1968〈上〉若者たちの叛乱とその背景

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  • 新曜社
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  • Amazon.co.jp ・本 (1091ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784788511637

作品紹介・あらすじ

本書は「1968年」に象徴される「あの時代」、全共闘運動から連合赤軍にいたる若者たちの叛乱を全体的に扱った、初めての「研究書」です。本書は、「あの時代」を直接知らない著者が、当時のビラから雑誌記事・コメントなどまで逐一あたって、あの叛乱がなぜ起こり、何であったのか、そして何をもたらしたのか、を時代の政治・経済的状況から文化的背景までを検証して明らかにします。その説得力には、正直驚かされます。また読み物としても、『〈民主〉と〈愛国〉』で証明済みですが、その二倍の頁数の本書においても、まったく飽きさせることなく一気に読ませてくれます。

上巻では、団塊の世代の幼少期の時代的文化的背景から説き起こして、安保闘争から日大闘争、安田講堂攻防戦までを、高度成長期への集団的摩擦現象として描きます。

感想・レビュー・書評

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  • 1960年代から1970年代にかけて、若者、特に学生の社会運動が盛んだった時期がある。本書では、その若者の社会運動のことを、「若者たちの叛乱」と呼んでいる。本書は、その「若者たちの叛乱」をテーマにしたものである。
    本書の描き出そうとしているものについて、また、それを描き出そうとする意図について、筆者は下記のように記している。
    【引用】
    ■本書は全共闘運動をはじめとした「あの時代」の若者たちの叛乱、日本の「1968年」を検証する。その目的は、過去の英雄譚や活劇物語として「1968年」を回顧することではなく、あの現象が何であったかを社会科学的に検証し、現代において汲みとれる教訓を引きだそうとすることである。
    ■本書のメインテーマは、高度成長という社会的激変の時期に、若者たちがどのような状況に直面していたか、彼らの集合的メンタリティがどのようなものであったか、その表現としてどのような活動をしようとしていたか、それがいかに失敗したか、その結果として何が日本社会に遺されたか、といったことである。
    ■「あの時代」の叛乱を、それぞれの立場から回顧した回想記は、数多く出ている。しかし、それらは「あの時代」の叛乱の全体像を描いたものではない。またあの叛乱がなぜ起きたのか、それが日本社会や世界にどんな意味をもち、何を残したかなどを総合的に検証した研究は、いまのところ存在しない。わずかに、社会運動の先駆例として研究した論文がいくつか存在するていどである。
    【引用終わり】
    筆者は、社会学者である。上記で述べられているように、筆者は「あの時代」を研究の対象として取り上げている。従って、本書は、「研究書」という位置付けとなる。
    本書で取り上げられている「あの時代」は、1965年の慶応大学での学費値上げ反対闘争から1972年2月の連合赤軍事件までと筆者は設定している。上巻では、慶応大学闘争から、早稲田大学、横浜国立大学、中央大学、日本大学、そして、1968年から1969年にかけての、東京大学での闘争までを扱っている。
    本書は、大著だ。上下巻それぞれが1000ページを超えるボリュームを有している。この感想を書いているのは、上巻を(やっと)読み終わった後であるが、1000ページを超えるものを読むのは、かなり大変だった。
    以上が、本書の概要の紹介。

    私は1977年から1981年にかけて都内の大学に通っていた。本書の題名になっている「1968」、また、「あの時代」からは、おおよそ10年後のことになる。「あの時代」から10年後の大学には、大学紛争と呼ばれるものは存在していなかったが、その残滓はかすかに残っていた。セクトのメンバーが、いわゆるタテカン(立て看板)を背景に、マイクを持ちキャンパス内で演説をしビラを配っている光景はよく見かけた。キャンパス内で暴力的な衝突を見かけたことはなかったが、それでも、セクト間の内ゲバのニュースを新聞やテレビで見ることは多かったし、学内キャンパスで相手党派を批判する演説もよく聴いた。ウィキで調べてみると、私の大学2年生の年にあたる1978年には、内ゲバ事件が32件起こり、死者数7人、負傷者数45人を数えている。
    演説の論旨はよく覚えていない。「日帝」「米帝」等の言葉はよく使われていたと記憶しているし、左翼運動なのだから、「この人たちは日本で革命を起こすことを目指しているのだろう」と漠然と思っていたことは記憶している。
    私がこの小熊英二の「1968」を読もうと思ったのは、私が大学時代にキャンパスで見かけたものについて、「あれはいったい何だったのだろう?」という単純な疑問からだった。
    下火になっていたとはいえ、私が大学で見かけた学生運動と、「あの時代」の学生運動は同じものを目指していたのだと思っていた。すなわち、「あの時代」の学生運動・大学紛争も、当時の時代を考えると、70年安保闘争だとか、ベトナム戦争反対だとか、成田空港闘争だとかといった具体的な案件はあるが、最終的には日本に革命を起こすための運動だと思っていた。要するに、「あの時代」に盛り上がった運動が下火になりながらも、何とか私の大学時代まで続いていたと考えていたのだ。
    だいたいはそういうことであったが、経緯を見ると、事情は少し異なっていたことが、本書を読んで分かった。
    小熊英二が「あの時代」の起点とした慶応大学の紛争は、学費値上げ反対闘争であった。その後の各大学の紛争も、きっかけは、学費値上げや授業環境の改善(学生数の増加に教授の数や質、または大学施設が追いついていなかった)、前近代的な大学運営の改善等をターゲットとした、「大学を良くしていこう」ということを目標とした運動として始まっていたのだ。それは、左翼運動とは直接的には関係のない、具体的な要求項目を持つ民主主義闘争・経済闘争からスタートしていた。ところが、途中から運動の性格が2つの理由で変わっていく。
    1つ目は、参加している学生が、運動自体に生きがい、やりがいを感じ始めたことである。東大医学部の闘争を例にとって、筆者は以下のように記述している。
    【引用】
    こうして、研修医待遇改善という具体的な「経済闘争」として始まった東大闘争は、安田講堂再占拠を転換点として、高度成長下で「現在的不幸」に直面していた若者たちが「生きている」実感をつかむ表現行為に変化していった。
    【引用終わり】
    また、2つ目はセクトの参加である(セクトとは、左翼運動を進めるグループのことで、東大闘争の時には6つのセクトが参加していた。セクト間の仲は基本的に悪い)。セクトは革命を目指す活動家の集団である。彼らが大学紛争に参加し、ヘゲモニーを握った後の状況を小熊英二は、同じく東大闘争を描写して、下記のように書いている。
    【引用】
    ■もともとセクトは、大学闘争を「学内改良闘争」にとどめず、資本主義打倒の足場にしようという意図があった。そのためには、東大闘争の目的は社会変革であるという認識を東大全共闘メンバーに浸透させ、70年安保闘争までバリケードを維持する必要があった。
    ■東大全共闘の支持が少数派になった以上、自治会を握って大学当局と妥協するメリットは望めない。だとすれば、あとは闘争をできるだけ長引かせ、自派の存在をアピールし、東大生の活動家を一人でも多く獲得するのが得策となる。これがセクトの論理であった。
    【引用終わり】
    セクトは一般学生の支持を失っていた。従って、東大闘争は、セクトが「闘争自体を目的に」「一般学生の支持を得ずに」行っていたものとなる。また、セクト間の仲が悪く、それは、いわゆる「内ゲバ」に発展していく。
    整理して言えば、民主主義闘争・経済闘争からスタートした学生運動は、運動すること自体が目的となり、一般学生の支持を得ないセクト活動家が進める運動となり、また、セクト間では内ゲバが絶えないものとなっていった、ということになる。私が大学時代に出会った光景は、その延長線上の話であったのだ。

    もう一つ、ぜんぜん別の話をしたい。
    私は庄司薫の、「赤頭巾ちゃん気をつけて」から続く4部作が好きである。「赤頭巾ちゃん」の主人公である薫くんは、当時の東大への進学トップ高校である日比谷高校3年生であるが、東大入試が中止となってしまうという災難に見舞われる。そして、その年には東大以外の大学も受験しないことを決心する。要するに、「1968」で紙数を多く割いて書かれている東大闘争のとばっちりを受けているのだ。
    「赤頭巾ちゃん」は1969年2月9日の日曜日を舞台としている。東大の安田講堂の攻防戦が行われたのが、1969年1月18・19日、その後に、その年の東大入試は中止と決定されているので、小説の舞台となっている2月9日は、それらの騒動の直後のことである。
    東大闘争が始まった1968年に、主人公の薫くんは、大学受験を控えた日比谷高校の3年生であり、東大の法学部を受験することを予定していた。そういった状況の中での、東大闘争であり、高校3年生の薫くんは、自分の受験がどうなるのかという心配以外に、闘争に参加している学生の主張や大学側の対応について、色々と自分なりに考えていたはずであるし、ひいては、あるべき世の中像や、その中での自分自身の役割等について考えていたはずである。その上で、その年に大学を受験しない決断をしているのである。この部分は、小説の中では全く触れられていない。触れられていないが、薫くんのキャラクターや小説の中で薫くんが考え、語ることに重大な影響を持っているはずである。今回、小熊英二の「1968」を読んでみて、そういったことを、ある程度、リアリティを持って、感じることが出来た。小説を読む時には、こういった時代背景の理解も大事なのだということに、あらためて思い至った。

    とまあ、本書の長さに影響されたのか、長い感想になってしまった。
    1000ページを超えるものであったが、平易に、読みやすく書かれていることもあり、私自身は楽しく読んだ。これから、下巻の1000ページにトライする。

  • 私が高校生、大学生のときは、尾崎豊の歌が同世代から多くの支持を得ていた時代だ。「夜の校舎 窓ガラス 壊してまわった」…「この支配からの卒業」…
    でも当然と言えば当然だが、いくら私たちの世代の若者がこの歌に共感したからといって、実際に夜に学校に侵入して窓ガラスを破壊したやつなんてほとんどいない。それは、そんなことしたって現実は何も変わらず、問題は何も解決しないことをみんな知ってたから。

    “若者たちの叛乱”についてこの本で概括的に読んで、書かれた彼らの行動や発言と並んで私が連想したのは「オウム真理教」であり「イスラミックステイト」だ。こう書くと、当時運動にかかわった者は憤激し、私の無知を嘲笑しようとするかもしれない。
    しかしそれなら、自分が正しいと思っているものを錦の御旗にし、それ以外のものを徹底的に排斥し攻撃しようとする姿勢という点で共通しているのではないかという私の疑問に、自分たちの正義を貫徹するという点以外にもっと広い視野からの合理性・必然性を具体的に提示できるのか?

    もちろん、著者の小熊氏は当時の運動への参画者を非難するためにこの本を著していないので、私も当事者を否定したり攻撃する意図はない。しかし、ケンカで難しいのは「敵を倒す」ことよりも、むしろ「味方をつくる」ことというのは必然の理だ。そして歴史的に見ても、勝利を得たと言えるのは、闘争に勝った者よりもむしろ共感を得て広く賛同を得られた者である。
    この本の叛乱者も、“本当の”勝利を得たいのなら、ヘルメットをかぶってゲバ棒を振り回したりとかではなく、例えば徹底的な討論や地道なPR活動など、後の世代でも理解に耐えうるような形で歴史上の足跡を残すべきだった。
    しかも彼らは大学生である。時代の空気や世代の共通認識がたとえそうだったとしても、もっと「謙虚たるべき」だったと、やっぱり私はそう思う。
    とはいえ、当時の彼らも、昭和の終わりに大学時代を過ごした私も、そして現在の大学生も、基本的なものの考え方や行動パターンは大同小異なはず。(その証拠に、表紙のモノクロ写真の女の子なんか、ヘルメットを脱げば、今もキャンパスを普通に歩いてても不思議じゃないでしょ?)
    それなのになぜ、こんな支離滅裂なのか?意味のない残骸にしか見えないのか?

    著者は従来の「この時代」の研究で広く行われてきた、当時の数々の運動の「断片」から帰納的に当時の運動の正体を得ようとはしていない。著者がとったのはまったく逆の発想だ。著者が当時を照射するために掲げたのが『現代的不幸』というキーワードだ。
    現代的不幸とは「アイデンティティの不安・未来への閉塞感・生の実感の欠落・リアリティの稀薄さ」だと著者は言う(24ページ)。それらは現代に生きる私たちにも年齢層や世代を超越してかかわる、まさに現代的な問題であり、それゆえに当時を知らなくても、離れた視点で改めて見直すことにこそ意義が生じる。(ちなみに著者は1962(昭和37)年生まれで当時は知らないはずだが、逆にそれがいいのかも。)

    現代的不幸は現代の私たちにものしかかる重くて不可避な問題だが、当時の若者が同種の問題を抱えるなかでどう考え、どう行動したか…それを考えることは現代人にとって大きなヒントとなりうるが、小熊氏の渾身の著作によって、私たちが何かに気づくきっかけになればいい、そういう視点で読むべきだと考える。

    したがって、小熊氏の記述が当時の実態からみて合ってるか離れているかという「あら探し」に傾注してる人が多いが、そんなことは核心から見たら実はどうだってよいことだ。私たちにとって重要なのは、「正義」と「狂信」とをいかに分別するか、その視点をどうやって身につけられるのかを学ぶことである。

  • 1000頁を超える(脚注抜きで967頁)、しかも、頁内の文字数も圧倒的に多い超大作であり、とにかくその情報量に圧倒されます。その時代に高校生として生きていた自分の歴史と重ね合わせて、非常に充実感のある読書時間でした。それにしてもノンセクトラディカルなどという情緒的にかっこよさそうな言葉に憧れ、心情的に応援していた自分の知らない領域の話の多さに驚きです。セクト内ゲバについては中核派と革マル派の争いはあまりにも有名でしたが、その対決の本質は知りませんでしたし、学生時代に奥浩平「青春の墓標」という本があることを知りながら、読んでいませんでした。中核の奥が革マルの彼女との恋に悩んで、最後は自殺していくというあまりにも悲劇的な純粋な彼らに今さらながら共感し、心が動きました。また中核派メンバーの結婚式での騒ぎ・・・彼らが次第に過激に暴力学生と呼ばれざるを得ないところへ追い込まれていくところはドラマのように臨場感がありました。革マル派は文学部に勢力を張り、都会出身者が多く、理論派でありながら、批評が多く、行動しなかったために各派に嫌われたというところは面白かったです。一方、中核派は律儀で国鉄に乗る場合には必ず乗車券を買っていたが、3派を構成した社学同ML派、社青同解放派は無銭乗車を強行していたというのは楽しい逸話です。また各セクトの争いが純粋なことばかりではなく、自治会を押さえることによる資金の確保という意味合いがあったことは考えてみれば当然のことですね。日大の場合には膨大な資金になったようです。旧自民党の派閥と同じようなものです。65年・慶応大の学費値上闘争、66年の早稲田の闘争、横浜国大・中大その他、そして日大の封建主義的な古田体制打倒から全共闘が生まれ、東大医学部の待遇改善からスタートした全共闘誕生など、政治闘争というべきではなく、むしろ大学改革闘争であったという事実に、あまりにも無知であった自分が恥しくなります。あの頃問われた「大学とは」「自己否定」などがどこかへ行ってしまったことが淋しく、何がこのような現状に至らせたのかと空しい思いさえ起こってきます。1960年生まれの著者がこのような詳細な資料を調べているのはとにかく想像を絶する驚きです。

  • 今第三章を読んでいる。著者によるスキップ方法にのっとり、第二章は飛ばした。第三章は慶大闘争の話だけど、当時の学生たちのバリケード内行動が、香港雨傘運動の中でみた光景とちょっと似ている。あと、今おもしろいと思う点は、慶大闘争から始まるあたりの学生たちは、戦後の民主教育を受け、かつ、旧来の「立派」な大学イメージを持ちながらマスプロ大学に入ってしまったということ。

  • 出来れば、僕なんかよりずっと若い人が、よくわからなにしても読んでほしい本。まあ、小熊さんの仕事のパワーは満喫できます。彼は省略しないんですよね。付き合う方は、なんかへたり込んでしまうのですが。

  • 発売当初は評判になり図書館も予約が多く借りるのは諦めていましたが、今はすんなりと借りる事が出来ました。
    これだけの資料が載っているのは貴重ですが、でもこんなに大きく厚くする意味が有るのかどうか、殆どが資料の2次利用で著者が直接話を聞いたりとかは無いようです。
    実際には拾い読みしながら興味のある所を読んだだけですが、その時代に生きてきた者にとっては特別に目新しい事もなく自分の過ごしてきた時代の再確認とはなりました。
    重たいので下巻は読まなくとも好いかと感じています。

  • 私のご師匠様が書かれた、全共闘テーマの非常に浩瀚な書であります。400字原稿用紙6000枚らしい笑)従って、いろんな見方ができるが、私は「現代的不幸」についてのテーマが一番印象に残った。1968年から40年以上立つが、現代的不幸についての問題はあまり進展がないように思える。むしろ、過去と同じ過ちを繰り返し、失敗しているケースが多くある。
     とりあえず既存の世界をぶっこわしたところでその先に何もない。誰も幸せになれない活動が横行している。
     そんないろんな事件を狂気として片付けず、「現代的不幸」の視点をもって、詳しく見ていく。そこから現状を打破するプロセスや方法を考えていく。そのためには本書の主張するように自分たちを取り巻いている状況から手がかりを一つずつ探して行くしかない。

  • 本屋で最初に見たときに、またえらいゴッツイ本やなと思っていた小熊英二の『1968』の、とりあえず上巻を図書館で借りて読む。こんな厚くて高い本は近所の図書館で買わないことにしたようで、相互貸借でヨソからの借り物。

    上巻だけで1000ページ以上あり(うち、註が100ページほど)、
    とにかく重い。返す前にはかってみたら、1.4kgもあった。ええ加減にせえよという重さで厚さである。今までの本もかなり厚くて重い本だったが、それでも持ち歩いて読めた。

    これはあまりに重くて、読みにくい。手に持っても重いし、好きな場所で好きなかっこで読むことも難しく、仕方がないので机に置いて読むようなことになる。どうせゴッツイ本やねんから、せめて上・中・下にでも分けて、もう少し軽くしてほしい。重すぎる。

    布団の中でついついイッキ読みというわけにもいかず、またせっかくヨソから借りてもろたしという気持ちもあり、休みやすみ、やっと返却期限までに読む。

    タイトルそのまま、これは「1968」年、心当たりのある人にとっては"あの時代"を研究した本である。

    上巻は、「時代的・世代的背景」から始まり(1、2章)、「セクト」各派の思想やスタイルについてのお勉強(3、4章)、そして、著者が"あの時代"の始まりと位置づける1964年の慶大闘争(5章)から、1965年の早大闘争(6章)、1966年の横浜国大闘争・中大闘争(7章)が描かれ、羽田・佐世保・三里塚・王子という「激動の七ヶ月」の闘争(8章)をはさんで、日大闘争(9章)、そして1969年の1月の安田講堂攻防戦で終わる東大闘争(11、10 章)を資料によってひたすら語って、1000ページ近い本文が終わる。

    つまり上巻は、羽田や佐世保、三里塚といった大学生が参加した闘争の話もあるが、主に大学という"コップの中の嵐"を書いたものである。(下巻は、目次によれば大学闘争が高校に飛び火した話や、ベ平連、連合赤軍やリブの話が出てくるらしい。)

    さすがに疲れた。最初のほうの時代の話や初期の闘争の話はともかく、さいごの2章は内ゲバの話が続き、われこそは正義の暴力、正しい暴力といわんばかりのセクト各派の暴力的な主張と、たっぷりの資料で語られる暴力の言動にうんざりした。

    全共闘"世代"と言ったりもするが、あの当時、大学進学率が上がりつつあったといっても、進学者はまだ少ないものだったし(団塊の世代ということで、ボリュームは増えていたとはいえ)、その中でも闘争に参加したのはせいぜい2割ほど。全共闘なり大学闘争の渦中にいた人たちは、同世代のうちのごくわずかな数であり、これを世代の経験として語るには無理がある。にもかかわらず、全共闘"世代"という言い方があるのは、大学まで進学した人たちが、そうでなかった人たちに比べて言語による表現力の点で相対的にまさっていたからだろう(回顧録の類は山のようにあるのだ)。

    どこかの章で闘争に参加した活動家の話が引かれていたが、同世代の7割以上がすでに世の中に出て働いているというその認識どおりなのだろう。

    私は、中2のときの担任の先生がなぜか卒業のときに高野悦子の『二十歳の原点』をくれて、それを高校生の頃に読み、この高野の日記で名前の出てくる奥浩平の『青春の墓標』も読み、大学に入ってからだったと思うが60年安保で亡くなった樺美智子の『人しれず微笑まん』も読んでいた。

    読んでいたが、それはほとんど"青春の煩悶モノ"として読んでいたようなもので、高校生の頃にこれを読んだころには、高野や奥の日記に出てくるセクト名や、代々木、反代々木というのが何のことだかわかっていなかった。

    さすがに今は、代々木、反代々木くらいは知っているが、今回この上巻で「セクト」の話を読んで、革マルとか中核とかブント、その他いろんなセクトの"違い"がなんとなくわかった。

    へーそうなのかと思ったのは、佐世保闘争の際に、報道のなかで、「群衆」を肯定的に評価したときに「市民」という表現が使われるようになった、という話。

    それから、あの時代の、すべての既存の価値や権威を疑ってかかったような闘争に参加した活動家たち、とりわけ男性が、なぜ、女性が食べる世話をすることや補助的な役割を担うことについては、何ら疑いもせずに受け入れていたのか、という問いが、女性活動家の手記などから引かれていて、そこはやはり印象深かった。バリケードの中で、ずっとおにぎりを握りながら、明日からはやらへんデ、と思うような話がとくに。

    1968年といえば、永山則夫による連続射殺事件があった。永山則夫は1949年生まれ。同世代で大学へ進んだ者は、この「1968」前後の闘争に参加していたりもするわけだが、永山は中卒で集団就職している。この世代は中卒、高卒で就職した者のほうが多かったのであり、数の上からいえば、全共闘"世代"というよりは金の卵"世代"といってもいいのだろうと思う。

    少なくとも、生まれた場所や家庭環境や性別、出生順位などによって、"あの時代"は相当違ったものだったんやろうなあと思う。

    たしか書評で橋爪大三郎が「テキストのゴミ屋敷」と書いていたが、さすがに、もうちょっとつまんでもええんちゃうんかなとは思った。まあこういうゴッツイ本にするのが、これまでどおり小熊スタイルなのかもしれない。それとこれも小熊スタイルなのかもしれないが、歴史的表現あるいは資料のママというだけではない「父兄」表現が頻出するのは、わざとなのか、無意識なのか、何だろうなあと思ったのであった。べつに保護者と言い換えろという意味ではないが。

  • 長かった。ようやく読み終えた。
    印象に残っているのは、職場を荒らされた挙句に、ひどい言葉を投げつけられれたことに怒り悲しむ事務職員のことばだった。
    学生の語る概念としての〈労働者〉と現実に働く人の言葉の重みの違いが、この短いエピソードからにじみ出てくるようであった。

  • 1968感想

    1968年あたりに起きた、学生叛乱、大学闘争の本。
    正直、私の世代だと、そんなことあったんかいなという感覚。

    めちゃめちゃ厚かったので、読むのに苦労しました。。。

    印象に残ったところを列挙していくと。
    ①膨大な文献、手記にあたっている点。
    物語を読むような臨場感があると同時に、本来、歴史ってこうなんだよな、と思う。
    (いろいろな思惑であったり、思いがあって組織や人が動いていく。教科書では、いつ、何が起こってとしか書いていないが。)
    Wikiとか見る限り、文章資料にしか当たっていないことで、批判対象になっていたりもするそうですが。

    ②文章構成
    序章や章のはじめで概要を知りたい人はこの章を飛ばしていいだとか書いてある。
    その通りに読むと読みやすいのでありがたい。。

    ③「現代的不幸」から闘争をした学生たち。
    東大闘争に代表されるように、
    本当は大学の民主化闘争だったものが、「自己の確立」「真の大学のための闘争」といったように闘争の形が変質していく。
    そして当時はメンタリティを形成させる土壌があった。
    その土壌としては
    ・日本がまだ発展途上国であった高度成長前に幼少期を過ごしたベビーブーム世代が持つ根底の文化や性規範が、高度成長後のものとはおよそ異なるものだった。
    ・大学に進学した彼らが、マスプロ教育の実情に幻滅し、アイデンティティクライシスや生のリアリティの欠落に悩む。
    何となく、分かるなとも思うし、もし自分がこの時代に大学生として生まれていたら、少なからず彼らに共感するんじゃないか。
    何が不満なのか、言語化できないというのが、分かる。。

    ④闘争、組織の在り方
    当初は、明確な目標を掲げていた組織。
    →無関心層、参加者の減少、疲弊、暴力手段で本来の目的を見失う。
    政治的妥協ができなくなる。
    セクトと呼ばれる「新左翼」の集団の介入によってどんどん目的から離れていく。
    確かに組織って、本来の目的を見失うと、意味の分からない方に走っていきがちだし、内部からも修正が効かなくなる。
    大学闘争という限られた場ではあるが、組織の変質という意味では、注目に値する。

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著者プロフィール

慶應義塾大学総合政策学部教授。
専門分野:歴史社会学。

「2023年 『総合政策学の方法論的展開』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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