生態学的視覚論―ヒトの知覚世界を探る

  • サイエンス社
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  • Amazon.co.jp ・本 (360ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784781903934

感想・レビュー・書評

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  • 「一般に視覚は脳と結びついている眼に依存しているといわれている。一方、私がいいたいことは、自然視は地面に支えられた身体の一部である頭についている眼に依存している」
    「空間の概念はなんら知覚とは関係がないということである。幾何学的空間は純粋に抽象的観念である。(中略)空間の概念をもたない限り、我々は周囲の世界を知覚できないであろうとする説は意味のないことである。事実は全く逆である。我々は足元の地面と空をみない限り、何も無い空間を想像することはできないであろう。(中略)カントが述べているような「概念なき知覚は盲目である」という独断を捨て去ること」
    こんなところから始まる。とても刺激的。プラグマティックな知覚。

    第一章は、この物理的空間、物理的幾何学の世界から、生態学的幾何学、環境へと知覚対象をチューニングする内容。
    カンブリア生物爆発は眼、つまり視覚の発達によるもの、という説があったと思うけども、ここを読んでて、むしろアフォーダンスの発見ということだったんではないかと考え直す。
    あと、移動をアフォードするものを路という、という感覚がいい。〇〇をアフォードするものをxxという。という定義はいい。例えば、ポルノとは何か、というものを明確に定義するのは難しい。幼女写真をポルノと思う人もいるからだ。でも、性欲をアフォードする画像をポルノという、といえば、何が写っているかではなく、どう捉えるか、むしろ、対象と主体との関係が意味の根拠となる。しずかちゃんが児童ポルノかどうか、というくだらない議論の説明にはこういう考え方が必要である。
    また、加工する、というのは、アフォーダンスを変化させる、ということらしい。これもいい。逆に、注ぐ、というアフォーダンスを形に変換することでポットという道具がうまれてきたりする。
    これらを通して、「「客観」と「主観」の絶対的二元論は間違っている」とするあたりは素晴らしい。

    第二章では、方位光配列、不変項、情報といったものから視知覚を深堀する。このあたりでちょっとわかりにくくなる。刺激、感覚、情報、知覚という言葉に対して、十分な説明がないまま、感覚ではなく知覚、みたいな話になるので、混乱してくる。見る、というのは、網膜像を脳がみる、みたいな意味が混乱した説明ではなく、外界の情報の変化から不変項を抽出する探索行為だ、というような説明になる。ただし、その仕組みは説明されない。あくまで、そのように考えるほうが、知覚の実際をより正確に説明できる、という論点であって、情報の変化から不変項を抽出するのはやはり脳なんじゃないの、という感じは否めない。このあたりでかなりイライラしてしまって、この本をもうちょっとちゃんと読むために、ギブソンの前著、「生態学的知覚システム」まで読むことになったのだ。そうすると言いたいことは少しずつ理解できてきて、本書の「異なった方向から入ってくるさまざまに異なる光の強度を記録することが視知覚にとっては必要なのであり、網膜像の形成は必要ではない。」というのは割とわかりやすい説明である。でもあくまで知覚実験の説明であって、脳科学にはつながっていかないのが、時代でもあり古さを感じてしまう。あと20年生きていられれば、どう考えたんだろうか。ジャコモ・リゾラッティの「ミラーニューロン」に、アフォーダンスが出てきたので、ギブソンにさかのぼることになったのだけど、ギブソンなら今の脳科学をどう生態学的知覚とくっつけるのだろうか。そしてそのアフォーダンスについてのまとまった解説がこの第二章の最後に出てくる。多くの人にとってはここがハイライトになるだろうし、僕もここを目的に読み始めたのだけども、ギブソンにとってはアフォーダンスはあくまで生態学的視覚システムを考えていくうえでの一要素であったこともわかってくる。とはいえ、「人類はなぜその環境の形や物質を変えてきたのだろうか。それは環境が人間にアフォードするものを変えるためにである。(中略)多様ではあるが、1つの世界しか存在せず、我々人類は自分たちに都合のいいように世界を変えてきたが、その世界にすべての動物が生きているのである」「人間は人間が住んでいる世界によって創られたのである。」このあたりはドキドキする。ひとつ気になったのは、隠し場所である。身を守るため、大事なものを保管するために、隠れるところをアフォードする場所が重要とされているが、隠れるところは、一見、隠れるところをアフォードしない場所が良いのである。隠れるところをアフォードする場所は、他者をもアフォードしてしまう。自分自身を含めてしか世界は見えてこない。そのとき、世界はアフォーダンスをもって(アフォーダンスとして)あらわれる。
    ゲシュタルトの誘因とアフォーダンスの違いを述べる部分については、むしろ、ゲシュタルトの有効性を感じてしまった。この双方はもう少しうまくくっつけられるのでは。

    第三章は、第二章までの理論のもととなった実験を紹介してくれる。
    ふと、呼吸を意識することが誰にでもある。一度意識をしてしまうとなかなか気になって不必要に深くなったり、リズムを整えたりしてしまう。そして息苦しく感じてしまったり、このまま死ぬまでこれを繰り返すのか、ということに絶望感を感じてしまったりもする。しかし、通常、普段の呼吸でそういうことは一切ない。これは視覚も同じである。視る、ということをあえて意識して実施する視覚実験については、普段、無意識で環境を把握している視知覚とはまったく異なる動きになってしまう。還元主義的になっているのだ。古い視覚論は、この不自然な視覚に変な条件をつけて実験をしていた。その前提条件が、視覚の理解の混乱をまねいていたのだ、ということである。そうではなく、視覚システムは、三半規管や足の裏に感じる接触から世界に定位しつつ、移動しながら不変項を探索する能動的システムであって、そうやって集めた情報として環境は構築されていく。そうすると、知覚において、今、という瞬間はぼやけていってしまう。前後の情報から今は形成されている。また、網膜像を見ている、ということと不変項をみている、ということがどう違うか、は、なんでもデッサンをやってみるといい。こんなに眼にうつっているものを見ていないのか、と、一瞬できづく。記憶だけでは、自分の家の部屋すら緻密な絵には仕上げられない。それは、絵を描く能力の問題ではなく、視覚はそもそも画像のようには捉えられていないということである。写実的な絵を描く能力というのは、目をカメラのように使う能力の訓練であること(もちろん、そこによりリアルに見せるための編集も作用する。カメラのようには目はできていないから、埋め合わせないといけないのだ)は、デッサンをまじめにやったことがある人ならわかるはずである。

    最後、四章は、画像や映像についての知覚論であるが、正直言って、ここは蛇足である。映像については特にそうだが、こういう表現の分野のことを、知覚論だけで話すのには限界がある。蛇足になることを避けるには、もう少し、その限界をふまえた上で話すべきである。知覚的にこうであるべき、という理由は、表現のうえでは、だからあえてその逆に意味がうまれる、ということにもなるのだ。

    いずれにしても、刺激的であるところと、古さを感じてしまうところが混在していた。遠近の知覚については、遠さと近さを考慮していないところがよくない。遠くは確かに勾配などによる情報から遠近感が理解されるだろうが、近くについては、もっと違う要素、手で届きそうかという直接的距離感覚や、両眼視差、目のピント調整などによって、複雑な、精密な情報が得られていると思う。

  • この当時たしか
    G.ベイトソンとアホーダンスの関係が人気ございましたね。
    学生さんたち皆飛びついて訳知り顔で語ると言うか。
    というか。
    学生時代に訳知り顔で語るのは恥ずかしいものです。
    学生さんには、普通に「実際にやってみてから」語ろうと
    そういうしかありません。何事も哲学方面に頭が行きますが
    何よりも実際の実務に置いてどう考えるべきか?そういう
    考え方でしか物を語るべきではありません。

  • 空間体験の世界には主観と客観、詩と科学の間に境界など存在しないということを科学の側から解き明かす、恐るべき試みだと思う。素晴らしいの一言。
    しかし、少々念の入りすぎとも思える記述は、科学者ゆえ、科学書ゆえなのだろうが、もたつきを感じてしまう。この話はずっと先の方でメルロ=ポンティと合流していると思うのだが、時間がかかりすぎる。空間に対して科学による説明がつくのを待っていたら一生が終わってしまうのである程度諦めがついた。

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  • [出典]
    「なぜ世界はそう見えるのか」 デニス・プロフィット他

  • アフォーダンスの概念で有名だが、心理学の枠にとらわれない独創的な知覚理論を展開したギブソン。生活体であるヒトが身体を駆使して『環境』を生き生きと知覚する様を捉える着想は、隣接分野をいまも刺激し続けている。

  • 散歩とセットで。

  • 修士論文参考文献。

    ギブソンの集大成。

    積読必須。

  • アフォーダンスという概念の発端となったJ.J.ギブソン博士の著書。
    非常に難しい本なので、読み解くのは一苦労でしたが、なるほどと思う所が多々あり読めば読むほど発見がある本だなと思いました。
    私を含め、UI分野のデザイナーを志す人は読んでも損は無い本だと思います。

  • 現実的なものを認めるフレーム。
    原著は1979年。
    読みづらいところは、原著の方が良い?

  • 新着に上がっているのを見て気になった。

  • 読みにくすぎるが,いろいろな本と合わせて読み,アフォーダンスとは何か,ということの片鱗を知った時には,鼻血が出そうに感動した。

  • アフォーダンスに関するギブソンの見解を述べた著書

  • ギブソンの中核をなす考え方を知るために必要な本。

    ナイサーの『認知の構図』と対比しながら読むことを勧める。

    しかし、あまりに難解である。
    アフォーダンスの章から読むべきだろう。

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J.J.ギブソンの作品

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