- Amazon.co.jp ・本 (416ページ)
- / ISBN・EAN: 9784778312886
作品紹介・あらすじ
"ひとりでも多くの人に話を聞いてほしい、書いたものを読んでほしいと思う人間にとっての技術的な最優先課題は「どうすれば、聴き手や読み手はこのメッセージを『自分宛てだ』と思ってくれるか」ということに集約されることになります。当然ですね。それが「リーダビリティ」といういささかこなれの悪い言葉を使って、この本の中で僕が論じていることです。"
本はなぜ必要か。
どうすればもっと「伝わる」のか。
強靱でしなやかな知性は、どのような読書体験から生まれるのか――。
ブログ「内田樹の研究室」と、各媒体への寄稿記事より、「読書」と「表現」に関するものを厳選、大幅に加筆・改訂。
次なる世紀の行く手を照らす、滋味たっぷり&笑って学べる読書エッセイ。
感想・レビュー・書評
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ビジネス書とは、全く違う視点からの読書論。
ビジネス書ではいかに効率よく本を読むかといったような、喉の渇きを癒すための読書のように感じる。
しかし、いくら本を読んでもこの渇きは癒されない。水を飲んだ瞬間は癒されるが永遠に渇きは波のように押し寄せる。
ビジネス書も読んだ瞬間は、モチベーションが上がるが、またさらなるスキルアップやバージョンアップが必要になる。
この読書の渇きにとつきあうには、渇きとはなんなのか?渇きはどこからくるのか?と問いをたてて考えながら渇きを癒すのではなく、渇きと程よくつきあって共存していくのが良いと思わせてくれた一冊。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
あぁ‥かっこいい。
『街場の文体論』も読みたい。
私には難しいかなと探るように読み始めだけれど、とても読みやすかった。(理解したかどうかはともかく)
知らない書名、知らない人のオンパレードだった「文芸棚」「人文棚」「ウチダ本棚」の章からとにかく楽しかった。
そして「教育棚」「著作権棚」「表現とリテラシー」には比較的身近に感じる話題について、目から鱗な話がハッキリキッパリ書かれていた。格好良かった。
「卒論の書き方」なんて、学生の時に読んでいたら‥!と、どうしようもないことを考えてしまう。
一番興味深かったのは著作権についての考え方。
そして人とともに「死ぬ」言葉のこと。
人通りの多い場所で読んでいたのに、しばらく周りの音が聞こえなかった。
止まった時間の中で読んだようだった。 -
街場の読書論
知の巨人・内田老師のレビューから始まり、後半は教育論・著作権論に繋がる。
私の本棚は面白かった。内田少年が大人になるまでにどんな読みものを読んできたのか、小説を通じて、未知の人の身体を通じて世界を経験することに深い愉悦を感じる。自分が生身の身体で世界を享受するものとは違う仕方で私より深く、貪欲に世界を享受してる身体に同調する時、小説を読む愉悦がある。本を読んでいるうちに腹が減るとかビールが飲みたくなるタイプの文章は、文章としての出来が良いと言える。無論、読んでいるうちにその本が読みたくなるレビューというものもそうなのだろう。チャンドラーの『長いお別れ』を読んで高校生の時にギムレットを知った内田老師は高校生にして「夕方5時のロサンゼルスの開いたばかりの涼しいバーカウンターで、一日最初のギムレットを呑む」時の愉悦を先駆的に体験し、そして大人になって初めてギムレットを呑んだ時に、その美味のうちの75%はフィリップ・マーロウからの贈り物として体験したのである。
私も村上春樹の『1973年のピンボール』や『風の歌を聴け』を読んだ時の先駆的に体験した芦屋の浜辺の夜風やジェイズバーまでの陰鬱な雰囲気を、後になって体験したときに、その愉悦の大半は村上春樹からの贈り物であると思った。受動的な活動―例えば映画とか読書とか―で先駆的に体験した感動をストックしていくと、いざ自分がその場に行って体験した時に、レバレッジをかけたように愉悦が倍増するというのは、インドアとアウトドアの活動の架橋になると思う。
池谷さんの講演から、脳は「出力」を基準にしてそのパフォーマンスが変化するという教訓を得たという話は大きく頷けた。池谷さんは脳科学者で、実際に実験によってこの知見を得たのであるが、何百冊の本を読んで何も発信しない人よりも、たった数冊を使い込んで積極的に発信する人の方が、脳のパフォーマンスとしては良いのである。インプットとアウトプットの関係である。アウトプットを基準にして脳のパフォーマンスは向上する。私がこうしてブクログに感想をしたためているのは、アウトプットを残すことで、インプット過多にならないようにするためでもある。また、その後の章で、論文を書くときには「序文」を二度書くということを話している。これは、最初に序文を書いた時と、最後に書き直した時のその変化が、その論文を書いたことによる自分自身の変化を定点的に教示してくれるマイルストーンであるからである。むしろ、最初に書いた序文と、最後に書いた序文が違わない時、その研究には意味がなかったとさえいえる。これは阿部謹也先生が上原専禄先生に言われた「学ぶとは自分が変わること」ということに通じている。自分が変化し、同じ事象について別の視座から捉えられることができること、それが即ち学ぶことなのである。レビューを書いて、その数年後にもう一度その本を読んだ時に、その数年分の変化を自分が楽しめるというところもブクログの面白さである。
なお、内田老師は圧倒的にブログを更新することによって、アウトプットを行う。そのアウトプットの膨大さが、逆説的に内田老師の知の果てしなさを担保しているのだろう。
字数を減らして簡便に、快刀乱麻を断つの如く説明することと、わかりやすさは異なる。
つまり、わかりやすく説明しようとすればするほど、それなりに論理や比喩を使い、時には「ここは難しいですよ」というようなメタメッセージを送りつつ螺旋状に文章を深堀する必要がある。内田老師の話は、複雑な話を説明する時、その複雑さを保存しつつ、我々に近い複雑さに還元して説明する。人類学をサッカーに例えたり、それが解り易さというのであろう。 -
1文芸棚
軽快な語りである。本読書が著者との対話であるというなら、慣れてきた、文体、構成、話の進め方など。取り扱いの本は、軽い内容ではないと思うのだが、分かりやすく、扱っている技がある。
2人文棚
じんぶん、ちんぷん、長い文でさっぱり分からず。
3内田棚
自画自賛でも、おもしろい、読んでいない著作が多かった。
4教育棚
歌わざる英雄は何故、教育なのだろう。教えるものなのか?誰かがいわなければ分からないのだろうが、学生向けで分かる教育なのか?
運がいい、という表現がとても気に入った。
学ぶ力中学2年生が対象なのか。まさに好対象な時期ともいえる。これが大学に入ると込み入ってしまうのは何故だろう。
6著作権不明
グーグル、クラウドとネットが発達してきた以上、著作権を保護することは難しい。著者の利用可の考えは、とても好きである。また、中国の著作権に対しての指摘も最もである。擬似著作権についての話は知らなかったこと。「戦敗加算」なるものが敗戦国にいたとは驚きである。アメちゃんの考え方はフェアではない。
ブライアン・ウィルソンの気鬱は心を打つものがあった。 -
これは手元に置いておきたい本。
著作権棚の章が面白かったなぁ。
たぶん最近もやもやと考えている事柄についてだから。
作家さんのTwitterとか見ていると、
図書館で本を借りて読むことへの否定的な意見もまーちらほら目にする。
で、それに対してなんだろう、なんか違和感を感じていて。
お金を払わない読者は作家に取って不要なんだろうか。とか。
そういうのぐるぐる考えていたので、この章が興味深かった。
そしてここでも内田さんの論というのは、贈与がベースになっている。
私たちの読書体験は必ず、贈られたもの、無償のものから始まる。
あぁ、なるほどなぁって。
すっごく個人的な感覚なんですけど、図書館で本をたくさん借りる方って、
基本的にご自分でも本をバンバン購入しているんですよね。
それがこの章で言われている「『無償で読む読者』が増えれば増えるほど、『有償で読む読者』予備軍は増える。」ということなのかなぁ。
他にもいろいろ考えるところがあるので、とりあえず何度か読み返したい。 -
「爾来私は書物について《出力性》を基準にその価値を考量することにしている」 出力性てのは読んだあとに何かしたくなることらしい、例えばビールが飲みたくなるとか。この本は本が読みたくなって、文章を書きたくなりました。
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ブログから書物に関するエッセイ的なモノを寄せ集めた一冊。しかし、面白い。
内容に関わらずサクサク読めてしまい、かつ、いちいち腑に落ちる。この技法に相変わらず唸らされます。
実は読んだ後にあんまり内容が頭に残ってないのに、なんだかわかんないけど妙にモチベーションが上がっちゃうんですよ。
だからブログをまとめただけであっても、同じような内容を繰り返してるだけでも、ついつい読んでしまうんだなぁ。 -
重度のタツラー(内田樹の読者)であるわたしは、
ここに書いてあることの大半を一度別のところで読んでいる。
それでもやっぱり面白い。
ひとつ、
この本が読書論であるところの所以は、
読書によってリンクする様々な思考を展開してみせているところだろう。
本書では、
読書を「scan」と「read」の二つに分けている。
わたしはその先に「link」があると思う。
つまり読書は、
「今ある自分の知識・思考」と、
「本に書いてあること」を繋ぎ合わせる(「link」させる)ことだと考えている。
著者は、
スワヒリ語40単語を覚えるプログラムの話を引いて、
「脳の機能は「出力」を基準にして、
そのパフォーマンスが変化するのである。
平たく言えば、
「いくら詰め込んでも無意味」であり、
「使ったもの勝ち」ということである」
と書いていることから、
知識を使うことの重要性を説いており、
本書ではまさに「自分の知識を使って本を読み解く」
という前述したことを体現しているのである。
わたしが毎日シコシコと日記をしたためるのも、
こうした修練の一貫であると言える。 -
内田さんには、いつも頭と常識をかきまわしてもらうのを期待しているのだが、今回は励ましてもらった。
(1)情報強者とは、自分に必要な情報があるときに、「教えて」といえば、「うん、いいよ」という人のところにホットラインがつながるようにネットワークが構築されている人のことである。(p366)
復興のことで、本当の現場の情報をするためにネットワークづくりをしていた自分にぴったり。
(2)人間がいきてゆくために本当に必要な力についての情報は、他人と比較したときの優劣ではなく、「昨日の自分」と比べたときの力の変化についての情報なのです。(p285)
もともと強い劣等感にさいなまれている自分としては、自分自身の力を少しでも伸ばすことに価値を見いだしたい。
(3)共同体はそのメンバーのうちで、もっとも弱く、非力な人たちであっても、フルメンバーとして、自尊感情をもって、それぞれの立場で責務を果たすことができるように制度設計されなければならないと思っているからです。それは親族や地縁集団のような小規模な共同体でも、国民国家や国際社会のような巨大な共同体でもかわりません。(p244)
今回の本は、ちょっと心が弱っているので、励みになりました。
参考文献。ローレンス・トーブ『3つの原理』(ダイヤモンド社)、平川克美『株式会社という病』(文春文庫)『移行的混乱』(筑摩書房)、難波江和英ほか『現代思想のパーフォーマンス』(光文社新書)