- Amazon.co.jp ・本 (238ページ)
- / ISBN・EAN: 9784768476826
感想・レビュー・書評
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集団に帰属することから来る思考停止と一意的な自主規制、そして定型化と堕落、、、こういう問題はマスメディアのみならず、医療の世界でも普遍的に見られる問題である。もちろん、日本固有の問題でもない。この思考停止、自主規制、定型化、堕落に頑なにノーをいい続ける森達也のオウム真理教取材記パート2.思考停止がどのように起きるのかを理解するケーススタディーとしても興味深い。現場でも応用可能。
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オウムの実態を内部から撮ったドキュメンタリー映画「A」の続編「A2」。
その撮影日誌。
今度は地元住民との関りです。
そこには、報道されなかった真実がありました。
映画も観なきゃ。 -
三部構成
第一章は森さんが書いていたのでAに続いて楽しく読めた
第二章は映画を文章化したもので退屈で読み進めるのがしんどかった
第三章は安岡さんが書く森さんの印象について
オウムに関する話は第一章 -
前作に続いて読了。
魔女狩りを彷彿とさせる。
正義を前提にしている行動こそが一番悪質だといつも思う。
それは誰にとっての正義だろう。本当に正義だろうか。思考停止している人には届かない。
シナリオ採録が読み辛いというか、雰囲気が掴みにくい。
作品に対する森氏の方針故とは思うが…(本として読ませるための)ト書きはもっとあってもいのではないかと。。
前作は「オウム」についてが内容の中心だったが、本作は「A2という作品」についてが内容の中心になっている。その点で前作よりも私の興味としては満足度が低い。 -
警察は、私たちの生活を守ってくれるから好き。右翼は、街宣車がうるさいから迷惑。町内会の役員さんは話が長そうでちょっと苦手。オウムの信者は何考えてるかわかんないから不気味。
…こんな風に単純に言い切れるわけないよね。 -
図書館で借りてきた本。
オウム真理教を内部から映したドキュメンタリー「A」の続編である「A2」の話。前半が映画に使われなかった部分を森氏が語り、中盤に映画「A2」の再録シナリオ、そして後半は「A」「A2」と森氏と共にカメラを回し、編集に関わった安岡氏の映画作りについて。
「A」も「A2」も実は映像は見ていない(今、図書館の予約待ちなので近い将来見る予定だが)。しかもこれだけ本を読みながら、実は森氏のテレビの作品ももちろん見たことがない。
安岡氏によると、森氏は文章は論理的だが、映像は直感的なんだそうだ。見たことがないので想像が付かないし、再録シナリオだけでは、当たり前のことだが全然判断ができない。しかし、この本に再録シナリオを載せた意味って一体何なんだろうか?と思う。だいたいあんなので分かるわけないじゃないか。この本は「A2」公開前(映画祭は除く)に書かれた本であり、もしかしたら「A2」の観客動員を促進するために出された本なのかなとあとがきを読んで思ったのだが。しかし、実際は「A」以上の反響を得られなかったようだ、というのはその後の森氏の本を読んで知っている。なぜなんだろう。この本を新刊で手に入れた人は観に行かなかったのか?それともこの本自体もあまり売れなかったのだろうか、、?
森氏の書く文章というのは、面白い。一つのものを取りつつ、常にその対象との関係を考え、そして自分自身に問いかけ煩悶する。
そして自分は決して「社会派」ではない、と言う。ただの「職業表現行為従事者」だと言う。決して森氏が自分のことを「ジャーナリスト」と名乗らないのは、おそらく「ジャーナリスト」という言葉を持つ権威性が嫌いなのではないか、と勝手に思ったりしている。そういう意味で森氏は自分の行なっていることを非常に過小評価している。いや、過小評価というとおそらく語弊があるだろう。そこには何か、、「戒め」のようなものをわたしは感じる。
それに加え「カメラを回す」という暴力性も森氏は忘れない。その中で冷酷な問いを対象者に投げかけて今までの人間関係をすべて壊す、ような「業」があると森氏は言う。
「ドキュメンタリーは嘘をつく」でも同じようなことをもちろん書いていたが、実はそこでそのことについてのみ語るより、映画を撮りながら、時折自分の「ポリシー」について語った方が魅力的だと思った。
そして本では「長い旅を終えてきて出した結論」がもちろんある。それはこの前に書いた「職業欄はエスパー」もそうだったし、「死刑」でもそうだった。
だが、そこには「著者の意見の押しつけ」が感じられない。「僕はこれこれこういう体験をしてきたんだけど、これを読んであなたはどう思いますか?」という森氏からの問いかけをわたしは感じる、だから、わたしは森氏というフィルターを通してしかそのことについては分からないのだが、わたしはわたしで結論を出す。それはなぜか森氏の結論とは違うことの方が多い。そういう点で、森氏の書く本、というのはとても不思議だとわたしは思う。
って、全然この本の内容の感想ではなかったけれど(苦笑)
最後に心に残ったこと。
途中、右翼団体がオウムの信者と話し合う場面があるのだが、その右翼団体は(森氏が書いた)「週刊金曜日」や「週刊朝日」で「信者と住民がわかり合えている」という記事を読んで「自分たちも何も知らない。だから一度話そう」と思ったという。その話し合いは実現するのだが、そこで右翼とオウム信者が実は同じようなマスコミの被害に遭っている、「俺たちもさ、マスコミに散々な目に遭ってきたから分かるけど」という言葉が、なんというか、、彼ら(右翼)がオウム信者と話して「オウムの人も笑ったりちゃんと話せる人なんですね」と感想を語ったのと同じようにわたしも「右翼の人もちゃんと話が分かる人がいるんだなあ」と思った。それとともに「右翼で『週刊金曜日』とか『週刊朝日』なんてものを読むんだなあ」って(笑)わたしも物事に対する想像力がないことを改めて気が付かされたエピソードでもあった。 -
オウムを特別な存在、として排除するだけでは第二、第三のオウムを生んでしまうのだろう
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★「A」より、薄い★Aとは違い、こちらは映像を先に見た。改めて思うのは森達也は文章がうまい。ただ、映像と同様、Aよりも響かなかった。荒木氏を中心に据えた第一作より、「オウムと社会のすれ違い」という幅広な視点を軸にしたため事象が並列されて力点が分散したように思える。
興味深かったのは製作者の安岡卓治の森評で、フィルムの作法を知らないからビデオカメラの単独撮影という手法しか取れなかった、カメラの扱いがずさん、と指摘する。いわばプロとしての基本がなっていないことが、傑作を生んだのかもしれない。