子供はどのようにしてことばを覚えるのか。
自分の子が生まれて、はじめて考えるようになった。
これまでは、漠然と、大人が新しい言葉を覚える工程と並行的に考えていた。
あろうことか、教育関連の広告に惑わされて、教材を用意すれば、子供はことばを覚えていくものだと勝手に解釈していた。
本書はその考えの浅はかさに気づかせてくれた。
そもそも子供は、ことばそのものについて予備知識がない。
いわば、まったく白紙の状態である。
大人が新しい言葉を覚えるのとは状況が全く異なる。
我々のように予備知識のある大人でも新しい言葉を習得するのに苦労するのに、予備知識がない子供がことばを覚えるのが簡単だとどうして言えるのだろうか。
このような違いを無視して、子供への教育をおろそかにしようとしていたことは非常に恥ずかしいことである。
繰り返しことばを聞かせてあげるのはもちろんである。そのためには、身近なことばを中心に、共に体を動かしながら、ことばを文字通りすり込む必要がある。
必然的にテーマは身近なものであるべきで、先生役は身近な存在である親が務める必要がある。
本書では、それを「汗」を感じることばと表現していた。
このことが理解できると、テレビの弊害が具体的によく分かる。
テレビは確かにわかりやすいかもしれないが、内容に偏りが多く、汗を感じることがほとんどない。
ここまでテレビが生活に浸透している今、テレビ無しでの生活はなかなか難しいことは確かである。私自身、子供の頃、家ではは常にテレビが付いている状態で生活していた。
それでも、親の意識次第でいかようにも変えることはできる。
ことばを耳で聞かせた後は、目で読んで理解することが次にくる。
具体的なものを表すことばは、対象物を手にとって感じることができるので、ことばが意味するところを理解するのは比較的容易である。
それに対して、形のないものを扱うようになるとそうはいかない。
ここで必要なのは、子供の想像力。この想像力をいかに磨いてあげるのかが、親の次なる課題になる。
まず、親の意識として、そんなに簡単にはできるようにならないと覚悟を決める必要がある。それにより、根気も生まれるし、工夫も生まれてくるはずである。
具体的には、興味のありそうな本の読み聞かせや、長い間、生き残ってきた古典の素読などが方法論として紹介されていた。
古典は、私も尻込みして手が出せないことが多い。いい機会なので、子供を楽しんで読んでみたい。
忙しいからといって人任せにするのではなく、子供の一生を左右する重要なテーマだと考え、ことばの習得を手助けしてあげたい。