- Amazon.co.jp ・本 (406ページ)
- / ISBN・EAN: 9784788512016
作品紹介・あらすじ
◆盛岡中学は北国版「坂の上の雲」だった!◆
啄木と賢治は同じ岩手・盛岡中学出身の文学者・詩人であり、ともに優れた教師でもありました。教育が国家をつくるという理念のもとに国家主義的な教育が強力に推し進められた時代に、啄木は「日本一の代用教員」という自負をもって、賢治もまた国定教科書や「教授細目」によらず、生徒たちの自主性を重んじた「人間をつくる」教育を実践しました。本書は、教師・啄木と賢治を軸に、江戸時代からの寺子屋や私塾から、自由民権運動の学塾、大正期の自由教育運動、生活綴方運動など、「もう一つの教育」を視野に入れつつ、近代の教育史をたどり直し、岐路に立つ現在の教育を考え直そうとするものです。
感想・レビュー・書評
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宮沢賢治は確かに「実践者」であるけれども、詩集の刊行は学校に勤務している時で、童話の出版も同様、実際の「社会活動」自体は成功していないし、その継続期間も短かった。また生徒に指導している理想と、彼の実像は必ずしも一致しているとはいえない。それを「挫折の人生」と名づけるのは容易だけれど、賢治の目指した世界は、確かに地球規模の、人類の「在り方」を示しており、それは今もなおひとつの指針を示しているものだ。それを目指した先人がいたという事実が、我々を勇気づける。
当たり前のことを、つまり「理にかなった」ことを、言うのは、実はとてつもないことなのかもしれない。そして表現者が表現していることは、古今問わず皆同じことで、彼らの偉大さはそれを「当然だ」として言い続けられるところにあるのだと思う。
●以下引用
農学校に勤務して最初の二年間、一九二二年一月六日から翌年十二月十日までの日付がつけられた七〇編の詩は、『春と修羅・心象スケッチ』の題で一九二四年四月に自費出版された。啄木のいう、「詩人は実に人類の教育者である」を実行していたかのようであった。印刷されたのは一〇〇〇部、売れ行きは芳しくなかった。
『春と修羅』の売行きは芳しくなかったが、一部の人からは注目された。
このような高い評価も売行きとはあまり関係がなかった。最大の賞賛者であった心平は賢治以上に無名であったからである。その後、『春と修羅第二集』や『春と修羅第三集』が書かれたが、存命中に出版されることはなかった
教科書を使わない賢治の授業では、話はその科目に限定されない。
発行部数は一〇〇〇部、そのうち二〇〇部を賢治が買い上げた。売れなかった。童話ということからであろうか、書評で取り上げられることもなかった
賢治先生にはどこか威厳があって、悪さはしにくかった
「わたしもいつまでも中ぶらりんの教師など生温いことをしてゐるわけには行きませんから多分は来春はやめてもう本統の百姓になります。」
農業と芸術を一致させる教育の可能性が見えてきた詳細をみるコメント0件をすべて表示