- Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
- / ISBN・EAN: 9784776209577
作品紹介・あらすじ
不安・怒り・執着・嫉妬は手放せる。「自分を大切にする」ことをやめる。生きるか死ぬか以外に大したことなどない。永平寺で20年修行した、霊場・恐山の禅僧が説く"善く生きる"ヒント。
感想・レビュー・書評
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タイトルがアレなのであまり期待していなかったんだけど、結構よかった。1番大きな収穫は、「私の人生、辛いことがあってもいいのだ」と思えたこと。私は「苦しみたくない」という思いの中で苦しんでいたし、苦しみをできるだけ回避しようとしていたけど、それって無理じゃん?と気づけたのが良かった。最終的には大槻ケンヂの「これでいいのだ」「それでも生きていかざるをえない」じゃないか!大槻ケンヂすごい、となったのもオマケでよかった。
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・心をラクにする方法は、簡単ではありません。それは、私たちが縋りついてきたよりどころが、たよりないこと、役にたたないことを認めることから始めなければならないからです。
南 直哉さんの著書には『老師と少年』で出会いました。寓話のように優しい言葉で綴られている本でしたが、物語が表そうとしている境地には、簡単に到達することができません。そこは、心が苦しい状態を心身の力で乗り越えてきた人だからこそ描ける世界だからです。
私たちの心の苦しみは、自分を愛したい、でも愛せない、自分を守りたい、でも守れない、という葛藤から生まれているのだと思います。誰よりも大切なはずの自分を自分自身で愛し、守ることは、思いのほか難しい、だとしたら、自分の次に大切な人を、愛して守ればよいのかもしれません。
何よりも、家族に恵まれるということが、いかに幸せなことなのか、噛みしめている毎日です。なぜならば、そこには自分以外の誰かのために、自分の時間を使うという行為が自然に行える仕組みがあるからです。
孫のため、それは娘のため、そして妻のため、家族が少しでも安心して暮らせる方向へ、ほんの少しでも舵を当てる、それができる自分であることが「ありがとう」と言われる前から、ありがたい。 -
本屋で手に取り、購入した。
自分ファーストな人達に圧倒され、家庭のなかでは些細なことで張り合い、幸せでなくては、生きがいを持たなければという想いに自ら囚われ…
そうした諸々に生きづらさを感じるときに読むと、少しラクになれそうだ。
「本当の自分」にならなくてもいい。「生きる意味」を見つけなくてもいい。
すべては「仮の宿」で、「人生のそれ自体に意味などない」と。
少し乱暴に聞こえるところもあるが、そこまで言い切らないと伝わらないほど、私たちは色々な欲に縛られ、憂う必要のないことを憂いて生きているのだろう。
傍らに置いて、ときどき読み返したい。 -
読んでいて、心が軽くなりました。
こういう生き方もあるんだなと参考になりました。
辛いときにまた読もうと思います。 -
すごく人間くさいお坊さんだと思いました。
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南直哉さんの最新作。葬式仏教とは一線を画し、本来の仏陀の考え方、禅の思想をベースにして、生きるとは、死ぬとはを正面から考え続ける僧の言葉はシンプルだけど響きます。何回も味わいながら読みたい一冊。
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良く言われる「○○しなくては・○○でなければ」ということを気にしなくてもいいと思えます。
生きることが苦しいのは当たり前、夢とか目標とか、子供のころにこういう人の話を私も聞ければまた少し違ったんだろうか。…当時の私を振り返ると変わらない気もしますが。
悲しみと向き合うのは今後の私には大切になる気がします。私はこの中の12時間話した人と同じくらい忘れられませんし、引きずりますから。今読めてよかった。 -
老師が望んだタイトルではないそうだが、毒を持って毒を制すると考えれば、誤解を招くかもしれないが、決して的を外したタイトルではなく、老師の考えが優しく整理されていると感じた。
私が愛情を注ぐ相手の人生は私のものではない。
私が愛情を注ぐ「対象」は須らく私のものではない。
ならば、私が愛情を注ぐ「私の人生」もまた私のものではない。
これが私の人生が意のままにならない理由である。