メディア時代の文化社会学

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  • 新曜社
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  • Amazon.co.jp ・本 (330ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784788505063

作品紹介・あらすじ

メディアの多元的なディスクールと、その諸層へ個々人がインターフェイスする情報空間のドラマ。

感想・レビュー・書評

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  • 新しいメディアの登場によって、われわれの社会的経験の時間的ないし空間的構造や、身体性、コミュニケーションのありかたにどのような変容がもたらされるのかという問題について論じている本です。

    本書の議論は、現代においてメディアがますます発展しつつあるという事実によって動機づけられているということはできると思いますが、とりあげられているのは電話や蓄音機、あるいは広告といった、やや古い時代のメディアによって人びとの行動様式が変化した事例も多くとりあげられています。それだけに、メディアにかんする社会学的考察が論じるべき根本的な問題とはなにかが、はっきりと示されており、刊行からかなりの歳月を経ているものの現在でも学べることの多い内容だと感じられました。

    また、戦前において民族娯楽研究に手を染めた権田保之助や、戦後において「限界芸術」を論じた鶴見俊介の議論についての考察も含まれており、過去の研究との比較を通して、現在のメディア論の特徴について学ぶことができたように思います。

  • 音響文化論[Sound Culture]

  • ★二回目
    《第1章 メディア変容と電子の文化》
    <1. マクルーハンと電気の文化>
    【メディアはメッセージ?】
    機械による外爆発の時代から電気による内爆発の時代への、また活字による線条的・視覚的な知識から電気による非線条的・触覚的な知識への移行という彼の主張は、「メッセージはメッセージ」「ホットとクール」「地球村」といったキャッチ・フレーズとともに、世界的なセンセーションを巻き起こした。p42

    <2. 場所の空間/電子の空間>
    【電子メディアと対面的状況】
    われわれが建築的に境界づけられた場所のなかで出会うとき、そこで交わされる相互作用は、それが発話される時間と空間のなかに枠づけられている。ところが、電子メディアのなかでの出会いは、時間・空間的な距離を無化してしまう。電子の世界は、時間的にも空間的にも無限に複製可能であり、したがって自らを枠づける時間・空間的座標系をもっていない。たしかに、このような可能性は、すでに印刷メディアにより生み出されていたものである。だが、活字の文化は、ひとりひとりの読者をそうした非場所的な次元に誘い込むことはあっても、彼が生活している場の時間・空間的な規定力そのものを失効させてしまうことはなかった。ところが、電子メディアは、たんに個人の内面を彼の身体が置かれている時間・空間から遊離させるというよりも、社会相互作用そのものを非場所的な次元へと移行させ、そのことによって社会的な時間と空間のあり方を根底から変容させていくのである。p53-54

    <3. 電子的ディスクールの位相>
    <4. 電話の浸透と生活空間の変容>
    <5. 電話回線のなかのリアリティ>
    <6. メディア変容と電子の文化>
    最後に次のことを強調しておきたい。口承から筆記や活字へ、そして電子へというメディア変容のプロセスは、一方が廃棄されて他方へ移るといった二者択一的な過程ではなく、一方に他方が重なっていくという積層的な過程である。このなかで、当然先行するメディアの文化には構造的な変容がもたらされるが、そうした文化自体が消失してしまうわけではない。社会の構成のなかで従属的な地位を強いられながらも、文字の文化のなかにも口承の文化が、電子の文化のなかにも文字や口承の文化が保持されつづけるのだ。電子メディアがどれほど現実性の成立平面を変容させていこうと、われわれは今後も文字的な仕方で世界について思考するであろうし、われわれの日常は、かなりの程度まで相変わらず口承的なコミュニケーションによって織りあげられていくであろう。電話について述べたように、電子的なメディアが社会を覆い尽くしても、われわれの身体の場所的な定在性が完全に無化されてしまうわけではなく、われわれが全面的に電子的な平面だけに住まう存在になるわけでもない。われわれはむしろ、場所的な空間性と、本当は比喩的にしか<空間>といえないような電子的な空間性に同時に住まっていくのであり、社会空間全体も、そのような仕方で二重化ないし多重化されていくのである。
    したがって、さまざまな文化現象とそのなかでの身体や権力のありようを、こうした複数のレベルのリアリティの重層的な関係の中で捉え返していく必要性がある。p77-78

    広義のメディア文化論

    【電子メディアと対面的状況】p54
    電子メディアは、たんに個人的の内面を彼の身体が置かれている時間・空間から遊離させるというよりも、社会的相互作用そのものを非場所的な次元へと移行させ、そのことによって社会的な時間と空間の在り方を根底から変容させていくのである。

    【二次的な声の文化の形成】p56
    無論オングはマクルーハンのように単純に口承的な文化の復活を主張しているわけではない。口頭から文字へ、そして電子へという発展は、ループを描いて回帰するような過程ではなく、螺旋的に位相をずらしていく積層的な過程である。

    《歴史の中のメディア変容》p79
    メディアとは、社会がそのさまざまな欲望や権力の布置のなかで、自らの生きる世界を構成していく関数として物質化され、制度化された形態である。

    【電気の<劇場>/ 電気の<手紙>】p115
    草創期にあって、電話は劇場的なメディアとして利用され、蓄音機はむしろ手紙的なメディアとして考案され、ラジオもさまざまな可能性を混在させていた。

    【儀礼研究の対象としての近代】p130
    ロバート・ボコック「儀礼」:象徴と結びついて社会的に遂行される身体的行為

    【言説戦略としての広告】p162
    ガルブレイス「依存効果」:欲望を満足させる過程が同時に欲望をつくり出していく。

    産業システムによる欲望創出とマスメディアの拡大が、広告産業を中間項としながら統合されていく。p164

    広告は<窓>というよりも<鏡>として大衆のまなざしに作用したのであり、その特権性においてではなく、偏在性において人々の欲望を組織してきたのである。p175

    《現代都市の意味空間》p188~
    1. 1910~30年代の浅草と銀座
    2. 1960~80年代の新宿と渋谷

    《終章 上演論的パースペクティブの射程》p258~

    【ドラマトゥルギー論の射程】p293
    われわれはこれまで主として人類学がなし遂げてきた上演論的な知の構想を、今度は<社会学的>かつ<歴史学的>な知の流れのなかでひき継ぎ、乗り越えていかなければらないのだ。

    《あとがき》
    メディアや空間の社会性や歴史性を読み解いていくことが、そのまま文化の社会歴史的な構成を読み解いていくことにもなるのである。p326

  • 古い本だけど悪くない、ただ事例紹介の説明が多くも思う。もう少し量が少ないと良かったな、、

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著者プロフィール

吉見 俊哉(よしみ・しゅんや):1957年生まれ。東京大学大学院情報学環教授。同大学副学長、大学総合教育研究センター長などを歴任。社会学、都市論、メディア論などを主な専門としつつ、日本におけるカルチュラル・スタディーズの発展で中心的な役割を果たす。著書に『都市のドラマトゥルギー』(河出文庫)、『大学とは何か』(岩波新書)、『知的創造の条件』(筑摩選書)、『五輪と戦後』(河出書房新社)、『東京裏返し』(集英社新書)、『東京復興ならず』(中公新書)ほか多数。

「2023年 『敗者としての東京』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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