家族最後の日

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著者 : 植本一子
  • 太田出版 (2017年2月1日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (299ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784778315559

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家族最後の日の感想・レビュー・書評

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  • 図書館にて。
    実はこの前の本「かなわない」よりもこちらが先に手元のきたので、先に読んだ。
    最初の話で母親との絶縁した話が出てきた。客観的に読めばせっかく帰省した娘が全然家にいないので、娘と話すことを楽しみにしていた母親がついにしびれを切らして爆発したような気がするのだが、もうこうなるとここまでの歴史がつもりつもってということなんだろうなという気がする。どちらも痛々しい。
    その後の文章も、「かなわない」と比べて攻撃的な気がする。
    「かなわない」の他の人のレビュー、表現せずにはいられない、全てをさらけ出す才能がある、正直だ、というように肯定的なものが多かったけれど、この本を読んでもやはり私はそうは思わない。表現している本人はいいだろうが、書かれた側の気持ちを慮れずに描くことは暴力でもある。嘘をつけとは言わない。書かないこともできるだろうということ。でもその書く書かないの境界線が人と違うことが嫌だけどこのほんの魅力か。
    それと、この表紙や本の中に娘たちの写真を使うのも嫌だ。
    やっぱり私はこの本嫌いなんだなと思う。
    でも続編が出たら、また読むと思う。
    旦那さん、ガンが治りますように。
    娘たち、楽しい毎日が過ごせますように。

  • 石田さんのことをどうしても好きになってしまう。

  • 著者についての知識がないまま読んだ。
    母との確執、義理弟の自殺、そして夫である石田さんの闘病。
    メインは石田さんが入院し、ひとりで子供の面倒をみることになってからの日記だ。
    カメラマンで子育てや家事を、石田さんに任せていたところが多かったので余裕のない日常。
    家族が病気になると、つらいのは本人とわかっているけれど他の家族もつらい。
    感情を表に出す人のようなので、そんなに書いても大丈夫?と思うが日記ならば吐露してもよいか。
    自分勝手な人と思う部分もあるが、正直なのだろう。
    アラーキーが亡くなった妻の写真を撮っていたが、記録することで生きていることを実感するのがカメラマンや文筆業の性なのだろうか。
    病室でも患者にカメラを向け、日記にのこして本を出版する。
    起こることひとつも無駄にしない、悪く言えばがめつさと強さを感じた。

  • 真面目で正直でシニカルな語り口の,他人の日記です.それ以上でも以下でもなく,筆者の哀しみや怒りがわりとストレートに綴られているので,読者である自分の感情に染み込んできます.

    それは必ずしも心地いい感情ってわけでもなく,著者の考えの固さもあいまって相乗効果を発揮するところが本書の読み応えがあるところです.

  • 本書読み始めでは、こんな今現在関わっている人への嫌悪感を文字にしてしまって大丈夫なのかとちょっと引いた。『かなわない』ではその赤裸々さに惹きつけられたのに。でもECDさんの癌が発覚してからの心の動きには惹きつけられた。著者は悪い人ではないのだろう。ただ正直過ぎるのだ。この正直さが他者や著者自身をも傷つけそうな気もするが、それでも正直でしかいられないのだろうし、それが著者の書くもの、作品なのだろうと思う。心に染みるけど痛い。

  • 前回の「かなわない」に比べ、夫のECDさんが癌になったことで家族で向き合うきっかけができたのは良かったのかな。
    自分が今まで自由でいられたのはECDさんのおかげだったのだと気づき、改めて大切さがわかった様子。
    相変わらずお母さんとの仲が険悪なのが残念だが、親子は大なり小なりいつになっても反発し合う面はあると思う。
    ある程度の年齢になったらある程度の距離を置くことも大切なのではないだろうか。

  • 赤裸々に自分の日々を書き連ねていく著書。
    どうしてこんなに何もかも正直に書くことができるのだろう。
    さらけ出しているつもりでも、つい恰好つけてしまったり
    本人が読んだら傷ついてしまうのではないかと、躊躇してしまったりという気配がまるでない。

    嫌いなものは嫌い、
    イヤなものはイヤと口にして生きていく著者の姿に
    またしても読後にはザラリとした気持ちと
    切なさが残った。

  • 淡々とした日記のなかに、媚びへつらわない正直な毎日が、想いが、詰まっている。

    「写真を撮っているとき、そして文章を書いているとき、私の精神は安定している。そのときは誰にも依存せず、自分一人で立っている気がする。」

    そう言う筆者の植本さんにとても共感する。
    一人で立つ、ということばがよく出てくる。自立、自律?
    一人で立たなければいけないと私もずっと思っていたけれど、本当にそうなのだろうか。
    人という文字は、人と人が支え合っている様子を表しているなんていうけれど、その角度というか、支え具合、支えられ具合はフレキシブルに変化していくのが理想だと思う。常に寄りかかっていなくても良くて、でも立っていられないときには、「助けて」さえ言えれば、いろんな人が少しずつ支えてくれる、はずだ。

    「すべてを支えてくれる人は、本当にこの世のどこにもいない。いろんな部分をいろんな人に少しずつ支えてもらって、やっと一人で立っていられる。」

    そもそも、一人で立っていない人なんて世の中に沢山いるじゃん、とも思う。それでもきっと別にいいのだけれど、それを許せない自分がいる。本当は羨ましいのかもしれない。そこに対して頑ななのは、やはり自分がどこかいびつなのかなとも思う。せめて、素直に「助けて」が言えるように。植本さんは、一人で立つことに対して、とても誠実だと思った。そういうところが、好きだと思った。

    ——————————————
    ふと、お母さんに泣きつきたいと思った。私のいまの苦しみや悲しみをいくら周りの人たちに伝えたとして、ちっとも減る気がしない。全部をさらけ出せて、受け入れてくれるのは、結局お母さんしかいないのではないだろうか。周りを見渡しても誰もいない気がして、どうしてもそこに行き着いてしまう。そんな希望が昔からずっとあって、それがかなえられることがなかったから、私はいまこんな風になっているというのに。母への憎しみとともに、子どものように泣きつきたい衝動にかられる。
     結局私は自立をしないで生きてきたのだ。お母さんから石田さんへ、バトンが渡されただけだった。それがいま、自分に戻ってきてしまったような思いがする。自分のバトンは自分で持ちなさいと。こんな形で自立をしなければいけないなんて、思ってもみなかった。

  • 「かなわない」で知った植本さんの続編。母親との確執、義弟の自殺、夫の入院に対し、ありのままの言葉で紡いでいる。娘二人と家族構成が似ているためか、自分のパートナーに癌が見つかったら、どうするか?育児と仕事と家事と一人でカバーできるのだろうかと想像しながら読了。つい最近までの出来事を記録されており、義父のこと、知り合いのことここまで赤裸々に書いて大丈夫なのかと要らぬ心配もしてしまったり。

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