サーカスに逢いたい―アートになったフランスサーカス

著者 :
  • 現代企画室
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  • Amazon.co.jp ・本 (155ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784773809039

作品紹介・あらすじ

世界各国で大きな話題を呼び、ダンスなどとならぶ芸術の一分野として発展している現代サーカス。成長著しいサーカスアートの魅力を余すところなく伝える一冊!DVD付き。

感想・レビュー・書評

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  •  「サーカス」といえば、あなたは何を思い浮かべるだろうか? 華麗な空中ブランコ、緊張感あふれる綱渡り、それとも熊やライオンによる微笑ましい曲芸? 今秋・フランスからやってくるカミーユ・ボワテルが行っている「サーカス」は、そんな既成概念を覆すにぴったりだろう。1970年代から、フランスでは「現代サーカス」「ヌーヴォー・シルク」と呼ばれるジャンルが確立し、国立のサーカス学校も整備されるなど、国家としてサーカスというアートフォームを積極的に支援してきた。子どものための娯楽ではなく、大人が見ても楽しめる芸術として進化した「現代サーカス」とはいったい何なのだろうか? そして、「アート」としてのサーカスを通じてカミーユが表現するものはどのようなものなのか? 本人とのメールインタビューを軸に、その新たな世界を紹介しよう。

    (本文)
     「現代美術」「コンテンポラリーダンス」など、既存のジャンルに「現代」という言葉が付与されることは少なくない。わざわざ「現代」という言葉を冠するそれらのジャンル名は、時代的な意味だけでなく「いわゆるダンス」「いわゆる美術」との差別化を図り、独自の進化を遂げたジャンルであることを教えてくれる。そして、それは「現代サーカス」も例外ではない。子供のための娯楽だったこれまでのサーカスとは一線を画し、エンターテインメントではなく「芸術」としての表現に特化したのが「現代サーカス」なのだ。

     日本では数少ない現代サーカスについての入門書籍『サーカスに逢いたい アートになったフランスサーカス』(田中未知子・著 現代企画室)を一読すれば、さまざまなアーティストたちが登場することに驚くだろう。社会的メッセージを表現するもの、現代美術に接近するもの、シルク・ド・ソレイユのような大規模な演出のものもあれば、たったひとりで表現を行うものもある。その作品の内容も、空中ブランコを専門とするものから、ジャグリングに自分たちの可能性を見出したものなどバラエティ豊か……。つまり、その内容も形式もバラバラであり、アーティストによって多様な作品が創られているのが「現代サーカス」なのだ。本稿の主人公であるカミーユ・ボワテルも、このジャンルを次のように表現している。

    「現代サーカスにおいては、アーティストたちが言語の限界を超えた身体言語を探求しています。それは、可能性探求の場所であり、新たなテクニックが絶え間なく生み出され続けているんです。また、身体能力を極めるのみならず、その能力で『何を』表現するかが求められている……。ただし、これは僕個人の定義であり、他のアーティストは別の言葉で現代サーカスを語るでしょうね」

     これまでの「サーカス」という既成概念から離れ、より大きな自由を獲得した現代サーカス。アクターたちは、類まれな身体能力を使って観客を驚かせたり興奮をさせるだけでは飽き足らず、そこにアーティストとしての「表現」を加えることによって、その味わいをさらに深いものとさせていく。では、そんな現代サーカスの魅力とは何だろうか? カミーユは、このように語っている。

    「現代サーカスという新しいカテゴリーにおいては、形式も、そこにある雰囲気も全く異なります。その舞台では、かつてのサーカスでは考えられないような多種多様な表現が生み出され、まったく驚くべきものができる可能性を秘めているんです。アーティストたちは現代サーカスにおいて、かつてのサーカスでは存在しなかった人間の感情や詩情を表現することができるのですから」

     では、なぜサーカスは「現代サーカス」へと脱皮を遂げたのだろうか? その歴史を簡単に振り返ってみよう。

     18世紀に勃興し、常設劇場を構えたりテント公演を行いながら多くの人々を魅了してきたサーカスは、20世紀初頭に黄金期を迎える。しかし、そんな幸福な時代も長くは続かなかった。映画やテレビなど、新たなエンターテインメントジャンルの登場によって、サーカスは一気に過去のものへと追いやられてしまう。時代の流れに飲み込まれ、存在感を失っていたサーカス再興の動きが見えたのは1970年代、フランスでのこと。家族経営で内向きだったサーカスを外に開くべく、1974年、パリに西欧で初のサーカス学校が設立され、誰でもサーカスを学ぶことができる環境が整えられたのだ。また、演劇の中にもサーカスや大道芸の要素を取り入れようとする動きが起こるなど、サーカスは在りし日の機運を取り戻していった。その動きを確固たるものにしたのが、81年に文化大臣になり、コンテンポラリーダンスの普及も後押ししたジャック・ラング。彼は「サーカスは、それ自体で独立したひとつの芸術である」と語っている。

     こうして、フランスにおいて見事に復活を遂げたサーカスの動きは、カナダ、ベルギー、スカンジナビアなど全世界中に拡散していく。また、85年、シャロン=アン=シャンパーニュにフランス国立サーカスアートセンター(CNAC)が設立されると、ムーブメントとしての勢いはさらに加速する。しかし、重要なポイントが、そんなサーカス再興の流れは「古き良きサーカスを守る」という、後ろ向きな運動ではなかったということ。ここでは、「新たなサーカスを生み出すこと」に主眼が置かれており、CNACでも、演劇やダンス、オペラと同様に演出家を招いて作品を創作するという独自の試みが行われてきた。その結果、何回も来日公演を行っているフランスを代表する振付家のジョセフ・ナジや、アルベールビル五輪開会式の演出を務め、今年の「あいちトリエンナーレ」にも来日するフィリップ・ドゥクフレなど、第一線で活躍するアーティストとの協働が実現し、サーカスは単なるエンタテインメントにとどまらない表現の深みに到達していった。特に、ジョセフ・ナジによって創作されたCNAC第7期卒業公演『カメレオンの叫び』(1996)は、そのダンスのような芸術性とダンスを超えたアクロバティックな動きによって、現代サーカスの方向性を果たす決定的な役割を果たし、3年間にわたってフランス国内のみならず海外でもツアーを成功させている。

     そんな現代サーカスの歴史を、さらに先へと押し進めるべく活動を行っているのが、カミーユ・ボワテルなのだ。

    (Page2)
     フランス・トゥールーズの自宅の近くにやってきたサーカス団を見に行った少年は、そこで、世界がひっくり返るような驚きを得た。今では現代サーカスシーンを牽引する存在となったカミーユ・ボワテルは、かつて行われたインタビューにおいて、8歳の頃にサーカスと出会った喜びをこう表現している。

    「なんていうのだろう……『現実とは違う世界に連れて行ってくれる』というか、とにかくとても感動した。そのサーカス団は公演だけでなく、ワークショップを開催していて、それにも参加した。それからとりつかれたようにサーカスやアクロバットの魅力に引き込まれ、学校やストリートで、アクロバットの真似事のようなことを毎日のようにして遊んでいたんだ」(Realtokyo「対話の庭 第18回」)

     最初にカミーユ少年が得意としていたのは、空のワイン瓶を路上に立てて、その上に一本足で立ちくるくると回転するというシンプルなパフォーマンス。まだ幼い少年の華麗な身のこなしに集まった観客は大受けし、彼は成功の喜びを知ってしまった。その後、母の運転する車に乗って、妹と2人でパリを転々としながらストリートパフォーマンスを行っていたカミーユは、サーカスの名門「アカデミー・フラテリーニ」の門をくぐった。当初は、近代的なマイムやアクロバットに興味を持っていた少年だが、だんだんと、現代サーカスの持つ自由さに触発されていく……。

    「ひとつのテクニックに閉じこもることなく、何かを物語るという方法が僕にとってぴったりだった。それによって、既存のスタイルに限定されず、いろいろなものを探索できるようになったんです。僕は、サーカスを通じて、『話されることはないこと』『感じたことがない肉体の内的なリズム』を観客と一緒に体験したいと考えています」

     チャップリンの孫であり、コンテンポラリーダンスと現代サーカスを融合した作品で知られる演出家、ジェームズ・ティエリとの仕事で、めきめきと実力をつけていったカミーユ。とはいえ、彼はストイックにサーカスに向き合っているばかりではない。ユーモラスでありコミカルに演じられる彼の舞台には、常に笑い声が絶えない。そんな、サーカスにとって必要不可欠なクラウンとしての要素は、ある喜劇役者からの影響が強いという。

    「バスター・キートンの作品には一種の哀しい笑いがあり大好きですね。例えば、『ハード・ラック』において、彼は10回くらい自殺しようとしながらも、毎回毎回失敗してしまいます。そんな不器用な人間の弱さを描き出すキートンの演技にはとても感銘を受けています」

     あくまでも人間臭く道化を演じながらも、精密に計算された動きを次々と繰り出していくカミーユは、2002年、カンパニー・リメディアを立ち上げ、ヨーロッパの優れたアーティストを奨励する「サーカスの若き才能」コンクールで優勝。それ以降も、多ジャンルを融合した作品を発表し続け、2010年にはフランス有数のフェスティバルMIMOS(国際マイムフェスティバル)で最優秀賞を受賞している。日本には、2014年の「TACT/FESTIVAL」で来日し、彼の代表作としても知られている『リメディア~いま、ここで』は、絶賛を持って迎えられた。たくさんのガラクタが雑然と置かれた舞台上で、アクターたちは次々とそのガラクタたちと戯れていく。

    「日本の観客は非常に驚き、熱心に見てくれていましたね。特に、僕が感じ取ったのは、精巧に作られた瞬間を味わうという喜びでした。日本文化はとてもディテールを大切にするので、あらゆる繊細な部分が観客に届き、“計算された無秩序”が喜ばれていたんです」

    (Page3)

     一見すると、カミーユの舞台は「これがサーカスなのか?」と疑ってしまうほど、伝統的なサーカスとは、似ても似つかない姿に進化している。けれども、そんなカミーユの根っこには、いまだに幼い頃に見たサーカスの面影が影響しているという。

    「僕は小さい頃、サーカスに憧れてこの世界に入った。サーカスのどこに惹かれたのかと言えば、アクロバットを含め、普通はありえないようなことが目の前で起きるというシンプルなことではないかと思う。サーカスの世界は、人が限界だと思っていることや、常識だと想っていることを覆す瞬間を見せることができる。そこに惹かれたんだ」(Realtokyo「対話の庭 第18回」)

     今回、東京芸術劇場で上演される『ヨブの話―善き人のいわれなき受難』は、2003年に初演された作品。聖書の「ヨブ記」をモチーフとしてつくられたこの作品は、初演以降、「二度と上演しない」として、長らく封印されてきたにも関わらず、なぜ、アーティストは封印を解き、この作品を上演することに決めたのだろうか?

    「ある眠れない夜に、この作品のイメージが頭のなかに戻ってきて、今やらなければもう絶対にやらないというインスピレーションに突き動かされました。初演から10年以上を経ていますが、基本的には全く同じ作品といっていい内容になっています。けれども、この作品は言葉で表せないことを厳密な動作によって表現するため、演じることがとても難しいんです。『ヨブの話』を演じる時、僕は古い作品を再演しているのではなく、毎回新たな作品を毎回新たに生み出しています」

     聖書『ヨブ記』をモチーフとしながらも、描かれるのはヨブその人ではなく、その物語もほとんど関係がない。彼は、あくまでもインスピレーションとして、ヨブの物語を召喚しているようだ。

    「私はヨブの話を物語ることを目指しているわけではありません。これはヨブについての作品ではなく、ヨブからインスピレーションを受けてつくられた作品なのです。ヨブは、すべてを持った男であり、尊敬され、王のように慕われていました。愛する家族や忠実な友、大きな富に恵まれていたにも関わらず、すべてを失ってしまったんです」

     椅子やテーブルの足のようなものが積まれた舞台をオロオロと歩きまわりながら、ひたすら災難を乗り越え続ける男を哀しくもコミカルに描き出すカミーユ。もちろん、彼にしかできない精巧な技術が各所に詰め込まれているものの、いわゆるサーカスにあるようなアクロバティックな大技はほとんど見られない。そこにいるのは「ただの人」であり、我々と同じ世界に住んでいるような人間の姿は、どこか目を離してはいられない不思議な魅力に溢れている。具体的には……と、突っ込んで書き連ねたいところだが、カミーユ曰く「可能なかぎり事前情報を知らないで観に来てください。そして驚いてください」ということなので、詳らかにすることはやめておこう。

     カミーユはこの作品を再演するにあたって、「この作品は私が芸術的に必要としている栄養だと感じた」と語っている。現在、フランスでも有数の重要な現代サーカスアーティストとなったカミーユは、自身のサーカスへの想いを込めた原点を振り返ることによって「人が限界だと思っていることや、常識だと思っていることを覆す瞬間を見せることができる」というサーカスの本質を再び見つめ直しているようだ。

     日本においても、2014年に「瀬戸内サーカスファクトリー」が創設され、日本初の現代サーカスの拠点がつくられるなど、ようやく現代サーカスが脚光を浴びる下地が整ってきた。『ヨブの話―善き人のいわれなき受難』が日本で上演されることによって、シルク・ドゥ・ソレイユやジンガロのような大スケールのカンパニーとは異った現代サーカスの魅力に、多くの人が目を向けるきっかけとなることだろう。はたして、この未知なるジャンルは、日本においても定着することができるのか? そのための試金石としても、今回の公演が果たす役割は大きい。

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