誘惑論―言語と(しての)主体 (ノマド叢書)

  • 10人登録
  • 3.25評価
    • (0)
    • (1)
    • (3)
    • (0)
    • (0)
  • 1レビュー
著者 : 立川健二
  • 新曜社 (1991年10月発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (326ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784788503977

誘惑論―言語と(しての)主体 (ノマド叢書)の感想・レビュー・書評

  • 著者は冒頭で、次のような例をあげて「意味」の発生を説明している。一人の男と一人の女が散歩をしている。男は不機嫌らしく黙々と歩いている。女は仕方なく黙って後をついていく。しばらくすると、男は黙ったまま、公園の樹木に小さな刻み目をつける。このとき、この男の行為はたちまち「記号」となる。女は、恋人の行為の「意味」を知りたくなるに違いない。「なぜなら、女はその男を愛しているからだ」と著者はいう。このように、「関係の危うさ」があらわになり、人が「ささくれ」に敏感になる場面において、「意味」は生まれる。

    意味を有する言葉が成立するためには差異の体系が存在しなければならない。ポスト構造主義の理論家たちはこのことを認めた上で、体系の「自己差異化の運動」を見いだして構造の生成を捉えようとする。だが著者は、ウィトゲンシュタインの私的言語批判の議論を参照しつつ、こうした考えを退ける。私的言語を適用するとき、人はあらたに言語を定義しなおしているにすぎない。「自己差異化の運動」とは、そうしたナルシスティックな活動なのではないか。

    著者は、言語とは自己差異化の活動ではなく、「言語ゲーム」を共有しない他者に向かって語りかける対他的な行為だという。では、どのようにして私たちは他者に意味を伝え、他者を動かすことができるのか。他者を誘惑することによって、と著者はいう。誘惑者は、自己を意味づけるように他者を誘い、他者を「ささくれ」に敏感にする。

    ただしこのとき、誘惑する者は自己同一性を失うことになる。なぜなら、彼は他者に意味づけを促しながら、その意味の決定を他者の手に委ねるほかないからだ。彼は、他者を動かそうとすることで、みずからの同一性が他者に拉致される「意味の受難」を受け入れる。ここに生じているのが、「自己差異化の運動」とは異なる「他律的な変容の運動」である。著者は構造の変動を、こうした「他律的な変容の運動」によって説明しようとしている。

全1件中 1 - 1件を表示

誘惑論―言語と(しての)主体 (ノマド叢書)を本棚に登録しているひと

誘惑論―言語と(しての)主体 (ノマド叢書)を本棚に「読みたい」で登録しているひと

誘惑論―言語と(しての)主体 (ノマド叢書)を本棚に「読み終わった」で登録しているひと

誘惑論―言語と(しての)主体 (ノマド叢書)の作品紹介

話すこと、それは誘惑することだ。誘惑すること、愛することを通じて人は異文化と衝突し、他者に出会う。気鋭の言語学者がナルシシックな現代人に贈る、交通(インターコース)への呼びかけ。

誘惑論―言語と(しての)主体 (ノマド叢書)はこんな本です

ツイートする