神、人を喰う―人身御供の民俗学

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著者 : 六車由実
  • 新曜社 (2003年3月30日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (273ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784788508422

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神、人を喰う―人身御供の民俗学の感想・レビュー・書評

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  • 「人身御供」をテーマにした民俗学の書。
    冒頭に動物を御供とする祭の様子が写真入りで紹介され、驚きと興味をそそる。

    今では生臭い動物御供は行われないことが多いが、かつては神前で動物を殺して捧げることが行われていたのである。
    そして、日本各地の祭の様子や伝承を検証していくと、動物ではなく人が捧げられたこと―人身御供―があったことが浮かび上がってくる。

    これは民俗学者にとっては研究の重要なテーマになるのだが、柳田国男をはじめ、知識人や研究者たちはこぞって日本にそのような風習があったことを否定した。
    それを著者は「人身御供という問題に遭遇する際に誰もがおぼえるに相違ない率直な感情」であると分析する。そして、「そうした負の感情こそが、逆説的にいえば、人々が人身御供という物語を伝承し、祭のなかで再現していくための、最も大きな原動力となっていたように思える」と述べる。


    六車氏は、「人柱」や「カニバリズム」という現象のもつ一種の「毒」の作用に触れる。その「毒」に率直な拒絶反応を示したひとりが柳田国男であった。

    「人の肉や血はいずれの時代の思想にてもわが国では決して御馳走にはあらず」〔柳田一九一一 四八八頁〕(本著P18)

    この発言はその最たるものである。

    かつてモースが食人の痕跡のある人骨を発掘した時も、当時の学者たちは日本に食人の習慣があったことを否定する側に回った。(P30)
    食人の習慣を持つひとびとを、あるいは「まつろわぬ人々」であるとしたり、「コロボックル」であるとしてみたり、とにかく今日本列島にすむ我々の直接の祖先ではないと主張した。(P32)

    さて、日本に食人の習慣があったかどうか、それはここで述べるべきではないだろう。
    ただ、いつかこのことについて纏めてみたいというのは私の望みの一つではある。


    六車氏は日本各地の伝承や祭祀における人身御供の痕跡をいくつも例示している。
    そのうち、六車氏の解釈と私のそれとが違うものを挙げておきたい。

    尾張国(現愛知県)大国霊(おおくにたま)神社の儺追(なおい)祭は、その祭祀の内容もさながら、それに対する学者たちの見解の相違が興味深い。

     「儺追祭は、神社側の公式的な説明とは別に、地元では「裸祭」と呼ばれ、周辺の地域からも大勢の裸男たちが参加する威勢のよい祭として知られており、志願者のなかから神籤で選ばれた「儺負人(なおいにん)」(通称「神男(しんおとこ)」と呼ばれる一人の男性がその中心をなしている。この儺負人は、祭の間過酷な苦役を強いられる。彼は、まず昼の祭で、数千人の裸男たちのなかを通りぬけ無事に「儺負殿」に入殿しなければならない。一糸まとわぬ姿で、いきりたつ裸男たちのなかに飛び込み、押し合い圧し合い、揉みくちゃにされながら、まさに命がけで儺負殿まで辿りつくのだ。そうして、昼の大役を務め上げた儺負人は、翌未明から執り行なわれる夜の祭で、今度は「土餅」と呼ばれる厄の塗りこめられた餅と火を灯した紙燭を頭上にさした人形とを背負わされ、礫を投げつけられながら境内から追いやられるのである。」(P50-51)

    これを明治時代の学者加藤玄地は「人身御供の形跡がある」〔加藤 一九二五 九六~一〇一頁。〕(本著P51)と断じた。
    ところがこれに柳田国男が反論した。

    「これも「人身御供の古式」とは言い難く、儺負人が追われるときに背負っていた土餅が村境に埋められ、この儀式が社家の秘儀になっていることから、これは外敵から村を防御するための「坂上鎮護の祭式」ではないかという解釈を加えているのである」(P55)

    私も柳田の見解にほぼ賛成なのだが、柳田の根拠には賛成しがたいものがある。なぜなら、六車氏が提示する、柳田が加藤の説に反した根拠は以下のものだからである。

     「人の肉や血はいずれの時代の思想においてもわが国では決して御馳走にはあらず。(略)」〔柳田 一九一一 四八八頁〕(本著P56)


    柳田はこの儺負人を集団によって傷つけられ、殺された上にその血肉を神に捧げられる生贄と見たのだろうか。

    だが、世界の原初的な神話において、集団によって傷つけられ、殺され、その血肉を神に捧げられるのは女性に限られるのである。
    これはイェンゼンが世界各地で採話した古栽培民の神話の一つで、ハイヌウェレ神話と呼ばれるものである。
    日本神話においては、オホゲツヒメ神話がこの類話であると言われている。(大林太良、吉田敦彦他)

    この痕跡は日本においては縄紋時代遺跡から出土する女性土偶のほとんどが、粉々に破壊された上にばらばらに埋められていることに見ることができる。
    つまり、豊穣の女神はその身体を千々に解体されて畑地のあちこちに埋められ、その断片のひとつひとつから有用な植物を産出したと信じられていたのだ。
    また、古代の農業祭祀において、田畑で動物を屠り、その血肉を大地に捧げたことは『播磨国風土記』「讃容の郡」に見える。


    翻って儺負人は男性である。集団によって暴行を受けることはハイヌウェレ神話と同じだが、一旦「儺負殿まで辿りつ」いた儺負人は夜になると「厄の塗りこめられた餅と火を灯した紙燭を頭上にさした人形とを背負わされ、礫を投げつけられながら境内から追いやられる」というのは、神殿を占領し、一度は神としての座に着きながらもその村人たちの反撃に遭い、村中の厄を背負った上で村はずれに駆逐された、と解することができる。それは疫神が猛威をふるった上で成敗され、境界の外へと追いやられる、謂わば疫神放逐の一種と私は見ている。

    また、かつてはこの儺負人を村人総出で捕らえに行ったという。ところが、それが江戸時代(寛保四年(1744))に入って、この祭祀の儺負人を金で雇うことになった。その理由とは、儺負人を捕獲するにあたって近隣の田畑が荒らされたり、捕まることを怖れた村人が家から出なくなったりと、社会不安が高まっていたことにある。
    しかし、儺負人は誰でもよいというわけではなかったのだ。


     「要するに、儺負捕りではいかなる身分のものも容赦なく手当たり次第に捕らえられるのかといった寺社奉行所の質問に対して、神社側は、将軍家及び御三家をはじめとした諸大名とその家来、そして僧侶、女性、子供、忌服者、乞食の者は除外されるが、それ以外の成人男性は儺負捕りの対象になると答えているのである。」(P67)


    ここで、女性は儺負人になれないこと、子どもも対象外であることに注目すべきである。多く人柱譚に登場するのは稚児や遊女であった。即ち、儺負人は人柱や人身御供とは性格が異なると見るべきである。

    「将軍家及び御三家をはじめとした諸大名とその家来」を除外するのは、身分の高い人を捕らえてもめ事を起こしたくない、といった社会的な理由だろう。
    もう一つの条件、「僧侶、女性、子供、忌服者、乞食」は要するに賤民である。賤民は社会構成員として認められないひと(人外)たちのことである。つまり、儺負人は少なくとも社会を構成する、「ひと」として認められた者でなければならなかったのだ。
    ここにも、この儺追祭と他の人身御供譚を区別する理由がある。


    それともうひとつ。
    兵庫県西宮市の太田神社で行われる「一時上臈」と呼ばれる行事である。
    それは江戸時代には、このような行事であったと伝えられている。

      小松村の南に岡田ノ神社といふあり(式内/の神也。俗世おかしの宮と云伝ふ。
      例年の祭礼に社前へ供物を備ふ。男旧例を以て其年此村へ嫁したる女の衣服を着
      して此役を勤ム。衆人後ロに従ひ手をたゝきて拍子をとる。一時上臈アゝおかし
      といふ。夫故おかしの宮といふ。(『摂陽落穂集』自序 文化八年(1808)。)
      (本著P132)

    これを六車氏は「「おかしの宮」という通称の由来となったという「一時上臈ああおかし」という言葉が、どのようなニュアンスで用いられたのかはさだかではないが、この女装した男性を囃し立てる言葉であったころは間違いないだろう。」(P133)というのだが、果たしてそうだろうか。

    この男性が「其年此村へ嫁したる女の衣服を着して此役を勤ム」はどう解釈すればいいのだろう。
    思うに、この新妻は未だ村民として神にとっては認知されていない女性ではなかったか。

    他所から嫁いだ女性が村民として(氏子として)神に認められるにはどういった手順が必要だったか、私はそれについて全く無知である。
    以前は結婚式は人前が当たり前で、神前で結婚を誓うというのは戦後の風習である。
    となると、出産後のお宮参りが新妻と神との初対面ではなかったか。
    その年に嫁いだばかりであれば、未産の場合が多いだろう。
    つまり、神はその女性―正式に村民でありながら神にとっては未認知―のことを知らないのだ。

    人身御供譚に多く遊女が出てくることをもういちど思い起こしてみよう。
    遊女は彷徨う女性である。他所からやってきた「まれびと」である。
    「まれびと」は時に神に捧げられ、時に生贄を救うのだ(「早太郎伝説」との関わりを見よ)。
    他所から嫁いだばかりの女性とは、村民にとっては「内なるひと」であり、神にとっては「まれびと」であるという、特殊な位置にいる。

    それゆえに男がその新妻に擬して、神をだます祭祀なのではないかと思うのだ。
    神に捧げられる生贄の巫女を(あるいは性的に)食う筈の神は、その巫女が男であることにだまされ、食えずに終わってしまう。
    すなわち、巫女の身代わりになる男が神を欺き、それゆえに「ああおかし」と囃されるのだ。そして恥をかかされた神はすごすごと引き下がるほかないだろう。(恥をかかされた神については、『神々と肉食の古代史』(平林章仁著)にある。)
    私はこの「ああおかし」は、だまされた神への言葉と見てみたい。

     また、巫女=処女に擬されるのが人妻であることも、神への騙しであろう。神は巫女だと思っていたのは実は人妻で、しかもそれは女装した男であることに、二重にだまされてしまうのだ。もちろん神を冒涜する、あるいは調伏する目的があるのではないことは、神饌を供御していること=神を神としてあがめていることからも推測できる。
    神をだまして生贄を犠牲にせずに神の加護を得ようとすることの特異性から、その「ああおかし」が神社名の由来になったのではないか。


    著者は終章でこう語る。

     「人々は、暴力を排除しようとする一方で、希薄化した生の実感をもう一度身体に呼び覚ましたいと願う。だからこそ、人が神に喰われるという恐ろしい人身御供譚が長い間伝承され続けてきたのではないか、そう私は考えている。」(P230)

    ひとは、暴力と血生臭い習俗を遠ざけて、ひたすら「優しさ」を求める。
    その一方で暴力的な事件は一向になくなりはしないし、暴力を実行しないひとは「都市伝説」という新しい形の暴力譚を求めている。
    あるいは、誰かを傷つけることを怖れるひとは、自らを傷つけることで「生の実感」を得ようとする。

    およそ根源的な暴力的な形から遠ざかってきた儺追祭に、新しい「人身御供譚」が加わっていることはその証左となり得よう。


     「また、それに並行して、新たな人身御供の語りが発生していることも看過できない。それは、「昔、殺気立った裸男たちの前を通り過ぎようとした若い女が、男たちに裸にされた上に死んだ」という話で、私が一九九九年に儺追祭を調査した際に、祭に直接関わる地元の男性たちの多くが異口同音にこの話をしてくれたのである。この「事件」が実際に起こったことかどうかはわからない。それが「いつ」のことであるかも人によって「記憶」はまちまちである。しかし、その口ぶりから彼らがそれを「本当にあった過去の出来事」としてリアルに認識していることは確かだ。とすれば、この女の「犯し」と「殺し」という語りは、「人身供御」の現代的読み替えと理解することも可能なのではないかと思われる。」(P100)

  • タイトルからわかるとおり、人身御供についての研究である。
    このタイトルは強烈で素晴らしいよね。センセーショナルで印象に残りやすい。

    人身御供は人が殺されるという暴力である。それを論じることによってその人の価値観や人間性も浮き彫りになってくる。
    以下は本の紹介ではなくいつもにも増して自分の覚え書き。

    ・序章 「人身御供」はどのように論じ得るか
    近代以降、民俗学で人身御供はどのように論じられてきたか研究史を見ていく。
    まず問題とされたのは、本当に日本では人身御供が行われたかどうかである。
    それは「日本人の祖先が人身御供などという残虐な行為をしていない」という拒絶的な見方と、「他の国でも行われていたのだから日本でも行われていて当たり前ではないか」という受容する見方の対立であった。
    その段階を過ぎると、人身御供、供犠はどのような意味があったのかが論じられるようになる。

    ・第1章 「人身御供の祭」という語りと暴力
    人身御供を供える祭りといわれた尾張国府宮の直会(なおえ)祭とそれにたいしての内外からの反応について。
    直会祭というよりはだか祭りといったほうがわかりやすいだろう。
    この祭りでは神男と呼ばれる一人の男性が災いを背負って地元の民衆から追われること、その神男は僧侶、身分の高い人間、子どもを除いた男性の中から無差別に連行してきたこと、近隣の住民や旅人たちはさらわれることをたいそう恐れられたことから人身御供の祭りと呼ばれてきた。
    実際に祭りの最中に殺されるわけではないが、大勢の人にもみくちゃにされつぶてを投げられ、災厄を背負わせられる人間は短命になるという俗信から人身御供だと認識された。
    しかしこの風習は近世にさらってくるのではなく、金で雇った男に神男を任せることに変更される。
    これは人身御供のマイナスイメージを逆手にとって、神男探しや祭りのときに略奪をする、反体制的な人間を取り締まるのに藩主側が利用したと考えられる。
    (いや権力者は狡猾でないと勤まらないな)
    スケープゴートとして排除される場合、集団的暴力が伴う。

    ・第2章 祭における「性」と「食」
    人身御供としてささげられた女性はいったいどういう存在だったのか。
    各地の人身御供の伝承を上げて探る。
    神のよりまし(神の嫁)としての巫女から、神の食物へ。
    犯す神から喰らう神へ。
    そしてかつては人身御供がささげられていたが、今ではそんなことをしていないと否定することによって共同体の秩序を再確認し、結束も高める。

    ・第3章 人身御供と殺生罪業観
    人→四足の獣(鹿や猪)→二足の獣(鳥)→魚
    以上のような神への供え物が変わっていくパターンより、殺生への罪の意識の変化を見ていく。
    殺生を禁じる仏教の影響が大きいが、実際の農民の生活は米の収穫だけで暮らしてはいけず、狩猟漁労によって殺生せざるを得ない状況だった。
    それについては、「神に備えら得ることによって、供物も成仏できる」などといったものが流布されるようになる。

    ・第4章 人形御供と稲作農耕
    人間の代わりに主に餅などでつくった人形を神に供物としてささげる。
    その反面、人形は神の霊威を入れる器としても機能する。
    祭りが終わればその供物がおさがりとして祭りの参加者に振舞われるのが通常であり、それを食すことによって神の霊威を体内に取り込む意味もある。

    ・終章 人柱・人身御供・イケニエ
    人柱が橋や城などを建てるときに障害が生じた場合に、工事を無事にできるよう呪力を期待して生き埋めにされる人間であり、人身御供は毎年提起的に行われる祭りの際に神にささげられる食べ物である。なので、人柱と人身御供はまったく別のものである。
    日本だけ出なく、東アジアでは神が食べたものを人間が食べること(神人共食)は祭りにおいて重要視されている。
    そこでは神にささげられた人間を喰うのは実際は神ではなく、同じ人間だった可能性を否定できない。
    神を喰うことと神に喰われることは本質的には同じであり、神との一体化を図るものだった。

    ざっと簡単にまとめるとこんな感じで。
    本当はもっと丁寧に読み込んでまとめたほうがいいんだけどなあ。

  • はじめに、の儀式における贄の動物に対し、見せられた過程の残虐さに戦く心情が書かれていたけど、見えないだけで人はそれを食しているのですが、と思ってのっけからどん引いてしまいましたが、内容は…あれ?面白いかも?と言う感じで引き込まれていました。人身御供に関して、その祭りに関しての変容、人々の意識等、農耕社会や当時の暮らしに比して考えてみると、実際にはなかったかもしれないけれど、意味づけとして重要という感じでの理解を得た…というか、正直、考えがまとめられません。
    ただ何かしらの事件や災害があり、実際人命が失われた上での人身御供伝承もあるんじゃないかな?と思った次第です。大蛇が大水害とか(素人意見ですが)お若い研究者の方なので、これからの出版物が楽しみです。まず近著探さなくちゃ。

  • 一神教の民族であれば、アニミズム〜多神教の「異教徒」に対して災禍の罪を全て負わせてしまえたかもしれない。でも日本ではそうはいかない。閉ざされた国の中で何もかも「同族」に負わせてこなくてはならなかった。

    だからこそ、細かなことを共同体の基準として、そこから外れるものを「異」として災禍の罪を負わせたのではないかしら。それはメンタリティとして綿々と引き継がれ、「いじめ」の土壌につながっているのではないかしら。

  • タイトルの通り人身御供について書かれている本。
    民俗学を勉強したい人は読んで損はないだろうと思います。

  • 昔は生贄の祭りがあったが今は廃れた――
    「イケニエ」をめぐる伝承や眼差しについての一冊。文明開化の時代、イケニエはどう捉えられたのか。江戸時代、藩の知識人と村人は祭礼をどうとらえてきたのか。祭りの構造におけるイケニエの変遷とは。
    昔々で始まる物語は、本当に昔を伝えているとは限らない。昔々の語り手によって、「昔」は語られるものなのだ。イケニエというショッキングな昔話を描いた一冊。

  • 文化人類学に関する論考。専門領域でもないし、粗雑な読み方しかいていない。それでも、自分のなりの意見を恐れずに言うならば…

    生け贄を機能的に説明している。
    共同体を維持するために人身御供は必要なのだ。共同体の構成員が相互暴力によって感情を共有し結束力を高めるために。
    レヴィ・ストロース先生も同様のことを指摘していた(きがする)。

  • 読みにくくは、ないでしょう。
    論文を書くために資料用に買いました。やりたいことまとめたいことが結構載ってて悔しいなと思いますw

    サントリー学芸賞を獲った本です。扱ってる範囲がとても広いのにどれもかゆいところに手が届いている印象を受けます。何度も読みました。

    各民俗学論文を読むといつも思いますが、パイオニアである柳田国男の論考に対し、「それは違う」「未完成だ」「八方美人」的な批判や付け足しは面白いですね。やはり時代が過ぎ、社会が変わると色んな考えが変わるし、フタをしていた臭いものも世に出るようになるし、確固たるものが揺らいだりするものですね。

    なんて偉そうなことを一学生が考えたりします。

  • タイトルだけを見ると、少々キワモノのような印象を受けましたが。
    きちんと史料に基づいた論文を集めた、少し固い内容の本です。
    従来タブーとして忌諱され、「毒抜き」されてしまった過去の論文より。
    極めて冷静に、理論的に構成されていますが。
    「毒」そのものの解明には、まだまだ疑問が残ると感じました。(2009年7月26日読了)

  • 2009年度 55冊目  4月18日

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神、人を喰う―人身御供の民俗学の作品紹介

生ま身の人間を「食べ物」として神に捧げる。なぜこのような「野蛮で残酷な」話が現代まで語り伝えられているのか。人身御供譚をもつ祭の現場に身をおいて祭と語りのダイナミックな関係をさぐり、食・性・暴力をめぐる民俗的想像力の根源にせまる、気鋭の大胆な論考。

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