中央駅

  • 彩流社
3.50
  • (7)
  • (25)
  • (23)
  • (6)
  • (1)
本棚登録 : 312
感想 : 25
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (280ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784779126116

作品紹介・あらすじ

韓国文壇界、新進気鋭の若手作家による長編小説!

日経新聞に書評掲載など、 国内でも反響の大きかった
『娘について』の著者、キム・ヘジンが、
絶望の淵に立つ男女の愛を描き出す…本邦初訳!

これがどん底だと思ってるでしょ。
違うよ。底なんてない。
底まで来たと思った瞬間、
さらに下へと転げ落ちるの――  (本文より)

路上生活者となった若い男、同じく路上で暮らしながら、
毎晩、際限なく酒をあおる病気持ちの女。
ホームレスがたむろする中央駅を舞台に、
二人の運命は交錯する。『娘について』
(亜紀書房刊)を著したキム・ヘジンによる、
どん底に堕とされた男女の哀切な愛を描き出す長編小説。

現在形の直線的な文章で断崖絶壁に追い詰めては
平地に連れ戻す、この文体の力は、永きにわたり
韓国文学の財産になるであろう。
──「第5回中央長編文学賞受賞作」審査評

愛の本質を探究しつつも、限界に達した資本主義の
影と社会の問題を見逃さない若い作家の洞察……
作品に深みを与えるまっすぐで流麗な文章
            ──中央日報 書評

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  •  「ちょっと、この人読んでみてよ。すごいと思うんだけど。」
     同居人のチッチキ夫人がそういって差しだしたのがこの小説でした。作家の「あとがき」によればソウル駅を取材したようなのですが、日本のどこかの県庁所在地の駅でも一向にかまわないと思いました。
     旧駅舎や駅周辺の再開発が始まって、近代社会100年、人間がやって来て、去って行った、今では薄汚れたシミのようになってしまった「歴史」が「清潔」で「美しい」現在へと作り替えられていくことは、経済の活性化の名のもとに世界のあらゆる場所で進行しているのかもしれません。
     そこが「社会」の「中央」であるからこそ、集まってきて「棲む」人間たちがいるのですが、その「人間」が「公共の美観」という大義名分で「駆逐」されていく現実をホームレスの「愛」の物語で描いて見せているのが30代の女性作家であることにとても驚きました。
     現代社会が「人間」を捨て始めている実相を活写し、「人間」の新たな「哀しみ」を描いた若い作家に拍手したいと思いました。
     切れ味のいい日本語を感じさせる翻訳にも感心しました。乞うご一読。
     ブログにも感想を書きました。覗いてみてください。
     https://plaza.rakuten.co.jp/simakumakun/diary/202007230000/

  • 全財産をつめたキャリーケースを転がして大きな駅舎にやってきた「俺」。そこは路上生活者のたまり場。俺はその中に同化しようと地面に横たわるが、居心地の悪さに不快しか感じない。そんな俺の横にいつの間にか女が添い寝をしてくる。俺はキャリーケースの代わりに女を手に入れた。

    生きているのが苦痛でしょうがない。1日をやり過ごすために横になって死闘を繰り広げている。最初から全てを諦めていればどんなに良かったことか。など、路上生活者の痛々しいリアルが描かれたディストピア小説。そこには将来や夢、希望なんてものはない。

    それでも、本作の主人公、名前も過去ない路上生活者の男女は、恋愛にわずかの光を見出したかったのかもしれない。が、現実はそうじゃない。2人分の重みでさらに底へ沈んでいく様はどうやっても抜け出せない絶望を鮮明にする。

    「愛は地球を救う」なんて言葉が死語となった世の中。この2人のようになるかもしれないという恐怖を感じながら、誰もが生きていくのだと思うと、やりきれなくなる。

  • プレゼント企画で彩流社さまからいただいた、プルーフ版を読了。
    なんとも救いがたい路上生活者の青年が主人公で彼がいったいどうしてここに来ることになったのかは分からなかった。そういう物語ではなかった。駅前の路上生活者たちのたまり場で出会った中年女性と傷口をなめあう物語だった。
    自分たちは絶対こんな風にはならないとか、どうして思えるんだろう。さっきTwitterで見た『誰だって社会の隙間に堕ちることがあるかもしれないのに』というそのツイートがこの小説にめっちゃ合ってると思った。それに韓国小説だけれど、どんな世界のひともきっと分かるように書かれている小説です。普遍性についても考えさせられる構成になっていた。プルーフ版は製品版とは違うところもあるみたいなのでちゃんと本になった分も読んでみたいです。
    彩流社さま、ありがとうございました!

  • 「万引き家族」「フロリダ・プロジェクト」「JOKER」「パラサイト」と、
    世界的にも格差と貧困をとりあげたフィクションが注目されています。

    昨年の台風19号、避難所がホームレスの方を拒否した話でも見えてきますが、
    なんとか毎日の食事に困らない我々からすると、ホームレスの人たちの世界は想像もつかない。
    別世界。映画「パラサイト」風に書くと「完全地下」の世界。

    でもこの作品は、ホームレスである主人公の愛情や葛藤をとてもリアルに、しかも心情の動きだけでぐいぐい読ませる筆致で、活き活きと描いていて、
    別世界ではない、同じ生きている人間の世界として彼らの世界を突きつけてきます。

    ぐいぐい引き込まれました。

    韓国小説って(映画もですが)エモーショナルかつ、社会的な問題に真正面から対峙して描ききるところが好きです。
    面白いよねえ。

    決して爽快ではない、どん底小説なんだけど、誰しも共感できる世界だと思いました。とても残る。

    映画「パラサイト」の世界の副読本としてもオススメですよ。


  • 人や街、季節のにおいが言葉のなかに詰まりすぎてて、見たことがある風景はより鮮明に、まだ見ていない風景についても手に取るように想像できてしまった。頭の中の風景と実際の街を照らし合わせてみたいな。

  • 「中央駅」は、Kbookラジオで、読んだ人の感想を何度か聞く機会があり、読んでみたいなと思っていた一冊だ。
    主人公は「俺」。理由は明かにされていないが、路上生活をすることになった「俺」は、駅の広場にキャリーバッグ一つを抱え初めての夜を迎える。ある日出会った「女」。ネズミを怖がる「女」と寄り添うように夜を過ごした明くる日、キャリーバッグとともに「女」は消えていた。「俺」は「女」を探し、あるとき見つける。すでにキャリーバッグはなくなっていたが、「俺」と「女」は共に過ごすようになる。
    本作は、すべて現在形で書かれている。過去形で書かれているのは、1,2カ所だけだ。まるで「俺」のドキュメンタリーを見させられているかのようで、過去も見えなければ、未来も見えない、今しかない。本来、小説を読んだり映像を見たりしても、匂いを嗅ぐことはできないし、冷たさや暖かさを感じることもないはずなのに、この作品は、それらが伝わってくるように感じさせられる。
    都市が整備され、表面的にはきれいになっていっても、そこから何がなくなったのかは、みんな忘れられてしまう。私が毎日仕事で通う街も、ある区画を大きな会社が買い取って、家も店も全部壊して、真新しい商業施設を完成させ、その街で一番高いビルも建った。そのてっぺんに住む人間と、見上げるしかない人間の格差は気が遠くなるほどだ。
    一体、この資本主義社会の格差はどこまで広がるのだろう。どこまでも冨を蓄えている人間と反比例して、貧しい者はどんどん貧しくなる。自分は今どの当たりなのか、「俺」のことを他人ごとのようにして読んでいられるのか、不安になる。
    二人でいることが、唯一の救いなのか、足枷なのか。希望なのか、絶望なのか。あるいはどちらでもある。それでも人は、人とのつながりを求めているのかもしれない。

  • 底の底まで行って全てを諦めてしまえればいいのに絶望の中にも愛らしきものや希望が消えないことの残酷さ。
    匂いや手触りまでリアルに感じて共有してしまったせいか読んでる間は感情が大きく動く事なく淡々と読み進んでいたのに読後振り返って泣いてしまうという珍しい体験をした。今の私の感想は愛の物語とか社会問題とかというより『ただそこにある現実』だった。

  • あまりにも光が見えない

  • 韓国の映画やTVドラマはここ数年に渡って、数多く観てきました。恋愛もの、刑事もの、サスペンスや裁判など、実に楽しめる作品「次どうなるのか?」「この台詞スゴイ」「カネかかってるなぁ」なんて感心と驚きの連続です。

    で、今回、初めての韓国小説にチャレンジしました。

    予備知識なく、映画がドラマの原作本でもなく、ただ巨大書店に行き、韓国小説コーナーの前に立ち、中身をパラパラ掻い摘んで読むこともなく「何となく」で選んで、この「中央駅」を買いました。

    シンプルで、しかし深みのある背景を感じさせるタイトル。そんなことを勝手に想っていたのかも知れません。

    期待は読んで直ぐ裏切られます。

    ホームレスが主人公の「俺」?

    駅付近に野宿する俺。周辺を歩く俺。カネを持っている俺。酒を飲む俺。女を探す俺。

    一人称なので、係わる他者の存在は「俺」の感受から語られるため、物語は彼の行動、想像、言葉で進みます。

    ホームレスの話だと少しでも知っていたら、買っていなかったと思います。

    この底辺の身分である主人公は、やがて何かをきっかけにして再生してゆくのだろうと、ありきたりな展開を予想、いや物語の性質上、再起するしかないと考えながら100ページ程度読んで、そんなストーリーは起り得ないと悟り、どっと疲れて、そのまま読むことを一ヶ月ほど放置しました。

    恋愛でもなく、性を問うものでもなく、社会制度に怒っているわけでもなく、ヒューマニズムが軸に進展するこもなく、急展開もなければ物語に伏線があるわけでもない。

    この小説は浮浪者の生々しいエッセイと言った方が、私にはしっくりします。

    ただ、この作品を最後まで読ませた誘引は、主人公「俺」はどこに着地して終わるのか?という一点でした。

    100%の絶望でなければ、僅かながらにも希望があり、希望を何かしら手にすることができれば、それはこれから起こる「未来」の話。

    一方、時間が経過する度に「過去」も進み、現実は絶望が100%へと次第に蓄積されてゆく。

    「俺」は未来にも過去にも進むことを拒絶し、「今」を生きることで死んでしまう。

    私が過去読んだ小説の中では異質なテーマ、エネルギーですが、実のところ「俺」、作者のエネルギーは感じてもテーマが「?」、いやテーマと言うと大袈裟なので、恋愛や青春、推理やSFなどの物語上のジャンルにしても「?」です。

    でも、まあ小説って何でもありですから、ジャンルに分けることも

    読み手に教える意味以外に価値はないかも知れません。

    ただ、この小説は社会人として普通に暮らしている、極めて一般的な方が、何らかのきっかけで全てを失った場合、「俺」のような存在になると言う「戒」の物語でもない。

    大勢の読者がいるので、受止め方や感じ方は千差万別で当たり前。その前提で、私はこの小説から感じた、学んだことがあるとすれば、現在の私の現実は問題だらけで家族も仕事も置き去りにして、見知らぬ場所で別人として生きたいと想うくらい、絶望100%に近づいていますが、まだまだ絶望ではない!ってことを知らされます。


  • これはホームレスの話なのか、恋愛小説なのか、それともこういう状況を許している社会への糾弾なのか。
    舞台はソウルの中央駅、ある夜、男がキャリーケースを引いて駅舎の片隅にやってくる。周りには似たような先住者がそこかしこに寝ている。仲間入りをした男はやがて一人の女と知り合い、行動を共にするようになる。
    彼らの日常やら、生活の様子などが描かれていく中で違和感を覚える。
    男に関しての情報が一切無い。男の素性、生い立ち、経緯など、話は一人称で進んで行くので、男の名前すら出てこない。
    唯一、周りの人たちの言動から男は若いということだけがわかる。
    女にしても名前もなく、目鼻立ちもわからず、半ズボンにサンダルを履いていたとだけ記されている。
    後に病気で、夫や子供がある身だということは明かされるが理由は明かされない。
    男は、他のものより若い、少しでも未来があるという意味合いで、支援センターの人たちや、機関が手を差し伸べても振り払うばかり。自暴自棄にも見えるが、女と出会ってからは、目的ができたかのようにも見える。それが愛なのか、相哀れみの感情なのかうかがい知れないが。
    今回の舞台はソウルだが、これが東京の上野駅でも、何の違和感も持たないだろう(柳美里の小説にもあった)
    これでもかこれでもかと暗い部分を暴き出す内容に、最後まで希望が見いだせない展開に目をそむけたくなりつつ読んでしまった。
    これは私の知らない世界の話だ、と思っている自分が少し嫌だと思いながら。

全25件中 1 - 10件を表示

著者プロフィール

キム・ヘジン 1983年生まれ。2012年東亜日報新春文芸当選作「チキン・ラン」で文壇入りし、2013年長編小説『中央駅』で第5回中央長編文学賞を、2018年長編小説『娘について』で第36回シン・ドンヨプ文学賞を受賞した。その他の作品に、短編小説『オビー』、長編小説『九番の仕事』、中編小説『火と私の自叙伝』などがある。

「2022年 『君という生活』 で使われていた紹介文から引用しています。」

キム・ヘジンの作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×