところで英語を使う時間は、その10-20%であり、授業時間の5ー10%にしかならない。
    これでは、時間を増やした意味がないと言わざろうえない。児童生徒がすでに持っている知識や経験に関連づけられるように計画するにしても、英語との接触時間を多く持つことを忘れてはいけないと考える。
    英語には英語で応答する、新しい概念を学ぶ時や既に持っている知識を活用する時、他の日本語話者と協同するときには日本語を使う、しかし、英語を日本語を通して理解するのではない。


    第3章 マイノリティ言語児童-生徒の学力を支える言語心理学的、社会学的基盤

    (p89)
    「学校教育の中でELL(English Language Learners)が成功するかどうかは、どのくらい第一言語(L1)を使用して教科学習をするのかということと有意の関係がある点で一致している。」

    この指摘は、外国で暮らす児童生徒が、母語でも教科学習をした方がいいということにはつながるが、自国で外国語とバイリンガル教育を受ける時には、何を示唆するのだろう。そもそも、外国語などで学ばずに、母国語だけで学べるのであれば、その方がいいということになるのだろうか?それとも、全生活時間の半分ずつ二言語で学べばいいというバランスの問題となるのだろうか。


    (p91)2つの言語で学ぶ>一つの言語で学ぶ

    「②バイリンガル児の場合、学校の中で両言語のリテラシーが促進されてはじめて教科学習言語間の転移が起こる。

    バイリンガルプログラムのマイノリティ児童-生徒は、学校で社会の主要言語のみを使って学ぶモノリンガルプログラムの児童-生徒と比べて、授業時間が少ないにもかかわらず同程度の成績を上げているという、このほぼ普遍的な研究結果は、教科学習言語能力の相互依存関係、つまり2言語間の転移によって説明できるものです。」

    ーここで言う「同程度の成績」というのは、算数やL1言語だろうか。もちろん、L2は比較しても意味がない。
    ここで言う例を日本の日英のイマージョンスクールに当てはめて見ると、英語で算数を勉強しても、日本語で勉強した児童と日本語のテストの成績は変わらないということと、言語学習としての国語以外は、英語で勉強しても、国語の成績は変わらないということになると考えられる。前者はともかく、日本語の語彙や本との関わりは、調べたのだろうか。
    とかく、国語のテストは、教科書単元という狭い範囲に限られたものであり、日本語運用の全体を見とるものではない。
    カミンズの理論で、ずっと矛盾を感じるのは、一つ一つの主張が微妙なバランスに依拠していることであり、それぞれの間の整合性が合わないように感ずること、すなわち、それぞれの理論に従って、ある面を操作するとそれぞれの主張が矛盾してしまうことだと思う。


    (p107)
    児童・生徒のL1も、L2の指導状況によっては大事な足場掛かりになります。グループタスクを完成を完成させる上でL1を使うことを奨励されたグループは、L1使用を禁止されたグループよりも、L2のアウトプットの質がより優れていたという研究報告があります(Swain&Lapkin, 2005)。

    ーここにも英語の学習という面に対しては、慎重であるべきだと思う。というのも、これを延長して考えると、完全な日本語環境で調べて議論をして日本語でまとめて、その成果だけを英語に翻訳して発表したものが質が高かったら、この方がよい「プログラム」となってしまうことになる。ここで発生している学びは対象言語を最後の翻訳以外では全く使わないのに拘らず、すぐれたイマージョンプログラムと言えるだろうか、ここでどれほどの対象言語の学びが起きているといえるだろうか?


    (p109)言語を伸ばす
    「前述したように、学年が上がるにつれて理科、算数・数学、社会、国語などの教科カリキュラムの中で、ますます複雑さを増していくテキストを読みこなすことが期待されます。本の中でしか使われない低頻度の教科用語やより複雑な文法や談話構造に遭遇するのです。このような状況に対応するためには、学内だけでなく学外でもでもさまざまなジャンルの本を幅広く読む児童・生徒の方が、限られた本しか読まない学習者より、はるかに教科学習言語の習得の機会に恵まれることになります。」

    ー全くこの通りだと思うのだが、これをいざ教育実践に展開しようとすると、すぐに量と種類の比較という不毛に陥ってしまう。物語を3冊読むのと、物語2冊と科学雑誌を1冊読むのではどちらがいいのか?これはそもそも意味のある比較なのか。物語を毎日のように読んでいる児童に、バランスが大事だし、バラエティに富んだ読書行動が大事だからと、物語ではなくて伝記を読んでみようと誘うことにどんな意味があるのか?年に100冊の物語を読む児童と、30冊だが他の種類もいろいろ読む児童とではどちらがバランス良く多読していると言えるのか、臨界点はあるのか、あるのならどこにあるのか、すっきりしないでいる。

    以上

  • 序章「カミンズ教育理論と日本の年少者言語教育」
    第1章「バイリンガル児の母語ーなぜ教育上重要か」
    第2章「カナダのフレンチイマージョンプログラム
    ー40年の研究成果から学ぶもの」
    第3章「マイノリティ言語児童・生徒の学力を支える
    言語心理学的、社会学的基盤」
    第4章「変革的マルチリテラシーズ教育学
    ー多言語・多文化背景の子ども(CLD)の学力をどう高めるか」
    第5章「理論と実践との対話
    ーろう児・難聴児の教育」

    アメリカに赴任した家族の多くは子どもを現地校に通わせる。親は、子どもが親よりも早くに英語に慣れ、話せるようになることを諸手を挙げて喜ぶ。「うちの子は英語が上手に話せる」「うちの子は英語ができる」と。しかし、それは本当なのだろうか。子どもは英語が「できる」ようになったのだろうか。
    この本には、「英語を理解し、「読み書き」ができるようになるには、5、6年かかる」とある。つまり、3年から5年の海外赴任では、英語が読めて、書けて、授業のディスカッションに参加し、先生の話を聞いて理解する、「教科学習英語能力」は身につかない。だから、日本に帰国すれば、表面だけ英語を辿っただけの、その子どもの英語力は失われてしまう。
    それに、赴任中、親が子どもの英語の獲得に夢中になったために疎かになった母語(日本語)の保障はどうなるのだろうか。
    言語だけでなく、日本の学校に通う子どもたちが授業で培ってたであろう学力も身につけていない帰国子女と呼ばれる子どもは、帰国後、海外滞在期間の日本の生活習慣の空白の時間を埋め、他の日本の子どもたちの学力に追いつくために苦労をする。残念ながら、親は帰国後の子どもの(表面上の)英語の維持に努めるほうに焦点をあててしまい、子どもの学力がどの程度なのかを見過ごしてしまいがちである。

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言語マイノリティを支える教育の作品紹介

多言語・多文化背景を持つ子ども(CLD)に対してどう対処すべきか、教師の姿勢、態度、あり方はどうあるべきか、学習者のアイデンティティの高揚と知的活動を高めるにはどう取り組むべきか…。現場教師の実践を支えるさまざまな言語教育理論を提示。近年の主要論文を厳選・訳出し、カミンズ教育理論を解説する。

言語マイノリティを支える教育はこんな本です

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