子どもの「お馬鹿行動」研究序説

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著者 : 加用文男
  • かもがわ出版 (2016年6月15日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784780308402

子どもの「お馬鹿行動」研究序説の感想・レビュー・書評

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  • 子どもの「お馬鹿行動」の引用が、小説、マンガ、自伝エッセイだったりする。
    いろんな人の「自分の子ども時代」の「お馬鹿っだたと思うエピソード」をもっと集められると傾向分類が見えやすくなるのではないかと思う。
    「お馬鹿行動」は親や、子どもに関わる大人にしてみれば、避けて通れるものなら避けて欲しいと思ってしまいがちだけど、子どもにとっては、そこを通ることで、成長のステップになることは間違いないと思う。(経験上)
    妹尾河童の「少年H」と東野圭吾の「あの頃ボクはアホでした」は、是非とも読んでみなくては!!と思いました。

  • 「お馬鹿行動」を「研究」するギャップが面白そうだな、と思って読んでみたのだけれど、どこが研究なんだかよくわからなかった。子供のお馬鹿行動の実例が面白いので、こればっかり読みたい。

    ぼくもずいぶん馬鹿なことをやった。回っている換気扇の羽根にわけもなく指突っ込んでケガしたり、目をつぶって自転車を運転してドブに落ちたり、両手に木工用ボンドを塗りたくって乾くまで我慢したり。今となっては理解できない・・・と言いたいところだが、ちょっと理解できる。まずいかな。

  • 子どもというのは時に、何だかわけのわからないことをしでかしてしまうものだ。水たまりにわざわざ突っ込んでみたり、歩道のブロックの茶色いところだけを歩いてみたり。大きくなったら何になりたい?と聞かれれば「象!」と言ってみたり(いや、そりゃ意味が違うからっ)。ポケットにはち切れんばかりの小石を詰め込んでいたり。

    あれやこれやの子どもの謎行動を、ここでは「お馬鹿行動」と呼ぶ。
    著者は子どもの遊びの研究者で、本書にもタイトルに研究と入っている。大枠としては、子どもの「お馬鹿行動」をざっくり分類し、その背後にあるものを探るという形で、保育や教育に携わる人には参考図書として役立つ本でもあるだろう。
    が、一般読者として読んでも、子どものお馬鹿行動の例があれこれ紹介されており、何かこれがむちゃむちゃおもしろいのだ。読んでいるうちに、自分のかつての「お馬鹿行動」も記憶の底から呼び覚まされてしまうから不思議。
    独創的で破壊力ある「お馬鹿行動」の世界へいざ。

    本書では、学童保育での出来事や保育者自身の思い出の実例に加えて、「少年H」、「窓ぎわのトットちゃん」、「ちびまる子ちゃん」などの文芸・漫画作品の例も紹介している。
    筆者は数々の事例をまずは「リアルお馬鹿行動」と「正統お馬鹿行動」に大別していて、前者は真剣度の高いもの、後者はからかいやおちょくりが混じった「笑える」成分多めの遊び要素が高いものといったところのようだ。この分類が妥当なのかどうか、門外漢にはよくわからないのだが、これまでの発達心理の研究を踏まえてのことなのだろう。
    「リアル」の方は、実社会を真似た度合いが高く、2つのグループが対立するごっこ遊びが一歩間違うと本当にケンカになってしまいそうな場合もある。
    「おもしろい」という意味では、「正統」の方が圧倒的におもしろい。ごっこ遊びでも空想が混じるままごとのようなものが含まれてくる。仲間内で通じる(大人になってから考えると何がおもしろかったのかさっぱりわからないような)うちわうけのギャグやゲームがある。ぐるりと植えてある木を延々と回るとか、「エースをねらえ!」などの人気アニメの真似をずーっと続けるとかである。
    一人でも仲間通しでもやってしまう、「ふとノリ行動」。ふとしたノリでやってしまったことが思わぬ結果を生むものである。ぶらんこに乗りながら手を離したらどうなるかと離したら落ちて頭を打ったという体験談がある。その後、あほになっていないか心配になり、自分の名前やその日の日付をこっそり言ってみたというのが妙におかしい。

    今でこそ、もっともらしい顔をして真面目なことを言ったりしているが、自分だって、お馬鹿な時代はあった。
    友だちとの遊びの1つに「数字言葉」がある(当時は呼び名などついていなかったが)。ある言葉をある回数言って、別の言葉にするという、だじゃれの変形みたいな遊びである。「やく、やく、やく」→「やく」が3つ→「やく・ざ(3)」とか、「はいた、はいた」→「はいた」が2→「配達:はいたつ(2でツー)」とか。およそくだらないのだが、出来上がる言葉が最初の繰り返す言葉から離れていて、意表をつけばつくほどよかった。やっているうちに口がだるくなってきて、いい加減あきてくるのだが、それでも何だか延々とやっていた。
    爪の白いところは神経が通っていないはず、と思い、ホチキスでばちんと留めてみたこともある。なるほど、その部分自体は痛くなかったが、爪が反っくり返ってしまってめちゃくちゃ痛かった。泣いた。「バカだねぇ」と言われながら、おばあちゃんに切ってもらった。
    石も集めていた。アスファルトに白い字が書けるやつがお気に入りだった。ポケットに入れっぱなしで洗濯して怒られたこともあった。

    子どもの「お馬鹿行動」は、一般には成長の1つの過程であり、未熟なものとされるのだろうが、本書の数々のエピソードに吹き出しつつ、ついでに自分の過去も思い出したりしているうちに、何だかそれだけでもないような気がしてくるのだ。子どもの突拍子もない発想は、すべて「幼さ」から来るわけでもないような。その「くだらなさ」に可能性が秘められているような。その自由さが新しい世界を開くような。
    そう思うと、昨今の「遊び」の「学び化」、「規制化」がちょっと心配なような気もしてくる。
    けれどまぁ、そうはいっても意表をついてくるのが子どものお決まりでもある。理屈で考える心配を越えて、おそらく今日も子ども達は「お馬鹿行動」にいそしんでいることだろう。

  • 小学生くらいの子どもの大人から見ればお馬鹿としかいいようのない行動。ああ、確かにある。
    自分の子どもの事を思い出しても、本当にお馬鹿だなあぁと思ったことが…。読んでいて、いろいろ思い出してしまった。

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子どもの「お馬鹿行動」研究序説の作品紹介

遊びの重要性が強調されるにつれて、遊び観はどんどん「学び」化していくという奇妙な時代。自分たちだけにしかわからないおもしろ物語の誕生にこそが子ども期の経験の神髄として、子どもの「お馬鹿行動」に注目した極北の発達心理学研究。

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