悲しみにある者

  • 慶應義塾大学出版会株式会社
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  • Amazon.co.jp ・本 (250ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784766418705

作品紹介・あらすじ

愛する者の死は、突然、訪れる。長年連れ添った夫、ジョン・ダンの突然の死。生死の淵を彷徨う、一人娘、クィンターナ。本書は、一人の女性作家が、夫を亡くした後の一年間と一日を描くノンフィクションである。近しいひと、愛するひとを永遠に失った悲しみと、そこから立ち直ろうとする努力についてのストーリーである。ジョーン・ディディオンは、夫を亡くした後の一日一日について、時に率直に心情を吐露し、時に冷静に自己と周囲とを観察する。フラッシュバックのように回想が挿入されるかと思えば、文献渉猟の成果が生のまま紹介され、脳裡に甦るさまざまな詩や小説や映画に慰められるかと思えばクィンターナを巡っての医師との攻防がシニカルに描かれもする、一筋縄ではゆかぬこの作品は、2005年10月に刊行された。ディディオンの筆力にテーマの普遍性も相俟って、本書は同年度の全米図書賞も受賞し、全米大ベストセラーになった珠玉のノンフィクションである。

感想・レビュー・書評

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  • 楽しみにしていたディディオンだったが、訳が今ひとつ。
    人称代名詞が多すぎる。最初は意図してのことだろうと思って読み進めたが、途中から、この訳者は人称代名詞に鈍感なのだと気づき、うんざりして投げ出した。

  • 訳が固くてわかりにくい。ごつごつした文章。もっと読みやすい素直な日本語にはできないのか。

  • 娘が重い病で生死の境をさまよう中、突然に心臓発作で夫を亡くした作家のエッセイ。夫を亡くしてからの一年間の話を書くのだが、 著者の語りはあらゆる過去を駆け巡り、常に時間を行ったり来たりしている。話は面白い(というのもなんか違う気がするが)のに、訳がかなり読みにくくてなかなか頭に入ってこなかった。

    死亡直後の、ありえないとわかっていながらも「彼が帰ってくる」から準備していなくては…という行動から始まり、長い苦しみの日々に入る。
    日常のふとしたきっかけで頭は思考の渦に巻き込まれていき、思い出がよみがえり、どこかで自分が見落としたものがあった、何かを間違ったのだ、夫が生き残る道があったのではないかというあらさがしが始まる。そして「死んだ」という変わらない現実が痛みを伴ってそれらを断ち切る。著者は本を読み、自分の持つ様々な知識を総動員して現実を受け止めようと試みるが、何度も手を変え品を変え思考の渦巻きは彼女を飲み込む。「何であれ私の考えたり信じていることを素通しなものにする」とある通り、混乱した頭の中をそのまま切り取ってきたような文章だ。狂った自分の精神状況をどこか冷静に見つめながらもそこから逃れられないさまを克明に描いていて、読んでいてこちらも苦しくなってくる。
    私も夫を亡くしたら、きっとこうなるだろう。私には友達がほとんどいないから、多くの時間を一人で耐えなければいけないと思うと恐ろしくなる。でも、だからといって家族であることをやめようとは絶対に思えないのだから、「今ひと日よりも」愛していくしかないのだ。この本でも愛情と悲しみはひらりひらりと反転しながら、一体のものとして現れる。思い出の中の夫へ向けるまなざしの切実さ。あまりにゆっくりとした死の受容。胆力が必要な本ではあるが、また読みたい。

  • 「自己憐憫」が読み終わっても離れない。

  • 身近な人の死。そのショック飲みこまれて、渦にはまってくかんじが、淡々と語られた本。

    亡くなった旦那さんのゲラを読んで、「どうして彼はそう書いたのだろうか?」って、答えが一生わからない疑問を抱いたり。
    不意に、そしてことあるごとになにも起こってなかったときの記憶を鮮明に思い出したり。
    些細なことに、死を避けられるなにかがあったのではないかと思いを巡らせたり。

    死に直面したときの人間ってこんなかんじだよねというリアルさに、読んでいて、わりと気が滅入りました。

    でも、最後の方で、繰り返し思い出す旦那さんの言葉がでてきたあたりから、救われはじめて、最後はちゃんと読んでよかったと思える本でした。
    「人生で一回は、いいから大目にみてやれよ」


    "結婚はまた、逆説的だが、時間の否定でもあるのだ。四十年間、私はジョンの目を通して自分を眺めてきた。私は年を取らなかった"

    結婚って、そういうものなのかなぁとも。
    そして、結婚をしていたら、頭に浮かぶ特定の人がいたら、こわくてこの本は読めなかったかもしれない。

  • 934

  • 私には向いていなかった
    冷めた文体に似つかわしくない感情の吐露に違和感を受けた

  • なぜこの本を買う気になったのだったかと考えてみると、ジョーン・ディディオンの文章を前から好きだったのはもちろんだが、おそらくそう遠くない将来、ほんとうにそういう時をむかえることに備えておくのがよいだろう、なぜならそういう事態を迎えてしまったあとには、この種の本を読むのは大きな苦痛にちがいないと思っていたからだ。
    ところが実際に読んでみると、恐れつつも期待していたものは、まったくない。愛する人を失った「悲しみにある者」から通常うける影響、たとえば暴力的なほどの感情の波、失われた者のかけがえのなさを思い知らせるエピソード、そういったもので心をかき乱されるような読書体験ではまったくないということ。それだけで、瞠目すべき書物である。かわりにあるのは、自分の心臓を腑分けする科学者のような、冷徹な分析である。
    原題には「マジカル・シンキングの年」とある。数十年間はなれず公私の生活をともにしてきたパートナーを失ったディディオンの思考は、気がつけば論理的な軌道を外れ、マジックの領域に入り込む。たとえば、夫の死後解剖を自ら希望しておきながら、同時に、彼が帰ってこられるように衣服の処分をこばむといったように、整合性のないロジックにはまりこむ隙間があちこちに口をひらいているようなものだ。しかし何よりも読む者を圧倒するのは、コントロールを失いかける自身の姿を冷徹にみつめ分析せずにいられない、作家としてのディディオンの姿である。それは称賛に値するというよりも、性としか言いようがない。
    これが本書の最大の魅力であるとともに、日本の多くの読者には受け入れられない理由でもあるのだろう。同じテーマを扱った多くの和書とはまったく異質なこの希少な視点が、「そのとき」が来たときに私の助けになるのかどうか、それはまさにそのときが来なければわからないのだが。

  • 語ることは人を癒やす。癒しの手順はたくさんある。

    結婚したばかりの娘が危篤状態になった。病院から帰宅後、一緒に夕食を食べていた夫が突然亡くなった。夫の葬儀を済ませ、自分自身も娘も危機を脱した、ここからまた人生を立て直そうとした矢先に、再び娘が倒れ、以前よりもっと悪い状態になった。
    絶対に彼女のような立場には立たされたくないけれど、それでも彼女がうらやましい。彼女には思い返せる過去があった。長年かけて築き上げた、愛しい関係があった。

    フィリップ・アリエス『我らの死の時間』

    片付けることはいつでも今後の人生の始まりになる。
    いつまで今後の人生の準備をしているのだろう。

    何らかの出来事は人間のコントロール能力を超えている。
    何らかの出来事は、なすすべ無くただ起きてしまうのだ。

    私はあらゆる過ちをまた生きなければならないのだろうか?

    ジェラード・マンリ・ホプキンス
    デルモア・シュウォーツ

  • 「今ひと日よりも愛している」って、いいことば。何度も引用される(例えばp.70)。原題のマジカル・シンキングは心理学用語だそうな。意味を調べねば。p.179に出てくる論文「人がどうしても適応できない出来事のひとつとしての寡婦になること」の原著を読みたい。

  • ジョーン・ディディオン、久しぶり。

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著者プロフィール

【著者】
ジョーン・ディディオン(Joan Didion)
1934年カリフォルニア州サクラメント市生まれ。現在ニューヨーク市在住。1956年UCバークレー校を卒業後、『ヴォーグ』誌の編集に携わる。処女小説 Run, River は1963年に出版された。1964年に2歳年上の作家のジョン・グレゴリー・ダンと結婚。1966年に生後間もないクィンターナ・ローを養女にする。初のノン・フィクション Slouching Towards Bethlehem は1968年に出版された。小説、ニュージャーナリズム、書評、映画脚本、新聞・雑誌への寄稿など、ジャンルを問わず旺盛な執筆活動を半世紀にわたって続けている。2003年には、一族と彼らを育んだカリフォルニアを描く Where I Was From を刊行。同年の12月30日に、娘のクィンターナがICUに入っている状況で、夫ジョンを心臓発作で亡くす。それからの1年と1日を描いた The Year of Magical Thinking を2005年に発売。全米図書賞(ノンフィクション部門)受賞の大ベストセラーとなる。また、2007年のディディオン自身による劇化も大成功を収める。同書は、2011年9月に慶應義塾大学出版会から『悲しみにある者』として出版された。2005年の8月26日には、娘クィンターナが39歳で亡くなる。2011年10月に、娘の死と思い出、自らの老いを綴った Blue Nights (本書『さよなら、私のクィンターナ』の原著)を出版。ベストセラーとなる。

「2012年 『さよなら、私のクィンターナ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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