- Amazon.co.jp ・本 (357ページ)
- / ISBN・EAN: 9784784071227
感想・レビュー・書評
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<感想>
内山先生の考えている「国家観」「共同体観」について、多角的に教えていただいた、というのが、著作を拝見した第一の印象です。
合理的に説明できない、日本における自然と人間の関係をとらえなおすことをこれからの講座を通じてもっと深く感じていきたいと思いました。
現在、宗教に興味が湧きはじめているのですが、「日本の民衆の信仰を宗教としてとらえるのは、あまり正確ではない」「宗教よりももっと古層にある、個々の人間をみつめる想い」というお言葉に、新たな視点をいただきました。
この言葉では語れない部分が「清浄なる精神」につながる、と現状では解釈しています。
一番心に残ったのは、居り合いについてです。
「折れ合って妥協点を探るのではなく、いろいろな真理が共存できる方法を、つまり居り合える方法を見つけ出す」という箇所。自分自身とても重要に思う点で、これから起きる事柄に対しても、この精神を大切にしていきたいと改めて感じました。自分の周りも含めたより納得のできる環境を作るために、多層的な共存を模索していきます。
読みながらこれからの課題だと感じた点は、まず共同体(魂の帰る場所)を自分の中で見いだせていないので、その地を見つけ出すこと。
それから、本著に欠かれている共同体の精神を根底に持ちながらも、現状の社会システム、貨幣経済(現実の世界と言い換えても差し支えないと思いますが)の中でうまく居り合いをつけて生活して行くこと。その両立がいちばんの課題だと感じています。理想だけでは成り立たない、しかし、夢がなければ始まらない、とでもいいましょうか。(新潟の農家さんのお言葉をお借りしました)
共同体の役割として感じたのは、相互の補完についてです。人間は弱い生き物です。放っておけばおそらく自分の利益のことばかり考えるし、ずるしようともするし、ばれなければ犯罪してしまえ、ということもあるかもしれません。そんなときにも、共同体、というまとまりが、一定人の行動を正しく導く役割も果たすのではないか、と思いました。それが、わずらわしさ、監視されているといった感想にもつながるのかなと。
ただし、お金持ちが再分配するというシステムについて、個人的な実感を持つことができませんでした。金は天下の回りものといった概念はもちろんわかるのですが、一時的にお金を預かったという認識をする人がいる一方で、ずる賢く他人のものまでかすめ取ろうとする人も現実にいると思います。それこそ、資本主義のやったもん勝ちという側面との、向き合い方がなかなかむずかしいところです。
Q.近代以降の国民国家と個人のつきあい方、距離感はどのような形が理想と考えていらっしゃいますか?
国家の判断が、私達の生活をがらりと変えると思います。共同体に入っていたとしても、年貢のお話のように生活とは切っても切りはなせない部分が多い。
さらに、今の時代、知りたくなくても情報がたくさん入ってきます。特に国家レベルの話題は、正直わけがわからないものが多く、見ているだけでげんなりとします。だからこそ、自分はもっと何かしなければならないのではないか、と焦燥感にもかられ、また無力感にも苛まれます。国家と個人の距離が近づいているのではないか、と感じ、近代以前の共同体は、都市とのやりとりや情報が限られていたからこそ、共同体としての存在が守られてきた、という側面があるような気もしています。
国家をどう位置づけ、どう居り合いをつけていくとよいでしょうか。
(関連箇所)
自分たちの世界を守れないほどに「お上」が手を突っ込んできたときに、どのように生きて行くのがよいのか。
国家を基盤にして考えるのとは異なる社会観や人間観、経済観を作り出さないとナショナリズムの台頭は必ずどこかで起こる
頭のなかから国家や国民という概念を取り払うことはよいではない。その限り戦争の可能性は残り続けるかもしれない。
民衆思想と国家思想との区別を明確にしていかなければならないp340
Q、都市に村のような共同体が出来上がる可能性について、逆に現在残る共同体に入っていく場合、本当の意味で共同体の構成員として認められる可能性について、もう少しお伺いしたいです。
東京から沖縄に戻った友人がいますが、彼は「一生自分はよそ者ではないか」とつぶいやいていて、その言葉が印象に残っています。
血縁(先祖)、地縁(土地の歴史も含めた)、知縁が重要だと言われていると思いますが、都市と地方それぞれの可能性についてご意見を伺えたら有り難いです。
(備忘録)
近代以降の国民国家的思想と共同体的(民衆)思想
都市と地域の相互補完的な関係の可能性。P271
代替可能性と協同労働
自分のよく知らない、あるいは手の届かないところにあるものを、判断しながら生きなければならないという困難を与えた時代
お金、地位、国家の人工的、権力的、深く考えずにすむことに重きをおいてしまう
人間の価値は日々の関係の中にこそあるp173
お金が主人公ではなく、人間が主人公である
私達が探し出さなければならない物は、人間が真面目に働くことによって、環境も、地域も、暮らしや家族の関係もよりよい物になって行く、そんな働き方とは何か、であろうp244
結びつきを外部システムと重ねてしまった、裸の個人詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
内山の哲学の核心には、「反近代」がある。近代の本質は何か、近代において人は何を失ってしまったか、を繰り返し問い続ける。
内山の姿勢が素晴らしいのは、西洋文明に席捲されることで迎えたこの現代の危機を、ナショナリズムに陥らずに乗り越えようとするところだ。近代以前の人々の暮らしの中に豊かさを見出すことで回復のヒントを探りながら、「日本」という国家に傾くのではなく、我々が日々暮らす土地の風土へと立ち返ろうとする。
最もラディカルな思考が、最も保守的なものでもありうるという、稀有な哲学がここにある。