- Amazon.co.jp ・本 (304ページ)
- / ISBN・EAN: 9784766421408
作品紹介・あらすじ
いまや誰もが「ディズニーランド」の住人である
「それなりに愉しく幸福な絶望」の日常に絡めとられた私たちに、
いかなる「生」が可能なのか?
才気溢れる筆致で描く、希望のメディア論
夢と魔法の王国、ディズニーランド――。
いまや巨大複合商業施設にかぎらず、イメージと消費とが深く絡みあうポストモダンな情報消費社会には、日常のあらゆる営みに、ディズニーランド的な非日常性が演出され、浸透し、繁茂している。
ディズニーランドのアトラクションがもたらすものは利便でもなければ、生産でもなく、「愉しさ」である。アトラクションへの搭乗は、遊戯機械というテクノロジーに触れ、同期し、協調的に運動をしながら、特定の目的へ向かうことなく戯れ、そのプロセス自体において「愉しさ」が立ちあらわれるような経験である。このような運動を、本書では〈テクノロジーの遊戯〉とよぶ。
多様な欲望を無際限に喚起し、解放感や高揚感をもたらす一方で、「ここではないどこか」や「ありえたかもしれない別の様態」といった外部を想像する力を奪ってゆくテクノロジーが、社会の隅々にまで浸潤するいま、わたしたちには、いかなる生の形式が可能なのか。
才気溢れる筆致で描く、希望のメディア論。
感想・レビュー・書評
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哲学書って難解な言い回しをしなければいけない決まりでもあるのだろうか。キャッチーなタイトルで、内容も身近なことを言っている気がするのに、表現が自己陶酔的に難解なせいで頭に入ってこない。読者の知的水準が低いと切り捨ててしまえばそれまでだが、それこそ(少なくとも一般向け書籍においては)哲学会の文化的鎧を脱ぎ捨てて、unlearnしないと希望は語れないのでは。
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貸し出し状況等、詳細情報の確認は下記URLへ
http://libsrv02.iamas.ac.jp/jhkweb_JPN/service/open_search_ex.asp?ISBN=9784766421408 -
比較的キャッチーなタイトルの本書だが、ディズニーをネタにしつつ、「ディズニーランド化した社会=外部を持たない自己充足的な世界」とおき、テクノロジーに浸りきった今日の日常、において、希望という外部を指し示すことのできる条件とは何か、をベンヤミンやヴィドゲンシュタインに主に依拠しつつ探っていく。
結論としてはテクノロジーに同期する、テクノロジーと遊戯する、そこに契機がある、とする。テクノロジーに深く浸ることで、元々の目的・意味を棚上げされ、みずからの身にまとった文化的な諸々を脱ぎ捨てられ、忘れ去る契機の気配がある。それは「学び捨てる」という概念につながる。規定されたわたし、なるものを学び捨て、わたしを還元し、わたし自身の現状の根っこをまで開いてみせる。
ぼんやりわかる、でもまだ実感にならない。また読もう。