赤い大公:ハプスブルク家と東欧の20世紀

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制作 : 池田 年穂 
  • 慶應義塾大学出版会 (2014年4月23日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (512ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784766421354

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赤い大公:ハプスブルク家と東欧の20世紀の感想・レビュー・書評

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  • 世界大戦で没落したバイセクシャルのハプスブルク家大公が,ウクライナ人の国を新たに作り王になることを夢見て極右と極左の間で奮闘する。なんて斬新な切り口。かなり面白かった。迫力で言えば『ブラッドランド』のほうが少し上だけど違う魅力がある。この筆者は従来の歴史の盲点をつきながらそれを一般向けに分かりやすく提示するのが本当にうまい。

    (要約)
    ◆神聖ローマ帝国の崩壊,宗教改革,フランス革命とナポレオン戦争の嵐を切り抜けた20世紀初頭のハプスブルク一族は,当時の民族主義の潮流も,帝国の繁栄と調和させられるものと考えていた(p6)。ハプスブルク家は確かに普墺戦争に敗北し,統一イタリアに領土を奪われ,没落の一途をたどっていた。しかしそれでもトリエステなどアドリア海東岸(イタリアにとってはヴェネツィアの影響下にありイタリアの勢力圏と考えられていた地域)の拠点の確保には成功し,皇帝フランツ=ヨーゼフの弟マクシミリアンの下で近代的な海軍を組織して,世界進出をもくろんでいた(そのマクシミリアンがメキシコ遠征の結果処刑されたのも,彼の海洋進出志向が背景にあった,p46)。マクシミリアンの死後,その事業を引き継いだシュテファンはキール軍港の規模を目の当たりにして,英独の海軍に対抗して海洋進出をはかることの虚しさを理解した。彼は高まる民族主義の潮流に目をつけ,独立を望むポーランド人の支配者として君臨することで,ポーランドをハプスブルク家の領邦として組み入れたいと考えるようになった(p60)。シュテファンはアドリア海沿岸からガリツィア(オーストリア領ポーランド)へ移住し,自らの子どもたちにはポーランドの言語や文化を教え込んだ。しかし末子のヴィルヘルムは,父への反発や,姉がポーランド人と結婚したことで自分がポーランドの支配者となることの困難を自覚するようになり,自分のための別の国を探すようになる。その結果,ガリツィアに暮らしていたウクライナ人の文化に魅せられ,ウクライナ=ハプスブルク家の始祖となることを生涯の目標とするようになった(p97)。若いヴィルヘルムは,ウクライナ人が「歴史のない民族」,すなわち自分の国を持ったことのない民族だという事実に特に惹きつけられた。ポーランド人などとは違い,季節にたとえるなら春の民族,風にしなる若木のような民族だと彼は考えるようになった(p106)。ヴィルヘルムはそれまでの貴族とは異なり,当世風のロマンスに感染して下層の階級の男と結婚した姉との対話や,ウィーンの下町の散歩などを通して,社会的な格差に気づくことのできる若者に成長した。彼は修正社会主義者の著作に触れ,帝国でも最も貧しく最も農業色の強いウクライナ人に社会福祉国家を建設したいと思った(p101)。第一次大戦がはじまると,ヴィルヘルムは進んでウクライナ人から成る部隊の司令官に立候補した。貧しい農民出身の兵士たちを丁重に扱ったヴィルヘルムは「赤い大公」などと呼ばれるようになり,ウクライナへの向き合い方は「エスノグラフィー」的関心というより徐々に政治的なものへと転換していった。カトリックであったヴィルヘルムは,それでも宗教より土地の所有を重視するウクライナ人の農民たちからは,どこでも皇族版ロビン=フットのような扱いを受けた。兵士たちは言った,「大公が率先して話しかけてくれたし,政治に関して自分たちと利害を共有しているし,自分たちの国をよく知ってくれているうえ,自分たちの言葉を話してくれる」「あの方は素朴な男です,わしらのようにね!」(p150)。ヴィルヘルムはロマンチックな歴史(コサック伝説の創作),積極的差別是正措置(村役場へのウクライナ人配置),マスコミへのプロパガンダ(民族色の強い新聞の創刊や農村での芝居)などを通して,小農たちに政治的意識を持たせるように働きかけた(p145)。しかし,ヴィルヘルムのこうした政策は,ウクライナを単なる食糧供給地としてしか考えないベルリンの方針とは相容れなかった。また独立ウクライナを将来的な対独・対露の同盟国としたいと考えるウィーンも,ヴィルヘルムの勢力圏を除いて軒並みウクライナで大惨事(食料の強制取り立て,反発する農村との争いと虐殺)を引き起こしてしまっており(p152),西方からの抑圧に反発する農民の中にはボリシェヴィキからパルチザン戦術を学ぶ者も現れ,「赤い大公」ヴィルヘルムの活動は政府当局からいっそうの警戒を持たれるようになった(p155)。第一次世界大戦の敗北によって,ハプスブルク君主国は解体し,一族は離散の憂き目にあった。ウクライナはヴィルヘルム抜きで国家形成に取り組むこととなったが,戦後にどのグループが民族自決の原則に適合するかを判断したのは戦勝国であった。ポーランドの妨害もあって,ウクライナ人はウィーンとベルリンによって人為的につくりだされた民族に過ぎないと判断され,自らの国を持つことができなくなった(p171)。ウクライナ民族主義者に限らず,敗戦国はどこもヴェルサイユ体制に失望したので,1920年代のヨーロッパは歴史修正主義(リヴィジョニズム)の温床と化した(p176)。彼らの希望は左派(社会主義者)による革命がロシアから波及することで右派による革命を実現させることにあった(例:ミュンヘンのカップ一揆やハンガリーのホルティ独裁)。「白色インターナショナル」の構想がうたわれ,ヴィルヘルムも右派による反動革命の実現に望みをかけたが,ポーランド-ソヴィエト戦争の結末はこの希望を打ち砕き,これをもって戦間期体制の一時安定が決まった(p186)。失意のヴィルヘルムはパリなど西欧の都市で過ごし,ネームバリューを活かしてさまざまなビジネスに手を染めていたが,それでもウクライナのことは忘れなかった。実際,戦間期に新たに成立した国家はチェコスロヴァキア以外すべて失敗しており,ウクライナはソヴィエト政権の強制徴収によって極めて悲惨な状態に置かれていたから,ハプスブルク君主国の復興を望む声も当時にはあったのである。ソヴィエト=ウクライナの惨状を耳にしていたヴィルヘルムは,一貫して反ソ反共の立場をとっていた。だから人民戦線が結成され親ソ的なムードが醸成されていた1930年代半ばのパリで,詐欺事件に巻き込まれたヴィルヘルムはパリの大衆紙から猛烈な攻撃を受けることになった(p246)。この一件で決定的に人間不信に陥ったヴィルヘルムは,やがて強大化するナチス=ドイツにウクライナ解放の希望を託すようになり,1939年にはそれまでの信条を捨てて反ユダヤ主義へと走るようになる(p278)。しかしナチスの東方侵攻が始まると,ホロコーストの悲惨さやナチズムがウクライナ解放のためにはならないことを認識しはじめ,(父の教育どおりポーランド人となった)兄のアルブレヒトや義姉のアリスと同様に,反ナチズムの立場をとるようになった。民族自決の時代,ポーランドとウクライナの間で引き裂かれた家族の結びつきは,ナチス=ドイツという共通の敵を見出すことで回復した(もっとも,アルブレヒトとヴィルヘルムの関係は初めから決して険悪ではなかったが)。ヴィルヘルムはウクライナのためには西側諸国に頼るしかないと考え,イギリスのスパイとなって,自らを非常な危険にさらした(p310)。その結果,戦後の四国分割支配下におかれたウィーンで,ソ連の諜報機関によって身柄を拘束され,キエフの強制収容所でその生涯を閉じた。

    ◆その他面白いと思った小ネタもたくさん。「マリ=アントワネットと外交革命」「ギリシアと異なりセルビア民族主義がハプスブルク君主国にとって有害とされた理由」「詐欺事件でヴィルヘルムを陥れた恋人ポートレットが犯行に及んだ理由」「オーストリアが文化大国となっている理由」

  • ハプスブルク家の話なんぞほとんど知らなかったのに加え、ヨーロッパ近代史にかなり興味を持った。
    一族の栄華が終わりかける貧乏くじ感満載の時代を自分で切り開いていくカラフルな人生は難しかったけど凄く読み応えがありました。

  • 1918年の第1次大戦終了後、ウクライナ国王の最有力候補だった男。ハブスブルク一族のポーランド分家の3男、ウィルヘルム(ウクライナ名でヴァシル)という人。父シュテファン、兄アルブレヒトはポーランド人の道を選び、訣別した彼はウクライナ国籍を獲得。ウクライナ人将校として、人望があったという。その頃のウクライナは東西2つの人民共和国。最終的にスターリンの支配下に全土が入り、統一できたとは皮肉なこと。2つの大戦と民族主義、民主主義、共産化の波を次々にかぶったウクライナ。そしてポーランド、オーストリアの20世紀の歴史も詳述、目が開かれる思い。ウクライナ民族が東西の狭間にあった歴史は意外と知られていない。最近までスラブ系でロシアと双子のように受け止めていたが、ドイツ・オーストリアとは距離的にも精神的にも近い!1991年のウクライナ独立は感動的な出来事だったのだ!ウィルヘルムの数奇な人生、兄アルブレヒト夫妻やその子供たち、最後の皇帝カールと皇后ツィタ、長男オットーなど、ハブスブルク家の激動の時代は60年ほど前まであったことも新鮮だった。

  • 偉い方には、偉い方なりの懊悩がある訳ですね、、、

    慶應義塾大学出版会のPR
    http://www.keio-up.co.jp/np/isbn/9784766421354/

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赤い大公:ハプスブルク家と東欧の20世紀の作品紹介

ハプスブルク、再興の夢
ヒトラーとスターリンのはざまを生きたヴィルへルム・フォン・ハプスブルクの数奇な運命と、
20世紀ヨーロッパ史の深暗部を鮮やかに描ききる不世出の歴史家、ティモシー・スナイダーの傑作。

華麗と虚飾に満ちた19世紀末――。ハプスブルク家の末裔としてこの世に生を享けたヴィルヘルム・フォン・ハプスブルクは、第一次世界大戦期にハプスブルク帝国陸軍将校を務め、君主国の版図のなかで、ウクライナ・ハプスブルクの創設を夢見た。策略が失敗に終わり、パリに遁走した1920年代には、高貴な生まれの鼻つまみ皇族としての淫蕩な日々を過ごし、30年代にはヒトラーに傾倒して、ファシストになったかと思えば、一転して、ナチス・ドイツとソ連に対してスパイ活動を働き、戦後、キエフの牢獄で悲惨な死を遂げた。
ヒトラーとスターリンのはざまで、ウクライナ王になることを夢見、ハプスブルク帝国の再興を夢見た、「赤い大公」ヴィルヘルム・フォン・ハプスブルクの政治的な夢と挫折とが綯い交ぜになった53年の生涯を通して、19世紀末から20世紀にかけての東欧、広くはロシアからイベリア半島やバルカン半島にまで至るヨーロッパ全体の歴史の深暗部を鮮やかに描ききる、不世出の歴史家、ティモシー・スナイダーの傑作。

赤い大公:ハプスブルク家と東欧の20世紀はこんな本です

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