認知の構図: 人間は現実をどのようにとらえるか (サイエンス叢書 H- 1)

  • サイエンス社
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  • Amazon.co.jp ・本 (246ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784781900049

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  • 本書の中でナイサーがくり返し述べているのは,実験室で検討される認知過程の多くが,実際に現実場面で行われる認知活動と本質的に異なっているということである.
    記憶研究において無意味綴りを学習させることに一体どのような意味があるのだろうか(彼によれば,無意味綴りの学習は「心理学的に的をはずれた例の見本」である).
    あるいは,実験者によってなされる瞬間的な刺激呈示は,日常世界の中で起こっていることにどれくらい近いのか(実際には「ほど遠い」).
    それらに欠けているものは,環境との相互作用であるようだ.
    つまりは,「現実の対象や事象の空間的,時間的連続性,およびモダリティ間の密接な関係」であり,生態学的妥当性の概念である.
    では,人工的条件で得られた実験結果と,説明しようとしている日常世界での現象の間の差はどのように埋めればよいのだろうか.
    これは非常に難しい問題であるし,著者自身も明確な答えを示してくれているわけではないが,こういったことに気づかせてくれる著者に感謝の念が生まれてくる.

    もう1つ注目すべき記述は,「注意と容量の問題」に関するものである.
    ナイサーは,トレイスマンやドイッチェ夫妻のモデルに見られる注意のフィルターの存在を否定している.
    彼によれば,「年齢あるいは経験に伴ってフィルターが効率のよいものとなると仮定したとしても,それでは熟練した被験者の方がより少ない情報を抽出することにならなければならない」.
    そして,二重課題状況において被験者が情報をうまく抽出することができないのは,彼らがそうするための能力をもっていないからであると考えている.
    確かに,「認知に関わる限界のすべてを,単一の機構に原因があるとしなければならない理由はない」というのはもっともなことであるように思われる.
    このような論理によって,二重注意を「習得された技能」として論じている点は実におもしろい.

    卒論を書く際に非常にお世話になったが,今後もたびたび引用することになるであろう良書.

    示唆に富む記述
    「われわれが二重課題を扱うことを少しも習得しないのは,たぶん,それをしてみるような容易ならぬ事態にめったに出合わなかったからというだけのことであろう」
    「連続的で時間経過にしたがう活動が組み合わされた場合,かなり多くのものは練習を積んだ被験者ではうまく一つに結合され得る」

  • とにかく,この手の分野の訳本は読みにくい。読みにくいのに,読みたくなることが書かれている。
    ご存じ知覚循環を唱えたナイサーの書。

  • ギブソンに対立する概念として重要な考え方。
    しかし、その折衷案が理想的である。

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