「東北」再生―その土地をはじまりの場所へ

  • イースト・プレス
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  • Amazon.co.jp ・本 (141ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784781606538

作品紹介・あらすじ

「東北学」提唱者・復興構想会議委員、近代日本への大胆かつ緻密な論証で知られる社会学者、南三陸町出身の研究者によるエキサイティングな鼎談と論考。戦後社会の社会構造そのものを見据え、日本という国における「生のあり方」を問い直す。岩手出身の漫画家・吉田戦車による装画。

感想・レビュー・書評

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  • 何か違和感を感じる。彼らの東北とは福島中心?

  • わかりきれなさがある。だからこそずっと知る努力をしていたい。そう思わせる本。

  • 東北自身が強調されすぎていて、有るべき再生とは何かがきちんと問われていない印象。
    小熊はそれを意識しているようだが、ここでは仕方の無いことかもしれない。

  • 山内明美さんの話、今朝の朝日新聞に大きく出てました。このあと南三陸に戻られたんですね…。

  • 東北学の赤坂憲雄、社会学の小熊英二、そして三陸出身の若き論客山内明美の3者によるアピールと提言。「東北は東京の植民地」―これまでもそうだったし今もなおそうなのだ。労働力と食糧とエネルギーを供給し、原発の危険をも引き受けて。したがって、東北が復興したところで、それが繰り返されるだけだ。今こそ東北の真の再生を、すなわちパラダイムシフトを図らなければならない。「福島をエネルギー特区に」との赤坂の提言は一聴に値する。今こそ本当の意味での構造的な改革のチャンスであるのかもしれない。いや、そうしなければならないのだ。

  • (2012.07.10読了)(2012.07.06借入)
    【東日本大震災関連・その97】
    読書スランプのようです。本を手に取るのが億劫で、読んでも内容が頭にスッと入ってきません。まあ、時々こういう時期はあります。
    表紙の三人の人物は、三人の著者の若き日の姿でしょうか? 二人の少年と一人の少女がすっくと立っています。手前には、枯葉の間から植物の芽が萌え出し、双葉が出ています。再生を象徴しているのでしょう。
    出版されたころから気にしてはいたのですが、次々と出版される東日本大震災関連の本を追いかけているうちに後回しになってしまいました。1年たってやっと読めました。
    1年たっても、福島はあまり状況が変わっていないのではないでしょうか? 放射能による汚染というのは、そういうことかもしれません。
    この本の主な部分は、2011年5月1日に行われた鼎談ということです。東日本大震災から51日目です。東北新幹線が全線開通して間もなくの時期です。
    大学までは、東北で過ごし、東京に就職し、途中、4年ほど大阪で暮らしましたが、それ以外は、首都圏で暮らして、定年になり、2012年5月に故郷、岩手に戻ってきました。
    今まで、日本の中での東北がどのような位置にあるのか、あまり考えたことがなかったのですが、この本で、一次産業と安い労働賃金目当ての部品工場が東北の位置づけで、いわば植民地と同じという表現で、衝撃を受けてしまいました。なるほどそうだったか!
    東日本大震災後に、日経で、部品の供給がストップしたために、・・・という記事を読んだ記憶があったので、納得するところがありました。
    負け惜しみを言えば、土地が安いので、固定資産税が少なくて済むし、いろんな娯楽施設や店舗も少ないので、生活費が安く済みそうです。

    【目次】
    まえがきのように  赤坂憲雄
    Ⅰ 鼎談
    第一部 幻想のラインを撤廃せよ
    第二部 分断された日本と再生への道すじ
    第三部 質疑応答 どんな「生のあり方」が可能なのか
    Ⅱ 論考
    最後の場所からの思想  山内明美
    近代日本を超える構想力  小熊英二

    ●放射線量(27頁)
    赤坂:ずっと放射線量を計りながら行きましたが、会津若松市では、室内で0.2マイクロシーベルト。福島市のはずれのバス停あたりでちょっと休憩したときは、空気中は0.5、地表に近いところは1.03でした。福島市は実は高いんですね。
    それから飯舘村を通って行きました。あの村はすごくがんばっていたんです。原発の恩恵を受けているわけではなく、みんなで必死に村づくりをしていた。その象徴が、20年間かけてブランドになっていた、「椏久里」というコーヒーのおいしい店です。もう閉まっていました。その前で計ると、4.6マイクロシーベルト。地面に近づくと8.6マイクロシーベルトといった数値でした。
    ●新しい産業を(60頁)
    小熊:よっぽどプランをきちんと考えて、これからのトレンドがどこに向いているのかも考えて、新しい産業をおこす方向で公共投資を使わないと、被災地の未来は高齢者と財政赤字だけが残る新築の過疎地です。
    ●論壇(91頁)
    小熊:原発を福島に、基地を沖縄に押しつけておいて、何が「がんばれ日本」だというのは、私は震災後すぐに思ったことです。実際に福島ナンバーの車が来れば避けたがるという現象があるのであれば、国民的な一体意識が起きているのかはなはだ疑問です。
    (岩手、宮城の瓦礫処理の受入について、放射能が怖いからと、受け入れを拒否しているという人たちもいます。静岡県の場合は、自分たちで放射線量を測定したうえで、受け入れを認めていますが、放射線量を自分たちで計ることはせずに、政府や自治体は信用できないという理由だけで、受け入れを拒否しています。とにかく関わりたくないということなのでしょう。)
    ●繰り返す津波の被害(97頁)
    赤坂:調べていくととても興味深いことに、毎回起こっているんです。「高台に移住するしかない」となっても、いつの間にか、欲望にまみれているうちにぐじゃぐじゃになって、また元の風景に戻ってしまう。そしてまた津波に襲われるということを、少なくとも明治、昭和と二回やってきて、平成もそうなるかもしれない。
    ●米どころ(127頁)
    東北の「米どころ」としての位置は向上した。だがそれは、西日本をはじめとした温暖な地方が需要の低下したコメから離脱し、より付加価値の高い作物にきりかえていったのにたいし、気候条件が悪い東北が、政策的に価格が安定しているコメ生産にとどまった結果といわれる。
    ●展望(137頁)
    公共事業の投入に頼りながら、もとの産業構造を復元することを意図するのは、展望を欠いているばかりでなく、復興という意味でも効果がない。阪神大震災後の五年間で被災地に投じられた橋や道路などの復興事業約7.7兆円のうち、約9割は被災地の域外に流出したと見積もられている。

    ☆関連図書(既読)
    「飯舘村は負けない」千葉悦子・松野光伸著、岩波新書、2012.03.22
    「闘う市長」桜井勝延・開沼博著、徳間書店、2012.03.31
    (2012年7月10日・記)

  •  タイトルで、購入。

     震災直後の5月の対談。復興構想会議のメンバーだった赤坂さんなどが対談。

     復興構想会議ってなんだったんだろうな。

     3人とも興奮していて、今時点でよむとちょっと混乱気味。

     気になったコメント。

    (1)山内:私個人としては、東北はどんなに低開発と呼ばれようとも、一次産業で立っていける場所にしたいのです。(p46)

    (2)小熊:よほどプランをきちんと考えて、これからのトレンドがどこに向いているのかも考えて、新しい産業をおこす方向で公共投資を使わないと、被災地の未来は高齢者と財政赤字だけが残る新築の過疎地です。(p60)

     新しい産業でなくても、とにかく生業、かせぎを確保するという観点が今求められていると思う。済む場所は、一応、問題はあるけど、仮設住宅、災害公営と対応ができているが、復興まちづくりのなかで、かせぎをどう確保するか、地元の産業をどう復興の目処をつけるかについての配慮がかけているのが気になる。

  • 終章、小熊英二の「近代日本を超える構想力」が小論ながら、戦前・戦後史を踏まえた、食糧と労働力の供給地としての東北、さらには電力供給地としての東北、への分析・論考が説得力あるものとなっている。

  • 『こども東北学』のあと、この本を借りてきた。昨年の5月1日、3月11日から51日目に、半ば公開のかたちでおこなわれた赤坂憲雄+小熊英二+山内明美の鼎談を「I」に、山内と小熊の既発表のテキストをもとに書かれた2つの文章を「II」に、それぞれ収録した本。

    「最後[ケガヅ]の場所からの思想」の末尾で、山内はこう書いている。
    ▼…未来の東北を奪還する手だてがあるとすれば、それはたぶん、「ほんたうの農業と漁業」のあり方を模索することだろうと思う。その道のりは、これまでとは比較にならないほど過酷だろうと思う。それでも、東北ならできると思う。ここは、地獄絵図のような生き死にの紡がれた歴史の中で、くり返し死の淵から再生をとげてきた場所だからだ。
     巨大な樹木が倒れたあと、無数の蘖[ひこばえ]があらわれるように、「東北」は、きっと再生する。(pp.122-123)

    鼎談のなかで、山内はこう語ってもいた。
    ▼私個人としては、東北がどんなに低開発と呼ばれようとも、一次産業で立っていける場所にしたいのです。今回被災した地域は、「ケガチ」と呼ばれる飢饉の頻発地帯です。そこに暮らす日とは「ケガヅ」と言いますが、いずれにしても、文字どおり「ケ」、つまり日常の、ことに食料が欠けがちな場所なのです。地震も津波も冷害もある。陸で生きるのも浜で生きるのも過酷な場所です。過去の歴史のなかでどれほど津波が起きてきたのか、私たちはあらためて知りましたが、それでも、漁師が漁をやめたことはありませんでした。過酷な自然に対峙しながら、ここまで続いてきたのです。いま、私たちは、この深刻な汚染を発端として、将来へ向けてどんな「生のあり方」が可能なのか、未来への責任とともに考える時期にあるのだと思います。(p.46)

    3人は、東北はどのような場所としてこれまであったのかと共に、この先どんな「生のあり方」が可能なのか、新しい社会をどのように構想していくのか、と語りあう。

    赤坂は、自分たちが学問としてやってきたことのなかに、社会の批判は山ほどあったけれど、どんな世界をつくっていったらいいのか、これからの社会のあり方を大きな構想力をもって提示することはしてこなかったと振り返る。

    小熊は、ナショナリズムに関して、「がんばれ日本」や「日本の転機」といった論調が東京のマスメディアを中心として出てきたが、阪神大震災のときを思い出しても、あのときは「がんばれ日本」という形にはならなかったし、例えば同じ規模の地震が沖縄で起きたとしても「がんばれ沖縄」にはなっても「がんばれ日本」にはならないのではと書く。それは、東京の政治家やビジネスマンやマスメディア関連の人も揺れて、放射能のキケンを感じたからではないかと。
    ▼メディアを中心として人口の三割が集まっている東京圏が危機に陥らないと、そういう形にはならないというのが正直な印象です。(pp.90-91)

    3人の語りは、またあるのかもしれない。時間が経つにつれて、変わっていくこともたくさんあるだろうと思う。けれど、この51日目の語りを読んで、私自身のなかにもやもやと残る"感じ"を、ときどきこれを読みかえして、自分でしっかり感じたいと思った。

    そこのところで、赤坂の「現場の声」と「よそ者」の思考についてのこの一節は、遠くにいる私にとって、そうなのかもしれない、と思えた。

    ▼今回本当に僕は、現場ってなんだろうなって思いました。現場の声が正しいなんて本当に思えない。でも現場の声を大事にしたい。常に引き裂かれて、知らん顔したり、寄り添った顔したり、自分でも実にいい加減だと思いながら、それしかできないのかもしれないと思っています。(p.103)

    (1/18了)

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著者プロフィール

1953年、東京生まれ。学習院大学教授。専攻は民俗学・日本文化論。
『岡本太郎の見た日本』でドゥマゴ文学賞、芸術選奨文部科学大臣賞(評論等部門)受賞。
『異人論序説』『排除の現象学』(ちくま学芸文庫)、『境界の発生』『東北学/忘れられた東北』(講談社学術文庫)、『岡本太郎の見た日本』『象徴天皇という物語』(岩波現代文庫)、『武蔵野をよむ』(岩波新書)、『性食考』『ナウシカ考』(岩波書店)、『民俗知は可能か』(春秋社)など著書多数。

「2023年 『災間に生かされて』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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