言語が違えば、世界も違って見えるわけ

  • インターシフト
3.72
  • (20)
  • (39)
  • (28)
  • (8)
  • (1)
本棚登録 : 641
感想 : 53
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (337ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784772695336

作品紹介・あらすじ

古代ギリシャの色世界から、未開社会の驚くべき空間感覚、母語が知覚に影響する脳の仕組みまで-言語が世界観を変える、鮮やかな実証。年間ベストブック多数受賞。

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 古代から現代まで、言語学の歴史と、さまざまな考え方を網羅する本。

    情報量がすごかった。

    客観的に計測し、分析することの難しさを感じる分野。

    フランス語を学んだ時にも感じたけれど、名詞のジェンダーによる分類は、日本語にはない感覚でおもしろい。

    左右(自己中心座標)ではなく、東西南北(地理座標)のみ、という言語にもおどろき。
    絶対方位感覚というべきものが身についている、いうのがすごい。

    日本の青信号の問題など、外から改めて言われると、笑ってしまう。

    kangaroo=I don't knowだと思っていたので、本当の語源にもおどろき。

    「未開の人々」という表現に引っかかる。

  • かなり面白く読める内容。言語決定論を肯定する本としても希少な気がする。
    時代が時代なら、梵書の対象になったり、パリ言語学会の不受理対象の論文になっていたかもしれない、苦笑。

    言語そのものが文化に、文化が言語に影響しあうのでは?という仮説を、語彙論と意味論、語源学を引合いにだして明らかにしようする。

    前半半分と締めに色の話。
    色をどう感じ取っていて、その認知に言語が与える影響を客観的に測る。まさに世界が虚構ではないことを証明できないパラドックスのアレ!とはいえ、ちょっとは分かってきているよ、という救い。

    言語決定「学・論」は、まだ言い過ぎなのは納得できた。言語決定仮設だね。良書でした。

  • <「多彩」な言語学の世界への誘い>

    門外漢なので、言語学というのは論理学とか記号論とかそんな感じなのかな?と漠然と思っていた。本書を読んで堅いイメージがずいぶんとカラフルな親しみやすいものに変わった。比較文化人類学のようでもあり、認知心理学のようでもあり、また脳科学のようでもあり。実に多彩で可能性を秘めた学問のように思える。
    言語学者である著者は、そんな学問の横顔を、興味深い数々のエピソードで楽しく描き出している。
    その発展に寄与した言語学者も何人か登場する。世に科学者の評伝は数多いが、言語学者の列伝にはなかなかお目にかかれない、と思う。

    色彩の認識。音素の複雑さ。時制や格。自己中心座標と地理座標。男性名詞・女性名詞。
    さまざまな話題に触れられているが、個人的に興味深かったのは以下の話題:
    ・オーストラリアのグーグ・イミディル語の話し手は地理座標を元に位置関係を語る。これは、幼少時から、自分がどちらの方向を向いているのか訓練を重ねていることにもよるようだ(cf. 『イマココ』、『ソングライン』)。*グーグ・イミディル語の語り手とアボリジニが重なるのかどうかがよくわからなかったのだけれど。
    ・男性名詞と女性名詞を持つ言語を使う詩人が作る詩には、その名詞に伴う「性」のイメージまでも内包された豊かな情景が宿っている。名詞のジェンダーを失ってしまった言語に翻訳したときに、そのニュアンスは消えてしまう。

    言語と言語を比較するというのは、非常に複雑で困難なことなのだと思う。
    直感的に、日本語で考えるときと英語で考える(拙いのだが)ときでは発想が変わるような気がしているが、実はそれは言語のせいではなくて、例えばアメリカでは一般に、はきはきと主張しなければならないというような、そんな文化の背景が影響しているのかもしれない。
    言語は言語だけを切り離せるものではないから、解明はそれほど単純ではないのだろう。

    現実的でもないし、科学的でもないが、もしも100や200の言語を自在に操れて、自分がそれぞれの言語を使うときにどのように感じるのか、いわば内からの観察ができたらおもしろいのだろうな、とちょっと思ったりする。

    本書では言葉をレンズや鏡にたとえている。
    言語は牢獄という言葉も出てくるが、個人的には、牢獄のように囲うものというよりも、道具のように使い方次第のものなのだと思う。使いようによって枷にも翼にもなるものなのではないかと感じている。

    この分野、まだまだ鉱脈がたくさん眠っているように思える。著者のような、専門家でありつつ、一般読者の興味を上手に呼び覚ますような書き手が、またその後を教えてくれるのを待ちたいと思う。

    • 猫丸(nyancomaru)さん
      「言語学者の列伝」
      これだけでも読む価値がありそう。。。
      外国語挫折者なので、全然なのですが言葉は好きなので黒田龍之助の本とかは読んでます。...
      「言語学者の列伝」
      これだけでも読む価値がありそう。。。
      外国語挫折者なので、全然なのですが言葉は好きなので黒田龍之助の本とかは読んでます。
      http://www.hakusuisha.co.jp/essay/kuroda.html
      2013/01/10
    • ぽんきちさん
      nyancomaruさん

      > 黒田龍之介
      ご紹介ありがとうございます。
      ずいぶんいろんな言語に取り組んでいらっしゃる方ですね。
      スワヒリ語...
      nyancomaruさん

      > 黒田龍之介
      ご紹介ありがとうございます。
      ずいぶんいろんな言語に取り組んでいらっしゃる方ですね。
      スワヒリ語とノルウェー語とインドネシア語って、むちゃくちゃ違いそうです。
      すごい。
      2013/01/10
  • 言語学を歴史からひもといた本。言語が世の中を規定していると考えると、色の捉え方、意味も変わってくる。言語の上では存在しない色も出てくる。まだ理解しきれてないが、この辺は脳科学とも絡むのだろうか。

    西ヨーロッパの主要言語の文法は学んだ身としては、一歩深みに入ることができた出会えてよかった本でした。フランス語を1から学び直したくなった。苦笑

  • 興味深かったり難しかったり。再読の必要あり。

  • (15-38) 題名から予想した内容とはちょっと違っていたが、言語学の歴史が色を切り口にして熱く語られ、ふ~ん、へぇ~と大変面白く読んだ。色以外にも時間や方角・方向など私が普通に言葉として思い浮かべるものとは違うことを材料にして、言語による受け取り方の違いが研究されているとは知らなかった。
    全部理解できたわけではないがどんどん読めたのは、語り口が軽妙でユーモアに富んでいて、人間ドラマとしても読ませる話が散りばめてあったから。読んで良かった!

  • 高校生の頃にふと思った「私の赤は、他の誰かにとっても同じ赤なのか」問題、全く同じ疑問を持って、著者が10代の頃に友人と徹夜で話したというエピソードが出てきて笑った。脳内の画像をそのままのイメージとしてやり取りできる装置が開発されない限り、自分の赤が本当に万人にとっての赤なのかは、誰にも判らない。

    同じ「赤」でも完全な同一性の証明はできないのだから、言語が違えばそこにどれだけの差が出てくるか、想像に難くない。古代には「青」が無かったとか、言語体系として「青」「緑」の差を持たないとその2色(という概念が無いんだもんね)の分類に遅延が出るとか、生活圏の違いによる地理の把握の仕方の差異とか、生活から言語が生まれて、その言語がまた生活を決めて行くというのは面白い。そういえば日本にも都/地方へ向かうことを「上る」「下る」っていう本来とは違う意味で使う言葉があったな。
    個人でも文化でも「差異」をあたり前だと思えたら、いろいろとスムーズに行くような気がする。

  • ホメロスの詩における色彩表現の研究から、文化人類学、そして脳科学まで、人間の言語と認知がどのように関わり合い、それらによって社会がどのように作られてきたのか(あるいは逆に、どういった社会が、人間にいかなる言語と認知を要求するのか)について、言語学の歴史と論争を追いながら、事例をまとめた本。

    たとえば、古代ギリシア作品・旧約聖書・古代インド経典など、地域に関わらず、それらの時代の作品群には「青」という色彩表現は存在しないという。こういった研究から、人類にとって「青」は「黒・白・赤」よりも言語化に時間が必要だった推測されている(「緑」や「黄色」は「青」よりもさらに言語化されにくいらしい)。

    また、「前後左右」という言語表現を持たない民族は、その一方で「東西南北」について、常に認知しながら生活しているという。(ただし、植民地化により、その民族言語は失われつつあり、同時に特有の方向感覚もその民族から失われつつある)

    本書では、「言語を持たないからといって知覚できていないわけではない」という解説もされつつ、「言語は知覚に影響を与えている」という強い可能性も示唆されている(例えば色彩を知覚するときは、言語を司る左脳が活発になるそうだ)

    特に後半は複雑な構成だけれども、無理に結論付けず、不思議そのものを楽しみながら読むのが良いと思う。

  • まず、プロローグが秀逸。
    なかなかの分量だが、著者がこの本で試したいことを充分不可欠に語りながら、なおかつ読み物としても成立している。

    全体的に、言葉というものに少しでも興味を持っている人ならば面白く読み進められる内容。
    特に私は大学の専攻が認知心理学だったので(といってもほとんど勉強などしていないが…)、Part 2ブロックはまた違った側面からの関心も持って読むことができた。
    言語はどんなものであっても生来の枠組みに拠って起こるだけのものではなくて、それが時には鏡となり、時にはレンズとなって、特に文化的慣習を中心とした人間の思考にも影響を与えるものなのだ、というのがざっくりとした主張だとは思うが、実はガイ・ドイッチャー氏がその"影響"の存在を認めているヴォリュームはそれほど多くない、というのが率直な感想。
    言語の違いが思考や習慣を変える要素はあるが、それはあくまでもごく限られた分野においてのみで(少なくとも科学的に解明されているのは)、本質的には人間はどの言語を使い、どの国に住もうが同種の生物であるから、その根元的な精神性に大きな差異はない、言語の影響を過大評価してはいけない、というのが本当に著者が伝えたいことなのではないだろうか?

    一つ、不満というか消化不良な部分を挙げるとすれば、言語と思考の関係性について、もう少し文法面から探った深い考察を知りたかった。
    とりわけ日本語を母語とし、普段からこの種の疑問を抱えている私にとって、ヨーロッパの大多数の言語と異なる語順が、日常の思考パターンにおいてどのような影響を及ぼしているのか、という見解を読んでみたかったのだが、それについては著者も本書中で、文法については深く触れない、と言明している以上仕方ないか。

    また、特に第6章なんかにおいて顕著だが、既に過去の理論として広く否定されているものに対してさらに否定を重ねる、その語調が必要以上に手厳しいような気がしたのだが…。
    何か私怨でもあるんじゃないか? と思うぐらい。

  • 円城塔さんのついーとで知って読んだ。良い本だった。サピア・ウォーフの仮説とか、バーリンとケイの仮説とか、なんとなく知ってたが、改めてヘンなところを指摘されると、なるほどな〜と。
    とても慎重な手つきで論を進めて行くのだけれど、ユーモラスかつクリティックな文体がメリハリ効いてて良い。
    グラッドストンはすごい人だったのだな…初めて知った。
    ジェンダーの章だけえらくテンションが高かった気がするが、何故…?

全53件中 1 - 10件を表示

ガイ・ドイッチャーの作品

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

有効な左矢印 無効な左矢印
ジャレド・ダイア...
佐々木 圭一
ヴィクトール・E...
ウォルター・アイ...
デールカーネギ...
エリック・ブリニ...
シーナ・アイエン...
冲方 丁
有効な右矢印 無効な右矢印
  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×