愚民社会

  • 太田出版
3.58
  • (10)
  • (24)
  • (21)
  • (6)
  • (1)
本棚登録 : 298
感想 : 22
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (312ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784778312916

作品紹介・あらすじ

近代への努力を怠ってきたツケが、今この社会を襲っている。日本の終わりを書きとめるための、過激な社会学者と実践的評論家による奇跡の対談集。

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 読み進めるごとに、宮台・大塚両氏の諦念というか覚悟というか、とても納得できます。

    この国は、この国の人たちは、変わることなく流されるように生きていくんだな…
    どうしてそうなんだろう?と考えるけど、風土とか歴史とか地理的条件とか日本語とか…色々複雑にありそうだな…一言では言えない。

  • 子どもたちに憲法前文を書かせるなど、「近代」を根づかせるための実践をおこなっている大塚英志と、あえて「天皇」について語り「亜細亜主義」を標榜する宮台真司が、共通の問題意識をもちながら、東日本大震災以降におたがいの立場を入れ替えるようになったことをめぐって対話をおこなっています。

    おおむね大塚が宮台にインタヴューをおこなうというかたちで議論が進められています。表面的には両者の立場は対極的にも見えますが、本人たちも認めているように、じつは極めて近い問題関心にもとづいてそれぞれの立場を選択したということがうかがわれます。

    ただ、東浩紀シンパのわたくしとしては、両者のある意味で「啓蒙的」なスタンスにはついていけないと感じてしまいます。本書のなかで大塚はくり返し「なぜ天皇なのか、ほかのものでもいいのではないか」と宮台に問いかけ、宮台は「おなじ機能を果たせばなんでもいいけど、なんでもいいといってしまえば機能を果たさなくなる」とこたえています。さらに宮台はみずからの立場を「三枚腰」だとも述べていますが、こうした彼の主張は「メタ」が「ベタ」に取り違えられてしまう状況を踏まえたうえでの戦略的な振る舞いを意味していると理解できます。しかし、そうした取り違えが生じることには理由が存在しており、宮台のように「メタ」と「ベタ」の水位差をコントロールしうる立場はもはや維持しがたいように思われます。

  • 予想通り小難しい言葉での対談。特に愚民を嘆いているわけではなかった。

  • 社会

  • 書名が「愚民社会」と挑発的ですが、内容は「土人社会」ともっと挑発しています。BREXITやトランプなどのポピュリズムが吹き荒れる世界の流れに刺激を受けて、二人の論者と書名に惹かれて開いた本ですが、3・11きっかけでまとめられた日本論でした。西郷隆盛や福沢諭吉まで遡り、日本の近代化が可能なのかどうか、という、かなり日本ローカルの特殊な事情を語り合っています。なのですが、経済と国土だけじゃないもの、とか論理だけでは溢れ落ちちゃうもの、としての文化への向き合い、という意味では普遍性も感じました。タイミング的には最終章の憲法改正を巡る議論が大迫力。土人憲法の行方は、どうなるのでしょう。脚注満載なので、それだけでも知らなかったことが知れます。でも、正直、ちゃんと理解出来てないと思う土人でありました…大塚英志のあとがきの「教育」に未来を託すスタンスに、宮台真司のトリッキーなロジックよりも共感を覚えたことも、備忘しておきます。

  • 読み手にもある程度の知識が必要。自分はまったく足りてないので、ところどころ分からない部分が多かった。

  • 素人置いてけぼり感のある対談
    この二人に関心がある人じゃなければとりわけ読まなくてもいい本

  • ――――――――――――――――――――――――――――――
    相互扶助的機能、とりわけ感情的回復機能や子供社会化機能に注目して、家族の機能を果たす「家族的なもの」をあえて家族として認めていくのです。

    伝統主義はかえって社会を破壊する。あえて機能主義に立つと社会を保全できる。これが「伝統家族から変形家族へ」の意味です。(宮台)105
    ――――――――――――――――――――――――――――――
    子供のいない人も教育税の高い町村に移り住むことがある。

    子供を共同体がどのように扱っているかということが、子育てや教育に限らず、共同体がさまざまな公的問題をどのように扱っているかを示す、バロメーターになると考えられます。(宮台)125
    ――――――――――――――――――――――――――――――
    周りのお母さんたちについて少しだけ弁護すると、ヨソの子を連れて行くことを主いつかなかっただけだと思うんです。(宮台)

    思いつかなかったから「土人」じゃないですか。(大塚)129
    ――――――――――――――――――――――――――――――
    近代をみんなやりたくないから。ということで、共産党はないことになっている。(大塚)138
    ――――――――――――――――――――――――――――――
    ローウェルはつまり日本人は猿だ、土人だといっているのにそれが自己肯定的な日本人像になっていく。

    外国人が語った日本人論によって日本文化が語られて、いわば、それが「近代」へのサボタージュの方便や根拠の一つになっている。

    「日本」とか「日本の美徳」とか称されるものの「つくられ方」は何度もいいますが、もう一度、丁寧に検証しておく必要がある。(大塚)149
    ――――――――――――――――――――――――――――――
    天皇に安堵を求めるのでは、まさに<田吾作による天皇利用>につながってしまうからです。

    僕たちが何かというと天皇に安堵を求めることこそが、日本が永久に三等国家に留まらざるを得ない理由だと思います。そして三等国家に留まることを天皇陛下ご自身が望んでいらっしゃらないということです。

    近代化の不徹底を、何か別のものを持ち出して補完するというタイプの手段主義的な思考は、たとえ動員の戦略としてやむを得ず持ち出されるのだとしても、近代主義の立場からも、天皇主義の立場からも、最終的には無効だというのが、僕の考えです。182

    三島的な言説を吐くのをやめて、その後の小室直樹はウルトラデモクラット、ウルトラモダニストとして振る舞うようになったんです。そのことを通じて小室直樹は、昭和天皇への本懐を遂げたのだと、僕は信じています。(宮台)183
    ――――――――――――――――――――――――――――――
    憲法意志というものがあるという前提で人びとが振る舞うことを前提にして初めて回るシステムがあるんです。

    存在しないものが存在するという前提でシステムを回すことによってしか保たれないコンスタンス(定常性)がある。250

    「憲法意志が存在する」というのは大乗的命題です。「実は憲法意志は存在しない」というのは小乗的命題です。「憲法意志は存在しないが存在するかの如くウソをつけ」がヴァジラヤーナに相当します。252

    僕が伝えたいのは、ヴァジラヤーナ的命題、すなわち社会の存続がどんなウソを必要とするのかを述べ伝えることです。(宮台)253
    ――――――――――――――――――――――――――――――
    西洋的近代を支える固有の地面も、日本的近代を支える固有の地面も実はないんです。そんなものはあり得ない。254

    何かが起これば警察を呼べると思っている。ハンバーガーを注文すれば牛肉一〇〇パーセントが出てくると思っている。古泉純一郎が存在すると思っている。

    思い込みが真実かどうかということよりも、思い込みが成立し、持続するための条件を問うのが、予期理論です。(宮台)255
    ――――――――――――――――――――――――――――――
    ここまで書いて、大抵の人たちが最後には必ずこう聞いてくる。「私はどうすればいいのですか」と。知らねーよ。

    あなたの「私」もあなたの「ふるまい」も、それはあなたの責任であり、それを引き受けるのが嫌なら、つまり「近代」が嫌なら頭の中を真っ白にして、魚の群れに加わりゃいいじゃないか。

    そうしていつかどこかでその群れが誰かを殺すことに、比喩として、あるいは比喩としてでなく、あなたは加担することになるのである。(大塚)306
    ――――――――――――――――――――――――――――――

  • 東日本大震災と福島原発事故をきっかけとしてこの国は変わる、いや変わらなければならない、とあのとき思った。そして東浩紀の「一般意志2.0」を読み、未来に対して希望を持った。しかし2年が経ち、日本の恥部の一部が露呈しただけで一向に変わる気配がない。どうもおかしい。
    本書によると「たかだが地震ごとき、たかだが原発事故ごときで変わるはずがない」、それほどまでに深刻な状況に陥っているという。近代化への努力を怠った愚民、田吾作、土人が今更何を言うか!という痛烈な批判。
    暗くなる未来予測だが、「今いる『土人』たちはどうしようもないが、次の世代までそのことにつきあわせる必要はない」という大塚氏のあとがきに、ほんの少しの救いを見、重い肩の荷を感じた。

  • ──ぼくが震災後この国の言説に乗れないのはそこでつくり出されるものが相も変わらず「魚の群れ」たちによる「空気」であり、その「空気」を「愛国」と呼ぼうが「反原発」と呼ぼうが同じである──
    ──そして今や、大衆を動員するのではなく、「大衆」にメディアも知識人も「動員」されている。首相も東と西知事も、そしてある意味で「天皇」さえ「大衆」に動員されている。──
    大塚英志氏のあとがき部分からの引用だが、その通りだと思う。今の日本人に絶望している大塚氏の「土人」と切って捨てる言説は耳に痛い。

    よくある「日本人ダメ論」なので読んでて気持ちのいいものではないし、いちいち「○○によれば」「○○にもあるように」「○○的にいえば」などといった他人の言説をもってくるので、知っていればいいが知らないとさっぱりつたわらず、ややすると自分達だけがわかっているといったオナニープレイのような文章なので本としてはおススメとしにくい。
    対談集なのでこのへんはしかたないのかもしれない。

全22件中 1 - 10件を表示

著者プロフィール

大塚 英志(おおつか・えいじ):大塚英志(おおつか・えいじ):1958年生まれ。まんが原作者、批評家。神戸芸術工科大学教授、東京大学大学院情報学環特任教授、国際日本文化研究センター教授を歴任。まんが原作に『アンラッキーヤングメン』(KADOKAWA)他多数、評論に『「暮し」のファシズム』(筑摩選書)、『物語消費論』『「おたく」の精神史』(星海社新書)、他多数。

「2023年 『「14歳」少女の構造』 で使われていた紹介文から引用しています。」

大塚英志の作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×