シネアスト許泳の昭和 (シバシン文庫 5)

  • 凱風社
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  • Amazon.co.jp ・本 (294ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784773611052

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  • 朝鮮名・許泳(ホヨン)、日本名・日夏英太郎、インドネシア名・ドクトルフヨン。3つの名をもち、3つの国の映画界を泳ぎわたった男の人生を、アジア研究・戦後処理問題研究専門家の2人が調べ上げたノンフィクションだ。
    植民地朝鮮に生まれた許泳は、日夏耿之介にあこがれて日夏という日本名を名乗り、マキノ映画で駆け出しの脚本家として歩みを始めるものの、ほどなくしてマキノは倒産、松竹の下加茂に拾われる。
    日夏の名前が初めて映画界に登場するのは1937年のことだが、それは不名誉な大事件の中だった。当時、衣笠貞之介の下に助監督としてついていた日夏は、功を焦って国宝・姫野城の石垣を爆破する事件を起こし、死者まで出してしまったのである。執行猶予はついたものの、この事件で密入国した朝鮮人という素性が明らかになってしまう。
    折しも、映画界に対する統制はますます強化されつつあった。1938年に内務省映画検閲当局と映画会社シナリオ作家代表との間で協議された合意事項というのがすさまじいので、メモしておく。
    「1.欧米映画の影響による個人主義的傾向の湿潤を排除すること。1.日本精神の高揚を期し特に我が国独特の家族制度の美風を顕揚し、国家社会のために進んで犠牲になるの国民精神を一層高揚すること。1.青年男女、特に近代女性が欧米化し、日本固有の情緒を失いつつある傾向に鑑み、映画を通じて国民大衆の再教育をなすこと。1.軽佻浮薄な言語動作を銀幕から絶滅する方針を執り、父兄長上に対する尊敬の念を深からしめるように努めること」。
    こうした状況を見た日夏は故国朝鮮に帰り、「内鮮融和」の時流に乗って自分の映画を撮ろうと試みる。それが、日夏の第一回監督作にして悪名高いプロパガンダ映画『君と僕』(1941)であった。支配者にとって理想的な朝鮮人像を描いた脚本で軍の全面的バックアップをとりつけ、その威光で李香蘭をはじめとする大スターの出演まで実現させた映画は、興行的にもまずまずの成績を残した。映画人として念願の成功をおさめたかに見えるが、経験不足の監督は軍部が徴用で集めた大スターたちにふりまわされ、評論家たちからは「見るに堪えない」と酷評されたという。朝鮮の映画人たちが表現の場を奪われていくなか、支配者の意に沿った国策映画を撮ることは日夏にチャンスをあたえたが、国策ゆえにそれは彼の手には負えない代物となり、日本でも朝鮮の映画界でも、居場所を失うことになったのである。
    こうして次に日夏が活路を求めたのは、占領地ジャワで映画や演劇を通して現地人を「啓蒙」する軍の宣伝班の仕事だった。ここで撮ったのが、対連合国向け謀略映画『豪州への呼び声』(1944)。連合軍捕虜を出演させて、日本軍が彼らをいかに厚遇しているかを訴える、あまりにも嘘くさいこの映画は、むしろ捕虜虐待に対する連合国の怒りを招き、東京裁判ではこの映画を引用しながら実態を告発する映画が証拠資料として上映されたという。
    すでに1944年から占領地ジャワでは朝鮮人軍属たちによる反日独立運動が芽生え始めていた。その機運は、日本敗戦を受けて一気に燃え上がったが、朝鮮人でありながら朝鮮語も満足に話すことができず、なにより日本帝国下で2本のプロパガンダ映画を撮った日夏=許泳に、もはや帰るべき祖国はなかった。こうして許泳はインドネシア残留を決め、「ドクトル・フユン」(早稲田大学を卒業して博士号を取得したと詐称している)の名で黎明期インドネシア映画界で教育や製作にあたることになったのだった。
    日本、朝鮮、日本占領下ジャワそして独立後のインドネシアと、転々と場所を変えながらも映画を撮り続けた許泳だが、決して才能に恵まれていたとは言えないようだ。植民地に生まれて民族に根をもつことができず、一方で映画に対する一途な情熱を抱えていたことは、彼をして価値判断のできないまま支配権力に接近させることになり、日本でも朝鮮でも周囲から疎外させることになったのだった。著者たちが述べるように、彼はいつでも多くの有力者たちの側にあり、歴史の大舞台の片隅にいながら、その意味を理解することもない小物にすぎなかった。しかし私たちに彼の可笑しさと哀しさを嗤うことはできない。
    決して歴史の表舞台に立つことのなかった人物を主軸に、戦前の日本映画界や朝鮮映画界の状況、ジャワにおける朝鮮人軍属の独立運動や、インドネシア映画黎明期の証言など、重要な歴史を掘り起こした労作だ。インドネシア独立宣言後、オランダの支配を回復させようとした連合軍に強いられて、すでに敗戦した日本軍が独立インドネシア軍と衝突して、双方に大きな犠牲を出していたという事実や、日本敗戦後にやってきたイギリス軍の将校が、解放された朝鮮人たちのところに毎晩のようにやってきて「日本軍には慰安婦を提供したのに、なぜ連合国には女を出さないのだ」と要求したというエピソードにも驚かされた。
    ただ惜しむらくは、まとめかた。たとえば本論に入る前に序章を置くなど、もうすこし一般読者を意識して読ませ方に工夫をすれば、今で言う一級の「エンタメ・ノンフ」としてより多くの読者を得ただろうに。しかし繰り返すが貴重な労作。復刊されるとよいけどなあ。

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著者プロフィール

早稲田大学大学院文学研究科社会学専攻・歴史社会学・日本ーアジア関係史
早稲田大学平和学研究所招聘研究員・恵泉女学園大学名誉教授
主要著作:
『朝鮮人BC級戦犯の記録』勁草書房、1982年・岩波現代文庫、2015年
『死刑台から見えた二つの祖国』(共編著)梨の木舎、1992年
『日本軍の捕虜政策』青木書店、2005年
『村井宇野子の朝鮮・清国紀行』(編)梨の木舎、2021年

「2024年 『7人の戦争アーカイブ――あなたが明日を生き抜くために』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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