1968〈下〉叛乱の終焉とその遺産

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著者 : 小熊英二
  • 新曜社 (2009年7月1日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (1011ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784788511644

1968〈下〉叛乱の終焉とその遺産の感想・レビュー・書評

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  • リブについて記述された17章および結論箇所だけ読む。17章は書かれた田中美津本人は批判しているようだけど、読者としてはまとまっているし、なんとなく全体をつかめた気になるし、非常に分かり易いと感じた。当事者の証言を集めて再構成してあり、小熊自身の目をひく分析というのは少ない。だけど、費やした労力には拍手。

    719 
    田中は72年には、戦災孤児救援活動から、街頭闘争、新左翼くずれの男との同棲という変転中ずっと脳裏にあったのは、「あたしが生きるとは何か」「自分が何者であるか」だったと述べている。また当時の自分の悩みは「生きてない実感」であり、デモや街頭闘争にでたのも「スクラムを組み、インターを歌う中で、確かにここに己れがいる、というその実感があったからで、機動隊との衝突を心ひそかに期待したのも、より強くそれを実感したいがためであった」という。『いのちの女たちへ』127,235

    770
    1950年生まれの高橋源一郎が、2003年に「学年が2つぐらい上だと、ほとんどどうしようもないストレートな左翼なんだけど、1年下がると半分ぐらいの学生は消費社会化した左翼になっている」高橋の2008年の回想、「体の半分は非政治的。政治運動をやればやるほど、残りの半分が抵抗する。昼にデモに行ったら、夜はジャズを聞かないとおさまらなかった。引き裂かれていたんですね」

    792
    現代の日本で政治運動に若者が集まらないのは、連合赤軍と内ゲバに象徴される負の遺産と共に、<心><生きてない実感><アイデンティティ>といった問題を、社会や政治と切りはなして論じる慣習や言説にとりかこまれすぎているからだ。身体感覚。他者と肉体接触をすることで(スクラムのデモなど)生きている実感を得ることが可能だった。

    801
    あの時代の叛乱は、これまで政治運動として語られることが多かったが、実際には若者の自己確認運動や表現行為の側面が強かった。

  • 丸山真男は「我が国においては近代的思惟は超克どころか真に獲得されたことすらない」と宣言している。
    p182

    1960年安保闘争の敗北直後の1960年10月
    『民主主義の神話』が出版された。
    吉本隆明は60年安保が市民の政治参加だったと述べる丸山真男を批判し、丸山の言う市民民主主義はブルジョア民主であり、丸山の見解は進歩的啓蒙主義、擬制民主主義の典型的な思考法をしめし、現在、日共の頂点から流れ出してくる一般的な潮流をたくみに象徴している」と断定した。
    p184

    1972年の連合赤軍事件は、山岳ベースでの12人のリンチ死から、あさま山荘での銃撃戦にいたる事件をいう。
    同志12人を総括の名のもとに死亡させた衝撃は大きく、1960年代の若者たちの叛乱の終焉をもたらしたと言われる。
    p500

    赤軍派の結成集会は1969年9月。
    赤軍派議長となった塩見孝也の「過渡期世界論」がブント全体に知られていた。

    メンバーとしては、1971年にパレスチナに渡った重信房子が有名。
    重信は、父親が戦前に血盟団事件という右翼青年将校のクーデター未遂事件に関与していた。
    p501

    血盟団事件とは wikipediaより

    日本赤軍のリーダーの重信房子の父親は血盟団員であり、赤ん坊の房子は井上に膝に抱かれたことがあるといわれる。

    井上日召は、政党政治家・財閥重鎮及び特権階級など20余名を標的に選定し、配下の血盟団メンバーに対し「一人一殺」を指令。
    血盟団に暗殺対象として挙げられたのは犬養毅・西園寺公望・幣原喜重郎・若槻禮次郎・団琢磨・鈴木喜三郎・井上準之助・牧野伸顕らなど、いずれも政・財界の大物ばかり。
    井上はクーデターの実行を西田税、菅波三郎らを中心とする陸軍側にもちかけたが、拒否されたの。
    1932年(昭和7年)1月9日、古内栄司、東大七生社の四元義隆、池袋正釟郎、久木田祐弘や海軍の古賀清志、中村義雄、大庭春雄、伊東亀城と協議した結果、2月11日の紀元節に、政界・財界の反軍的巨頭の暗殺を決行することを決定し、藤井斉ら地方の同志に伝えるため四元が派遣された。
    ところが、1月28日第一次上海事変が勃発したため、海軍側の参加者は前線勤務を命じられたので、1月31日に海軍の古賀、中村、大庭、民間の古内、久木田、田中邦雄が集まって緊急会議を開き、先鋒は民間が担当し、一人一殺をただちに決行し、海軍は上海出征中の同志の帰還を待って、陸軍を強引に引き込んでクーデターを決行することを決定した。
    2月7日以降に決行とし、暗殺目標と担当者を以下のように決めた。
    池田成彬(三井合名会社筆頭常務理事)を古内栄司
    西園寺公望(元老)を池袋正釟郎
    幣原喜重郎(前外務大臣)を久木田祐弘
    若槻禮次郎(前内閣総理大臣)を田中邦雄
    徳川家達(貴族院議長)を須田太郎
    牧野伸顕(内大臣)を四元義隆
    井上準之助(前大蔵大臣)を小沼正
    伊東巳代治(枢密院議長)を菱沼五郎
    団琢磨(三井合名会社理事長)を黒沢大二
    犬養毅(内閣総理大臣)を森憲二
    井上準之助暗殺事件[編集]
    1932年(昭和7年)2月9日、前大蔵大臣で民政党幹事長の井上準之助は、選挙応援演説会で本郷の駒本小学校を訪れた。自動車から降りて数歩歩いたとき、暗殺部隊の一人である小沼正が近づいて懐中から小型モーゼル拳銃を取り出し、井上に5発の弾を撃ち込んだ。井上は、濱口雄幸内閣で蔵相を務めていたとき、金解禁を断行した結果、かえって世界恐慌に巻き込まれて日本経済は大混乱に陥った。また、予算削減を進めて日本海軍に圧力をかけた。そのため、第一の標的とされてしまったのである。小沼はその場で駒込署員に逮捕され、井上は病院に急送されたが絶命した。
    暗殺準備
    四元は三田台町の牧野伸顕内大臣、池袋正釟郎は静岡県興津の西園寺公望、久木田祐弘は幣原喜重郎、田中邦雄は床次竹次郎、須田太郎は徳川家達の動静を調査していた。第一次上海事変での藤井斉の戦死を知った井上らは陣容強化のため大川周明を加えることを画策し、2月21日、古賀清志は大川を訪ねて説得し、大川はしぶしぶ肯いた。また2月27日、古賀と中村義雄は西田税を訪ね、西田の家にいた菅波三郎、安藤輝三、大蔵栄一に、陸軍側の決起を訴えたが、よい返事は得られなかった[1]。
    一方、井上は井上準之助暗殺後に菱沼五郎による伊東巳代治の殺害は困難になったと判断し、菱沼五郎には新たな目標として政友会幹部で元検事総長の鈴木喜三郎を割り当てた。菱沼は鈴木が2月27日に川崎市宮前小学校の演説会に出ることを聞き、当日会場に行ったが、鈴木の演説は中止であった。
    團琢磨暗殺事件
    翌日再び目標変更の指令を受け、菱沼の新目標は三井財閥の総帥(三井合名理事長)である團琢磨となった。團琢磨が暗殺対象となったのは三井財閥がドル買い投機で利益を上げていたことが井上の反感を買ったとも、
    労働組合法の成立を先頭に立って反対した報復であるとも言われている。菱沼は3月5日、ピストルを隠し持って東京の日本橋にある三井銀行本店(三井本館)の玄関前で待ち伏せし、出勤してきた團を射殺する。菱沼もまたその場で逮捕された。
    逮捕・裁判
    警察はまもなく、2件の殺人が血盟団の組織的犯行であることをほぼ突き止めた。
    井上はいったんは頭山満の保護を得て捜査の手を逃れようとも図ったが、結局3月11日に警察に出頭し、関係者14名が一斉に逮捕された。
    小沼は短銃を霞ヶ浦海軍航空隊の藤井斉海軍中尉から入手したと自供した。裁判では井上日召・小沼正・菱沼五郎の三名が無期懲役判決を受け、また四元ら帝大七生社等の他のメンバーも共同正犯として、それぞれ実刑判決が下された。しかし、関与した海軍側関係者からは逮捕者は出なかった。四元は公判で帝大七生社と新人会の対立まで遡り、学生の就職難にあると動機を明かした。

    元東大全共闘の小阪修平は「赤軍派の登場は、多くの学生に颯爽としたイメージで受け取られた」という。
    p509

    赤軍派の大菩薩峠での逮捕者たちは、社会を反映していた。
    トップは赤軍派の指導者の名があり、京都大学など一流大学出身者だった。
    その下にサブリーダーがいて、二流大学の出身者だった。
    最底辺は、青年労働者や無名校の学生たちだった。
    赤軍派日本の国家権力打倒をめざしていたが、学歴優先主義だった。
    p519

    1960年安保を戦ったブントが、幹部は東大出身者が占め、機動隊と衝突するのは、法政大や中央大の部隊だった。
    p520

    大菩薩峠で打撃を受けた赤軍派は1970年1月の集会で、世界同時革命の国際的拠点を築く方針を宣言した。

    彼らは、北朝鮮の体制を支持していなかった。
    もともと反帝国主義、反他スーリにズムを掲げ、ソ連をはじめ既存の社会主義国は堕落しているというのが多くのセクトの主張だった。
    赤軍派は、北朝鮮や中国の民族主義を低く評価していた。

    キューバだけは、ゲバラの劇的な死もあって、例外的に支持する社会主義国だった。
    p521

    よど号ハイジャック成功。
    我々は、明日のジョーである。 p523

    元東大全共闘の船曳建夫によれば、当時の学生運動会は狭く、知人の知人の知人くらいになれば、必ず一人くらい赤軍派がいた、とのこと。
    p666

    国際比較 p817

    1968年は、世界的な学生叛乱の時期であったというのは、間違い。
    大部分のアジア/アフリカ諸国は学生叛乱を経験していない。
    中国の文化大革命、ゲバラの活動、チョコ事件などは学生叛乱ではない。

    学生叛乱が起きたのは、日本、アメリカ、フランス、イタリア、西ドイツなどである。
    イギリスでは、同時期、大学生数の急増はなく、学生の大規模な叛乱は起きていない。
    p817

  • 高校闘争については1969年春の卒業式における都立青山、九段、大阪府立市岡高校の叛乱が有名であったとのことで、同年代でありながら全く知らない世界でした。高校生の場合には大学生と異なり、処分される可能性が濃厚であること、機動隊が簡単に導入されたことなど、更に絶望的な環境の下で闘った送られる側の一つ上の先輩たち、そして勇気ある送辞を読んだ同級生の一人での勇気ある行動には尊敬の念を覚えます。べ平連については私自身が70年6月23日の記念すべき日に「自分自身の満足感のために」デモに参加したことがあり、やはり同じような気持ちで参加する人たちばかりの運動体であったこと、それ故に、入口としての甘ちゃんのように見られた限界が良く理解できましたし、新左翼の1つのように見られるようになっていったことから、小田実らも一致できなくなり、解散していった流れが良く理解できました。連合赤軍の挫折はあまりにもリアルな詳細な記述で、この挫折感が70年代以降の学生運動に大きな心の傷を与えていたことを痛感しました。ウーマンリブの始まりなどは全共闘運動の挫折から出てきたものであったことが書かれていますが、そういう意味であの時代の学生のパワーが残した唯一の遺産だったと思いました。この上下巻を読み終わった後は、感動的でしたが、とにかくあの時代「政治運動」と思っていたものが、実は「自己確認」のための非常に個人的な運動であったこと、そしてその結果が70年6月以降の新たな目標を見出すことができず混迷を深めただけでなく、現在の個人主義の風潮を生むということに繋がっているように思います。

  • 全共闘運動の後半に入る。やはり文献資料を吟味し、その実証的研究は評価できる。いかに当時のマスコミ、政党機関紙が事実を歪曲していたかがわかる。取りあげられているのは「武装闘争」に突入した、いわば「最前線」である。ないものねだりだが、杉の棒での防衛、ハンスト、討論会など多様な形態の闘争は存在した。
    だからあくまでも「最前線」のマスコミなどで取り上げられた部分の記述であるので、それを考慮に入れないと誤解を生む危険性がある。

  • いわゆる「現代的不幸」の相克と著者は言う。1968の総括として秀逸なできだ、と言えるだろう。

  • 生まれる前のことでぼぉにゃりとイメージでとらえていたことはその時代のごくごく一部分であったのだなあと思いました。“過去の思想や経験を十分に理解しないまま葬ることの不毛さ”という記述がありました文章を目でやっと追っただけで理解することはできていませんが、今の時代に繋がる歴史を少しずつでも読んでいこうと思います。本を紹介くださった図書館の神様に感謝。

  • 【配架場所】 図書館1F 377.96/OGU

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1968〈下〉叛乱の終焉とその遺産の作品紹介

本書は「1968年」に象徴される「あの時代」、全共闘運動から連合赤軍にいたる若者たちの叛乱を全体的に扱った、初めての「研究書」です。本書は、「あの時代」を直接知らない著者が、当時のビラから雑誌記事・コメントなどまで逐一あたって、あの叛乱がなぜ起こり、何であったのか、そして何をもたらしたのか、を時代の政治・経済的状況から文化的背景までを検証して明らかにします。その説得力には、正直驚かされます。また読み物としても、『〈民主〉と〈愛国〉』で証明済みですが、その二倍の頁数の本書においても、まったく飽きさせることなく一気に読ませてくれます。

下巻では、新宿事件、爆弾事件、ベ平連、ウーマン・リブ、そして連合赤軍を取り上げ、「あの時代」の後半期に起きたパラダイム転換が、後世に何を遺したのか、その真の影響を明らかにします。そこではじめて、ある意味で局所的な事象にすぎなかった「あの叛乱」を取り上げた今日的な意味が浮かび上がります。

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