「ほんもの」という倫理―近代とその不安

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制作 : 田中 智彦 
  • 産業図書 (2004年2月20日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (190ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784782801406

「ほんもの」という倫理―近代とその不安の感想・レビュー・書評

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  • 近代は、前近代の「脱魔術化」から始まる。神や超越的存在を否定した近代から、個人主義が始まる。同時に、魔術が排除された近代では、テクノロジー、官僚制、非人格的メカニズムが発達する。あらゆることを計量し、最大化、効率化をめざす道具的理性が、人間の人格性を否定する。個人は、テクノロジーの発達した社会において、自分の中にひきこもるようになり、共通の事柄について対話することが少なくなった。近代の個人は、政治的自由を喪失した。

    テイラーは以上の形で近代の問題点を指摘した後、現代文化を否定するのでもなく、是認するのでもなく、現代文化がその始まりに持っていた理想に従って、現代文化を立て直そうと提言する。

    近代的な自己は、ルソーやヘルダーが指摘したように、自己意識の肯定、発見から始まる。近代社会では、自己決定、自己選択の自由が称賛されるが、テイラーは、選択行為そのものに価値をおくこと、また、全ての選択肢に価値があるとする相対主義的発想を批判する。

    個人が自由に選択するのは何故かと言えば、様々な事象に価値の大小差異があるためである。近代的な個人主義、個人の自由な選択を肯定する思想を否定するのでなく突き詰めてみよう。諸個人は、「よりよい生き方を自分で選びとることができる」という価値が再発見されるだろう。

    自分の選択、決定に責任を引き受けつつ、率先して、最高の道徳的価値を選びとろうと生きていくこと。これがテイラーの奨励する生き方となる。道徳的価値は、個人により発見されるが、選び取ったそれが価値あるものかどうかは、一人の決定によるのでなく、他者との対話、承認によって生じる。

    多元的な個人の価値を肯定しつつ、全てのものに等しく意味があるというのでもなく、共同体を一方的に賛美するのでもなく、別の方策、いや、本来的なドイツロマン主義が目指していた<ほんもの>という倫理を思考すること。テイラー思想入門に最高の良書だった。

  • 『これからの「正義」の話をしよう』で、極々狭いコミュニティの結びつきを強めようと言っているのが理解できなかったけど、本書ではそれは断片化の一面として否定的に書かれていた。
    "デモクラシーのもとでは有権者というものは、断片化されればされるほど、彼らの政治的エネルギーを、自分たちが属する特定の小集団の利益を図るのに振り向けてゆくからであり、またそうなってゆけばゆくほど、民主的な多数派を共通理解の得られたプログラムや政策に結集できる可能性がますます低くなってゆく"
    やっぱそうだよね。共同の成功体験を積み重ねていく際の入り口としてなら良いかもしれないけど。

    上記の件はスッキリしたけど別の疑問がまた幾つか。
    テイラーさんの言う、自己を超えたところからくる重要性とは結局何なのか。"歴史や伝統からの要請であれ、社会や自然からの要請であれ、神からの要請であれ"とかまた別のページでは政治的大義とか地球環境保護とか言ってるけど、それぞれずいぶん異なるもののような。。"自己を超えたところから"と聞くと何となく神をイメージしてしまうけど、単に外的要請というだけのことですよね?
    そしてこの重要性は選択に先立つとしているけど、この世に普遍的に存在すると言っているわけではなく、対話を通じて皆で作り上げていく(共有していく)ものという理解で良いんでしょうか?
    "状況から遊離した理性という理想は理想にすぎず、私たちは状況に埋め込まれた行為者であって、対話的な状況の中で生きている"とするなら、重要性もまた状況に埋め込まれたものと理解するのが自然な気がします。
    だとすると、重要性について具体性に乏しいのは理解できます。理解できるけど、そこがやっぱり弱いような。「全てに価値がないわけでも、全てに価値があるわけでもなく、価値あるもの、善なるものがあるんだよ、それが何かはわからないけど、とにかくあるったらあるんだ、それはこれからみんなで決めるんだ」と言うだけでは主張として弱く感じてしまう。
    時折、テイラーさんは神秘主義者なのかと思う部分があって、"行為の様式は自己言及的だが行為の内容まで自己言及的とは限らない。私たちは私たちや私たちの欲求に関係なく重要なものにだけ、真の自己達成を見出すのではないか"なんかは、大いなるものの意志とでも言うような全生物共通目標に対して各々が自分なりのやり方で応えるってことだろうかと思ったりしたんですが、そうではないんですよね。いや、神秘主義的である方が僕の妄想(http://no630.tumblr.com/post/36876553421)には近くてより共感できたんですが笑

    他に気になったことは、テイラーさんリアリストなのか、消極的発言が多い。"わたしたちのおかれている状況ではわたしの薦める方法の方が意味のあることではないか"とか、もう誰もが認める意義などないとか、自己中心的な生き方のなかった過去の時代には戻れないとか。本当にそうなのか。昔の大きな物語って言ったって結構ローカルなものなはず。テイラーさんは近代産業社会の人々の流動性を、人との関わりがその場限りのものになってしまうと批判しているけど、どんどん流動性が増して世界が画一化されてきた今こそ、大きな大きな物語が共有されうると考えることはできないか。

    あと、テイラーさん、本物という理想それ自体は優れた理想だとあっさり肯定してるんですけど、そこはいいんですかね。僕はオンリーワンである必要もないと思っていて。目指すべき価値あるもの、善なるものがあって、みんながそれに向かって行くなら、似通ってしまうのは避けられないし、善良な生を送ることが目的だとするなら自分らしさにあまり意味は無いのでは、と思うんですが。

    一人で悩んでいても進まないですね。誰かと議論せねば。
    以下は何となくのまとめ。次は何を読めば良いでしょうか。



    テイラーさんの心配事は3つ。意味の喪失、目的の侵食、自由の喪失
    昔はみんなが信じてた世界の秩序があったけど、科学の発達で迷信が否定され、生きる意味を失い、全ては等しく価値がないとするペシミストになるか、逆に何をしても良いんだと開き直って堕落してる。
    それから近代はあらゆることの目的が経済効率を追い求めることになってしまっている。経済効率で決めるべきでないものまで全て。その力に対抗するにはみんなが積極的に自治に参加しなきゃいけないけど、個人主義(アトミズム)が蔓延していてみんな自分のことしか関心がないから政治参加しない。一人じゃ社会を変えられず、自分は無力だと感じるようになる→ますます政治参加しなくなる、の悪循環。こうして断片化(共通の目的を形成してそれを実行する能力が人々から失われてゆくこと)が進み、(政治的)自由を失ってゆく。

    現代社会には「自分自身に忠実であれ」という道徳的理想(これを「ほんもの」と呼んでる)が潜んでいて、本来これ自体は優れた理想だ(と著者は考えてる)が、現実にはこの理想が大きく曲解され低俗な個人主義として広まっていることが問題。
    人間は何が正しく何が間違っているか直感的に感じ取る能力を授かっているという考え方が18世紀に生まれ、道徳性を外部ではなく自己の内面に求めるようになっていくが、「自分自身に忠実であれ」とは自分の主観のままにやりたいことをやっていいということではない。何が重要なことか決めるのは自分ではない。物事の重要性は他人にも共有されて初めて意味を持つ。重要性が先にあって、それから選択が成される。重要性を持つ世界に生きる時にだけ、人は自分のアイデンティティを自分の力で定義できる。
    個人主義は自己達成を自己だけに関わるものとみなし、自己を超えたところからやってくる要請を無視し、極端な人間中心主義を助長するが、ほんものという理想は自己を超えたところからの要求を前提としている。

    アイデンティティについては承認の需要という観点からも説明されてて、それによると、階級社会が衰退し、社会的地位とイコールだったアイデンティティが崩壊。アイデンティティを社会ではなく自己の内面に求めなければならなくなる。階級社会では人・社会に承認されるということはあえて求めるまでもなく当たり前のことだったが、自己の内面から生み出すアイデンティティは承認を必要とする。承認には他者との関わりが不可欠。社会的な関係性のレベルでは公正さのために差異の平等な承認が必要。そこでは、問題となっているアイデンティティが平等だと確証できる、何らかの価値基準を分かち合っていなければならない。そのためにはやっぱり政治参加。

    個人主義と断片化の悪循環を止めるには実際に効果のある共同の活動、共通の目的形成以外にない。成功の秘訣は成功すること。どこかで何とかして成功体験を獲得しなければ。他の対策としては地方分権とか。

    "ほんものであるとは自分自身に忠実であることであり、自分の存在感を取り戻すことだとすれば、私たちがほんものという理想を完全な形で成就できるのは、その存在感という感情が私たちをもっと広大な全体に結びつけるということを理解する時だけかもしれない。"

  • ロマン主義に根差す本来性について述べる本書の一番の見どころは、たぶん以下の文章

    こうしたことが、理想の真価を示す論拠にならないことは承知しています。しかしそれは、この理想に敵対するひとたちを謙虚な気持ちにさせるはずです。はたして、この理想を根絶やしにすることに意味があるのでしょうか。別の言い方をすれば、わたしたちのおかれている状況では、わたしの薦める方法の力が、つまり、この理想の最善のものを支持し、わたしたちの実践をその水準にまで引き上げようとすることの方が、意味のあることなのではないでしょうか
    自然環境や野生の大地がわたしたちに訴えかけているという感覚を取り戻すことができるなら、深刻な生態系の破壊を何とか押し止めるのに大きな助けとなります。しかし、道具的理性と自己中心的な達成のイデオロギーによって現代の趨勢となった主観主義的な先入観のために、こうした言い分をことばで説明するのはほとんど不可能になっています。…人類の幸福のためというのはなるほどそのとおりでしょうし、たしかに大事なことではありますが、しかしそれで片付く話ではありません

    世界でも相当発言力のでかいと思われる哲学・思想研究者のチャールズテイラー。近代における脱人間中心主義について、やべえ、爺さん、やべえよ、とげらげら腹を抱えて読ませて戴きました。

  • 近代個人主義、断片化、ナルシシズムの台頭。
    コミュニティの重要性。

  • この方はトクヴィルに言及し、現代的な個人主義に否定的な側面があることを認めつつも、なおも、その道徳的価値を擁護しようとしている。

    ひとは誰しも、自分がほんとうに重要だと思うこと、ほんとうに価値があると思うことにもとづいて、自分なりの生のあり方を発展させてゆく権利をもっている。自分自身に忠実であれ。自分にしかなれないものになれ。しかも、何をもって自分自身とするか、自分にしかなれないものとするかは、最終的にはひとりひとりが、彼ないし彼女自身で決めなければならない。彼ないし彼女意外なんぴとも、その中身について指図することはできないし、またすべきでもないのだ。

  • 著者の本は一度読んでみたいなーと興味本位で軽く思っていたのだけれどまるっきり性格の不一致だった。

  • テイラーの主著ではないのだろうけど、日本語で読めるということはうれしい。

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「ほんもの」という倫理―近代とその不安の作品紹介

フリードリッヒ・ニーチェからゲイル・シーヒィへ、アラン・ブルームからミシェル・フーコーへと、テイラーはさまざまな観念とイデオロギーについて論じてゆく。テイラーはそうした議論をとおして、近代においてほんものの自己が育まれてきたその歩みのなかから、よきものと害をなすものとを区別する。自己創造の探求と自己形成への衝動とを結びつける思考と道徳のネットワーク-テイラーはその全体像を描き出し、そうした営みはどのようにしてなされなければならないか、既存のルールや道徳的評価のふるいに取り込まれることなく進めるにはどうしなければならないかを示す。このネットワークに照らすならば、表現することやさまざまな権利が、また人間の思考の主体性が近代の最大の関心事であったことは、わたしたちにとって清算すべきこと、否定すべきことではなく、活かすべきこと、大事にすべきことであるとわかる。

「ほんもの」という倫理―近代とその不安のハードカバー

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