ピアノを弾く哲学者 サルトル、ニーチェ、バルト (atプラス叢書)
- 太田出版 (2014年11月29日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (232ページ)
- / ISBN・EAN: 9784778314156
作品紹介・あらすじ
いっこうに上達しないショパンを弾くサルトル。驚くほど美しく繊細な手で弾くニーチェ。ピアノを弾いていると「何かが勃起する」バルト。ピアノ演奏をこよなく愛した三人の思想家の知られざる側面を浮き彫りにする、哲学と音楽が豊かに共演したエッセイ。
感想・レビュー・書評
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たいてい、違ったジャンルの本を3冊を並行して読んでいる。それぞれにふさわしい部屋で読む。そして時々外へ持ち出す。
本作は夜、音楽を聴かずに読んだ。めずらしくいろんな部屋で読んだ。風呂でも読んだ。
ジャンケレヴィチでもアドルノでもなく、サルトル、ニーチェ、バルト。この3人の思想家、そしてアマチュア・ピアニストについてのエッセイ。彼らがいかに、私生活でピアノと関わってきたのか。
そこには意外な顔が見え隠れする。
意外なことに、3人ともショパンを愛したのだという。あのサルトルが?と言いたくなる。しかし事実なのだ。
以前から、敬愛する作家が必ずしも良い音楽を好んでいるとは限らない問題、に関心がある。ショパンが良い音楽ではないと言いたいわけではない。
もちろん”良い”というのは相対的な価値だけど、しかし書くものと音楽の趣味が明らかに釣り合わないと思わされることが多々あるのは面白い。
そしてこのギャップから、表の顔と裏の顔が垣間見えることがある。本書はどちらかといえばその、裏の顔にスポットを当てている。
3人の思想家のうち、バルトに関するエッセイがいちばん好きだった。彼がとりわけシューマンを愛していた、ということもある。
自分も最近シューマンがすごく気になっているのだが、どうもこの作曲家はシンプルなようでいて複雑で、のめりこむにはちょっと持て余してしまう。
でも聴くのではなく実際に演奏してみるとき、彼の曲はなんというか、身体の深いところまですっと入ってくる。
しかもショパンよりは技巧的に簡単。自身の技巧の限界がその作曲家をより近しい存在にさせるという著者の指摘にはひどく共感。
バルトにとってシューマンは、理屈は抜きにして、身体の深いところで切っても切れない作曲家だったのだ。
ところで自分は、音楽の趣味で気がつくと友人を選んでいるところがある。言語化できないぶん、その点で気が合うと、とても深いところで繋がっている気がする。例えばバッハ好きの人とはすぐに仲良くなる。
ちなみにロラン・バルトとの相性はどうか。
彼の好きなもの。グレン・グールド、ヘンデル、ピアノ、これらは自分も好き。ロマン派の音楽。これは△。
彼の嫌いなもの。チェンバロ、サティ、バルトーク、ヴィヴァルディ、ルネサンス期の舞踏組曲。このへん気が合わない。ルービンシュタイン、児童合唱団。トランペットとティンパニー。ここは気が合う。
音楽の趣味の違いというのはこういうところが面白い。自分が大好きなものを相手も大好きだったとしても、自分が大嫌いなものを相手が大好きだったりすることも往々にしてある。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
哲学と音楽は密接に繋がっている。サルトルはショパンを敬いつつ音楽を哲学的分析の対象外に置いた。どうして貪欲に全てを追究するサルトルが音楽を分析の対象外に置いたのか。それは音楽自体が彼にとってありとあらゆるものの投影の対象になっていたからである。一方、ニーチェは哲学者である反面音楽家としての一面もあった。ニーチェもショパンを愛し、社会的潮流を纏ったワーグナーを現代社会を批判する対象として遠のけた。バルトはアマチュアピアニストの地位に深みを与えた。音楽は思想を身に纏う。だからこそ哲学者が注目するのは必然的なものなのであろう。
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【由来】
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【期待したもの】
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※「それは何か」を意識する、つまり、とりあえずの速読用か、テーマに関連していて、何を掴みたいのか、などを明確にする習慣を身につける訓練。
【要約】
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【ノート】
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【目次】 -
大崎Lib
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「ピアノを弾く哲学者」http://www.ohtabooks.com/publish/2014/11/29001000.html … 読んだ、おもしろかった、おもしろかったけど、ショパンが不憫だ。。3人ともピアノが趣味で特にショパンを愛好したらしいけどその描かれ方が、意外な一面や暴露道具としてショパンが。あのサルトルがショパンを、的な(つづく
やれ硬派ぶっているのに甘ったるいショパンを、とかやれ著作では理論をかざしているのに感情の権化ショパンを、とかもう。。まあロマン派ですからね、しょうがないですね、演歌ですからね。。そしてショパンの対極はワーグナーなのか。。哲学と叙情とが親密でもいいじゃないか(おわり -
サルトル、ニーチェ、バルトがシューマン、ショパンにどのような思いを抱いていたか、哲学のような雰囲気の中での考察。何が言いたかったのか、もっと簡単に書けるような気もするし、もしかして訳が悪いのかな?
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サルトル、ニーチェ、バルトたちがみずから奏でたピアノを通じて、哲学者たちの思索の森に分け入っていくもの。とても興味深いものでした。それにしても、あれですね、著者は気鋭の哲学者ですが、こういった現代思想の文脈を読み慣れていないので、一行の意味が捉えられず前に進まない箇所もありました。大学生のころはこういう文章、わかったような気がしてましたが、中年になった今から考えると勘違いでした。。