園芸家の一年

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制作 : Karel Capek  飯島 周 
  • 恒文社 (2008年9月発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (229ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784770411310

園芸家の一年の感想・レビュー・書評

  • チェコの国民的作家カレル・チャペックは大の園芸マニアで、
    その「作業の悦び」を
    激しく降り注ぐ豪雨のごとく語り尽くした
    (いや、チャペック本人からしたら、
    まだまだ語り尽くし足りないのかもしれないが。)
    「僕と大切な庭の住人達」的エッセイ。

    チャペックの園芸に対する有り余る情熱と植物達への愛情は、
    最早「趣味はガーデニング」では済まされないレベルである事が
    本作に登場する、多くの「細か過ぎる」植物名や
    土作りの知識からも伺える。

    しかし、園芸に関心のない人間からしたら、
    この作品は全く面白くないかといえばそうではないし、
    自分の趣味の自慢話を一方的にしていて嫌味な印象を
    受けるかといえば答えは「ノー」だ。

    奥深きガーデニングの世界に熱く没頭する彼だが、
    そこは超一流の文筆家。
    己の趣味を文章にするにも、自分の熱情を
    直接ぶつけていくのではなく、それをひとひねりして、
    同好の士でないものも決して置き去りにしていかないのだ。

    自分を初めとするアマチュア園芸達に対する皮肉ちょっぴり、
    そして読者へのサービス精神ゆえのユーモアたっぷりの、
    絶妙な味付けの文章で、多くの人々の心に
    「元気の肥やしを与えてくれる」、
    「笑いの花を咲かせてくれる」作品なのである。

  • 買ったから再読(貧乏性w)
    6月はじめくらいからちまちま味わって
    1ヶ月で読み終わり。

    何回読んでも楽しい。
    ユーモアと含蓄との配合具合がすばらしい。
    「エデンの園の土(笑)」のよう。

    この本を読むと未来が楽しみになる。
    80年前に書かれたとは思えないなあ。
    (10.06.23)

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    e-honで発注して購入
    (10,04.27)

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    図書館。

    こちらはこちらで楽しかった。
    欲しい。

    「準備」の章はこちらのほうがわかりやすい。
    「わたしたちに未来が見えないのは、未来がわたしたちの中にあるからだ」という訳がいい。
    (09.07.10)

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    「園芸」に分類されてて、何か違うと思った。
    憶えるくらい読んだ小松太郎訳のと読みくらべ。
    (09.06.29)

  • 大好きなチャペックの園芸に対する愛情があふれるエッセイ。ずっと前に、たしか中央公論から出ていたのを読んだと思う。
    イラストも訳も読みやすくなっていて、また感激。

  • p.27 園芸家の一月
    そこで待つことだ、待つこと! 天にまします主よ、この一月という月は、なんと、長いことか! せめて、二月になってくれれば……。
    「二月になれば、庭で何か仕事ができるだろうな?」
    「うん、たしかに。三月になってからでも、かまわないさ」
    そしてその間に、予期もせず、なんの世話もしなかったのに、クロッカスとスノードロップが、忽然と庭に出現する。

    p.43 園芸家のわざ
    園芸家という人種が、天地創造の最初から自然淘汰によって生まれてきたとしたら、明らかにある種の無脊椎動物に進化したことだろうに。いったい、なんのために、園芸家は背中を持っているのか? 時どき曲げた腰をまっすぐにのばし、「背中が痛い!」とぼやく、ただそれだけのためのように思われる。
    足はというと、ありとあらゆる曲げ方をしている。しゃがんだり、ひざまずいたり、なんとか両足を体の下に押し込み、ついには首にくっつけたりする。
    指は土に穴をあけるのによい小さな棒であり、手のひらは土のかたまりを砕いたり、黒土を取り分けるのに都合がよく、一方、頭はパイプをぶらさげるのに役に立つ。
    ただ、背骨だけは頑固な代物のままで、園芸家が適当に曲げようとしても無駄である。庭にいるミミズにも、背骨はない。素人園芸家は、ふつう、尻の上で終わっている。足と手は横に広げられており、頭は、草を食んでいる牝馬のように、両ひざのあいだのどこかにある。
    園芸家は、「たとえ一インチでもいいから身長を高く」したいというようなことは望まない。それどころか、自分の体を半分に折り曲げ、しゃがみ込み、あらゆる可能な方法で背をちぢめようとする。ごらんになるように、身長一メートルを越える園芸家は、めったにいない。
    ……死んだあと生まれ変わったら、素人園芸家は、花の香に酔い痴れるチョウにはならず、ミミズになって、暗く、窒素を含んで香り高い大地の歓喜のすべてを味わうのだ。

    p.105 園芸家の六月
    なにか御利益があるのなら、園芸家は、毎日ひざまずいて、こんなふうにお祈りすることだろう。
    「神様、毎日およそ午前零時から午前三時まで、雨をお降らしください、でももちろん、ゆっくりとあたたかく、地面によく滲み込むことができますように。しかし同時に、ムシトリナデシコや、アリッサムや、ロック・ローズやラヴェンダー、そのほか、全知全能のあなたが、好乾性の植物としてご存知のものには、雨が降りかかりませんように——お望みでしたら、それらの名を一枚の紙に書いて、差しあげます。そして、太陽が一日じゅう照っていますように、ただし、あらゆる場所に、ではありません(たとえは、スパイレアや、リンドウや、ギボウシ、それに、シャクナゲには日が当たりませんように)。そして、あまり強く日が当たりすぎませんように。たっぷり露がおりますように、風は少なく、ミミズは十分に、アブラムシとナメクジは一匹もいませんように、ウドンコ病はご無用に、そして週に一度、うすめた下肥と鳩の糞をお与えくださいますように、アーメン」

    p.153 土
    人間は実際に、何を踏んでいるかを気にしていない。まるで狂ったように右往左往して、せいぜい、この頭上の美しい雲とか、あちらの背後にある美しい地平線や美しい青い山が、どんな様子なのか、眺める程度だ。自分の足の下を見て、これは美しい土だ、と言ってほめるようなことはしない。
    手のひらほどの大きさでも、庭を持つべきだ。何を踏んでいるか認識するように、少なくとも、花壇を一つ持てるといいのだが。そうすれば、きみ、どんな雲も、きみの両足の下にある土ほど多種多様ではなく、美しくも恐ろしくもないことがわかるだろう。
    酸性、粘性、ローム性、冷性、礫性、および劣性の、各種の土を見分けるようになるだろう。ジンジャーブレッドのように空気の通りがよく、パンのようにあたたかく軽く上等な土の区別ができ、その土のことを、女性や雲について言うように、美しいと言うだろう。
    ふかふかしたやわらかい土に、ステッキが膝の長さのあたりまでずぶりとはいりそうなときや、土塊を握りしめてその空気を含んだなまあたたかさを味わおうとするときには、不思議な肉感的喜びを感じるだろう。

  • 咲いた花とか美しく仕上げた庭をめでる事より、土を耕し、植物を世話するその過程を愛おしむ。他の人には「本末転倒、理解できんわ」と言われる部分をこだわりぬいて楽しむ。それはどのヲタクも同じなんだという事だろうが…園芸ヲタクおそるべし(笑

    庭造り、土いじりの趣味はないので、サーッと読み流したが、園芸系の人にはムッサオモロいのだろうなぁということは分かった。

    チャペックと言えば、ロボットという単語の語源となる小説を書いたとかいう知識しかなかったのだけど、優れた小説家であり、ナチスと共産主義者に目を付けられた反逆の人であり、園芸ヲタクだったんだなぁ。

    小説は読んだことないが、エッセイのオモロさからすると、小説も結構オモロそう。とりあえず機会があれば他のエッセイも読んでみようかと思う。

  • 園芸家の一年を一ヶ月ごとに解説、花が咲く時期だけじゃない、土いじり、カタログあさり、球根購入→土足りない→鉢足りない→球根足りないエンドレス、旅行にも行けない、花を眺める暇がない…ボタニカル・ライフに影響を与えた作品。

  • 園芸をしていたらもっと面白いんだろうと思う。深い人に思えるので,他のも読んでみようかと思う。

  • まだ粘土をなんとかしようとしている段階。
    花が咲くようになったらまた読もうと思う。
    「土」の章が面白かった。

  • 「ロボット」の語を発明したとされる小説家の本。小説は大いに「ナンセンス」も導入していて新しさも感じることの多い人。

    本書については多少なりともまじめな園芸本かと思ったんだけれどもさにあらず。熱中する自分を面白おかしく客観化し、でも同時にそういう自分を誇らしく思うという内容。

    何かに熱中したことのある人なら、本書の影響を受けて「何か書きたい」なんて思ってしまうんじゃないかな。とくに前半部分は珠玉の名言だらけ。

  • いわゆる「オタク」が、自分の趣味嗜好への傾倒を正当化するために書いた文章を読むのは、正直かなり面倒くさいものです。
    興味がない眼から見ると、その趣味のすごいところを畳みかけてくるハイテンションについていけません。

    カレル・チャペックは、深い洞察をユーモアに溢れる文体で表現した小説家。
    チェコ国民に敬愛され、その作品は世界中で読まれています。
    また、新聞記者として、政治批判したことから、ドイツのナチス政権からさまざまな迫害を受けました。

    そんな国民的大作家が、庭作りオタクだったのですね。
    この本は、1月から12月まで、庭をどんなふうに季節が訪い、それに合わせて、園芸家がどんなふうに右往左往するかを、ユーモアたっぷりに描いています。

    「園芸家の二月」
    素人園芸家は、ふつう尻の上で終わっている。足と手は横に広げられており、頭は草を食んでいる牝馬のように、両ひざのあいだのどこかにある。

    身長1メートルを越える園芸家はめったにいない。



    「園芸家の四月」
    四月は芽ぶきだけではなく、植付けの月でもある。熱心に、そう、猛烈な熱心さと待ち遠しさをかかえて、あちこちのプロの園芸家にすでに苗を注文していた。
    そうした苗がなければ、もうそれ以上生きていられないほどの気持ちだ。

    やがてある日のこと、(注文していた)百七十本もの苗や苗木が、わが家に集合し、土の中に植え込んでくれと望む。その瞬間になって、園芸家は、自分の庭をしげしげと見わたし、植える場所がどこにもないことを知り、たちまち心を沈ませる。
    つまり、四月の園芸家とは、干からびかけた小さな苗を手にして、自分の庭を二十回も歩きまわり、まだ何も生えていない土が、1インチでもないかと探しまわる人間なのである。

    あまりにもすることが多い園芸家の生活。
    第三者的に考えると、その苦労は美しい花が咲くことで報われるはずなのですが、丹精した花の話はほとんど出てきません。
    花を愛でることより、庭を作ることが大切なんですね。
    ちょっとわかったような気がしました。

  • 作家で在りながら無類の園芸マニアの
    300種以上の植物名と
    ユーモア溢れる軽妙な文章は
    心地好く 癖になる 大変面白い

  • カレルチャペックといえば、”ロボット”や”ダーシェンカ”、あるいはクッキーや紅茶缶で有名ですが、本人は園芸狂というくらい専門家もびっくりな”庭いじりの天才”だったようです。この本には、草花への愛情があふれており、少しでも庭いじり(ベランダ園芸など)に手を出したことがある人間なら、「身」につまされ、「クスリ」と笑ってしまうと思います。十一月の稿が特に大好きです。読み返すたび、勇気づけられます。

  • 基本、花は学名。

  • 絶版かと思っていたら新装なって再登場。すごくうれしい。
    タイトルどおり園芸家の一年を描いた本。ちょっと読むと園芸家のカリカチュアのようだが、実はそうではなくって、園芸家の本質的かつ普遍的な姿を描いたものである。そう、園芸家の喜怒哀楽のすべてがここにある。この本がそれほどおもしろくない、と思われた方には、ぜひ手近の園芸店まで走っていって、何でもいいから苗、それにシャベルを購入することをおすすめしたい。一年間土と向き合ったのち再び本書を手に取れば、一ページごとに共感し、また抱腹絶倒するに違いない。そして読み終えたときには、限りない未来への、楽観的でエネルギーにあふれた信頼感を得ていることだろう。

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