- Amazon.co.jp ・本 (276ページ)
- / ISBN・EAN: 9784787234452
作品紹介・あらすじ
ヤンキーという言葉から、どのようなイメージをもつだろうか。時代遅れというイメージがある一方で、近年では「マイルドヤンキー」のようにマーケティングの対象として注目されたりもしている。しかし、ヤンキーと呼ばれる若者が何を考え、どのように生活をしているのか、十分な調査に基づいた書物は少ない。
大阪府の高校で3年間、〈ヤンチャな子ら〉と過ごしフィールドワークして、対立だけではない教師との関係、〈インキャラ〉とみずからの集団の線引き、家族との距離感を丁寧にすくい上げる。そして、高校を中退/卒業したあとの生活も調査し、大人への移行期に社会関係を駆使して生き抜く実際の姿を活写する。
集団の内部の亀裂、地域・学校・家族との軋轢、貧困や孤立――折り重なる社会的亀裂を抱える若者の「現場」から、分断や排除に傾かない社会関係の重要性を指し示す。
目次
序 章 〈ヤンチャな子ら〉のエスノグラフィーに向けて
第1章 ヤンキーはどのように語られてきたのか
第2章 〈ヤンチャな子ら〉の学校経験
第3章 〈ヤンチャな子ら〉とは誰か
第4章 「貧困家族であること」のリアリティ
第5章 学校から労働市場へ
終 章 〈ヤンチャな子ら〉の移行過程からみえてきたこと
感想・レビュー・書評
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真面目な研究書です。それはいいんだけど、先行研究の内容や理論をあれこれ言っている部分が多くて、決して読みやすい本ではない。
内容は複雑でまとめにくいが、地元ネットワークに古くから属している子と小学生後半遺構の他所から移住してきた子で、地元ネットワークへの組み込まれ方の違いや、就職先を紹介してもらう伝手の質に差がある、というのが新しい知見。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
著者は教育社会学、家族社会学を専攻とする。
「エスノグラフィー」とは民族を表す「ethno」と記述を表す「graphy」が組み合わされてできた言葉で、民族誌学といった訳語が充てられる。文化人類学や社会学、心理学で使われてきた研究手法で、対象となる部族や民族の生活の場に入り込み、フィールド調査からその社会構造を記述することを指す。
ざっくりと外から概観を見ようとする「鳥の目」というよりは、中からじっくり観察する「虫の目」というところだろうか。
著者は苗字から窺えるように沖縄出身である。調査対象はタイトルの<ヤンチャ>が匂わせるように大阪の(社会的・経済的にあまり恵まれていない)高校生である。
あとがきに、この研究に至る経緯が簡単に記されているのだが、これがなかなか興味深い。
沖縄に生まれ育った著者は、どちらかといえば本書に登場するヤンキーと呼ばれる子たちに近い立場だった。高校に入るまでは大学に進む気などさらさらなく、周囲にも大学出はほとんどいなかった。高校1、2年までは遊び倒していたが、何らかのきっかけがあって、高3で一念発起し、教師を目指して国立大学に進学する。けれど、周囲の同級生は小さい頃から大学に進むことが当たり前であった子ばかりで、どこか違和感があった。かといって高校までの仲間たちともまた違う道に進んでしまったわけである。悩みを抱えるうちに出会ったのが、労働者階級や暴走族に関するエスノグラフィー研究だった。著者は迷いつつ、大阪の大学院に進学し、大阪の高校で<ヤンチャな子ら>の研究に取り組むことになる。
本書のベースは著者の博士論文で、これを一般向けにリライトした形である。読みやすさを心がけつつ、学術性も尊重するというのはなかなか難しい作業だったのだろうと思う。
門外漢にとって読みやすいかといえばそうとも言えないのだが、各章につく注も丁寧で、なるほど社会学的なフィールドワークというのはこういう形で行うのかと興味深く読み進められる。一般人と研究分野をつなごうとする意欲を感じる。
「つなぐ」視点は、研究対象についても言え、いわば自身、「ヤンチャな子(ヤンキー)」に近かった立場の著者が、ヤンキーではない人たちに彼らの生活世界を紐解いていくのは、まさに適材適所のテーマだろう。彼らの懐に飛び込み、長年に渡り詳細な聞き取りを行うことができたのも、偏見のない、真摯な姿勢があってのことと思われる。
本書で扱う「フィールド」は、大阪の公立高校である。経済的に厳しい地域にある。家庭背景も学力も相当厳しい状況の子が多く、卒業するのは入学した数の三分の二程度という。
こうした子らをエスノグラフィー的に見ていって浮き彫りになってくるのは、ひとことで「ヤンキー」とくくられがちな彼らの間にも様々な事情の子がいることである。
大まかには、服装も崩れていて派手に遊び歩く<ヤンチャな子ら>と、服装や髪形は整っていておとなしく(というか陰気で)得てしてゲーム好きな<インキャラ>がいる。しかし、<ヤンチャ>と言ってもいろいろで、親の世代からずっとその地域に住み続けていて、ある程度社会的なバックアップが得られる子もいれば、親がアルコール漬けであったり精神を病んだりして家庭が崩壊しており、あちこち転々としてきたような子もいる。周囲との力関係でいじめたりいじめられたりをどちらも経験する子もいる。その子の家庭背景によって、永続的で安定した職に就ける子もいれば、刹那的にその時々で食いつなぎ、展望の見えてこない子や裏社会に入っていく子もいる。
こうしたことから、著者は「ヤンキー」とひとくくりにするのでは見えてこない、社会的支援のきめ細かなさまざまな形がありうるのではないかとも提唱している。
著者自身も言う通り、本書の元になる研究は、1つの高校に関しての限定的なものであり、また、アラもあるのだろう。
しかし、悩みつつ迷いつつ、一般人と研究者、一般読者とヤンキーを「つなぐ」視点で描き出された「ヤンチャな子」らの姿は、さまざまに考えさせる力を持つ。 -
マーケティング用語になったヤンキー、貧困による断絶化など、気になっていたテーマであり、装丁がインパクト大なので読んでみた。
読みやすく、深掘りしており興味深かった。 -
『〈ヤンチャな子ら〉のエスノグラフィー ――ヤンキーの生活世界を描き出す』
著者:知念 渉
四六判 280ページ 並製
定価 2400円+税
ISBN 978-4-7872-3445-2 C0036
書店発売日 2018年12月25日
ヤンキーという言葉から、どのようなイメージをもつだろうか。時代遅れというイメージがある一方で、近年では「マイルドヤンキー」のようにマーケティングの対象として注目されたりもしている。しかし、ヤンキーと呼ばれる若者が何を考え、どのように生活をしているのか、十分な調査に基づいた書物は少ない。
大阪府の高校で3年間、〈ヤンチャな子ら〉と過ごしフィールドワークして、対立だけではない教師との関係、〈インキャラ〉とみずからの集団の線引き、家族との距離感を丁寧にすくい上げる。そして、高校を中退/卒業したあとの生活も調査し、大人への移行期に社会関係を駆使して生き抜く実際の姿を活写する。
集団の内部の亀裂、地域・学校・家族との軋轢、貧困や孤立――折り重なる社会的亀裂を抱える若者の「現場」から、分断や排除に傾かない社会関係の重要性を指し示す。
https://www.seikyusha.co.jp/bd/isbn/9784787234452/
【簡易目次】
序 章 〈ヤンチャな子ら〉のエスノグラフィーに向けて
第1章 ヤンキーはどのように語られてきたのか
第2章 〈ヤンチャな子ら〉の学校経験
第3章 〈ヤンチャな子ら〉とは誰か
第4章 「貧困家族であること」のリアリティ
第5章 学校から労働市場へ
終 章 〈ヤンチャな子ら〉の移行過程からみえてきたこと
[著者プロフィル]
知念 渉(チネン アユム)
1985年、沖縄県生まれ。神田外語大学外国語学部講師。専攻は教育社会学、家族社会学。論文に「〈ヤンチャな子ら〉の学校経験」(「教育社会学研究」第91集)、「「貧困家族であること」のリアリティ」(「家族社会学研究」第26巻第2号)、「〈インキャラ〉とは何か」(「教育社会学研究」第100集)、共訳書に『文化・階級・卓越化』(青弓社)など。