LEICA,My Life (ライカ、マイライフ)

著者 :
  • エイ出版社
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本棚登録 : 30
感想 : 1
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  • Amazon.co.jp ・本 (238ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784777930487

作品紹介・あらすじ

ライカとともに半世紀を歩んできた写真家が撮り、ライカの本当の魅力を語る。ライカで撮影した珠玉の作品108枚、ライカ人生を語った27のエッセイ、作家・沢木耕太郎氏との対談を収録。

感想・レビュー・書評

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  •  チョートクさんが、珍しく真面目に書いている(笑)
    いろんなウンチク、世に対する放言の類は、いつも通り軽妙洒脱なんだけど(&他の著作等で語られている内容との重複も多い)、タイトルでMy Lifeなどと謳っているものだから、なんだか辞世の句然としていて、しみじみと読んでしまった。

     というか、電子書籍で読んでいたが、改めて(日本帰国後)紙ベースで入手にして放置してあったのを読み返した。モニター越しに字面を追った時と較べて、内容の理解度が段違い。慈雨が芽吹き前の耕地に浸みわたるかの如く、言葉ひとつひとつががじんわりと身体に沁みてくる感がひとしおなのであった。それも、しみじみした理由かもしれない。

     三つ子の魂なんとやら、親父さんにカメラを買ってもらう時に
    「長徳(ながのり)、どうせなら最初からライカにしたらどうだ。国産だとすぐに飽きがくるぞ」。
     と言ってもらえたのが全ての始まりだったんだな、この人の場合。自分の息子にこうは言えん!と思った(&本書も読ませられない・笑。だって今のデジタルライカ、めちゃくちゃ高いぞ!)
     そんな出だしなものだから、とにかくライカ礼賛な一冊ではある(あるいはデジタルへの反骨?!)。

    ”昨今のデジタルカメラは、売る方は3か月勝負で、使う方は3年経過したらゴミになるらしい。これは文化ではなく、消費というものだ”

     なかなか辛辣だが、これはある程度納得出来るかな。不便さも含め、そこに自分の行動を合わせ創意工夫を重ねるところに人間らしさが出てくる。昨今、会社にITシステム導入の話は多い。何でもかんでも希望のスペックをシステムに盛り込むと高価になってしょうがない。ある程度のカスタマイズは必要だが「既製服を買うように」なるべくシステムの仕様に人間側の業務を合わせて行く方が費用対効果の面でも効率的だという話を、ふと思い出したりもした。
     こんな内容の本を、電子書籍で読もうとしたところが、そもそも間違いだったのだと改めて思わされた(笑)

    ”装弾が切れたら命が危ない。フィルムが切れたら終わってしまう。フィルムカメラのこんな危機感は、確実に自分の中の何かを駆り立ててくれる”という、氏曰くの「フィルムカウンターの人生の午後感覚」が、実に面白い。限りのあるフィルムを使うことでしか味わえない感覚だろう。
     本書の後段、思い出の地(20代を過ごした)ウィーンに赴いて本書用の写真を撮りに行く日々が日記形式で綴られている。毎朝、使うカメラとレンズ、そしてフィルムの数を決めて表に出て行く。デジタルカメラを持って何千枚と撮れるSDカードを差し込んだだけで漫然と撮りに行くのとでは部屋を出る1歩目から覚悟が違うという気がした(もちろんデジカメでもバッテリーとSDカードの残量を確認はするのだが、どこかお手軽感は、ある)。フィルムを拳銃の装弾に準えるのは、まさに戦地に赴くかの如くだ。撮った絵をその場で確認できないことも、一期一会に賭ける気迫と、シーンごとのショットに一か八かの勝負を彷彿とさせる。

    ”フィルムライカがストイックかつ戦闘的なのは、用意したフィルムの本数が写真家を縛るが、その本数を撮り終わったら、彼はその仕事から解放されるという約束を、それが誰であるのかはわからないある崇高な存在と契約関係を無意識に結んでいることにある。”

     確かに、崇高な気がしてきた(笑)

     戦地といえば、元祖戦場カメラマン、ロバート・キャパのドキュメンタリーをものした沢木耕太郎との対談が載ってるのも、この本のお得なところ。沢木のキャパ評も、かなり多くの文献で見聞きしているけど、己とキャパの類似性について言及した発言は初めて見たような気がする。チョートクに「キャパについて、なぜそこまで・・・」と訊かれ、こう応えている;

    ”割と単純な動機で、キャパは自分とよく似た同類のような人間だと思っているんですよね。ジャーナリスティックな言い方をすれば、撮るということは基本的に見るということで、アクティブに自ら行動を起こすことではない。見るだけの人間であることの悲しみをキャパは感じていただろうし、僕も自分の仕事の中で感じている。そういうある種の共通する部分があるように思っているんです。”

     流石、沢木耕太郎、実に鋭い考察だ。写真好きな人間って、どこかこういう気質を持っているような気がする。 ”自ら行動を起こすことではない”、つまり事態の主人公であってはいけない。それを傍らで眺めている傍観者でなくてはならないということだ。
    それを”悲しみ”と捉えるかどうかは意見が分かれるところかもしれない。傍観者とはいえ、完全な第三者、部外者では良い写真は取れない。主体(つまり被写体)とはなりえないが、そのシーンの中に自然に溶け込む感じ、透明な存在となりえた時、いい画が撮れるような気がしている。カメラを手にしている時は意外とその居心地良さを感じる自分を意識することがあるが、どうだろう。

     本書はかなり膨大な写真も掲載されていて(「WIEN 1973-1980」「WIEN 1973-1980」で42点、「NEW YORK」で32点、「WIEN 2011」で32点の計106作品)、写真集的なフォトエッセイにもなっている。以前、チョートクさんはStreet Photographerだと認識していたが(実際そうなんだけど)、その作品は人物を入れて写したものが少ないのは今回改めて眺めてみての再発見。沢木耕太郎との対談の中で、「人間嫌い」「物に対する執着が強い」と発言しているのも意外な気がした。

     実際、人間嫌いなわけではないとは思うが、人影の映り込んでいないWIENやNYの街角のモノクロームの作品を眺めていると、冒頭感じた、どこか辞世の句めいたしんみり感がよりいっそう強く滲みでてくる気がする。他のチョートク本にはない重みのある一冊だった。

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著者プロフィール

写真家。1947年東京都文京区生まれ。日本大学藝術学部写真学科卒。著書多数。

「2015年 『佃日記 2001-2003』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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