不穏の書、断章

  • 128人登録
  • 3.88評価
    • (22)
    • (16)
    • (23)
    • (2)
    • (1)
  • 18レビュー
制作 : 沢田 直 
  • 思潮社 (2000年10月発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (237ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784783724360

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

有効な左矢印 無効な左矢印
リチャード ブロ...
フェルナンド ペ...
W・G・ゼーバル...
J‐P・サルトル
ポール・オースタ...
フランツ・カフカ
ポール・オースタ...
J.L. ボルヘ...
安部 公房
ヴィクトール・E...
フランツ・カフカ
ドストエフスキー
アゴタ クリスト...
リチャード パワ...
安部 公房
有効な右矢印 無効な右矢印

不穏の書、断章の感想・レビュー・書評

  • シオランが気に入ったのならペソアも読んでおくべきらしいので、図書館で借りてみた。
    こういう本を読むたびに文学(というか芸術全般)は虚無を表現してなんぼの世界だと感じる。
    明るくポジティブなものに芸術性なんてあるわけないし、今後もああってはならないのだよ。
    この人もシオランもだけど、本当は書きたいことなんてあるわけでもないのだけど、書くしかなかったんだろう。
    実際ペソアは最低限の仕事で給料を得て、それ以外のほとんどを執筆に充て、人付き合いもなければ地元を出たこともないような人間だったそうだ。
    しかも出版する予定もないのにただひたすら書いていたというのだから(境遇が宮沢賢治似ている)。
    「ふりをする」っていうのはいい言葉だと思う。
    詩人のふりなどさすがに現代ではする気はないが、人間のふりや友達のふりくらいはできる。
    ただそれすらも面倒な現代では死人のふりをするのが良いような気もする。

  •  幾つもの名前を持つフェルナンド・ペソア。ペソアは、ペソアであるが、ベルナルド・ソアレスでもあり、実は私でもあり、あなたでもあり、ペソアも私も知らないどこかの誰かでもある。
     この書物は、散策の中で書き継がれた、詩であり、散文であり、哲学書でもある。だから、断章という形をとるしかなかった。

     その中からの引用
     「文学は、他の芸術と同様、人生がそれだけでは十分でないことの告白である」

     「自然であるためには、ときどき不幸である必要がある」

     「私はもはや自分のものではない。私は打ち捨てられた博物館に保存された私の断片なのだ」
     
     ペソアの言葉は反芻を促す。
     イタリア出身の作家アントニオ・タブッキは、ペソアの詩に魅せられ、ポルトガル語を学び、ポルトガルのリスボンで生涯を閉じる。 
     山田太一はこの『不穏の書』を枕元に置いているという(『月日の残像』。
     加藤典洋も地味な読者であり、その痕跡を求めてリスボンまで行ったという(『考える人』(季刊誌No50)。
     私もまた、これから繰り返し読み続けることになりそうだ。

  • 胡蝶になった夢を見ていた荘子は、夢から覚めた後、今いる自分が胡蝶の見ている夢でないといえるかと自問する。『不穏の書』を読んでいると、自分もまた、フェルナンド・ペソアに見られた夢の中で生きているのではないかと思えてくる。『不穏の書』の作者とされるベルナルド・ソアレスの手記に見出される感情や思惟は、それほどまでに自分に近しいものを持っている。もっとも、その「自分」というのが私と等号で結ばれたりはしないのがペソアの世界なのだが。

    埴谷雄高は『死靈』の主人公三輪與志に「自同律の不快」という言葉を呟かせている。初めて読んだときには、それが、「自分=自分」であることの居心地の悪さを言っているのだろうという意味は理解できても、実感が伴わなかった。いつの頃からか、それが実感として感じられるようになった。若い頃は、自分というものをプラスティック(可塑的)なものだととらえていたから、日々移ろいゆく自分の変化を「成長」と錯覚することができた。しかし、ある日、それが誤りだと気づいた。確固とした自分などはなく容器としての自分があるだけなのだと。

    だから、こうして書いている「私」もまた、自分の中の一人の人格として存在している。こういう風に考える「私」を仮にAと名づけよう。『不穏の書』は、Aについての「本」である。生きていることに特別の意味などないと考えているAにとって、毎日の生活は単調であるが、格別不満というわけでもない。生活を維持する目的で事務的に仕事をし、残りの時間を自分の時間として考え事をしたり書き物をしたりするのに使う。Aにとっては、そちらの世界こそがリアルなのだ。

    ソアレスのいるのはポルトガルのリスボン。バイシャ地区(下町)に住み、独身で、貿易会社の会計助手をしている。食事はレストランで済ませ、余暇は手記を書くことに費やしている。書かれる内容は形而上学的な思弁であったり、自分についての省察であったりするが、基本的には「個人における性行、心理、生活、社会における慣習や風俗の描写を通して人間の本性を探る(訳者解題)」モラリストの文章に類する。

    ソアレスはペソアが生みだした複数の異名者の一人である。ただ、他の多くの異名者とちがうのは、ソアレスはペソアに近い外見や生活を持っているということだろう。作家の等身大の自画像と考えることもできそうだ。『不穏の書』は、膨大なテクストによって構成されているが、決定稿のないままに遺されている。「作家の複数性」という特質や「断章」という形を取ったテクスト群から分かるのは、ペソアが紛れもなく現代的な作家の資質を持っていることであり、タブッキをはじめ多くの信奉者を生む理由もその辺にあるのだろう。

    『不穏の書、断章』と、一冊にまとめられた「断章」もまた、複数の異名者による詩や散文から訳者が編んだものである。選び抜かれた短い言葉の中にも『不穏の書』に共通する色濃い「虚無」と「倦怠」が滲んでいる。自分というものに違和感を感じることのない健康的で実務的な人生を送る人には無縁の書物である。

    「私とは、わたしとわたし自身とのあいだのこの間である。」 -フェルナンド・ペソア「断章」より

  • ペソアとの親和性が非常に高まっている昨今2011夏。

  • ペソアとの親和性が非常に高まっている昨今2011夏。

  • 日常に潜む冒険。さりげない言葉運びの中に見え隠れする感情の動き。わざとらしくなく、それでいて的確。なぜだか感覚的なところで共感を覚える。短いフレーズの中にこんなにも思考が渦巻いている。そういった全ての印象が心に嬉しい。

  • 堀江敏幸さんの著作から

  • 本屋さんで手にとって開いたページに書いていた言葉が心にささってぬけなくなりました。これからも何度も何度も読む本です。

  • ブログやTwitterが大衆化した今こそ読まれるべき、読みやすいであろう散文集。

    会計助手ベルナルド・ソアレスの手記という形をとった散文集。


    ネガティブのようでいてポジティブのような。そのどちらでもないような。そんな感じ。

  • ペソア自体の考え方が暗いのか、読んでて少し暗い気持ちになりました。

    ただ興味深い一言もあったりと、評価が難しい作品だと思います。。。

  • 読んだきっかけ:『7月24日通り』『ぼくを創るすべての要素のほんの一部』など/

  • ポルトガルの詩人ペソア。
    野暮な紫煙の世界とは百万光年離れた清澄な憂鬱。コレが『嘔吐』より前に書かれていたとは驚異である。
    今も最もリスペクトする作家。

  •  −もうずいぶんまえから、私は私ではない− 表紙のこの言葉だけで、とりあえずおなかいっぱい。 装丁のすばらしさにいつも撫で回してからおもむろに開く。
     特別な異世界を書いているわけでもないのに、読んでいるうちに「現実が剥がれてくる」ようでクラクラしてくる。

  • ボルヘスを読んだあとにこの本を読み、
    ああぼくが世に表現できることなどもうないんじゃないか.と失意の底に打ちつけ落ちこませた一冊.
    ボードレールの「赤裸の心」や「火箭」では共感しつつ、ぼくならこうだ、と考える余地はあったが、彼を前にしてはなにもない.ただ口をあんぐりとあけて、自分の無能さをかみしめるのみ.
    ぼくなりの表現の仕方というものをあるのだと考えなおしてからは立ちなおったものの、それでもやはりこの先誰も彼を超えることは決してない.

    詩人は彼のふりをするしかないのだ.

  • 人生にひとつ。

全18件中 1 - 18件を表示

不穏の書、断章を本棚に登録しているひと

不穏の書、断章を本棚に「いま読んでる」で登録しているひと

ツイートする