さよなら、私のクィンターナ

  • 慶應義塾大学出版会
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  • Amazon.co.jp ・本 (208ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784766419085

作品紹介・あらすじ

本書は2010年7月26日に書き起こされる。それは、ディディオンの一人娘、クィンターナの7回目の結婚記念日だった。子に恵まれなかったディディオンと夫のジョンは、クィンターナを養子として迎え入れ、深い愛情をもってクィンターナとの絆を深めていくが、やがて、ディディオンはジョンを、そして最愛の娘、クィンターナを病で失うことになる。クィンターナの幼少期、共に過ごしたマリブやブレントウッドでの日々をスナップショット写真のように鮮やかに描き、また自らの幼年期の記憶、結婚生活の記憶が豊かに織り込まれた本書においてディディオンは、子を持つこと、子を失うこと、親であること、病、老い、そして、死、それらすべてに対する彼女自身の恐れについての深い洞察を展開する。

感想・レビュー・書評

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  • 思い出の品なんてくだらない。そんな品物は、かつて目の前で過ぎていった時間をいかに理解していなかったかの証明にしかならない。
    目の前の時間に我を忘れる代わりに、つまらないガラクタをせっせと積み上げ続けるなんて。
    思い出の品など、二度とは戻らない日々がどれだけ貴重だったか、その価値を理解できていなかった証だ。

    目の前にあったのに気づかなかったこと、答えられなかった問いかけ、届かなかった手。失われた何もかもを悼んでいる。でも、何が失われたのだろう。

    本当に大切なことは、瞼の裏に焼き付いている。耳の底に残っている。その香りを覚えている。

    一日だけでも、生きるということは本当に危険なこと。

    永遠に続く哀悼と一緒に生き続けることもできる。

  • 原題はBlue Nights. 完全に日が落ちる前の青い空の時間帯を指すそうです。確かに、この題名では手にとって読むことはなかったけれども、邦題と作者の書きぶりがあいまって、ひどくセンチメンタルで読みにくい作品に感じた。

  • 「きれいな女の赤ちゃん」を養子にした著者のジョーン•ディディオンと夫。クィンターナと名付けられたその女の子は小説家、脚本家の両親の下で不自由無くすくすくと育つ。でも家族の幸せな日々は永遠に続くわけではありません‥。
    クィンターナや夫の回想の間に、老いた現在の自分の状況を織り交ぜて書いたジョーン•ディディオンのこの本は悲しげで、愛する人を亡くした悲しみがひしひしと伝わってくる。

  • 子どもが出来なかっため、産まれたばかりのクィンターナを養女として迎えた著者・ディディオンと夫・ジョン。二人は、クィンターナに養女である事を隠さず育てた。
     親が育てられない赤ん坊が、今病院で産まれたが養子にするか?という電話で、クィンターナと出会い、養子縁組審査のハードルを飛び越え、晴れて親子になれた三人。養女である事は隠しておくべきだというアドバイスもあったが、二人はあえて隠さず接してきた。それゆえ、幼いクィンターナから発せられる「もしその電話(養子に出したい赤ちゃんがいる)がかかってきたときに、ママたちがいなかったら私はどうなったの?」という素朴な不安にも立ち向かう。
     また、作家であるディディオンが自著で養女である事を公表したために、私が産みの親であるという数々の手紙や電話にも対峙する。
     そうした状況や、かわいらしい(表紙は本人の写真)クィンターナを溺愛する二人や、クィンターナの幸せな結婚式がつづられる。
     しかし、結婚式の後、夫のジョンは、夕食後突然倒れ亡くなる。そして、クィンターナも続けて亡くす。幸せな花嫁の両親から、1年あまりのうちに娘を失った未亡人になってしまう。その後の、自分の老いをも冷静に見つめる。

     その強い精神と、鋭い感性に感心してしまう。強い女、という一言が似合うが、決して冷たい感じではなく、抱きしめてもらいたいような暖かさと大きさを感じた。

  • 内容以前に、翻訳がひどすぎ。
    そういえば、前作の「悲しみにある者」も同じ翻訳者だったのに・・・確認せずに購入したことを、後悔しました。

    ★ひとつは原作ではなく翻訳のひどさに対する評価です。

    原作者にも亡きクィンターナにも失礼です。
    日本語になっていません。
    まさか翻訳ソフトにお任せでは?と疑うほど、読みにくくわかりにくい日本語。

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著者プロフィール

【著者】
ジョーン・ディディオン(Joan Didion)
1934年カリフォルニア州サクラメント市生まれ。現在ニューヨーク市在住。1956年UCバークレー校を卒業後、『ヴォーグ』誌の編集に携わる。処女小説 Run, River は1963年に出版された。1964年に2歳年上の作家のジョン・グレゴリー・ダンと結婚。1966年に生後間もないクィンターナ・ローを養女にする。初のノン・フィクション Slouching Towards Bethlehem は1968年に出版された。小説、ニュージャーナリズム、書評、映画脚本、新聞・雑誌への寄稿など、ジャンルを問わず旺盛な執筆活動を半世紀にわたって続けている。2003年には、一族と彼らを育んだカリフォルニアを描く Where I Was From を刊行。同年の12月30日に、娘のクィンターナがICUに入っている状況で、夫ジョンを心臓発作で亡くす。それからの1年と1日を描いた The Year of Magical Thinking を2005年に発売。全米図書賞(ノンフィクション部門)受賞の大ベストセラーとなる。また、2007年のディディオン自身による劇化も大成功を収める。同書は、2011年9月に慶應義塾大学出版会から『悲しみにある者』として出版された。2005年の8月26日には、娘クィンターナが39歳で亡くなる。2011年10月に、娘の死と思い出、自らの老いを綴った Blue Nights (本書『さよなら、私のクィンターナ』の原著)を出版。ベストセラーとなる。

「2012年 『さよなら、私のクィンターナ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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