- Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
- / ISBN・EAN: 9784781680088
作品紹介・あらすじ
戦中につくられた戦意高揚のための勇ましい軍歌や映画は枚挙に暇ない。しかし、最も効果的なプロパガンダは、官製の押しつけではない、大衆がこぞって消費したくなる「娯楽」にこそあった。本書ではそれらを「楽しいプロパガンダ」と位置づけ、大日本帝国、ナチ・ドイツ、ソ連、中国、北朝鮮、イスラム国などの豊富な事例とともに検証する。さらに現代日本における「右傾エンタメ」「政策芸術」にも言及。画期的なプロパガンダ研究。
感想・レビュー・書評
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帯に書いている「本当に恐ろしい大衆煽動は、娯楽の顔をしてやってくる。」ということの古今東西の事例が紹介されていた。戦前日本、旧ソ連、オウム真理教、イスラム国etc.
お堅いイメージのあった大日本帝国の軍部にも「楽しくなければプロパガンダは浸透しない」と主張した幹部がいたことに驚いた。
確かに学校で教師が教えるようなプロパガンダでは、面白くなく興味が持てず全く浸透しないであろうが、娯楽の顔をしてやってきた場合、まずそれがプロパガンダであると気づかず、知らぬ間に一定の方向に扇動されうるであろう。
今後娯楽の顔をしてやってくる大衆煽動をそれと見抜くには、「歴史(過去)に学ぶ」しかない。
歴史に学ぶに関して、最近読んだ「新しい労働社会 濱口桂一郎」の言葉を思い出した。
~以下、引用~
私は労働問題に限らず広く社会問題を論ずる際に、その全体としての現実適合性を担保してくれるものは、国際比較の観点と歴史的パースペクティブであると考えています。少なくとも、普通の社会人、職業人にとっては、空間的及び時間的な広がりの中で現代日本の労働社会をとらえることで、常識外れの議論に陥らずにすみます。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
古今東西、芸術や娯楽が民衆の心に働きかけ、時には歴史を動かしてしまう。
堅苦しくなく、楽しく、押しつけられるわけでもない「プロパガンダ」は、受け取る方は無意識、与える方は戦略的にというところが恐ろしい。
今この瞬間にも、世界中で行われている。
せめて歴史上の事例を知って、垂れ流されるエンタメのなかに潜む危険な「何か」に敏感でありたいと思う。 -
四章までは面白かったが、五章は著者の思想が香る『たのしいプロパガンダ実践編』といった印象だった。「ここまで来ると生臭さは拭えない。」
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西洋、東洋の政治家や軍部。オウム真理教やイスラム国などの「宗教」など事例は豊富。いずれも「楽しい」ものだという。人間は感性が先走ると理性で考えられなくなる。それこそリーダーの思う壺。我々は身近なところでプロパガンダの対象になりうるのだ。
テクノロジーが日々進化して、プロパガンダの手段はすぐ変わる。我々ができることは、こうした歴史に虚心坦懐に学び、人間の弱さを自覚することと感じた。教養なき人生は流されて終わりになるのだろう。時流に竿刺すことごできるか。本を読む理由もここにある。 -
プロパガンダを楽しむといった本ではなかった(汗)。第2次大戦まで、軍国主義国家だった日本は情報将校を中心にそれなりのプロパガンダ・スキルがあったようだ。現在の自衛隊は、かつてのスキルはないと著者は言う。国民に対する「遠慮」があるのかな? 人心を思い通りに誘導したい国(西側も東側も)、テロ組織などの、娯楽、エンタメの中に紛れ込んだプロパガンダに気をつけろ、ということなのだ。カバーのデザインは、ソ連の芸術家が製作したポスター
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津田大介さんのポリタスTVで何度かお見かけしている方の著書ということで、安倍晋三銃撃事件以来なにかと騒がしくなニカと関連付けがされたり感じたりする中、今読んでも良いかなと思い読んでみた。
たのしい とタイトルひらがなにあたり、著者はお若い世代(誰と比較して??)なので、かつての宝島系お笑い北朝鮮、、的な、まあ若気の至りというかそういうものを面白がっていたことを今、ある程度内省の批判をもって自己点検している、というような立場からは、やや軽くてその辺り微妙なラインをぎりぎりうまく書いておられる。著作本をみると、軍歌の研究者なんだ、、意外であった。表紙の装丁はロシアの有名なロトチエンコのレンギスのパロディでこの辺りもクリア、まあまあ良い感じか。
日本のプロパガンダ戦前戦中のことは、国立映画アーカイブの日本映画の歴史展でかなりじっくり展示を見てきたので本書ではおさらい。日本に限らず戦時のプロパガンダ、加担は心痛くも在り厳しく見るべきでも在り、自分ならどう(加担しないほうに)できか出来なかったかと考える。
SNSの普及により戦争のあり方もやり方もプロパガンダも変わってしまい、本書が示す通り無自覚であってはならない、点検、思考を1人1人がすることが大事。
NHKや大手新聞社、テレビがくそにもならないような内容がないというか、権力側のほぼプロパガンダになりきっている今この時、本当に、中国や北朝鮮や韓国やオウムやイスラム国と同じくプロパガンダはあらゆる文化形態、メディア戦略としてネット、テレビなどに日本でも紛れ込むかもしれない、という指摘は本書2015年にも戦前から、かもしれない、ではなく続いており7年経た今はさらに、巧妙なやり方と、さらにあからさまなやり方で日本でも当然に紛れ込み済みである。現実に、アメリカの大統領選、ウクライナとロシアのメディア戦、と毎日プロパガンダ空中戦真っ只中。
思考実験という言葉を書いておられたと思うがほんとうに、「政策芸術」(日本の議員から出てくる言葉か?!という驚き)とか、「歴史戦」とか、歴史教科書や教育内容さえ平気で書き換えられる今、プロパガンダの歴史、手法を学ぶには良い本だと思った。たくさんの資料文献を当たられていてその一覧だけでも面白い。
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推しアイドルが総理大臣と朗らかに食事してる様子を政府のInstagramに載せられてたことがあった。
プロパガンダに推しが利用されるのはまっぴらごめんだと思ったけど、その危険性について自分の言葉で上手く伝えられる自信はないし、そもそも利用されても気付かないかもしれないし、でもそんなのイヤだ〜〜〜と思って読み始めた本。
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近現代史研究者(なんか幅広いなぁ)による、戦前日本から諸外国、宗教、そして現代日本に至るプロパガンダ研究。
新書のコンパクトな分量の中に、全体のストーリー感も含めて綺麗に纏まっているところには、著者の力量を感じます。読みやすく、わかりやすい。現代社会を生きる身として、一度は読んでおいても良いのではないかと思いました。
戦前からしても、やっぱり日本人はプロパガンダはあまり得意じゃなかったんだなぁ、と思いつつ、一部の熱意ある人物によってそれなりの効果が生み出されてきていたことがわかります。やはりソ連、ドイツ、アメリカが凄い。
細かい中身に入っていくと、本著で触れられていた「戦艦ポチョムキン」や、「総統の顔」あたりはリベラルアーツ的に必要な知識だと思いますし、好み的におそらく今後読まなそうな「永遠の0」の筋書きと問題点をザクッと知ることができたのもまぁ良かったです。
1点敢えて言うと、現代日本のプロパガンダについて、右傾化を誘発するものだけを槍玉にあげるのはフェアではないような気も。
本著の中の、「風立ちぬ」は、宮崎駿がリベラルだし右傾エンタメじゃないね、以上!的な展開はちょっと乱暴に感じました。
とは言え、総体的にはとても勉強になったし、我々はプロパガンダに惑わされないよう「思考実験」をすべき、という最後のメッセージも胸に刺さりました。良著だと思います。 -
戦前の日本、欧米、東アジア、宗教組織のプロパガンダが具体例を豊富に挙げて紹介されてある。
それらは自分には関係ないと思うことも可能だろう。
しかし、自民党若手国会議員たちの勉強会「文化芸術懇話会」で立案された「政策芸術」には危険な匂いがプンプンする。
未来の「楽しいプロパガンダ」を防ぐために、過去の「楽しいプロパガンダ」を学び、その構造を熟知しなければならない。
いかに民衆は扇動され、また扇動したのか。現代の社会に当てはめなければならない。
さらっと読めたが、この視点を持つことは非常に大切だと思った。 -
「楽しさ」を通じて民衆をコントロールしようとするタイプのプロパガンダを「楽しいプロパガンダ」と定義し、戦前日本、欧米、東アジア、宗教組織(オウムとイスラム国)、現代日本における「楽しいプロパガンダ」を概観した本。
プロパガンダは楽しく、人を引きつけるものでなければならない。これはどの国でも共通の認識だったようで、旧帝国陸軍の清水盛明、ナチス・ドイツのゲッベルス、中国共産党の毛沢東も同様の見解を述べている。そして利益を上げるために民間のエンタメ産業も協力、便乗してさまざまなプロパガンダ作品を作り上げていった。プロパガンダの本質を知るためには、このような官民協働にこそ注目しなければならない。強制的で退屈なプロパガンダではなく、「楽しいプロパガンダ」によってどのように民衆が扇動されたのかを構造的に見ることによって、未来の「楽しいプロパガンダ」を防ぐことができる、と著者は主張する。
「優れたプロパガンダは、政府や軍部の一方的な押しつけではなかった。むしろ、民衆の嗜好を知り尽くしたエンタメ産業が、政府や軍部の意向を忖度しながら、営利のために作り上げていった。こうすれば、政府や軍部は仕事を効率化できるし、企業は儲かるし、民衆も楽しむことができる。戦時下に山のようにプロパガンダが生まれた背景には、このような構造があった。」(p.58)
国策標語の募集について、「完成した標語よりも、標語について人々に考えさせることのほうが、社会的な影響力がある」(p.41)と、大正時代にすでに指摘されていたのが興味深く、恐ろしさも感じた。