絶歌

著者 :
  • 太田出版
2.87
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本棚登録 : 1889
感想 : 227
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  • Amazon.co.jp ・本 (294ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784778314507

作品紹介・あらすじ

1997年6月28日。僕は、僕ではなくなった。酒鬼薔薇聖斗を名乗った少年Aが18年の時を経て、自分の過去と対峙し、切り結び著した、生命の手記。

感想・レビュー・書評

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  •  「神戸連続児童殺傷事件 元少年A」の手記であり、その出版に対して世間では物議を醸している。 ただ問題はいろんな水準にあり単純ではない。
     
     まずは本書を読まずに語れる批判である。そしてそれはネットにおいて自分は安全な位置から正義感をかざして誰かを徹底的に批判するという風潮とも結びついているところが芳しくない。
     ひとつは殺人犯が殺人事件をネタにお金を儲けることへの批判である。これはサムの息子法を作ればいいという話になる。だが、いくら印税を補償にあてられたからといってこんな本は出されたくないという遺族感情はサムの息子法では解決されない。
     他方、「元少年A」にも語る権利がある。それは言論の自由で保障されている。しかし殺人者が何か述べるなんてという感情的反発は抜きがたく世間を覆っているように思われる。これは関係のない人々がもし自分の子どもが殺されたんだったとしたらと感情移入して仮想の遺族感情を身に纏っているといえるだろう。「元少年A」は日本の法律に則って「社会復帰」しているのである。もう10年以上も前に。
     「元少年A」と太田出版が遺族にひとこともなく本書を出版したことも批判の的である。これは了解を取ろうとしても取れないだろうという見込みがあったからだろう。それでも手記を出したかったのは「自己救済」であり「身勝手すぎる」と自ら「被害者のご家族の皆様へ」というあとがき的部分に書いている。それを許されないと糾弾するのか。そういえば韓国の朴槿恵大統領は「被害者の立場は千年変わらない」と演説で述べていた。

     読んだ上での批判。
     彼は普通の人になりきれず、こんな本を書いている。といったものがあった。
     そうはいったって、帯にもあるが、この事件で「僕は僕でなくなった」のである。そして少年A、モンスターとなったのだ。「身勝手」にもこんな手記を書かざるを得ない気持ち、わからなくはないと思うのだ。これを書いて、そして普通の人、あるいは「僕」に戻れたのかはわからないが。
     筆致はかなり文学的である。少年Aは直感像素質があると報じられたが、確かに当時見た情景を子細に覚えていたとしか思えないヴィヴィッドな描写であり、耽美的とすらいっていいところもある。犯行についての記載はすべてを赤裸々に書いているわけではなく抑制されている。それが倒錯的なものであったことを明らかにするという線では赤裸々に書かれているが、ことさらに残虐なところを強調して書いているわけではない。
     むしろ本書はあるときはペーパークラフト、あるときはコラージュに没頭した彼の手仕事のひとつなのではないか。緻密に仕上げられた言葉のクラフト。

     犯行と逮捕当時のことが第1部。医療少年院出所後が第2部であり、医療少年院での「矯正」の過程が書かれていないという批判。
     出所後の記載の中にはしかし何回か少年院時代の回想がある。
     あるいは彼は本当に回心していないとか贖罪していないとかいう批判。
     それは彼自身が本書の最後のほうで書いていることの中に問い続けられているように思われる。贖罪するというのはどういうことなのか、贖罪などということが果たして可能なのか。
     彼が贖罪の言葉をいくら書いても、人はいうだろう。それは言葉だけだ。しかし語られるものは言葉しかないのだ。

     私は法務省関係の仕事をしている知人から本書を見せられ、中を少し読んで、すぐに注文した。純粋に読ませるのだ。そして私は私が14歳の時にどうして殺人を犯さなかったのかわからないから本書を読んだ。もちろん解答が得られたわけではない。
     それから『アスペルガー症候群の難問』では少年Aがアスペルガー症候群だったと推測しているので、それを確かめてみたいと思った。確かに自閉症スペクトラムを思わせる性癖はそこここに語られている。しかし少なくとも現在の彼の記述はアスペルガー症候群といえるような対人関係の機微の読めなさを感じさせないものである。また、アスペルガー症候群の病理が犯行に結びついたともいえなさそうに思う。

     本書は儲け主義の太田出版による偽書だという陰謀論もある。しかし私は本書はとても真正なものと思えた。彼はとても頭のいい人だと思うし、「罪」に真摯に向き合おうとしていると思う。もしゴーストライターが登場したら、私は素直に認めねばならない。ちっとも見抜けませんでした。

  • 良識派の人たちはまず遺族の許可も取らないで出版を断行した元少年Aと太田出版の非常識に憤慨しているでしょうし、内容に関してはせめて犯人の深い反省と苦悩を見たかったことだと思います。それとは別に好奇心からこの本を取った人たちは猟奇殺人犯の異常心理など他では読めないような特異性に興味があったのではないかと思います。結果、いずれの読者層の期待にもまるで応えていない本著の評価が低いのは当然のことでしょう。
     個人的には快楽殺人者なんて犯行動機は痴漢と変わらないと思っていて、いくら犯人の人間を掘り下げても何も出てこないだろうと予測していたので、内容的にはまあこんなもんだろうと。衝撃的な本だとは思っていませんでした始めから。
     とはいえ、あまりにもお粗末な出来に遺族の思いを踏みにじってまで出してきた事への誠意があまりにも感じられず、特に第1部は腹が立ちました。~のように、~のようなと稚拙な直喩を多用した文章は高校生がはじめて書いたオナニー小説を読まされているようで腹が立ちます。「雨は空の舌となって大地を舐めた。僕は上を向いて舌を突き出し、空と深く接吻した」とか「僕は外界の処女膜を破り、夜にダイブした」とか、要るか?この一文。元少年Aの自己陶酔しか感じられません。第2部に関してはそういう文章の暴走はだいぶ落ち着いて読みやすくはなっている印象ですが。
     他にも余計な部分が多すぎます。ランドセルは日本特有の民族性と言ってみたり、アスペルガー症候群の解説から現代はコミュニケーション至上主義社会だと持論を展開してみたり、村上春樹を引用したり、『ヒミズ』のあらすじ書いてみたり。やはり自己顕示欲が強いというか、学者でも評論家でもないあなたの意見はいらない。知りたいのはあなた自身のことだけ、とツッコみたくなる脱線が多い。
     これらは著者自身というより出版社の方にも責任があるように思います。編集者のインタビューで「ほとんど手は入れていない。具体的に私が赤を入れて、直したところはないですね」と語っているがこれは単なる手抜きだと感じてしまいます。遺族に無許可とか道義的でない印象こそあれ、周りがとやかく言うことではない、現に売れているのだから出版自体が悪かったとは個人的には思いません。しかしながら批判や抗議を覚悟の上で出版に踏み切って、あまつさえ遺族を傷つけ、それでこれではお粗末すぎます。とにかく無駄が多くて、史料価値として必要だと思うものが少ない。
     具体的には、例えば83ページに、中学校の女性教師がダフネ君やアポロ君を個別に呼び出し僕には近付くなと忠告した。という一文があるが、このことから少年Aは事件前からかなりの問題児だったのだろうと推測されるけど、そういう点に触れた部分は少ない。また、一冊通じて家族への愛情が見て取れる文章や、家族はごく一般的な家庭という印象を覚える場面が多く登場するが、少年Aの言葉をつなぎ合わせるとこの人、中学生にして登校拒否中にも関わらず毎日ひと箱マルボロを吸っているのがわかります。当時は今より安くて250円か280円だったと思いますがそれにしてもそれを黙認する家庭環境って本当に平平凡凡なのでしょうか。つまり少年Aの読者が最も知りたい事件当時の生活環境が全然見えてこない。彼の残虐性に関しても猫殺しの一場面の描写はなかなか生々しくて特異性という意味では良かったが、その他の部分ではやはり陳腐な比喩表現に逃げてしまっている部分が大きい。他にも音楽や映画、逮捕以後は文学もだが、そういうものが好きなのが分かって具体的な作品、作者もいくつか挙がっていたが、こういうところももっと掘り下げてほしかったです。彼がどういうものに感動したり嫌悪感を覚えるのか興味があるからです。少年Aはプロの文筆家じゃないのだから以上のような点を指摘したり聞き出したり加筆依頼あるいは削除依頼して出版社にはもっと意義のある一冊に仕上げてほしかったです。
     最後に、読み終えてみて僕が元少年Aに抱いた印象ですが、甘いなあって思いました。文章力や嘘吐きの才があれば反省しました、苦しみましたという印象はいくらでも創作できるのだからここで言う甘いというのは反省が足りないとかそういうことではありません。反省しているのかもしれませんし、十字架も背負っているのかもしれませんがそんなの結局は本人にしか分かりません。ここで言う甘いというのは認識の甘さです。職場の先輩の家族に触れて、自分はなんというかけがえのないものを……的なこと言っておりますが、全然足りないです。言葉の粗探しみたいになってしまいますが「ん?」とひっかかる個所が多くありました。でも本当に真摯に事件と対峙しているのならそんな粗は出てこないのではないかと僕は思うのです。死刑になって被害者と同じ苦しみを味わって死ぬというのが当時描いた結末だったそうだけど、それを同じ苦しみと言ってのける認識の甘さは修正されたのでしょうか?「僕の時間は、十四歳で止まったままだ。」殺人者のままですか?

  • 神戸連続児童殺傷事件の犯人、元少年Aの手記。なぜこの本が出版されることになったのか。疑問が絶えない。普段は読了後、全ての本に評価をつけているが、星を1つも付ける気にならない本は、初めてだ。

    事件当時、私も神戸に住み、神戸の小学校に通っていた。神戸市須磨の中学校の校門の前に、男子児童の死体の生首が置かれた残虐な事件は、リアルな現実として記憶に残っている。集団登下校が義務付けられ、私たちは単独行動ができなくなった。犯人がすぐに捕まらなかったからだ。

    この本を読んで、なぜ、本当になぜ、出版をOKしたのか。そして、なぜこの人物が、今もこの社会で生活しているのか。読めば読むほどに理解に苦しむ。「何も変わっていない」ということが、こんなにも明確に表現されていて、この手記を出版することで読んだ人全てに、同じ場所で生きる怖さを感じさせるものがあるからだ。

    残虐すぎる猫殺しの描写、小学生時代や中学生時代のエピソードの節々に、その異常性は露呈している。素人が読んでも「今も全く変わっていない」ということがわかるくらいだ。被害者の家族に対する謝罪の気持ちは、もしかすると本心なのかもしれない。しかし、私が非常に恐怖に感じるのは、この人物の、「殺すことによって性的快楽を得る」という部分が全く変わっていない点にある。この性サディズム障害は、治療と更正が不可能という事実すらある。つまり、この一連の事件の主要な要因となっている、「殺すことにより性的快楽を得る」という最も根本的な部分の改善がないのだ。手記にもこの部分に対し、どのような治療されたのかは一切記載されていない。そして、少年院入所後、退所後の記載では、この根本的な性的な問題についての変化に関する記載は一切ない。(そして、退所後に彼が立ち上げたホームページに掲載されたという謎の作品集を見れば、その性的な問題は改善されていないことが明らかだ)

    まだまだ疑問が多くある。少年法のそのもののあり方だ。なぜ、児童2名を殺害し、3名が重軽傷を負う劣悪な事件を起こしているにもかかわらず、当時14歳だからという理由で、たった7年で少年院を出て、刑事裁判にもかけられず、殺害された少年少女の名前はフルネームで写真付きで住所まで交換されプライバシーのカケラもないのに、なぜ殺害した本人が少年法によりプライバシーが守られ、本名も写真も公開されないのか。プライバシーを守るべきは、本当にこのベクトルであっているのだろうか。

    この手記を読んでいて一貫して私が感じたのは、彼の異常な自己肯定と、自己陶酔だ。自身の謎の行動をあえてくどい難解な単語を駆使して正当化し、読者に、「実は自分自身も被害者なのだ」と思わせようと選ぶ文章は、悲劇のヒロインよろしく自分に酔いしれながら恍惚と書き綴っているようにしか受け取れなかった。「猟奇的な残虐な殺人鬼だと思ったが、実は彼自身も哀れでかわいそうな人なんだ」と思わせようと(試みる)する文章。それが成功しているかどうかは、前述の通りである。

    この本は現在絶版となっている。この本は印税が元少年Aに入るようになっていると知り、中古で買った。(日本にはサムの息子法のような法律はない。個人的には適用されるべきだと感じる)図書館ではどこも置いていなかった(殆どの自治体で置いていないらしい)

    この元少年Aが抱える、「人を殺すことにより性的な快楽を得る」という障害は、彼一人が持つ特異な性癖ではないらしい、ということが調べていてわかった。快楽の種類は一つではないこと、何に快楽を感じるかは人それぞれだということ、そして、この世の中には、私の想像を絶する形で快楽を感じる人(障害)があるのだということを知った。

    その事実があるからこそ、極めて難しい問題だと感じる。彼はたまたま、快楽の方向性が人と違っていて、それが法律上・通俗観念上、異常でありアウトであるものだった。生まれつきなのか、それとも後天的な環境によるものなのか、その辺ははっきりしない。しかし、紛れのない事実は、彼以外にも、このような危険な性癖を持っている人が存在すると言う事実である。システムエラーなのか、ヒューマンエラーなのか。こういった性癖が存在し、人を殺すことによって快楽を得る人たちが、今現在、具体的な対策や彼らへのセーフティネットがないまま、宙に置いたまま放置されていることに、私は疑問を感じる。性が芽生えるのは、人により前後する。しかし、少年法で守られる年齢であっても、彼のように「殺すことで性的快楽を得る」という性癖を持つ可能性は大いにある。

    考えてみれば、自分はたまたま、いわゆる一般的に正常といわれる感覚の持ち主だ。しかし、わたしにも、あるいは自分の子供にも、この突然変異的異常性質が現れる可能性は、ゼロではないのだ。どんな性質を持って生まれてきたとしても、それぞれが他人を傷つけない形で共存できたら、と思ってならない。

    非常にいろいろと考えさせられた。そして、かなり後味が悪い。このような事件と被害者がこれ以上出ないことを、強く願うばかりだ。

  • すごく評価が低い。

    本を評価するこの媒体で、読む価値がないと言われて2.88。

    書いてる人が世間を震撼させた『元少年A』だから?

    私はそれが一番悲しいなと思ってしまった。

    断っておくが、少年Aがやったことを肯定するつもりは一切ないしどんな理由であれ人を殺すのはよくない。喧嘩とか怨恨とか痴情のもつれとかだとしてもダメだし、理由なく興味で殺すなんてもってのほかだ。

    ただ、フィクションとは違う実体験だからこそ分かることだってたくさんある。
    犯罪者が本を出すことに対して金が欲しかったから書いたんだろ的な発想をよく目にするけど、メディアがそう見せてるだけなのではとよく思う。

    少年Aの言葉はすごく詩的で、どの描写の詩的様式で撮られたモノクローム映画のようだ。
    きっと人を生まれて物心がついてから目に入った全てがそんな風に見えていたんだろう。

    目に映る人も登場人物なだけ。
    身近に愛をくれる人間以外は出演者。

    そんな風に思える文章だった。
    ここに首を置いたら美しい演出になっただけ。
    美しいものを見たら興奮したからオナニーしただけ。
    それがたまたま死だっただけ。

    それだけの話。

    その後の半生で人らしくなるための努力をして、やっと普通になれたとしても、罪を背負う。
    自分のしたことが罪であることを認める。

    流石に100%理解はできない。
    一線を越えてないだけだけど。
    逆に言えば、私は被害者家族ではないから、そっちの気持ちに寄り添うこともできない。

    だってみんな、事件に注目した理由はドラマや漫画で出てきそうないかにもは殺人だったからでしょ。

    被害者家族よりも、首が置かれたことに注目した。
    私だってその1人だから被害者家族と一緒には泣けない。

    ただ、少年Aが自分の人生を振り返って同じ気を起こさないまでになったことや、それでも罪を背負っている。それが人を殺した者の全てだってことを、一番分からせてくれる本だと思った。


    フィクションのミステリーだけじゃ分からない。
    ちゃんと見つめて、正当に判断してほしい。

    犯罪者が書いた本はクソなんじゃない。
    その視点は結局、事件の凄惨さに食いついた者たちと変わらない。

    って思いました。

  • これは私事でしかないが、18年間、彼の生の声が聞きたかった。
    同世代のわたしは、それを切望した。
    到底理解できないものが、この世界にあるということ。
    それでも知りたいという、子ども時代に芽生えた強い欲求が、ついに満たされるのかな、と。

    期待ではなかった。パンドラの箱を開けるような気分だった。

    後半まで一気に読んだのであるが、そこからぴたりと手が止まった。
    そして本日、数カ月ぶりに本を開いて、ラストを読むに至った。
    なぜわたしは途中でやめてしまったのか振り返ってみてもよくわからなかった。
    彼に対する興味を急速に失ったとしか言えない。

    出版、という体裁を整えるために選んだ言葉も数多くあったのだろう。
    それを思うと、彼の真実の言葉はどれほどなのか。
    取り繕った言葉や中途半端な懺悔は求めていない。

    彼は出版をすると決めたのなら、世間のバッシングなんて百も承知だっただろう。
    何よりも、被害者遺族への謝罪の気持ちは確かに持っているのだろうから、それを思うと彼は彼の言葉を書ききれただろうか?

    少年Aは、確かに矯正教育を受けた。
    この人と思えない子どもを人として社会へ送り出すために、国が威信をかけて矯正プログラムを施した。
    異例の年数をかけている。

    国にとって、彼にとって、それが成功したと言えるのかはわからない。
    だが、確かに彼は、人間らしくなったのではないかと思う。
    だからこそ、彼にはもう、当時14歳の言葉なんて吐けるわけがない。

    14歳のキミは、どうしたらあの事件を起こさずに済んだのか、それが謎のままだ。
    14歳のキミは、いったい何を欲していたのか、それを知りたかった。
    それがわからないままなら、やはり誰も救われない。
    どうしたら、事件前の少年Aを救えたのか。
    類似事件を防止するために、何が必要なのか。
    何もわからなかった。
    欲しかった答えが、わたしは今も見つけられずにいる。


  • 人を殺した時の思いや心境が生々しく感じられて良かった
    人を殺った側の意見はあまり聞かないからこそ新鮮で面白かった

    ただ猫好きや殺人者が少しでも嫌いな場合読むのは進めない

    ついでに
    元少年Aの母の手記
    〜少年Aこの子を産んで〜や被害者土師淳くんの父守さんが書いた 淳 を一緒に読んでみても面白い

  • これほどまでに読み手の感情の置き場所を迷わせる本があるだろうか。
    純粋に本の感想を書くと、とにかく文章が美しい。
    この文を本当に本人が書いたのなら相当読書家だし、頭も良い。
    ライターが代わりに書いたのかと思ったけど、文章の随所随所に独特の自己陶酔感が滲み出てるから、ご本人が書いたんだなと思ってる。

    かなり重い事件だけど、それでもこの本が地獄みたいに重くないのは、作者が周囲の人間を非常に肯定的に受け取ってるからだろう。
    実際はわからないけど、自分を支えた人間を愛している事が伝わってくる。この本の中でもこれが本当に救い。

    もう少しセンシティブな内容に触れるなら、卑劣な殺人を犯した人間がこの様な本を出す事自体やはり良い様には思えないし、何より作者が本当に反省しているのか疑問に思う点が多々ある。
    ただ殺人者が贖罪に塗れた人生を送る事を、前向きに生きて行くのを否定する事を、誰にも強要出来ない。強要したって意味がない。
    その辺が読み進めながら凄い揺れ動いて、一層被害者が受けた傷、加害者のこれからの人生を考えてしまった。

    良い本に出会えたとは言えない。
    でも読めて良かったし、ほんとに色々考えさせられた。

  • 酸素のないニュータウン、息苦しさがありありと伝わる文章。
    特に前半の漢字の多さに、この人がどれだけの言葉を持てば自分の世界を表現できるのか悶えながら語彙を獲得した過程がみれる。そうした「小難しい熟語」の羅列は、主に風景描写のみだ。対して彼の内面は、分かりやすいほど純真な語句で完結している。

    事件に至るまでの心情や行動が詳細に書かれていて、いつも通り感情移入してしまって手足が冷えきって痺れてしまった。生々しい描写は苦手だ。
    pp.64 「自分には手も足も出せない領域にあった死を、自分の力でこちら側に引き寄せた。死をこの手で作り出せた。さんざんに自分を振りまわし、弄んだ死を、完璧にコントロールした。この潰れた猫の顔は、死に対する自分の "勝利" だ。」

    pp.124 「僕は、自分が、自分の罪もろとも受け容れられ、赦されてしまうことが、何よりも怖かった。…(中略)…僕は罪悪感の中毒者だった。」
    筆者にとって自分を許容されることとは、自分を全否定されることだった。
    自分の"生"を実感するために、蔑まれたり全否定されたりすることを望む。私が、痛みを感じることで生きていることを実感することとなんら変わらない。ただその方法が、この社会にはあまりに不適切すぎたんだろう。

    被害者遺族の出した2冊の手記を読み、精神が壊れていく筆者が「苦しみから逃れたい一心」で部屋中の掃除や課題学習や筋トレに励む姿を「成長」と呼び評価する少年院スタッフへの違和感を、筆者は「間違った方法で痛みをやりすごしていただけなのだろうか」と自分への疑問視でまとめている。私は、これは筆者が自分にベクトルを向けざるを得ない環境だったからこう書かざるを得なかっただけではないかと感じ、シンプルにこの社会の規範に不気味さを覚える。
    黙々と一心不乱に脳みそを使わない行動で時間を消費することを、どうして「成長」と呼べるのだろうか。それは真に「更生」なんだろうか。そもそも「更生」ってなんなんだろうか。





    自分のことを「昔から異常だった」と語っている部分と、あんな顔(当時マスコミで出回った顔写真)だけど実は普通の純真な子どもの時期もあったんだ、みたいな部分とが文が進むにつれて交錯する。筆者の中でも、何かを守りたくて理論や難しい言葉で固めているけど、どうしようもない、なんの理由もない好奇心や衝動性に留まらない剥き出しの「なにか」が見え隠れする。

    僕は最低だった、というような、自分を卑下する言葉が至る所にある。欠陥人間、どうしようもない人間など。
    それは、ある意味で、筆者のアイデンティティなのかもしれない。他者とのちがいやズレを、「個性」といった美しい言葉で語ることが許されないような気がして、自分自身に貼り付けていったラベルがそうなのかも。

    とまぁ、ここまで書いておいてなんだが、筆者の自分を守る言葉を集める書籍だったのかなというのが総括。
    冒頭の方で、筆者は自分を教室の端にいる、いてもいなくても気づかれないような座敷わらしのような人に例えている。どんなクラスにもいただろう、とも。確かにそういう人はいた。だけど、そういう人は突然誰かに手を上げたり攻撃的になったりすることはなかったように思う。ただただうっすらと、影を潜めて生きていたあの人たちのことを思い浮かべて読み始めたのに、進むにつれていくつもの「突発的な暴力行為」に筆者が及んでいることが分かる。小学生あるいは中学生の頃の男子はそんなもん?いやそんなことなかったなぁと思う。少なくともそういう人は「普段大人しめだけどやばいやつ」で通っていたから、「思い出せないような人」ではなかったのではないか、と。だからこうした表現は、筆者なりの自己アイデンティティというか、自分はこういう人だと信じていた理想形だったりするのはないか。

    既存の言葉で表すと「衝動性」だとか「こだわりが強い」だとか、あるいは「劣等感が大きい」だとか「機微を読み取るのが難しい」だとか、そういう人だろうか。筆者自身の感性や特性は制御不能な「なにか」であり、筆者という「生き物」であったのに、事件と逮捕と更生によって何重にも塗装され、人間の形を模して社会に排出されてしまい、それこそこの社会によくいる「人間」のフリをして生きようとするもやはり塗装でしかなく、出てくる言葉は謝罪や後悔ではあるがそれは筆者自身が自分を見失う行為に等しく、生きていることが苦しくなったための吐露がこの作品の気がする。

    #読書 #読書記録 #読書ノート #絶歌

  • 1年以上待たされて、やっと届いたというのに、
    あっという間に読み終えてしまいました。
    彼にはたぶんアドバイスする人がついているだろうけど、
    ゴーストライターではなく殆ど彼一人で書いたのであれば
    作家としてやっていけるのでは?と思えるほど、上手な文章だと思いました。

    彼は実質中学中退で、私は高校短大と通ったけど、彼の方が圧倒的に頭いいです。
    少年院で「読書療法」としてたくさんの本を読んだからでしょうか。
    私が全く読まない高尚な文学。
    また、外に出てからは三島由紀夫と村上春樹の本を好んで読んだらしい。

    あんな大事件をおこして、その後どうなってしまうだろうと思ったけど、
    いろいろな人たちに支えられ、良い本を読んだことで良いほうにむかっていると思います。

    Aのお母さんの手記を読んでみないと断定はできないけど、
    Aがあのような事件を起こした原因はご両親にあると、この本を読んで思いました。
    お父さんもお母さんも叔母さんも、彼に申し訳なかったと思っている。
    弟たちも兄を責めません。

    あくまで私の推測ですが、あのような大事件を起こす前に彼は小さなサインをたくさん送っていたはず。
    弟たちに酷い暴力をふるったこと。
    そして、なんといっても中二のとき、女性教師がAと仲良くしている子を個別に呼び出し「Aに近づくな」と忠告したということ、それは大変異常なことです。
    ご両親は誠実で心優しいかただったようですが、あまりに鈍感じゃないでしょうか。
    もっともお母さんの手記を読んでみなければ、断定できないですが。

    被害者のご家族のお気持ちを思うと、この本の出版は許されないことなのでしょう。
    でも今後このような事件がおこらないためには、必要悪であったのかもしれません。

  • 評価は難しいですね。
    読み物としては文章力もあるので読みやすいです。
    そして、犯罪心理学や青年心理学を学んでる方などは一読するのもありだと思います。

    遺族の許可を得ず、出版した事はとても残念に思います。
    彼は遺族へこの本を出さなければ生きていけなかったからと言っていますが、恐らく吐き出す場所が欲しかったのだと思う。
    世間に身を隠して生きている中で、自分の過去を偽り誰も知らない生活の中で『自分はここで生きている』と吐き出す場所が必要になったのだと思う。

    しかし、その状況もすべてひっくるめて彼は耐え忍んで生きていくべきだったのでは。

    犯罪者が世間でどう生きて行くのかが第二部から書かれているのですが、そこはとても興味深かったです。

    優しく受け入れてくれる人達もいるけど、やはり孤独で苦労も並大抵ではなく、私としてはホッとしました。
    それだけでも読む価値はあったかな。




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