澄みわたる大地

  • 現代企画室
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  • Amazon.co.jp ・本 (504ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784773812077

作品紹介・あらすじ

メキシコ都市小説の原点、遂に刊行!



外交官の子息として少年時代からアメリカ大陸の名だたる諸都市を渡り歩いた著者は、20代半ばでようやく母国に落ち着いた。彼は「余所者のメキシコ人」として、多様な人種と社会階級が混在する猥雑な大都市=メキシコ・シティに魅せられた。



無名に等しい作家の初長編は、斬新な文学的実験、方言も俗語も歌も叫びも、そして沈黙をすら取り込んだ文体、街中から/豪邸から/スラムから聞こえてくる複数の声の交響によって、「時代の感性」を表現し、人びとの心を鷲づかみした。

感想・レビュー・書評

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  • メキシコシティに集うあらゆる階層の人々を通してメキシコ近代史がなぞられる。
    貧農の生まれだがメキシコ革命に乗り銀行家となったフェデリコ・ロブレス、処刑された革命軍将校の忘れ形見で両親の影から逃れられないロドリゴ・ボラ、この二人の間を渡りフェデリコとの結婚により上流社会入りしたノルマ・ララゴイティ、本物の旧上流階級デ・オバンド一家の遍歴と矜持、娼婦や出稼ぎ労働者たちの喜び悲しみ、失った家族の想いと偏狭に生きる母のテオデゥラ・モクテマスの嘆き。
    そして彼らの人生や想いを聞き出すのはイスカ・シエンフエゴネス。「私は傍観者だよ」と上流階級のパーティーから下層階級のキャバレーのどこにでも顔を出す痩せて鋭い目つきの混血の男。
    「私の名前はイスカ・シエンフエゴネス。生まれも育ちのメキシコ・シティ。大したことじゃない。メキシコに悲劇などない。すべてが屈辱になる。(…)ここがわれらの都。なすすべはない。この空気澄みわたる大地」
    ===

    フエンテスの長編はかなり以前読んであまりにも難解だったので、久しぶりでした。この作品は初期の長編のためかそこまで難解ではなくまっすぐな情熱を感じます。
    幾多の登場人物の人生をさらっとなぞっていくかと思えば、濃厚な文章で一人ひとりを掘り下げ、その描写には引き込まれるばかりでした。
    登場人物の一人、フェデリコの父ヘルバシオのことはフエンテスの短編「生命線」でも書かれていますが、幻想的描写の多いフエンテス短編でこれだけあまりにも現実的だったのですが、彼らとは別の道を歩んだものや、次の世代の者たちのその後のメキシコの方向性まで掘り下げた話となっています。
    現実的でありながら魔術的、人々の膨大な声の中に掘り込まれたようなずっしりした読後でした。




    <<以下ネタバレ>>


    …ところで。
    どなたかイスカの正体を解説していただけませんか?
    テオドゥラの死んだ息子の具現化ってことでよいんでしょうか。

  • フエンテスのメキシコにどっぷりはまれる一冊。お金持ちのつけ過ぎた香水と貧乏人の家の饐えた食べ物の臭いが同時に立ち上ってくるような、映画を見ているような臨場感のある小説だった。寺尾隆吉さんが今の言葉で訳しているおかげでいっそう生々しい。

    1940年代を基点に過去を振り返りつつ、革命をきっかけに身を落とした者、成り上がった者、何も変わらずぎりぎりの暮らしをする者たちが描かれる。主旋律はリアリズムながら、意味不明の呪文みたいな文章がはさまってくるところに「おれの祖国メキシコて何なの」というフエンテスの熱いこだわりが感じられた。

    ほとんどの登場人物は典型的な貴族・成金・庶民なんだけど、例外的なのがイスカとテオドゥラ。テオドゥラは家族のお墓の上に住んでるし(メキシコシティ内ですよ)イスカは瞳の色が変わるし、どうにも妖怪じみている。そして最後の最後に突然のホラー展開! ずっとリアリズムで書いておきながら、話を動かす大本に真っ黒な太母的なものをもってくるところが、とても好みな話だった。やっぱりフエンテスはゴシックホラーっぽいものが得意な人だ。というわけで「アウラ」『遠い家族』が良かった人におすすめ。

  • メキシコという大地が、その歴史的必然(というべきか呪いとでもいうべきか)によって産んだ世界一巨大な都市メキシコシティ。その都市を舞台にして、百人はくだらない登場人物たちを展開させる、超長編小説。

    巻末にまとめてある現代メキシコ史を読むと、数十年に一度のサイクルで起きる革命によって、メキシコの階層ピラミッドの序列や、経済システムなどが、天を地に変える変転にみまわれていることが知れる。
    本作は表向きはその革命史に則った悲喜劇を描くようでありながら、読み進むうちに、その革命の現代史がさながら瘡蓋のような表層的現象であるように見せてゆく。支配者層の変転、西欧文明の流入などは一過性の感冒なのかと思わされる、いかんとも変わりようのない、大地を這う人々。

    メキシコという土地が原初より持つメキシコ性?
    メキシコ性に、生まれた瞬間から墓に埋まるその最後まで憑りつかれて逃れられない、革命家、銀行家、権力者、地主、売春婦、聖職者たち。列強諸国も表面上は統治するようでありながら、その実、出血するメキシコに延々と輸血する役割を担っているような。

    本作もまた、メキシコの大地がもつ過剰な繁茂する力が、若い作家にとりついて筆を執らせた、そんなイメージを持った。

  • 「澄みわたる大地」
    澄みわたる大地の主人公
    フェンテス「澄みわたる大地」。物語の語り手というか主人公というかはイスカ・シエンフエゴスというなんだかよくわからない謎の人物…ということになっているのだけれど、「ユリシーズ」とか「ベルリン・アレキサンダー広場」みたいに都市そのものが真の主人公と言える小説。
    そんな中のごく最初の部分からの引用。
     グラディスはこの街、台地に聳え立つ空っぽの宮殿に囲まれて窒息しかかったこの大都会で、タムシのごとく無遠慮に広がるこの街で生まれた。
    (p14)
    シュプロール現象なんて言葉、この時期あったのだろうか。
    それと、太字の部分は外部から聞こえてきた音声もろもろなのだろうか。それとも、意識の流れ?
    別冊子で、登場人物やメキシコの著名人、年表からなる「読解の手引き」というのがついている。
    (2015 03/23)

    メキシコへの問い
    「澄みわたる大地」はやっと?いろんな人物が集まるポポーのパーティーの章が終わったとこ。断片化した中にも断片化…されたパーティーの記述に(そこに出ることのない庶民代表?)のタクシードライバーの死で挟み込んでいる、というそんな構造。パーティーの翌日。詩人みたいな人物のメモ書きと、誰か?とシエンフエゴスとの対話で、メキシコとは何ぞやみたいなテーマが語られる。父(コルテス)が不明な歴史とか、メキシコの英雄はいつも負けるとか…特に前者はフェンテスのある種の分身?
    (2015 03/26)

    湖上の煙
     中庭から立ち昇る焦げた油の臭いがロドリコ・ポラの部屋に、そして屋上まで達して空気に紛れ、都市の雑多な臭いに重なった。
    (p87)
    これはちょっと前に読んだところからなんだけど、人々の意識や背負っている歴史も、この臭いや煙みたいに都市に溶け込んで、この小説世界を作っているのかな。今読んでいる100ページ前後のところは、各主要登場人物のそれぞれの生い立ちをざっと短く述べたところで読みやすいのだけど、章の最後が次(以降)の章を呼び込む為の切り離された断片みたいになっているのが気になる。これも溶け込ませる一つの技なのだろうか。
    (2015 03/28)

    時間の主題
    昨日で第1部を読み終えた。
     歳月は流れ、我は留まる。だが時には、我は流れ、歳月は留まる。つまり、時が外見で、我が存在なのか? あるいは、我が外見で、時が存在なのか?
    (p149)
    面白い文だけど、後にロドリコ(前に言及したメキシコ革命で銃殺された人の息子)が否定する文学サークルで出てきた言葉なので、そういう雰囲気だけの言葉としての提示かな、と思ったら、後でも違うところで類似テーマが出てくる(p164)から、背後に常に潜むテーマなのだろう。
    (2015 04/02)

    やっとというか意外に早くというべきか、200ページ超え。今までのところは割りと(過去の苦労話はあるにせよ)上層階級が舞台なことが多かったけど、今回は庶民階級。メキシコで闘牛は見ない方がいい?
    ただ、この人達も、今の金持ちは単にうまく立ち回っただけ、同じ穴のムジナだという認識は持っているみたい。そこのところも読み解く鍵?
    (2015 04/05)

    謎のパートナー
    「澄みわたる大地」はやっと半分にさしかかるところ。謎の主人公?シエンフエゴスにこれもなんだか謎のモクテスマ未亡人というのも登場する。貧民街に住んでいるらしいのだけど、宝石ぶら下げていたり、あの世に行くのに生贄欲しいとか言ったり、変な儀式してたり…古層のアステカに属しているらしい(モクテスマという名前もアステカかどこかの皇帝の名前だよね)。話が収縮すると思いきや、また拡散して…
    (2015 04/07)

    次の日に次の日は来なく、次の夜に次の夜は来ない
    「澄みわたる大地」半分超えたかな。超えてもまだ半分以上は謎と不明の中…
    一日は次の日と繋がってはいないし、夜は次の夜と繋がってはいない。人間一人ひとりが群衆から生まれ出て、決まった時間割をこなしては、記憶も再生の可能性も残さず消えてゆく。それが死体であり、それが都市なのだ。
    (p251)
    この小説はメキシコシティを主人公にした都市小説と言われる。その思想が現れているのが、小説半ばのこの引用辺り。断片の無意味な積み重なりが都市(そして都市生活が全域を覆う現代)であるならば、それを繋ぎ止めるのは古代から生き続けているようなシエンフエゴスの役割になるのであろう。そして、読者もまた。
    (2015 04/08)

    神と反復
     確かに神の善に限りはないが、神の悪にも限りがない。自分が作り出したものすべてを際限なく反復し続ける純粋な鏡、そんなところさ。
    (p271)
    こうなると自然そのものというか、自然の複雑性というかにつながっていきそうだけど。鏡や反復はフェンテスのキーワードの一つかもしれない。筋が直線的に進むのではなく、無限に分裂していくかのような、そんな感覚…
    (2015 04/11)

    スノッブとは?
    昨日と今日読んだところから。
    まず、昨日の分からは、銀行家ロブレスと知識人詩人サマコナとのどっちもこの頃よく聞かれたようなイデオロギー的対話論争ののち、元タイピストの女性に身を任せながら、その女の顔の背後に先ほどのサマコナとシエンフエゴスの顔を、反対側には革命時の戦場を見てしまう。という場面。無限に続く鏡の反映というイメージがここでも活用される。
    一方、今日の分では、ピピンネラ・オバンド(貴族旧家の末裔)とノルマ・ララゴイティ(ロブレスの妻)とシエンフエゴスとの対話。シエンフエゴスは立場を越えたインタビューアでもあるのか。前者では対話自体はもの別れに終わるが、そのあとピピンネラの部屋で彼女は過去の連想にはまる。シエンフエゴスもその遠くから回想を味わっているのではないか。後者ではスノッブについての対話が面白かった。シエンフエゴスによるとスノッブとは内容は何も考えないでそのまま取り入れることらしい。社交的スノッブも知識人スノッブも逆に無知識スノッブもある、という。となると、スノッブにならないことはかなり難しいことではないか。必要なのは自分からの問い。問題意識。
    (2015 04/14)

    対位法(もしくは鏡)
    突然場所がアカプルコへ移る。なんだかロブレスの銀行が怪しいという噂が出てくるのだけど、そのロブレスと変わって成り上がろうとするロドリコ(革命で銃殺された将校の息子)との対比が、ロドリコ達が企画する映画の筋と同じように落ちるものと上がるものという対位法になっているのが見取り図。ただ構図的にその対比のみで成り立っているのではなく、ばらばらになった鏡に映った一つの映像でしかないというのが、この小説の特徴かな。
    (2015 04/17)

    2日くらいほっておいた「澄みわたる大地」はいよいよ400ページ越え。ロブレスの銀行が破綻して、安カフェでロブレス・サマコナ・シエンフエゴス(やっぱなんか微妙に違う気が)の3人の議論。といっても、途中からロブレスは話の中身は聞いていなくて、その話の最中に突如現れた革命時の回想というか再体験にはまっている。ロブレスにはよくこうした現象が起こるが…
    (2015 04/20)

    9月15日のしゃれこうべ
    メキシコの独立記念日9月16日の前日、15日には登場人物が次々と亡くなる。確認できただけで5人。タクシー運転手の息子、サマコナ、ガブリエル(アメリカに出稼ぎに行った)、それから、ロブレスとノルマ。あ、でも、ひょっとしたらロブレスは生きているのかも?
    というわけで、なんかふざけた?章タイトルの割りに、ここは小説全体のクライマックス。
    そんな章の最初のページから。
     誰かが俺を覗き見ようとしているーロブレスは考えたー、内側から覗こうとしている奴がいる、ここにいるわけじゃない、それはともかく、妙な覗き方をしている。二つの卵みたいな両目を俺の内部に埋め込もうとでもしているようだ。
    (p407)
    誰だ、それは…後からロブレスが指示して消した(らしい)二人の革命家のことらしいとわかるが…そんな覗かれ方されたことあったかなあ、自分は。
    もう一箇所。
     かつて後にしたあの同じ大地、蘇った大地に辿り着く。決して見捨てることのできない土地、そのすべては墓地。旅などしていない。出口は九つの地獄への入り口…
    (p431)
    なんか小説タイトルも関係してそうな、全体の核になりそうな、そんなシエンフエゴスの独り言?旅好きな自分としては後半の言葉がかなり気になるのですが。例えばロブレスがいろいろ立ち止まって革命時の体験を再体験するのはこうした繋がっている大地があったからかな、と思ったりもする。
    さて、ロブレスは果たして生きているのだろうか?

    でも、サマコナの殺され方はちょっと「ついで」っぽくない?なんかキャラクターも急に変わってたし…
    (2015 04/22)

    サマコナの秘密
    も少しいい標題ないかな。
    「澄みわたる大地」今までここで出てきたサマコナの母親メルセデスが出てきて回想する(ここもシエンフエゴスがきっかけ)。かなり若い頃にインディオの馬丁の若者と交際持つのだけど、この若者が実はロブレスらしい…という展開は、ラテンアメリカ文学のもう一つの特徴、庶民的なお昼のメロドラマ的な要素を取り入れる傾向でもある…ということは、二度のサマコナとロブレスの対話は親子の対話だったことになる。でも、待てよ、前から気になっていたのだけど、別冊付録?の登場人物一覧には「マヌエル・サマコナ」って二人いるんだよなあ。これ最初はなんかの間違いだと思ったけど、こうしてこの小説の中央にクローズアップしてきた以上、ここにも何かひとひねりあるに違いない…だろう(限定とりあえず避け)。
    (2015 04/24)

    イスカ、自らを語る
    なんというタイトルでしょう…
    それはともかく、「澄みわたる大地」昨夜読み終えました。も少し早い予定だったけど…
    まず、やはりロブレスは生きていました。変にこじんまりした?結末だけど…
     二人のプレーヤーが決して顔を合わせることのないゲームみたいなものさ、相手も同じゲームをしていると信じ込んだまま、バカみたいに自分の手を繰り出すだけだ
    (p475)
    ロドリゴとシエンフエゴスとの最後の対話からだけど…この小説の技法そのものでもある…とかいう議論は飽きた?ま、人間間コミュニケーションの根底にはそれが存在するのでしょう。
    続いて、同じくロドリゴとシエンフエゴスとの最後の対話から。
     俺が自分の顔なんか覚えているとでも思うのか? 俺の人生は毎日が始まりなんだ
    過去の思い出なんか俺には何もない
    (p480)
    ロドリゴに「お前はどうなんだ?」とさんざんつっこまれて語ったイスカ・シエンフエゴスの答えがこれ。読者にはシエンフエゴスはメキシコシティの化身そのものであると認識されているけど。
    ラストは最後の章のこの言葉で。
     お前に記憶がないのは、すべてが同時に起こるから。お前の出産は太陽のように長く、果実時計の房のように短い。毎日生み落とされては、死の夜と向き合う。
    (p483)
    先程のシエンフエゴスの言葉に対応しているような…
    (2015 04/25)

  • ピザまんとかあんパンとか、中央にあんが詰まっている食べ物が嫌だ。一口目からその料理の味を堪能したい。この本はいわゆるカステラ、ようかんタイプの作品ではある。開くと既に物語は始まっている。そういう意味では好みな作品なんだが。その土地で生活してる人間でしかわからない閉塞感、行き場のない吹き溜まりの欲望、1人1人がまとわりつく風や雨のようにうまく受け流してる様子が素直に描かれてる。若々しいと思ったら処女作なのね。重要な作品なんだろうが、時間がある人で人生に疲れてる人でないと読むのがキツイと思う。

  • 文学

  • 刺激的な読書体験。物語としての動きは少ないのに、熱だけが詰め込まれていくような圧倒的な声、声、声。序盤は登場人物の多さにてこずったけれど、後半は一気読み。メキシコの歴史について知識があればさらに楽しめたのだろうが。

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著者プロフィール

外交官の息子としてパナマに生まれた後、キト、モンテビデオ、リオ・デ・ジャネイロ、ワシントンDC、サンティアゴ(チリ)、ブエノス・アイレスなど、アメリカ大陸の諸都市を転々としながら幼少時代を過ごし、文学的素養とコスモポリタン的視点を培う。1952年にメキシコに落ち着いて以来、『オイ』、『メディオ・シグロ』、『ウニベルシダッド・デ・メヒコ』といった文学雑誌に協力しながら創作を始め、1955年短編集『仮面の日々』で文壇にデビュー。『澄みわたる大地』(1958)と『アルテミオ・クルスの死』(1962)の世界的成功で「ラテンアメリカ文学のブーム」の先頭に立ち、1963年にフリオ・コルタサルとマリオ・バルガス・ジョサ、1964年にガブリエル・ガルシア・マルケスと相次いで知り合うと、彼らとともに精力的にメキシコ・ラテンアメリカ小説を世界に広めた。1975年発表の『テラ・ノストラ』でハビエル・ビジャウルティア文学賞とロムロ・ガジェゴス賞、1988年にはセルバンテス賞を受賞。創作のかたわら、英米の諸大学で教鞭を取るのみならず、様々な外交職からメキシコ外交を支えた。フィデル・カストロ、ジャック・シラク、ビル・クリントンなど、多くの政治家と個人的親交がある。旺盛な創作意欲は現在まで衰えを知らず、長編小説『クリストバル・ノナト』(1987)、『ラウラ・ディアスとの年月』(1999)、『意志と運』(2008)、短編集『オレンジの木』(1994)、『ガラスの国境』(1995)、評論集『新しいイスパノアメリカの小説』(1969)、『セルバンテス、または読みの批判』(1976)、『勇敢な新世界』(1990)、『これを信じる』(2002)など、膨大な数の作品を残している。

「2012年 『澄みわたる大地』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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