自虐蒲団

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著者 : 小池昌代
  • 本阿弥書店 (2011年12月発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (245ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784776808602

自虐蒲団の感想・レビュー・書評

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  • ■これはちょっとキツかった。っていうか何を表現したいのかよくわからなかったよ。(苦笑) こういう本に出会ってしまうのも図書館本ならでは。(^^;

  • ことばの妖しい魅力に捉われ、それでもコトバを使い、言葉の中に沈潜し、また浮かび上がる。人はことばから離れられない。

  • ちょっと怖いな、ぞっとするな、残酷な終わり方をするなと思いながら短篇を読み終えました。あとがきで趣旨説明がありました。詩を書いていくうちに自分にたまる毒で自虐的な言葉が生まれた。詩より、小説の方が、毒を吐きやすいのでしょうか。解毒できたのちは、また詩をかくことになるのか、楽しみです。

  • 12/03/11 短編集。「一家言」「二階」が面白かった。

  • 『いや、こういう言い方は正確ではない。当時の僕は、ただ世界に次々と起こっていく出来事のすべてを、ただただじっと見つめていたにすぎない。意味はあとから追いかけてきた』-『醜い父の歌う子守唄』

    一つのモチーフが思い浮かぶ。それをどこまでも追いかけて引き伸ばして書いてゆくことのできる作家もいる。そうやってできた作品が「引き伸ばす」という言葉が意味しかねない「薄さ」を全く感じさせないことだってある。その一方で、その「切っ掛け」の持つ瑞々しさにこだわって、場面を展開しかねる作家もいる。小池昌代はそんな作家だと思う。

    それは彼女が詩人であることと深く関係していると思う。一瞬の持つ意味の大きさを十分すぎる程に受けとめてしまう、例え受け止めることが不可能なくらい大きな重いものだとしても身を挺してしまう詩人の習性のようなものなのでは、と思うのだ。

    瑞々しい、と書いてみれば否応もなく解ってしまうことだけれど、その鮮度は切り取られた花の茎の面を思い起こさせ、切り揃えられた端正な形と佇まいの印象を呼び起こさせる。つまりは、切る、という行為が必然的にその言葉の裏側にはついてまわるのだ。そして、その言葉から、またしても避けようもなく、痛み、という言葉が連想されていく。

    その切り開く対象が花の茎であれば、瑞々しさは痛みの代償として少しばかり長く保たれる、と何か解ったような解らないような平衡をとることもできよう。しかし、詩人はその刃先で自らの身体を切り開く。すうっと引かれた刃の付けた線から、じわじわと体液が滲み出る。その体液の鮮度は、何かを呼び起こす。覚醒と呼び、ひらめきと呼ぶようなものが生まれ、何かを創造することもあるだろう。しかし、その瑞々しさは、傷となって身体に定着する。かさぶたは剥がれて落ちても、その裏側に存在していた筈の傷は身体の奥に底着する。そこに平衡を求めることは残酷である。

    自虐、とこの詩人がいう時、その言葉の裏にそんな瑞々しさとの引き換えが存在しているかのように響きはしないだろうか。それを思い込み過ぎだと考えようとしても、この短篇集には、引き受けた痛みが、もたらされたひらめきと一緒に其処彼処に散らばる。底着した傷の叫びが満ちている。その叫びの主をついつい小池昌代自身に結びつけてしまうのは、不自然なこととは思えない。

  • 言葉が人を、家族を不幸にしていく。
    そんな物語がイッパイ詰まっています。
    でも、知らず知らずの間に、この世界に引きずりこまれます。
    ブラックです。

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自虐蒲団の作品紹介

詩人、俳人、小説家、腹話術師、コピーライター、編集者、女優など、13人の"言葉師"たちの奇妙な物語。狂おしくもユーモラス、恐ろしくも哀しい連作短編集。

自虐蒲団はこんな本です

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