言語が違えば、世界も違って見えるわけ

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制作 : Guy Deutscher  椋田 直子 
  • インターシフト (2012年11月20日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (337ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784772695336

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言語が違えば、世界も違って見えるわけの感想・レビュー・書評

  • <「多彩」な言語学の世界への誘い>

    門外漢なので、言語学というのは論理学とか記号論とかそんな感じなのかな?と漠然と思っていた。本書を読んで堅いイメージがずいぶんとカラフルな親しみやすいものに変わった。比較文化人類学のようでもあり、認知心理学のようでもあり、また脳科学のようでもあり。実に多彩で可能性を秘めた学問のように思える。
    言語学者である著者は、そんな学問の横顔を、興味深い数々のエピソードで楽しく描き出している。
    その発展に寄与した言語学者も何人か登場する。世に科学者の評伝は数多いが、言語学者の列伝にはなかなかお目にかかれない、と思う。

    色彩の認識。音素の複雑さ。時制や格。自己中心座標と地理座標。男性名詞・女性名詞。
    さまざまな話題に触れられているが、個人的に興味深かったのは以下の話題:
    ・オーストラリアのグーグ・イミディル語の話し手は地理座標を元に位置関係を語る。これは、幼少時から、自分がどちらの方向を向いているのか訓練を重ねていることにもよるようだ(cf. 『イマココ』、『ソングライン』)。*グーグ・イミディル語の語り手とアボリジニが重なるのかどうかがよくわからなかったのだけれど。
    ・男性名詞と女性名詞を持つ言語を使う詩人が作る詩には、その名詞に伴う「性」のイメージまでも内包された豊かな情景が宿っている。名詞のジェンダーを失ってしまった言語に翻訳したときに、そのニュアンスは消えてしまう。

    言語と言語を比較するというのは、非常に複雑で困難なことなのだと思う。
    直感的に、日本語で考えるときと英語で考える(拙いのだが)ときでは発想が変わるような気がしているが、実はそれは言語のせいではなくて、例えばアメリカでは一般に、はきはきと主張しなければならないというような、そんな文化の背景が影響しているのかもしれない。
    言語は言語だけを切り離せるものではないから、解明はそれほど単純ではないのだろう。

    現実的でもないし、科学的でもないが、もしも100や200の言語を自在に操れて、自分がそれぞれの言語を使うときにどのように感じるのか、いわば内からの観察ができたらおもしろいのだろうな、とちょっと思ったりする。

    本書では言葉をレンズや鏡にたとえている。
    言語は牢獄という言葉も出てくるが、個人的には、牢獄のように囲うものというよりも、道具のように使い方次第のものなのだと思う。使いようによって枷にも翼にもなるものなのではないかと感じている。

    この分野、まだまだ鉱脈がたくさん眠っているように思える。著者のような、専門家でありつつ、一般読者の興味を上手に呼び覚ますような書き手が、またその後を教えてくれるのを待ちたいと思う。

  • (15-38) 題名から予想した内容とはちょっと違っていたが、言語学の歴史が色を切り口にして熱く語られ、ふ~ん、へぇ~と大変面白く読んだ。色以外にも時間や方角・方向など私が普通に言葉として思い浮かべるものとは違うことを材料にして、言語による受け取り方の違いが研究されているとは知らなかった。
    全部理解できたわけではないがどんどん読めたのは、語り口が軽妙でユーモアに富んでいて、人間ドラマとしても読ませる話が散りばめてあったから。読んで良かった!

  • 高校生の頃にふと思った「私の赤は、他の誰かにとっても同じ赤なのか」問題、全く同じ疑問を持って、著者が10代の頃に友人と徹夜で話したというエピソードが出てきて笑った。脳内の画像をそのままのイメージとしてやり取りできる装置が開発されない限り、自分の赤が本当に万人にとっての赤なのかは、誰にも判らない。

    同じ「赤」でも完全な同一性の証明はできないのだから、言語が違えばそこにどれだけの差が出てくるか、想像に難くない。古代には「青」が無かったとか、言語体系として「青」「緑」の差を持たないとその2色(という概念が無いんだもんね)の分類に遅延が出るとか、生活圏の違いによる地理の把握の仕方の差異とか、生活から言語が生まれて、その言語がまた生活を決めて行くというのは面白い。そういえば日本にも都/地方へ向かうことを「上る」「下る」っていう本来とは違う意味で使う言葉があったな。
    個人でも文化でも「差異」をあたり前だと思えたら、いろいろとスムーズに行くような気がする。

  • まず、プロローグが秀逸。
    なかなかの分量だが、著者がこの本で試したいことを充分不可欠に語りながら、なおかつ読み物としても成立している。

    全体的に、言葉というものに少しでも興味を持っている人ならば面白く読み進められる内容。
    特に私は大学の専攻が認知心理学だったので(といってもほとんど勉強などしていないが…)、Part 2ブロックはまた違った側面からの関心も持って読むことができた。
    言語はどんなものであっても生来の枠組みに拠って起こるだけのものではなくて、それが時には鏡となり、時にはレンズとなって、特に文化的慣習を中心とした人間の思考にも影響を与えるものなのだ、というのがざっくりとした主張だとは思うが、実はガイ・ドイッチャー氏がその"影響"の存在を認めているヴォリュームはそれほど多くない、というのが率直な感想。
    言語の違いが思考や習慣を変える要素はあるが、それはあくまでもごく限られた分野においてのみで(少なくとも科学的に解明されているのは)、本質的には人間はどの言語を使い、どの国に住もうが同種の生物であるから、その根元的な精神性に大きな差異はない、言語の影響を過大評価してはいけない、というのが本当に著者が伝えたいことなのではないだろうか?

    一つ、不満というか消化不良な部分を挙げるとすれば、言語と思考の関係性について、もう少し文法面から探った深い考察を知りたかった。
    とりわけ日本語を母語とし、普段からこの種の疑問を抱えている私にとって、ヨーロッパの大多数の言語と異なる語順が、日常の思考パターンにおいてどのような影響を及ぼしているのか、という見解を読んでみたかったのだが、それについては著者も本書中で、文法については深く触れない、と言明している以上仕方ないか。

    また、特に第6章なんかにおいて顕著だが、既に過去の理論として広く否定されているものに対してさらに否定を重ねる、その語調が必要以上に手厳しいような気がしたのだが…。
    何か私怨でもあるんじゃないか? と思うぐらい。

  • 円城塔さんのついーとで知って読んだ。良い本だった。サピア・ウォーフの仮説とか、バーリンとケイの仮説とか、なんとなく知ってたが、改めてヘンなところを指摘されると、なるほどな〜と。
    とても慎重な手つきで論を進めて行くのだけれど、ユーモラスかつクリティックな文体がメリハリ効いてて良い。
    グラッドストンはすごい人だったのだな…初めて知った。
    ジェンダーの章だけえらくテンションが高かった気がするが、何故…?

  • さまざまな言語の違いが、それぞれの文化からいかに影響を受けているか、また、そんな言語の違いが、人の思考に如何に影響を与えているかを解説した本。
    言語間の違いを考えることがともすれば言語社会の優劣をつけることにつながっていた時代が過ぎ、逆にそんな差別を避けようと違いすら見ない振りをしている昨今の言語学に、「それは違うんじゃない?」と提言しているようにも感じられました。
    ひとつひとつの例が身近でかつ驚きに満ちているので、見た目よりも読みやすかったです。
    もっといろんな言語について知りたくなる一冊でした。

  • 自然が明確な境界線を引いたところでは、文化が介入する余地はない。自然が引いた境界線にわずかでも不明瞭なところがあると、直ちに文化が侵入し、概念の識別に差が生じる。言語は、どのような情報の伝達を可能にするかによってではなく、どのような情報の伝達を強制するかによって、人間の認知に影響を及ぼす可能性がある。2012年12月16日付け読売新聞書評欄。2014年1月12日付け読売新聞書評欄「空想書店」で円城塔が挙げた5冊に入っていた。

  • 古代ギリシャのホメロスでは、海の色を「葡萄色」と表現しました。しかしそれは、色を表す言葉ではなかった?!そんな驚きから、この本は始まります。
    日本の信号、「進め」は緑色なのに、なぜアオ信号と言うの?
    英語で青は「blue」のひとつ、ロシア語では「siniy(ダークブルー)」「goluboy(ライトブルー)」のふたつ。視覚に違いがあるわけではないのに、なぜ言語によって表現が変わるの?
    読めば読むほど新たな疑問が浮かび、知りたくなる。そんな言語学の本、ありますよ。

  • ビブリオバトルのチャンプ本とのこと。語学マニアなので読んだけど、ちょっと難しかった。。

  • 「きみの西の足」「グラスの内陸」「海側の頬にパンくずが付いてる」
    彼らにはとっては当たり前の表現でも、私が聞くと世界が違って見えるのだから、言語って面白い。
    これは、母語が知覚や思考に及ぼす影響をテーマにした本。 言語は使い手の思考を“制約”はしないけど“強制”はする。言語による世界の見え方の違いは、言語が使い手に“強制したこと”によって培われた習慣の違いにあるらしい。
    例えば、空間の表現に自己座標(前後左右)ではなく地理座標(東西南北)を用いる言語の使い手は、常に方角を把握していることが必須となる。だからそれを母語とする人々は自然と“絶対方向感覚”のようなものが身に付いているという。夢の中のことでも、数十年前の記憶の想起でも、空間の認識が磁石の方位に基づいているというのだからすごい。
    色感に関する事例も面白かった。色感が生じるのは眼ではなく脳だから(網膜から届く信号を脳が補正して色を認識している)、色感は概念に左右されるという話。例えば、“青“という単語を知らなければ青色を認識できないそう。本書に、色感が未発達だったといわれる古代人の見ていた風景を再現した写真が掲載されているのだけど、それは空がモノトーンで、赤い花だけが鮮やかだった。動植物に青系のものが少ないから、空色が認識されなかったのではないかという。
    色の少ない世界は私にはとても寂しく感じた。色彩は心を豊かにする。だけど、感受性は色感だけに依存するものではないから、古代の人はそのぶん、現代人がキャッチできないような他の感覚が発達していたのだろうね。

  •  色―色づけられていた対象物から切り離れた中小としての色―が人間にとって問題になるのは、人工の絵の具や染料を目にするようになってからのことである。つまり、色を特定の素材から独立した特性として理解する能力は、色を人工的に操作する能力とあいまってはじめて発達してきたのかもしれない。そして、色を人工的に操作する能力は、ホメロスの時代にはほとんど存在しなかった。染色技術は誕生したばかりで、花の栽培は行われておらず、私たちがあって当然と思っている鮮やかな色とりどりの対象物は、ほとんど存在しないに等しかった。(pp.53-4)

     同一言語の異なる変種が接触することからも、単純化への圧力は生じうる。語構造がわずかに違うだけで、理解は困難になりうるからである。したがって、さまざまな地方方言や話し方の変種が入り混じって頻繁にコミュニケーションが行われる大規模社会では、語形の単純化に向けての圧力が高まる可能性がある一方、均質な小規模社会では他の変種の話し手との接触が極めて少なく、単純化への圧力も低い傾向がある。(p.147)

  • 原題:Through the Language Glass: Why the World Looks Different in Other Languages
    著者:Guy Deutscher(1969-)
    翻訳:椋田直子


    【版元】
    http://www.intershift.jp/w_gengo.html


    【個人的メモ】
    ・原著は2010年刊行。言語学系の啓蒙書として面白い。
    ・欧米の学説史の文脈について、もう少し説明がほしい。
    ・言語学者の先生に伺ったところ、本書にも怪しい部分があるので、すべてを鵜呑みにせず(話題を人に話す前には)調べるように、とのこと。
    ・本書では、文化相対主義を奉じ言語相対論に(現在から見れば迂闊な形で)飛び付いた人びとが一蹴されている。


    【目次】
    プロローグ:言語と文化、思考 [006-033]

    ◎Part(1)言語は鏡
    第1章 虹の名前 ホメロスの描く空が青くないわけ
    「葡萄酒色の海」のミステリー 036
    古代ギリシャ人は色弱だったのか 051

    第2章 真っ赤なニシンを追いかけて 自然と文化の戦い 
    色感は進化する? 056
    キリンの首 066
    心の目 072

    第3章 異境に住む未開の人々 未開社会の色の認知からわかること
    色の違いと色の名前 077
    人類学のガリレオ 083
    三つの思考実験 088
    文化の勝利 097

    第4章 われらの事どもをわれらよりまえに語った者 なぜ「黒・白、赤…」の順に色名が生まれるのか
    驚くべき発見 101
    制約のなかでの自由 114
    色彩を超えて 120

    第5章 プラトンとマケドニアの豚飼い 単純な社会ほど複雑な語構造を持つ 
    文明の進んだ言語のほうが複雑か 125
    社会が単純なほど、多くの情報を単語内で表現 140
    大きな社会ほど新しい音素が出現しやすい 148
    複雑な社会ほど従属節に依存しがち 149

    ◎Part(2)言語はレンズ
    第6章 ウォーフからヤーコブソンへ 言語の限界は世界の限界か
    言語相対論――世界を知覚するレンズ 162
    ヴィルヘルム・フォン・フンボルト、登場 165
    「落ちる」という動詞のない世界 172
    ホピ族の時間感覚 177

    第7章 日が東から昇らないところ 前後左右ではなく東西南北で伝えるひとびとの心
    カンガルーとグーグ・イミディル語 197
    自己中心座標と地理座標 201
    鼻を南に向けて泣く 205
    海側の頬にパン屑 211
    絶対方位感覚 214
    記憶ゲームでわかること 219
    相関関係か因果関係か 231

    第8章 女性名詞の「スプーン」は女らしい? 言語の性別は思考にどう影響するか
    「ウーマン」は男性? 「飛行機」は植物? 241
    男性名詞・女性名詞の影響を確かめる実験 260
    言語の性別、その豊穣な世界 267

    第9章 ロシア語の青 言語が変われば、見る空の色も変わるわけ
    日本のアオ信号 270
    脳を覗いてみる 280

    エピローグ:われらが無知を許し給え [289-297]

    謝辞 298
    原注 (01)
    参考文献 (13)
    補遺 [色:私たちの目の仕組み] (27)
    解説 334

  • 言語とは何なのか、についていろいろな視点を与えてくれる一冊。自然や現象のとらえ方・見え方が違うから言語表現が異なるのか?それともそういう言語を使っているからとらえ方・見え方が違うのか?
    視覚をはじめ、他の人がどのようにとらえているのか正確に計測するが困難な認知的な部分について、できるだけ客観的に計測しようとする試みが面白かったです。これからどんどん研究が進んで行きそうなので楽しみです。

  • 言語と物の見え方、その2つの繋がりについて、記述されているようなので選びました。

    *図書館の所蔵状況はこちらから確認できます*
    http://opac.lib.kitami-it.ac.jp/webopac/catdbl.do?pkey=BB50103201&initFlg=_RESULT_SET_NOTBIB

  • 母語が知覚や思考・文化に影響を与えうるかを考察する、知的好奇心をそそる一冊。
    しかしまた、民族に対する偏見や差別を助長しかねない誤解を生みやすいテーマのためか、著者は言語研究が進展する歴史を丁寧にたどっています。

    まず、イギリスの首相で有名なグラッドストンのホメロス研究が紹介されます。とくに古代ギリシアの古典の色彩についての語彙の少なさ、ぶどう酒色の海・ぶどう酒色の牛などの奇妙な色彩表現(海と牛が同じ色に見えたことありますか?(笑))から、グラッドストンは大胆な仮説を立てます。古代ギリシア人は世界をほとんど白黒のモノクロームに知覚していたというものです。
    また、人は母語の在り方のまま世界を観ているし、思考様式も母語に従って決定づけられているというサピア・ウォーフの言語相対論が検証されます(新約聖書が世界に広まったように、当然、母語に存在しない事柄でも人は理解可能なのですが…)。

    そして、過去の言語学から学んだ上で、科学的なプロセスを踏んだ新しい言語学が紹介されます。とくに前後左右の語彙をもたないグーグ・イミディル語を話す民族の方位感覚は面白かった。方角を表すのに、東西南北をつかうのですが、なじみのない場所においても方位についてかなり知覚的に鋭敏になるそうです。そして、日常的に前後左右で方位を知覚する我々とは、世界の知覚の仕方が異なることが実験により検証されます。鏡の前で右手を挙げると鏡のなかの自分は左手を挙げますが、グーグ・イミディル語を母語とする人の場合だと、「同じ側(たとえば東側)の手が挙がってるじゃないか!」ってなるんでしょうねえ…。

    心理学・脳科学を利用しながら、母語の影響を研究する言語学はまだ黎明期みたい。より堅実な言語学の進展が楽しみになりました。

  • 別の著書があれば読みたい。

    科学的な視点から攻めるので、知りたかった事、考えたかった事は網羅されてなかったけれども、有益。

    文化と言語の相互依存について。

    科学的に、できはしらないのかもしれないが、思考にもっと踏み込んだ内容が読みたい。

  • こんなのめっちゃ好き。世界の全人類はみんな例外なく例外だなと思うーよ。

  • 「ホメロスの叙事詩は、色に関する記述に現在と奇妙に異なるところがある。古代ギリシャ人には、世界が我々とは全く違う色に見えていたのではないだろうか?」-ある英国政治家が抱いた奇想から、本書の楽しくも長い旅が始まる。紹介されるエピソードや実験はどれも興味深い上、語り口はユーモアに溢れ全く読む者を飽きさせない。また最近の海外の科学啓蒙書にありがちな、同じようなエピソードをだらだらと並べ、同種の主張を何度も繰り返すといった悪質なページ数の底上げもない。専門的知識は全く必要なく気軽に読める。

    テーマは、大きく前半の「色彩語彙を決定するのは自然か文化か」と、後半の「言語は知覚や思考に影響するか」に分かれる。後半、最も興味を掻き立てられたのは「前後左右」を用いずに「東西南北」でのみ位置的情報を処理するオーストラリア先住民のエピソードだが(カーナビのノースアップで日常生活を送るなんて!)、そこで前半の議論の帰結である「自然は言語に制約を与えるが、その中で文化が裁量を持つ」という命題が再び立ち現れてるくる瞬間には興奮を覚えた。また、終章のテーマもまた「色」であり、読者を議論の連環に巧妙に誘う構造になっていることにも感心させられる。

    エピローグも殺し文句が満載で、読後感良し。

  • この本では、古代人、異なる生活習慣や言語を用いる人たちでは、感覚器の機能上の問題ではなく、色を示す言葉に大きな違いがあることを述べている。
    また、ジェンダーをもつ言語のその判断基準の喪失、はたまた、未開であろうが文明国家であろうが、言語は総じて複雑であることも述べている。
    偏見や差別のキッカケになることもあるこれらの違いは、言語が文化を変え、また、文化が言語を変えているということだけであり、その優劣の問題ではないということだ。
    発達障害の人の一部には、弱いものでも感じやすく、違いについてこだわるタイプがいることが知られている。
    彼らにとっては、健常と呼ばれる人々の区別のいい加減さ、曖昧さが理解しにくい。また、その逆の感覚や識別の厳格さを理解しにくい。
    私は幼稚園の頃には色か分からなかった。厳密に言うとものの明るさと形には注意をはらっていたが、色については明るさの違いであり気にしていなかった。
    他の子達は、棒人間やグルグルした赤い太陽を描くのだが私にはそれは出来なかった。どちらかというと、一部に色の付いたモノクロ写真のように見えていたし、それをクレヨンで描こうとしていた。
    今は棒人間も描けるし、赤いグルグル太陽も描ける。絶対に変わらないものでも無いのだ。
    ダイバーシティ、多様性などについてさけばれているが、身近なところでも差や変化はあるのだ。何らかのサービスの提供においてシステムを作る場合はこれらの考慮が欠かせない筈だが、現状はそうはなってはいない。
    そういう意味では大きな気付きがあった。

  • ひさびさに頭使った。

  • 古代と現代では色彩感が違うのか? 言語が違うと、思考に影響はあるのか? 物事を把握する仕方も違うのか?
    事例盛りだくさんで、言語と世界観の関連をのべてゆく本。
    よく、愛を語るならフランス語……などあるので、言語が思考に影響するのなら、あれはまんざらジョークでもないなあと思った。


    ホメロスの著書に、「葡萄酒色の海」とあるが、古代人の目は、我々の色彩感とは違ったのか?
    →目の仕組みが違うわけではなく、その色を、言葉として区別する必要がなかっただけ。

    どの言語でもまず黒、白を表す単語が生まれる。
    その次に、赤。
    そこから先の順番は、青や緑や黄色は言語による。
    日本は緑色を「青」と呼ぶものが多くある。「青葉」「青信号」「青りんご」ほか。これは、瑞々しい、若い、熟していないという状態を「青」と呼ぶため。信号の青は、実際は緑色なんだけれど、青。青を緑と呼び替えるのではなく、国として、信号の色の範囲で認められているぎりぎりのところで、緑寄りの青を使う!と決めてしまった。

    オーストラリア先住民の言語には、右、左がない。
    彼らは東西南北で話をする。
    「おまえの足の北に蟻がいる」
    というように。

    この座標軸で常に物事を表現するので、海の上でくじらと遭遇した、なんていう話をするときでも、自分がそのとき聞き手とどの向きで向き合っているのか、と、船上で自分がどの向きを向いていたのか、を照らし合わせる。だから、話をするときの状態によって、語られる東西南北が異なる! しかも、それが合っている!


    言語は思考に影響を与えるか?
    →イエス。
    日本には無いけれど、女性名詞、男性名詞、中性名詞などの例がある。
    スプーンや橋などが女性名詞であれば、その言語を使うときには橋を「彼女」と呼ぶので、女性的イメージとして結びついてしまう。
    この名詞は、女性男性名詞だけではなく、植物、大小、など様々な種類がある。

    とある国では、飛行機は植物名詞!
    これだけ聞くとおかしいけれど、推測すると、納得出来る。
    昔、彼らが手にした乗り物は、カヌーくらいだった→カヌーは木製→カヌーは乗り物→乗り物は木製だから、植物名詞→飛行機は乗り物→飛行機は植物名詞!

  • ホメロスの作品に現れる、「葡萄酒色の海」「すみれ色の牛」「赤い馬」などの奇妙な色彩表現。また、例えば空のことを描写するときでも、インドの古詩や聖書にも著しく欠けている青系の色彩語彙。…古代人は色覚異常だったのでは? という疑問からこの本は始まる。
    やや専門的だが、冗談やおもしろい例を多く交えて書かれ、言語学に詳しくない人でも興味深く読めそう。

  • ホメロスの詩における色彩表現の研究から、文化人類学、そして脳科学まで、人間の言語と認知がどのように関わり合い、それらによって社会がどのように作られてきたのか(あるいは逆に、どういった社会が、人間にいかなる言語と認知を要求するのか)について、言語学の歴史と論争を追いながら、事例をまとめた本。

    たとえば、古代ギリシア作品・旧約聖書・古代インド経典など、地域に関わらず、それらの時代の作品群には「青」という色彩表現は存在しないという。こういった研究から、人類にとって「青」は「黒・白・赤」よりも言語化に時間が必要だった推測されている(「緑」や「黄色」は「青」よりもさらに言語化されにくいらしい)。

    また、「前後左右」という言語表現を持たない民族は、その一方で「東西南北」について、常に認知しながら生活しているという。(ただし、植民地化により、その民族言語は失われつつあり、同時に特有の方向感覚もその民族から失われつつある)

    本書では、「言語を持たないからといって知覚できていないわけではない」という解説もされつつ、「言語は知覚に影響を与えている」という強い可能性も示唆されている(例えば色彩を知覚するときは、言語を司る左脳が活発になるそうだ)

    特に後半は複雑な構成だけれども、無理に結論付けず、不思議そのものを楽しみながら読むのが良いと思う。

  • 文化論かと思って読み始めたら、言語研究史だったー。
    「違って見える」というのは、つまり「研究者がとんでもない解釈に陥ってしまう(しまった)」というフレーズに置き換えられる。大学生時代に読めるとかなり役にたったかも。

    大学生活を、目の前にある課題と楽しみに追われて過ごしてしまった自分としては、こんなふうに先行研究を概観するのってしみじみ大切だったんだなあって感じる。「〇〇学史」って勉強する意義が、いまさらわかってきました。恥ずかしながら。
    (先生に恵まれなかったのかな、それとも自分が話きいてなかっただけかな^^?)

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古代ギリシャの色世界から、未開社会の驚くべき空間感覚、母語が知覚に影響する脳の仕組みまで-言語が世界観を変える、鮮やかな実証。年間ベストブック多数受賞。

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