子どもが孤独(ひとり)でいる時間(とき)

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制作 : 松岡 享子 
  • こぐま社 (1988年12月1日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (99ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784772190053

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子どもが孤独(ひとり)でいる時間(とき)の感想・レビュー・書評

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  • 「こどもが孤独でいるとき」エリーズ・ボールディング著、松岡享子訳(こぐま社)

    原著の出版は、1962年。日本では1988年。既に絶版。

    それほど、分量は多くないけれど、少し難解。抽象的・哲学的概念や言葉が出てくるというのと、著者自身がクェーカー教徒であるためか、宗教的なこともかかれているため。

    ちなみに、クエーカー教徒とは、キリスト教の一宗派で、教会・儀式・神学・信条など一切の形式を求めず、自らの内に働きかける神を体験することに信仰の中心をおく。

    題名から、どんなことを想像するかと言えば、「孤独」という言葉から、家族から見放され、疎外され、ひとりでいる哀れな子どもの姿が思い浮かんだのだが、ここでいう「孤独」は、肯定的な使われ方をしている。大まかに言って、

    「孤独」=内省的な時間

    というような意味らしい。その点を配慮したのか、題名には「孤独」に「ひとり」というふり仮名をふっている。

    筆者は、個人的体験と宗教的確信から、「こどもは大人と同様に孤独でいる時間を必要とし、またそれを大事にしなければならない」と主張する。
    更に、内面に注意を払わなければ、精神的に行き詰まり、想像力及び創造力の成長ほ阻止・委縮させるであろうとも。そして、そのことを歴代の聖者たち、神を愛する者たち、創造的な精神の持ち主の姿を通して、「この世には、ひとりでいるときのみに見出し得る何かがある」ということを立証しようとする。

    ということで、のっけから少し身構えてしまうような出だしではあるが、その内容は、宗教的でない人間にも十分頷けるものになっている。そしてそもそもキリスト教圏の国の翻訳ものは、大体その根底に信仰の問題が隠れていたりするので、それほど気にはならない。

    例えば、「エンデュアランス号大漂流」エリザベス・コーディー・キメル(あすなろ書房)は、シャクルトンが南極探検を失敗して遭難しながらも、部下を一人も失わずに生還させたという奇跡のような感動的な話だけれども、エピローグの挿話の神秘的な宗教的体験談がとても興味深い。
    シャクルトンが数名の部下とともに、助けを求めて絶望的ともいえる状況にいたとき、彼らは、いつも自分たち以外の存在をずっと感じ続けていたという。
    神の存在を感じるというのは、日本人である自分にはなかなかできないことだ。

    ・・・横道にそれたが、興味深いのは、想像力の重要性、創造力に関する研究から、「創造力の本質は、既に知られている物事と以前に行われていたのとは少し違うやり方で結びつけること。つまり要素の再結合である」ということと、創造力を発揮するには、時間が必要であるということ。

    要するに、落ち着いて考える時間が必要だということなのか。

    次では、「孤独(ひとり)」でいる時間に行われることとして、アイデンティティの認識と精神的・霊的存在に対する認識が挙げられているが、いささか難しい。実際著者も文中でこのことについて推論として書いていたりする。

    けれど、クエーカー教徒の実際例をひいての子どもの宗教教育の項目に関しては、一般の学校教育に通じるものがあり、腑に落ちるものがある。

    親や教師の役割や、与える本の重要性、そして、ひとりでじぶんを見つめるための時間を与えることの必要性など。
    また、一人でいる時間が創造力を生みだすといっても、みなが芸術家や発明家になるというわけではなく、生活を充実させることに繋がるというところにも一般性が感じられた。

    出版されてからおよそ世紀が過ぎたといえど、現代でも多くの示唆を含む本書であるが、この孤独=内省的であれというのは、今でも一般社会からすると異端、相容れないものなのかもしれない。

    偶然書評で似たような内容の本が最近出版されたことを知り、興味を持った。

    http://globe.asahi.com/bestseller/2012032900013.html
                 (朝日新聞「GLOBE」2012.4 第79回書評)

    それが、

    スーザン・ケイン「Quiet(静寂)」

    だ。内向的な人間に焦点をあて、米国では一般に評価されない彼らの長所について様々な観点から検証し、論じている。その内容については、6月4日放映のNHKの「スーパープレゼンテーション」の講演の日本語訳から窺うことができる。

    http://www.aoky.net/articles/susan_cain/the_power_of_introverts.htm

    孤独が創造性に繋がるという同じことが述べられている。

    これはどんなことを意味するのかといえば、世の中の状況が結局は、「こどもが孤独でいるとき」が出版された時とあまり変わっていないということを意味するんじゃないだろうか。

    最後に、松岡享子さんが訳された絵本の紹介を。

    「まんげつのよるまでまちなさい」
             マーガレット・ワイズ・ブラウン(ペンギン社)

    あらいぐまのぼうやが母親に「夜が見たい」というけれど、母親は「満月になるまで待ちなさい」と答える。そして、ぼうやは待って待って待って・・・どうにも待ちきれなくなったと宣言した時、母親はその時が満ちたことを告げる。

    訳者後書きが、「こどもが孤独でいるとき」を訳した人らしい言葉だなぁと思えた。

    母親が定めたときと自然の条件が整ったときとぴったり一致したその幸せ・・・言い換えれば「内なるとき」と「外のとき」・・・訳すため、くりかえしくりかえしそのようなところへ、思いがさそわれていきました。


    という訳者の言葉を読むと、本書の最後の章の「内側の予定作成者」と「外側の予定作成者」という言葉を連想する。もしかしたら、本書は絵本に関係する者、子育てをする者にとっての聖書のようなものになるのかもしれない。

  • 子どもが一人でいることはかわいそうなことなのか、淋しいことなのか。自分の経験を思い出してみても、一人でいることイコールかわいそうではないのだ。
    一人でいるときに得られるものの大切さをとく。

    ずいぶん前に読んで、いたく納得した本だったのだが必要があって再読。やっぱり説得力ある本で、大切にしていきたい。

  • 大人にとってだけでなく、子どもにも孤独な時間が必要という話。

  • Chirdren and Solitude
    Quaker教徒による子供と孤独に関する小冊子。
    松岡先生の絵本図書館にいったのを契機に読んでみた。
    がこれは子供をもたない大人が読んでも重要な示唆のある本。
    一般的に、孤独はよくないこと、とくに子供が孤独にいるのはかわいそうといわれている。
    がこの著者は孤独は子供にとってとても大事な時間であり、一人でいる時間をもつことが重要だと説く。
    なぜなら意識が内へ向かい自分を発見できる可能性があるから。
    1962年にかかれた本ではあるがSNSやスマホの時代にこそ一人いることがきわめて難しいがゆえに、これを実行した人はものすごく希少性をもつとおもう。
    通常、一人でいること、孤独は病理的ととらえられる。孤独は価値をおかれてない。なぜか?
    集団でいること、みんなと一緒にいることへの強迫観念が世の中を支配してるから。
    孤独な時間があってはじめて、自分の外にある時間と自分の心のうちにある世界を統合することができる。孤独な時間とはその大切な時間だ。そしてそれは教会のような場所よりも、野原のような大自然の中に一人でいる際にあることが多いらしい。
    世の中はどんどん忙しくなる。
    時間こそ最大のリソース(資源)でありこれを無駄にしてはいけないといわれている。
    むしろ、何もすることのない時間、孤独な時間こそ人を創造的活動に向かわせるたったひとつのこと。だから良質な孤独な時間を大切にすべきだ。
    昨今の瞑想やマインドフルネスのブームに通じるものがある50年前の本。
    この喧騒にあふれた世の中から立ち止まり、静かに想いを巡らせる、ことが求められている。

    著者のボールディング夫人は宇宙船地球号を提唱した経済学者のボールディングの夫人。

  • 童話館のぶつくくらふ通信で紹介

  • 「子どもたちには、ひとりでいる時間が必要です。わたしたちは、心の奥で、そのことをよく承知しています。子どもたちは、その間に、わたしたちが前もってレールを敷いておいてやることのできないたぐいの内的成長をとげるのです。だとすれば、わたしたちは、ここで、わたしたち自身の生活、そして子どもたちの生活に、今何が起こりつつあるかをよく考えてみる必要があるのではないでしょうか。一年一年と年を追うごとに、何かがわたしたちの生活に深く喰い込んできて、私たちの魂が必要としている貴重な沈黙の時間をけずりとっていきます。その結果、子どもたちに何が起こっているかといえば、かれらがいつもびっしりつまったスケジュールに追われている、ということです。」

  • ずっと前に一度読んだものを再読。
    当時は、息子が一人で遊ぶ子どもだたので、この本を読んで「大丈夫」って思いたかったのだ。

    が、おっと、ご用心!わたしたちは、子どもが片隅にひっこんで、ひとりで何かしはじめるとすぐに心配します。幼児の生活は、有意義な活動と、想像的な交流の機会で満たされねばならぬ。将来かれらがおとなとして、集団の中で生きられるよう、その準備をしてやらねば、というわけです。P22

    たぶん当時はクェーカーという言葉はスルーしていて、なにしろ私が知っていたのはアーミッシュくらいだったから~その背景なるものまで、想像が及ばなかったが、今回は梨木香歩さんを読んだ後なので、クェーカーを信じる人たちの感じがつかめてよかった。
    それにしても素人なのだけれど。

    原題 Chirdren and Solitude

    自分が自分であることに気付いた特別は瞬間を思い出す~それは瞬時のことであるにもかかわらず、長く記憶に留まります。

    人は、このとき、初めて、自分の外にある世界と自分の心の内にある世界とを、意識的に一つに統合するのではないだろうか、と。この意識的統合は、ただ目に映るもの、耳に入るものをそのまま受け入れるのとは、まったく別の行為です。そして、人は、この意識的統合行為のさなかに、突然、自分の心の内部機構を操作するすべを習得するのです。この内部機構は、外から入ってきたものをふるいにかけ、えりわけ、それらをすでに心の内にあるものと結びつける働きをします。このことは、人の霊的成長の上での、最初の大きな一歩です。んばぜなら、これには、創り主と創られたものの関係を認識することが含まれているからです。
    意志を抑制すること、心を正しく律すること、そして、この大宇宙における事故の真にあるべき場所を霊的に理解することなどは、もっとずっとあとに起こります。しかし、いずれの場合にも、ひとりでいることは、必要不可欠です。なぜなら、それは、自分を世界と統合するために、いったん治bンを世界から切り離す営みだからです。社会からの刺激によって、絶え間なく気を散られていては、このような経験はもち得べくもありません。

    もちろん「自分が自分である」という、このアイデンティティの意識は、からなずしも今述べたように突然飛躍的に拡大されるとは限りません。絶えず、持続的に育っていくものでしょう。そして、一方、この意識の成長に伴って、徐々に育っていくものに、性心的、あるいは霊的世界の存在に対する認識があります。私は、この意識は、どの子どもにも、ごく幼いうちからある、と信じます。ただ、その現れ方には、その子の育つ環境や、受ける教育によってさまざまの違いがあります。明らかに、ある子どもは、それをはっきりつかんで、言葉にしますし、別の子はそうはしません。しかし、精神世界の存在に気がつくか否かは、目に見えないものを実際にそこにあると感じるか否かにかかっているわけですから、それがひとりでいる機会を持つこどもたしの心の中で、最も豊かに花開くのは当然のことではないでしょうか。P40


    自分が誰なのか、何なのか、どこから来たのか、この世界のどこに自分の場所があるのか、を感じること。そして、大宇宙とこのように積極的で安定した関係を結ぶことから、言葉の最も良い意味で、万物と“遊ぶ”自由が生まれます。子どもたちが見たり聞いたりすることは、見事に調律された心の琴線の上をあちこちらと走り、内に蓄えられていた知識と織り合わせって新たな創造を生み出します。こうして生み出されるものは、数の公式や、むずかしいsh会洞察や、交響楽や、絵画や、詩である必要はありません。美しく秩序ある生活、それを細やかな心をもって生きること、日常の仕事を噛みの会いのために行うこと。これらは、どんな人間でも成し遂げることのできる、最も気高い統合の形です。

    さて、それでは、わたしたちおとなは、子どもたちが、創造につながる孤独の時間をもつことができるように、どんな手助けをしてやれるでしょう?

    まず第一に、わたしたち自身が孤独の意味をしることです。
    反省、創造、祈り、瞑想、全にしていちなる存在との神秘的合一など。
    内なる我が家に帰る喜び=生命のパン

    沈黙が守られている家庭
    孤独は分かち合うことができます。

    Quaker
    ウィリアム・ペンWilliam Penn
     『孤独の果実』Some Fruits of Solitude 『世界人生論全集』5筑摩

    アレクサンダー・ポープAlexander Pope

    Solitude
    Happy the man, whose wish and care
    A few paternal acres bound,
    Content to breathe his native air
    In his own graound.ade,

    Whose herds with milk,whose fields with fread,
    Whose flocks supply him with attire;
    Whose trees in summer yield him shade,
    In winter, fire.

    Blest, who can uncouncern'dly find
    Hours, days, and years, slide soft away
    In health of body, peace of mind,
    Quiet by day,

    Sound sleep by right; study and ease
    Together mixt, seeet recreation,
    And innocence, shich most does please
    With meditation.

    Thus let me live, unseen, unknown;
    Thus unlamented let me
    die;
    Steal from the world, and not a stone
    Tell where I lie.

    リースマン David Riesman
    ハリントン

    ジャイムズ・ネイラー

    H・G・ウェルズ

    ウォルター・デ・ラ・メア イギリス人作家詩人
    ハーバート・スペンサー イギリス人哲学者
    ジーン・ポール・リヒター ドイツユーモリスト
    ジェラルド・ブレット イギリス人作家詩人
    ゲーテ・クリンベルク スェーデン ルンドゥ大学名誉教授
    ジョン・ウールマン クエーカー
    ルーファス・ジョーンズ 伝道師
    エイミー・ローウェル アメリカ人詩人

  • 社会化の意義も踏まえながら、孤独の尊重をうたう本書。貴重な指摘だと思うが、いかんせん掘り下げ方が浅い。あえて言えば、P14-15が白眉で、あとは散漫としてしまっている。惜しい。

  • 子どもが孤独のうちに身を置くことのプラス面が書いてあった。大人と同じように、子どもも孤独(ひとり)でいる時間(とき)が必要である。
    科学や道徳の発展はこれにかかっているそうだ。創造的活動も途中で妨げられることのない、大きなかたまりとしての時間がいる。これを読んで、なんとなく、ファインマンさんのことを思い浮かべた。

    ただちょっと、わかりにくい部分もあるかも。

  • クエーカー教の本

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